2003/06/22(sun)
テストマッチ・シリーズ (2)
イングランド対オーストラリア

 

 

 日本とカメルーンを除く多くの出場国がモティヴェーションの欠如に悩むフットボールのコンフェデレーション・カップよりも、ラグビーの6月のテストマッチ・シリーズは11月のワールドカップを占う重要な意味のあるシリーズだ。イングランドは前述したとおり、オールブラックスを15 対13 で退け、そして今日、ワラビーズを25 対14で退けている。接点の強さとウィルキンソンのキックで勝った対オールブラックス戦に比べて、このワラビーズ戦は、トライを2つ取ったことが重要だ。2本のトライは両センターが記録したもので、その意味でも従来の力ずくのイングランドというイメージを払拭して、イングランドは言葉の正しい意味で強くなっている。FWで圧倒するやり方は同じだが、何度か接点での優位を示した後、かならずウィルキンソンのパスを受けたセンターがワラビーズのディフェンスを抜けているのだ。ウィング勝負でなく、センターで勝負するラグビー。これは監督の意図したものではなく何度かゲームを重ねる内に選手たちの間に芽生えてくる戦術であるようだ。近場で勝負をし、ディフェンス網を集めて置いて、その脇で勝負する。大きくボールを展開するフランスの華麗さはないが、この戦法でアタックされると、何度かディフェンスを繰り返している内に、かならず接点近くのディフェンスが甘くなり、そこでスピードと重量のあるセンターをクラッシュではなく、突破役に使っていくと絶対に抜ける。FWの力がかぎりなくイーヴンに近くても、リサイクルを繰り返す内に生まれる綻びに速度を注入できれば、トライがとれる。「ノートライで勝利した対オールブラックス戦に対して南半球のメディアがこぞって攻撃した」(小林深緑郎)ことに対する解答が、ここにある。8月にマルセイユとロンドンで行われる対フランス戦では、その完成型が見られるかもしれない。
 一方のワラビーズは故障者続出でやっとメンバーを組んでいるが、新たな展開が何もない。これでは次回ワールドカップの開催国として決勝に残ることはむずかしいだろう。このイングランドのサブメンバーが来月来日しジャパンと対戦するが、私は、何とか100 点差以内と押さえてくれればと期待しているが……。幸い7月の日本は暑い。

(梅本洋一)

 

2003/06/16(mon)
テストマッチ・シリーズ (1)
イングランド対ニュージーランド/韓国対日本

 

 

 6月のラグビーはテストマッチ・シリーズだ。この土曜日にはイングランドがニュージーランドに遠征し、オールブラックスと対決。そして日曜日は日韓定期戦。
 まずイングランド対オールブラックス。結果は15対13でイングランド。ウィルキンソンの4PGと1DGがすべての得点。そしてオールブラックスは2PGと1トライ(コンヴァージョン)。いつものイングランドのパターンだ。圧倒的なフォワードの力量とウィルキンソンのキックのワンパターン。オールブラックスもカーロス・スペンサーをSOに入れてクリエイティヴなラグビーをめざしたが、イングランドFWに完敗。キックオフのボールがスペンサーに回ったところにフランカー陣が強烈なプレッシャーをかけ、スペンサー、ノット・リリースの反則。それがこのゲームのすべてだった。ウェリントンというオールブラックス・ホームでの完敗はニュージーランドにとって大ショックだろうが、これが今の実力だ。イングランドFWはビューモントがキャプテンだった70年代末期の強さに匹敵する強力さ。
 だがこのラグビーは6ネイションズのときも書いたと思うがまったく面白くない。強力なFWと堅いディフェンスとキックで勝っていくラグビーはラグビーというスポーツの進展を妨げているとしか思えない。だが、徹底してスペンサーにプレッシャーをかける戦術は間違っていない。たとえば対イングランドのゲームを行うチームならどこでもウィルキンソンを徹底マークするのと同じだ。だが、FWのプレッシャーにボールがとれない。今回のオールブラックスも同様。スペンサーに好球が回ったときは、かならずゲインライン。このことからイングランドと戦うチームに必要なのは、イングランドFWのプレッシャーの中でなんとかSOにスペースを与えることだ。どうやって? スペースは横と背後にしかない。単純なことだ。
 日韓定期戦でも同じことが起こった。ジャパンのSOが広瀬からミラーに代わった瞬間、ボールが溌剌と運動を開始し、ジャパンバックス陣が縦横無尽に走り回る。それまで韓国の気迫に無駄なミスを繰り返し、これではとてもワールドカップに出場してもワントライも取れないのではないかと危惧した瞬間、ミラーのポジショニングとアタックのタイミングの良さで、韓国ディフェンスがあっという間に切り裂かれていく。ミラーは必ずしも好きな選手ではないが、このパフォーマンスを見せられれば、どんな監督でもSOはミラー、そして普段からミラーとともにいるSHの苑田を使うことになるだろう。半ズレの状態で長短のパスを繰り出す彼のテクニックはジャパンレヴェルでは群を抜いているのだ。点差はどうでもいい。意図したアタックと意図したディフェンスがどれだけできるかがこのゲームの関心だった。ミラーの出場までどちらも零点。ミラーが出場した瞬間、スムーズなアタックが始まり、大畑が、四宮が、松田が走り回る。問題は、ワールドカップでのFWがどこの国も韓国よりもずっと大きく、うまいこと。ミラーに生きたボールが回る回数がずっと減ることだ。少なくとも今日のFWの雑なプレーぶりからは、残念ながら、ミラーは長所よりもディフェンスに走る回数がずっと増えることだろう。7月の対イングランド戦でミラーが何度生きたボールを持てるのか? ほとんどそんなことはないだろう。

(梅本洋一)

 

2003/06/10(tue)
「日本代表」?

 

 

 日曜日には、「日本代表」を冠したチームの試合が、ラグビーとフットボールで行われた。ジャパン対オーストラリアA(ラグビー)と日本対アルゼンチン(フットボール)である。共に愚戦。TVを見ていて腹立たしいゲームだった。なぜか? 別に私は「ぷちなしょ」ではないし(代表チームを日の丸ペイントして応援することが「ぷてぃなしょ」だとは全然思わないが)、たとえば都並のような代表を心から応援しているわけではない。単に良いゲームが見たい。そのゲームに「町内」の人が出ていれば嬉しい。それだけのことだ。映画で、青山真治や黒沢清を応援するのと同じだ。ちなみに彼らはふたりとも同じ「町内」(自転車で15分以内)に住んでいる。では、なぜ愚戦なのか? 15対66あるいは1対4という点差のためか? ラグビーとフットボールの点数概念の差異を考えれば、共にミスマッチであることは確かだ。どちらもスポーツも、こと「代表」に関する限り、20年前に逆戻りしてしまったような気がする。選手たちにとって、対オーストラリアAやアルゼンチンとのマッチメイクなど夢のようなもので、これから生きていく上で大切な経験となるだろうという論調がそれだし、実際の点差も、私が小さい頃見たNYU対「全日本」やアーセナル対「全日本」みたいなもので、ラグビーでオーストラリアのチームしかも「ワラビーズ」の次に強いチームとゲームができるだけで、あるいはフットボールで(いくらクライディオ・ロペスやクレスポを欠いていても)アルゼンチン代表とゲームができるなんて生涯に一回あるかないか……などと考えた時代の論調だ。だが、ラグビーでジャパンは毎回ワールドカップに出場しているし、フットボールでは先回のワールドカップで日本はベスト16に残り、アルゼンチンは予選リーグで敗退したのだ(前々回のワールドカップではガチンコ勝負をして0対1で敗れたのだ)。だからラグビーにおいては、他のナショナルチーム(フットボールで言えばA代表)以外に負けてはいけないし、フットボールでは(アルゼンチンの予選敗退が番狂わせだったことに同意しても)せめて良いゲームをするべきだ。向井昭吾とジーコにはその心構えがない。キャップ指定試合は「強化ゲーム」ではない。まず勝つこと、次に負けないこと、それから負けたとしても良いゲームをすること──そういう順位で選択肢を持つべきで、負けることを前提にしてはならない。両チームとも、勝つことは選択肢の外側にあり、負けることを前提にどれだけ「攻撃できるか」のみを思考しているように見える。これではゲームが面白いわけがない。ゲームの面白さとは、勝つことと負けないことが表裏一体であることを発見する瞬間だ。ラグビーで22メートルライン突破回数がイーヴンなのに、10トライと2トライの差が生まれるのは単にディフェンスが弱いからだ。つまり2トライ以内に押さえるためにどうやってディフェンスするかをまず考え、次いで2トライしか取れないチームが3トライ奪うことを考えるべきだ。そうしたときいつも書くがゲームが30 点をめぐる攻防になり、締まったものになる。フットボールの場合は、まず失点を1点以内にするにはどうしたらよいか、次いで1点以上取るためにはどうしたよいかが思考の順番だ。2対1というゲームは面白い。昨年よりも明らかに力が落ちている両チームに共通することは、調子が悪いとき、監督はますます意固地になり、自らの方法に固執していることだ。常に「脱領域化」する勇気がなければ「監督」はつとまらない。自らのチームよりも強いチームと当たって、勝って自信をつけるとき、チーム力は上がるものなのだが……。

(梅本洋一)

 

2003/06/03(tue)
サッカー 日本対韓国

 

 

 幸運な勝利を収めてから45日後の日韓再戦。ほぼベストメンバーの雪辱に燃える韓国に対し、中田英、小野、中村、高原を欠いた日本代表。結果は1−0での敗北だが、内容には見るべきものは少なかった。「ディフェンスラインと中盤の間が開いた」という森岡の言葉がすべてを物語っている。完全に破られて奪われた1点も、無理矢理上がった名良橋の背後をつかれたものだ。前半開始当初こそ稲本、中田浩の両ボランチのプレスがかかっていたが、韓国のやる気にボールが落ち着かない内に、次第に中盤が間延びしだし、3トップ気味の韓国アタッカー陣が日本ゴールに殺到するようになる。中盤でボールを奪い、大きな展開からチャンスを作るには、鈴木、中山の2トップに楔が打ち込めない。もちろん韓国のプレッシャーのためだが、このゲームを面白味のないものにした全責任は小笠原にあると思う。
 中盤でキープするか、両サイドに大きく散らすには、小笠原のポジショニングが曖昧すぎる。サイドから中央に絞る傾向の強いアレックスとの連携は最悪にちかい。4-2-2-2というジーコが頑なに守るブラジル流のフォーメーションを採用するとき、このメンバーではどうしても中盤が空く。思い切って中山のワントップにし、アレックスを左に位置させ、石川を投入し右に張らせて、4-2-3-1のフォーメーションで中央を小笠原にやらせるか、小笠原の代わりに福西を入れ、4-3-2-1のフォーメーションをとればこれほど中盤が空くことはなかったはずだ。
 ここからは、選手の選択もふくめた私見だが、名波、藤田というジュビロ・コンビの方が、小笠原、アレックスよりも好守の起点になれるはずだと思う。毎試合、いちばんのメンバーを起用するというジーコの方針を貫くなら、名良橋、秋田という選択肢はないだろうし、すっかり自信をなくしている鈴木を起用するのは、鹿島に対する情実人事と思われても仕方ないだろう。実際にジーコが指揮を執るゲームを見続けてみると、彼は、とても頑固にブラジル流のフォーメーションを貫いているように見えるし、前任者よりも自由度が高いと期待されながらも、実は4-2-2-2に対する信念が強すぎるとも思える。このゲームを強化試合と位置づけるなら、もっと創意工夫にあふれた実験を行ってもよいだろう。前任者のフラット3への信念は、ジーコのフォーメーションに関する頑迷さと同じ種類だ。フランスW杯予選のアウェイの韓国戦──私たちはそれが見たい。

(梅本洋一)

 

2003/05/27(tue)
ラグビー・テストマッチ 日本対ロシア

 

 

 対アメリカ戦大敗の後、昨年は勝利を収めたロシアに対しても、43対34で日本代表は敗れ去った。このゲームも結果も一見僅差(ラグビーでは10 点差は僅差だ)に見えるが、日本が連続して2トライを挙げたのは、43対20 とゲームが決してからのことであり、共に4トライを挙げたという結果をそのまま受け取ることはできない。つまり、このゲームも惨敗だ。
 新聞報道では、どうやって点を取るかという形がないと指摘され、スカパーの解説の村上晃も同様の発言をしていた。確かにその通りだが、問題はそれ以前にもある。連続してボールを支配できないこと──イーヴンのボールに対して接点で負けてボールを出せない、そして、せっかく手に入れたボールをイージーミスで相手に取られたり、ノックオンしてしまう。体重差がおよそ7キロ。先日の早稲田対オックスフォードの10キロに比べると、体重差は小さい。どうやって敵ボールを奪取するのか。あるいは、奪取するのが困難なら、マイボール(スクラム、ラインアウト)をどうやって継続するのか。もちろん体重差があるのだから、なるべく接点で正面からぶつかることは避ける方がいいし、マイボールを継続するためにも、クラッシュしてボールを出すよりは、すり抜けるかズラした形でショートパスを繋ぐ方が消耗が少ないのは当然だ。ジャパンの活路は、体重差を考慮すれば、もともとそれしかない。走力と持久力を高め、ぶつかり合うときの消耗を減らすために筋力をつける。戦術面での洗練は、そうしたファンダメンタルな力を磨いた後でもいいだろう。
 だが、とりあえずパスを繋ぐしか活路がないわけだから、パスを継続させるためには、どんなポジショニングが適切なのかを徹底して考察しておくことが重要だ。スピードと方向性で抜いていくラグビーを実践するためなら、ワイドラインというリスクは避け、ショートで深いラインを敷くのが正解だろう。もちろんワイドラインで多様な選択肢を持った方がずっとよいのだが、今のジャパンを見ていると、何の連携プレイもない(小野澤と栗原といった同じチームに所属する選手は除く)のだから、バックスリーの走力を活かすために、深めのラインを取るのがよく、パスミスを減少させるためにはショートラインがよい。早く短いパスを継続し、フォワードの走る距離を減らし、ポイントに到達するまでにかかる時間を減少させる。
 そしてディフェンスは常にシャロー、それから2線防御。それだけだ。だからとって、フランスやスコットランドにはとても勝てない。フィジーにもアメリカにも敗れるだろう。勝つためにはどうするか。まず負けないことだ。つまりシャローのディフェンスと2線防御を徹底して反復練習し、どんな相手にも抜かれない訓練を積むことだ。時間が掛かるだろうが、他に道はない。……あるいは、向井昭吾監督を更迭し、強化委員長自らサラリーマン生活にピリオドを打ち、ジャパンの監督に復帰すること。今の金融業界ならラグビー専任の監督になっても後悔しないはずだ。

(梅本洋一)

 

2003/05/18(sun)
レアル対ユーヴェ第2戦

 

 

 前半の早い時間にネドヴェドのクロスがファーに流れるところをアレックスが飛びつき、落下点に走ったトレゼゲが先制ゴールを決める。ミッチェル・サルガドの股の間を抜けたアレックスのシュートがゴールに吸い込まれる。2−0。レアルは絶体絶命のピンチに追い込まれる。誰だってミラン対ユーヴェをオールドトラッフォードで見たくはない。セリエAですでに見ているからだ。今年のチャンピオンズ・リーグのラストを飾る対戦が興味を殺がれてしまうカードになってしまうことなど、とりあえずレアル対ユーヴェを見ている間は忘れていた。真剣勝負だった。巨額の富を手に入れて現世的な欲望などもうないと思えるような22人の選手たちが、必死の形相でボールを追う。スポーツはやはり面白い。
 前半のレアルの不調は、マケレレを欠いていることによる。フラビオ・コンセイソンとカンビアッソの中盤の底に控えるふたりは、確かにボール・キャリアのマークには優れているかもしれないが、ボールの動きを読み、パサーのターゲットへといち早くは知るアンティシペーションは皆無だ。たとえボールを奪ったとしても展開力がない。ハーフタイムで解説した粕谷秀樹は、中盤を欠いたまま、イエロとエルゲラに負担が掛かっていると言っていたがその通りだろう。そして、展開力のない中盤からはジダンやフィーゴに有効なボールが入らない。盲腸から復帰したラウルもペナルティエリア内での効果的な仕事ができない。荻野洋一は、レアルはマケレレのチームだと言っていた。これもその通りだろう。それに気がかりは、フィーゴからまったく有効なボールが出てこないことだ。ドゥリブルで突っかける姿は、リーガ・エスパニョーラでは異彩を放つが、ナノ・フットボールに精通しているセリエの選手にはデジャヴュだ。
 そして後半開始早々ロナウドの投入。前半はグティとラウルの2トップだったが、グティをボランチに下げ、フラビオ・コンセイソンがアウト。レアルのボールが一気に回転を始める。グティを通過してすべてのボールが展開され、サルガド、ロベカルがサイドラインを何回も駆け上がる。スペースのできた中盤では、ジダンが活躍を始める。だがフィーゴの不調は相変わらず。彼が衰えたのか。体調が悪いのか。あるいは、この稀代の選手のスタイルがもう古くなったのか。モンテロがロナウドを倒し、PKはフィーゴ。悪くないシュートだったが、ブフォンが両手でセーブ。その直後、「獅子奮迅」──そう文字通り──の運動量を誇るネドヴェドが一発のカウンターを決める。3−0。だがマクマナマンを投入、カンビアッソ、アウト。終了直前にジダンのゴール。そのころはもう死闘だ。ネドヴェド、イエローカード。累積で決勝に出場できないネドヴェドがうずくまる。
 レアルの敗因は、朝日新聞が書くように、イエロの衰えではない。エルゲラ、イエロはスピードこそないものの、トレゼゲ、アレックスを良く押さえていた。真の敗因はやはりマケレレの怪我とフィーゴ的なるものが時代遅れになったことだろう。もちろんシンプルにボールを散らすフィーゴなど想像できないし、彼はそういう選手ではない。それでもなおこねくり回すような彼のドゥリブルが今日ほどアナクロに感じられたことはない。フィーゴ以外の誰がPKを蹴ってもボールはゴールマウスに吸い込まれたことだろう。そしてユーヴェの勝因は、接点で負けなかったことだ。1対1に勝つことがやはり基本だ。疲れ果てたビリンデッリとダーヴィツの姿が接点での攻防の激しさを物語っているだろう。
 決勝はフィート対ルイ・コスタというポルトガルの英雄同士の対決を夢見ていたが、フットボールはもうそんな時代を生きてはいない。

(梅本洋一)

 

2003/05/09(fri)
レアル・マドリー対ユヴェントス

 

 

 いよいよチャンピオンズ・リーグも準決勝。イタリアのしかもミラノ同士の準決勝よりも当然注目はレアル対ユーヴェ。前半はロナウドのいつもの一発と終了直前のトレゼゲの一発で同点。ゲームは圧倒的にレアルが押していたが、予想通りのカテナッチオのユーヴェ。レアルは押してはいたがいつものパス回しが見られない。レアルが不調だったのではない。ユーヴェの特に中盤がレアルの中盤に徹底してプレッシャーをかけ続けた結果だ。
 サイモン・クーパーの『ナノ・フットボールの時代』(文藝春秋刊)を読んだ。イタリアのフットボールは、小さなフィールドでのナノ・フットボールであり、ブラジル人が成功するのは、幼少時からナノ・フットボールに慣れているからであり、中田や中村のトラップやパスはまだまだナノ・フットボールに到達していないと断言する。リーガ・エスパニョーラが大きな展開を旨とするのに対し、セリエAのフットボール、特に中盤はスペースがぐっと絞られる。アリゴ・サッキのプレッシングの名残というか、元々持っていたカテナッチオというか、ユーヴェも当然その影響下にあり、いつもなら文字通り「ボランチ」(ハンドル)の役割をするマケレレとグティの展開力とボール奪取率が下がる。したがってジダンやフィーゴにボールが回ったときには、すでにつまった状態になり、パスよりも常にドゥリブルが選択されるようになる。その瞬間、ユーヴェは再び強烈なプレッシャーをかける。レアルはボールは持っているが、球離れが悪くなり、攻撃は遅延される。ゴール前を何人もの選手が専守防衛するのではなく、現代流のカテナッチオがここに実現する。その意味で、ユーヴェの立ち上がりは悪くなかった。
 だが後半、ジダン、フィーゴに対するファールが増える。マケレレ、グティが押さえられなくなってきたからだ。前半に比べて、ユーヴェの防御ラインが一列下がったことになる。フレッシュな選手を投入しながら、ユーヴェに伝統のカテナッチオが始まる。デル・ピエーロ、トレゼゲを残して、10人で守るユーヴェ。フィーゴが倒れ、ジダンが倒れるが、ペナルティ・エリア内のユーヴェのディフェンスは固い。そしてこのゲームの趨勢を決定づけるロベカルのミドルが炸裂する。さすがのブッフォンも触ることもできない。2−1。だが、アウェイ・ゴールの1点は貴重だろう。これでユーヴェがデッレアルピで1−0で勝てばユーヴェに勝利が転がり込む。レアルとしては負けても2−3くらいの撃ち合いに持ち込みたいところだ。あるいは1点以上取って勝つか引き分けること。ラウルの虫垂炎は、おそらくまだ治らないだろう。

(梅本洋一)

 

2003/05/06(tue)
アーセナルの敗北

 

 

 5月4日の対リーズ戦2−3の敗北でアーセナルのプレミアシップにおける今シーズンが終了した。一時は勝ち点で13もの差を付けたマンUが逆転優勝ということになる。確かにチャンピオンズ・リーグでヴァレンシアに敗れてからアーセナルの黄金の中盤は戻ってこなかった。このサイトの対ヴァレンシア戦評にも書いたが、このチームは、「根性で勝つ」フットボールができない。疲れ切り、すべてがうまく行かないとき、計算や予想を超えた力を発揮して奇跡的に勝ってしまうことがこのチームにはできないのだ。
 ヴェンゲルがアーセナルの公式サイトのインタヴューで語る通り、ターニング・ポイントは、先週水曜日の対ボルトン戦だったろう。後半30分まで2−0でリードしながら、キーオンのオウンゴールとジェルカエフのFKでアーセナルの連覇の可能性は消え、しかも後半だけで、リュングベリ、シガン、ローレン、ヴィーラを怪我で欠き、さらにキャンベルをレッドカードで失ってしまう。終盤で絶対に勝利を収める義務があるゲームの前にレギュラーを一気に5人も失ってしまう。これでは対リーズ戦誰を出せばよいのか。ヴェンゲルならずとも頭を痛めるだろう。キーオンとルジニーをセンターバックに、ヴィーラの代わりにレイ・パーラーをボランチに、ローレンの代わりにコラ・トゥーレを右サイドに入れたところで、パスの出所はピレスひとり。リーズとしてはピレスを徹底マークすれば、この日のアーセナルの攻撃力は半減する。最後は3バック、4人FWにして総攻撃をかけたが案の定裏を取られ、ヴィドゥーカの一発でアーセナルの今シーズンは終わった。もちろんまだFAカップは残っているが、果たしてモティヴェーションが続くかどうか。
 欠けているのは「根性」だ。だが、それを認めてはスマートなヴェンゲルの存在価値がない。別の敗因を見つけて、もっと洗練されたチームを作るのが彼のやり方だろう。そのための方法は、すでにこのサイトにも書いたがもう一度繰り返しておこう。まずキャンベルとコンビを組むセンターバック。衰えの目立つキーオンやスピードのないシガンではなく、屈強でスピードがありフィードのできるセンターバックが絶対に一人は必要だ。キーオンのオウンゴールをきっかけにボルトン戦を引き分けたのは今シーズン後半の縮図だ。続いてヴィーラ以外にも起点を作れるボランチの必要性。これはピレスの起用でいけるだろう。あるときは、左サイド、あるときはトップ下、あるときはボランチのピレス。これは可能な選択だ。そして飛行機に乗らないベルカンプの代役を絶対に捜しておくべきだ。ベルカンプ・アウト、カヌー・インで成功したシーンを私は一度も見たことがない。カヌーのリズムの異なるボール・キープはこのチームの流れるようなアタックを遅延させることにしかならなかった。つまり噂されているように中田の獲得(中田にも問題がないわけではない──このことについてはいずれ稿を改める)。そして何よりもゴール・キーパーの獲得。そのすべてに成功すれば、来シーズンはいけるとヴェンゲルは確信するだろう。
 だが、それがすべてではないだろう。上記のような補強ができれば、ヴェンゲルの考えるモダン・フットボールが実現するかもしれないし、私はファンとしてそれを支持するが、その実現がチャンピオンズ・リーグやプレミアシップ制覇に必ずしも繋がらないだろう。アンリが怪我をすることもあるだろうし、ほぼフルシーズン出場し、実力を見せたジウベルトが怪我をすることもあるだろう。何が起こるか判らないのがフットボールだ。今年だって、ボルトン戦に勝てばまだシーズンは終わってしなかったし、火祭りの夜にヴァレンシアを火祭りに上げれば、このチームはインテルと戦っていることになる。「〜たら〜れば」とよく言うが、現在時点で欠けているものを補う補強が必ずしもよい結果を生むわけでもない。うまく行ったときのアーセナルの中盤は見事の一言だった。けれども、フットボールそのものにもっと異なる可能性はないのか。「根性」以外の可能性を、スペキュタキュレールな別の可能性を来シーズン見せてくれることを私は期待している。ヴェンゲルが4−4−2を変えないなら、ピレスとヴィーラがふたりで3列目を務めることだと私は思うのだが……。

(梅本洋一)

 

2003/04/29(tue)
ラグビー 早稲田大学対NZU

 

 

 昨年サントリーが単独チームでウェールズ代表を敗って以来、まったくグッド・ニューズがなかった日本のラグビー界に久々の朗報がもたらされた。早稲田大学がNZUに完勝したことだ。NZUはニュージーランド大学選抜であり、プロ化によってアマチュア・チームのレヴェルが落ちているとはいえ、日本代表もまたに勝利を収める程度で、その強さは決して侮れるものではない。その証拠に3日前に行われたゲームで日本A代表はこのチームに14-97で大敗している。スクラムでめくられ、タックルがまったく決まらず、とても勝負になるようなゲームではなかった。タックルに行く姿勢が高いとか、気迫がないという論評の他に、ここでもまた体格差という根本的な差を敗因にする評価が見られた。体格に差があることなどゲームのずっと以前から判っていたことで、その差をいかに埋め、好ゲームに持ち込むかと思考するのが戦術と言われるものだ。そもそも代表チームのひとつ下のランクであるA代表(ラグビーは代表の下がA代表と呼ばれる)がニュージーランドであっても大学レヴェルのチームに敗れてはならない。体格差を問題にするとき、代表クラスの選手たちはその差を縮めるために、まず大型選手が起用される傾向にあるのは大きなまちがいだ。国内では、常に「体格」によって勝利を収めるゲームばかりしている連中が、自分より大きな相手と当たるときのノウハウなど持っているはずがない。力任せのぶちかましや単なる突破で抜けてしまうから、スキルが育つはずがない。
 つまり早稲田──この場合、大学単独チームであり、OBを加えた「オール早稲田」ではないことも注目すべきだ──は、伝統的にフォワードが小さく、小さいなりに勝利を収める方法をずっと追求してきたチームだからこそ勝利を収められたとも言えるだろう。平均体重には15キロ近い差があるとするなら、相手にボールを与えて、スピードに乗せれば突破されるのが当然だ。つまりディフェンスでは、いかに早く鋭いタックルを繰り返し、相手にボールが出るのを遅延させるか、そしてアタックにあっては相手にボールを渡さず、いかに攻撃を継続させるかが勝敗の分かれ目になることなど、監督の清宮ならずとも誰にでも判る。事実、早稲田が80分間実行したのは、それだけのことだ。特別の戦術があったわけではない。ボール・キャリアに対しては、2〜3人でタックルに行き、ボールにしつこく絡んでボールの供給を遅延させ、アタックにあってはワイドに振って、ゲインラインをはかり、詰まるとフランカー人が素早い寄りで、ボールを出す。ウィングを意識させておいて次は内側を攻める。それだけの方法で、後半30分までで30対17。ここで完勝だ。ニュージーランドが2トライ(ゴール)を奪うのは勝敗が決まってから。だから早稲田の完勝。ラグビーはここでも先に30点を奪うゲームだった。センターの内藤兄がけがで退場してから同じポジションに入った安藤栄次がイージーなPKを3つ連続して外したので、最終的な結果は37対31という僅差になったが、本当なら46対24のダブルスコアになったゲームだった。
 別の勝因もある。まず体重差のあるスクラムを耐えたこと。マイボールを安定して出すことができた。ラインアウトもマイボールがほとんどとれたこと。セット・プレイからある程度のアタックができる計算がたてば負けない。
 清宮は、ジャパン・カップでベスト4に入ることが今期の目標だと試合後に語っていた。このNYUは実力的にサントリーよりもやや下かもしれないが、東芝や神戸製鋼よりは強いのではないだろうか。清宮の目標もあながち非現実的とは言えない。監督の向井昭吾を初めとするジャパンの首脳陣は、この結果をどう見たろうか。スコットランド、アメリカ、フィジー、そしてフランス──この11月に開催されるワールド・カップの1次リーグの対戦相手は決まっている。少なくともアメリカを除いて、どのチームもNYUよりは強い。今日の早稲田にあった誠実なプレーに何らかの魔術を加えなければ1次リーグ全敗という前回のデジャヴュが繰り返されるだろう。

(梅本洋一)

 

2003/04/27(sun)
チャンピオンズ・リーグ マンU対レアル・マドリー

 

 

 この試合の見どころは前半だった。ラウールを外してロナウドのワントップ。その下のジダンは、普段ならラウールが埋めるスペースを縦横無尽に動き回る。常にジダンを経由する細かな組み立てと、そしてもうひとつ、この試合のレアルで特筆すべきはボランチに入ったグティだ。彼からの早く低いロングパスによって攻撃の幅は数段増すこととなる。左サイドハーフライン辺りでジダンがボールをカット、中央のグティに横パスが出た時点で既に走り出すロナウド。重い身体を引きずりながら二枚のディフェンダー間を抜けてゆくロナウドめがけグティの左足が振り抜かれる。ロスのない美しい動作。レアルの1点目はグティのものと言っても過言ではなかった。
 前半35分までのレアルショウが落ち着いたのは、ゴール前の混戦から苦し紛れに放たれたギグスのシュートだ。惜しくも枠を外れたがこの一本によってマンチェスターの根性サッカーに火が付く。スールシャールはロベカルに執拗なまでのプレッシャーを掛け出し、完全にレアルの左サイドを沈黙させる。たった一本のシュートが試合の流れを変えてしまう典型的な例だ。それによってチームメイトは戦術を越えた「勇気」を与えられるのだ。もし前半ラスト10分でマンチェスターがもう一点取っていれば試合の結果もわからなかったはず。
 それにしてもグティ。ロナウドの起用方等を巡り不満もあるらしいが、個々のチームメイトの動きと、チーム全体の動きとを最も把握しているのが彼だろう。ダイレクトパスとロングパスとを織りまぜて常にリズムを変化させるその姿は、かつてのレドンドやバルサ黄金時代のグアルディオーラを彷佛とさせる。ボールを止める蹴るといった技術もジダンの次に光る。
 もし彼をボランチで使うのであれば、この試合のようにラウールがいない方が良いのかもしれない。しかしレアルを最もスペクタクルにするのは、やはり彼とラウールとの2トップだろう。「白い巨人」は彼の白く光る左足によってこそ輝きを放つはずだ。腹の出た巨人によってでは、決してない。

(松井宏)