nobody第4号には黒沢清監督のインタヴューが載っています。
土曜の夜ということもあってか、シネアミューズで上映中の『アカルイミライ』の最終回は9:20からという時間にもかかわらず、全ての席が埋まっていた。この映画については前にも書いたので、今回はなんにも考えず気負わずに観ていたら、藤竜也の「この現実はオレの現実でもある」という言葉に素朴にいたく感動した。そのあと彼は「しまった〜言い過ぎた〜」とかわいく言って後悔するのだが、後の「許し」のシーンを待つまでもなく、「この現実はオレの現実でもある」とはなんという「許し」であることか。
だからといって「オレの現実がこの現実である」かというとそうではないわけで、たとえば夜の川のシーンは限りなく現実に近いように見えて、実は幾重にも色調を処理された画像であったりもする。あるいは「それがどこで撮られたか」ということを把握可能にする記号が黒沢清のフィルモグラフィーの中で最も頻繁に出てくるこの映画でも、やっぱり見慣れぬ三宿通りや見たことのない隅田川、「どこでもない」表参道ばかりが映る。
しかしこの「どこでもない」表参道さえも「オレの現実」として引き受けられるのなら、これほど心踊ることはない。自分とはなんのつながりもないクラゲの群れを見て両手の人さし指を天に向けて小躍りする藤竜也ばりに、私は表参道の車道を行進するチェ・ゲバラの群れにニヤケてしまう。
結城秀勇