――西森という男が主人に、響子が犬になるという物語ですが、しかしその主従関係は最初から捻れていますね。携帯ショップでのふたりの出会いからして、その関係は最初から響子が本当は主人のような存在であることを隠していません。

万田そのあとの西森が上司にいじめられて土下座するシーンは、撮影最終日のラストに撮ったんです。撮影も押してて時間もなくて、そしてすごく寒くて早くあったかいところ行きたい、早くお酒飲みたいという一心だったんですけど(笑)、あのシーンの響子はものすごく強くて「えっ?」って思った。響子が「土下座好きなの」と言ってすっと歩いていって、四つん這いになった西森の前に立つ。その響子を煽って撮るワンカットですね。ぼくはそういうイメージはまるで持ってなかったんですよ。撮影の山田達也さんがローアングルで撮ったところをモニターで見たときに「飼い主はこっち(響子)だよな、女王様だよな」って思った。鞭で叩かれるのは西森だよねって。でもこういう不思議な関係の逆転についての話なのかと思い、「いい、OK!」と即決しました。

――ふたりがコインを使った催眠術に興じるシーンが、この主従関係をさらに曖昧なものにしています。コインを机の上で回すという催眠術で、1回目は非常にきっちりとしたカット割りで西森がコインを止めるところが強く映し出される。しかし2回目では、コインが勝手に止まるまで西森は動かず、1回目にあったような抜きのショットもなく、印象として一回目よりもあっさりと撮られているように見えます。

©2013 THE FILM SCHOOL OF TOKYO

万田最初のコインの段取りは何をやっているかということを見ている人にわからせないといけなかったので、回るコインもそれを止める手も丁寧に抜きで撮った。脚本上それがもう一回繰り返されるわけです、響子が「真剣にやって」って言うことでね。これはロケハンのときに考えたのですが、西森が響子の気持ちの真剣さに気づいて、まず場所を変えようと。ふたりを儀式として相応しい、別の空間に移動させようと。そして同じことをもう一回見せてもしょうがないんで、じゃあ2回目は音だけでいいやと。見てる人は何をするか分かっているから。それをやってる間に響子が寝ちゃうところを撮る。さっきのカットとは同じことは映っているけど物語的な意味合いとしては違うものですよ、と。

――2回目に、あのコインを机に押さえつける「バチン」という所作と音があったら、観客はもっと素直に催眠術を信じたかもしれません。しかしそれがないことで、この犬と主人の関係を観客はどこか疑惑を持ったまま見つめることになる。響子ははたして犬になったのか、それとも犬の振りをしているだけなのか、そこも曖昧なまま、ふたりの暮らしを見ることになる。

万田それは最初から脚本にあった設定です。催眠術にかかったのかよくわからないまま1日目が始まり、2日目に響子が犬喰いをしたところでお互い契約を結んだということになる。3日目にはもはやそういった契約と関係なく響子が自分から楽しそうに犬のふりをする。 そもそも最初に脚本を読んだとき、四つん這いの女の子が画面に出てくるってすごく難しい、犬に見えないよねって思った。で、結局そのままでした。犬のふりを一生懸命してる女の子がいる。本人は完全に犬になってると思ってるかもしれないし、西森も「おまえほとんど犬だな」って思ってるかもしれない。でも傍で見れば「いやいや犬の振りをしてるだけだろ」って思うでしょう。そこからは逃れられない。だから3日目の朝の場面は、響子は犬になりきることが面白くてやっているのだということが、見ている人にわかればいいと。犬として響子を見せるのではなく、犬のふりをとことんやることを楽しんでいる響子を映せればよいと考えました。

永山由里恵最初は犬になるってどういうことだろうと、ひとりで四つん這いになって歩いてたりして「これ犬に見えるのかな」とか、そういうところから始めたんです。撮影の最初の3日間はずっと犬のシーンで、大部分が四つん這いの芝居だったんですけど、やってるうちに犬をすることがどんどん楽しくなってきちゃって(笑)。どう見られてるかとかは最終的には意識せず「私は犬だ」ってがむしゃらにやっていました。

――犬と主人の関係は4日目の朝に唐突に終わります。彼らの「芝居」の終わりは、ワンショットのなかに唐突に訪れる。

万田その終わりをどこでどういう画で見せようかというのは想定してませんでした。芝居のなかで動いてもらって、何かふっと、もういいや、やめてもいいかもっていうふうに思って、身体が先に立っちゃった瞬間があっただけなのかもしれません。立たせることを犬か犬じゃないかの境界にはしていたのですが、それをどうやって見せるかということは事前には考えませんでしたね。

――この映画で非常に微妙なものとして映し出されるのは、人間であれば避けられない様々な事柄、たとえばトイレや服を着替えるといった行為を、犬である響子がいつの間にか完遂していて、それを西森もほとんど気にする素振りがないということです。

万田そこがね、とっても難しくて。最初に言った「これ、漫画じゃないか」と思ったのがここです。実写でこれをやる場合、まず響子の洋服をどうするの? お風呂入ってるの? トイレは? とか、犬じゃない瞬間がかなり出てきてしまう。漫画なら犬の世界だけでも進められると思うんですが、実写映画だとそれはかなりきわどい。

――物語の具体的な日数が決まっていて、その時間の流れが描写と直結している。仰られた響子の犬じゃない瞬間の描写というのは、ほとんど必然だったようにも思えるのですが。

万田それが必然だという意見はわかるのですが、そうするとおそらく別の映画になっちゃう。だから、そこはなるべく見てる人が気づかないように撮ったんですが、まあ見る人が見ればそれはわかりますよね(笑)。だいたい西森がいない間も四つん這いになってたの? と。でもそこまで取り込んで描くと、『イヌミチ』本来の脚本とは違う要素が出過ぎちゃうんじゃないか。舞台が日本家屋だったりすることもそうですが、これはある種のファンタジーだと思うんですよ。でもそのファンタジーっぽいニュアンスが、細部でリアルの方に引き戻される。もしこの物語が、たとえばお城の王子様が町の娘にワンって言わせたりする映画だったら、いつ着替えてんのとか、何食べてんのとかということは全部すっ飛ぶんですけどね。だから、これはある意味でおとぎ話なんだと思いました。

――これまでの監督の作品では、不自然なセリフを不自然に言うといった方法を取られることで、いわゆるリアルさとは意識的に距離を取られていたように思いますが、本作はそういった方向性はやや影を潜めています。

©2013 THE FILM SCHOOL OF TOKYO

万田普通の映画を撮っていこうという気持ちが『接吻』以降どんどん強くなってきたんです。普通のお客さんが見ても違和感がなく見られる、変なことをやってそれを楽しむような映画ではなく、そこで語られる物語にすっと入っていける、そういう映画をつくりたいなと。だから台詞の言い回しみたいなことに関しては、普通にというか変なことはしなかった。

――以前の作品は言ってみれば「言葉の映画」としてのありようを確実に有していましたが、『イヌミチ』はそこから積極的に離れていこうとしている。

万田なんといっても主人公の響子が、ある日から「ワン」としか言わなくなりますからね。台詞の映画からズレていこうとは思っているのかもしれません。

――西森が自分をいじめていた上司に反旗を翻したあと、公園でふたりがこの関係を本当に終わらせるシーン。ここで一度この映画は円満に終わりそうな気配を見せるのですが、しかしそこから一気に響子を突き落すような展開へと向かいます。これは脚本段階から存在していたプロットだったんでしょうか。

万田後半はかなり問題だったんですよ。元々の脚本では、今までに何の連絡もしなかった恋人に、今まで何の連絡もしなかった響子から別れを告げるものだった。会社も響子が自分で辞表を出すという流れでしたが、あれだけ犬をやったのに、その経験について何も考えてないの? っていう感じで、脚本がよくわからなかった。そこまで自分のやったことの責任を取らないってことには、見てる人の反感を買うんじゃないかと。脚本を直していく段階で、罰を与えるというわけではないですが、響子に対してあなたのやってきたことは社会では通用しませんよというような流れに変えました。自分ではなく彼氏から「別れよう」と言われる、会社でも「あんたどうするの? 大変よ」って周りに言われてから辞表を出す。そりゃ当然だろうと。でも脚本の伊藤さんには、響子が罰を受けるという意識がまったくなかったそうなんです。「罰って何ですか?」みたいな感じで。最後のシーンも西森の家には戻らずに、会社を出てそのまま街へと歩き出すような流れだったんですね。疲れた顔をして歩いているOLに「ワン」って言ってニコって笑って終わる流れだった。それは納得できなかったんですね。

――序盤での響子さんの印象的な台詞に「選んで決めて、選んで決めて、もうウンザリ」というものがあります。『UNLOVED』のラストシーンに「今度は僕が君を選ぶ」という非常に強い台詞がありましたが、監督の映画では、人が何かを選ぶということ、その過酷さがいつも問われている。響子はこの先、おそらく今までよりももっとそういうことに直面することになるわけですよね。

万田僕のイメージとしては響子はこれから野良犬になる、それが一番かっこいいよねって。誰にも頼らず、ひとりで生きていく。この先も「選んで決めて」をしなきゃいけないわけですが、そのことにきちんともう一回向き合える、たくましさを持った人になったのかな。

聞き手・構成 田中竜輔

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