昔から「ブランド買いに走るバカ女」とはよく言われていることだ。特に日本一のシャネラーが泉ピン子であるという事実は、その言葉を重く静かに認めていた。どんなにお金をかけて頑張ってもピン子。そこから逃れるようにして、若いブランド好きのお嬢様たちはプラダだ、ヴィトンだ、ディオールだとよりカジュアルに思えるブランドに目を向けてきた。
そんな風潮と大手メゾンのコングロマリット化が合致した結果、現在のブランド物の隆盛である。ヴィトンなんてとってもカジュアル。何を作っても「これ、かわいい!」の号令でガンガン売れていく。売れていくのと比例して、デザイナーのマーク・ジェイコブスはプクプクと太っていく。あの姿もとてもユーモラスで「かわいい」と言えないこともない。
かつてシャネルで着飾るピン子を見て、私たちは満場一致で「バカだ」と決め付けた。この「バカ」というのは、「品がない」という言葉と似通ったニュアンスをもっていた。そして現在、ヴィトンのバックからキティちゃんの化粧ポーチを出す女の子に「バカ」と言うことはできるだろうか?品がないと言えば品がないが、しかし「品って何だ?」という思いも同時に浮かぶ。「ヴィトンもキティちゃんも両方ともかわいい」と言われれば、そんなものかとも思う。カジュアル化ってそういうことだろうし。
そんなわけで日本で「ブランド」について考えるなら、丸の内でも白金台でもなく表参道である。ベルナール・アルノーが「神話的な存在感がある」と語るクリスチャン・ディオールの路面店が完成する時も人は行列するだろう。そしてアルノーの言う「神話性」はまったく無視して小物を買い、帰りがけにキディ・ランドにも寄るだろう。だってどっちも「かわいい」から。そんな光景をかつて「モダン」の象徴だった同潤会アパート跡地から眺めて、「品とは何ぞや?」と思い悩むのである。
志賀謙太