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~OCTOBER  10/31__up dated

-『地獄の黙示録 特別 完全版』フランシス・フォード・コッポラ
-『BERTRAN DBURGALAT MEET A.S DRAGON』ベルトラン・ブルガラ
-『リリィ・シュシュのすべて』岩井俊二
-『insignificance』ジム・オルーク
-『WALK THE WALK』ロバート・クレイマー
- 東大自主ゼミナール「映画・作家へのコミッタンス」
-「フィルム・メーカーズ『岩井俊二』」(キネマ旬報社刊)
-『エスター・カーン』アルノー・デプレシャン
-『夜風の匂い』フィリップ・ガレル
-「 boid.net 本を巡る対談@池袋ジュンク堂 」
-『ブロウ』テッド・デミ
-『平原の都市群』ロバート・クレイマー in 山形ドキュメンタリー映画祭
-『カフカ』@シアタートラム
-『ラ・シオタ駅の列車の到着』


10月31日(水)

『地獄の黙示録 特別 完全版』フランシス・フォード・コッポラ

 東京国際映画祭で,コッポラの『地獄の黙示録』(79年)に53分の未公開シーンを 加えた「特別完全版」を見る。と言ってもオリジナル・ヴァージョンを10年近く前の 中学生の時見た私はほとんど何にも覚えてなかった…。なので,どこがどう変わった とかは言えないのだけど,このフィルムの持つ力は根本的には変わったないのではな いだろうか。ナパーム爆弾ぶっぱなしの上にドアーズの「ジ・エンド」が流れたり (これだけ覚えてた),オーチャード・ホール(決して映画を見るのに良い環境では ない)に鳴り響く大音量のヘリコプターのプロペラ音やらだけで圧倒される。こんな 凄まじいフィルムだったとは…。
 最近の『ジャック』『レイン・メーカー』を見ればわかるが,コッポラはとにか く「まじめ」なのだ。近年これだけがっしりと演出というものをできる人もいないだ ろう。前にアテネ・フランセ文化センターで見た『大人になれば』という初期の作品 もとにかく「まじめ」で,シネフィルが映画撮ったらこんなフィルムになるんだろう なあ,というお手本みたいだった。もちろん『地獄の黙示録』だって,そのフォルム としてはめちゃくちゃ「まじめ」なんだろう。その「まじめ」さと,フィルムが進む に連れてゆるやかにゆるやかに瓦解していくこの世界の「狂気」が同居しているのだ から怖い。
 見終わった後は茫然自失としてしまったのだが,同時にこのフィルムの20年後に私 たちは生きているということも忘れてはならない。川を上る,という線的な動きとそ の「怖さ」の上昇が呼応しているのが,このフィルムが傑作であるひとつの要因なの だが,その上りきった後,そのクライマックスの終結以後,カーツ大佐の死後,とい う地点に私たちいるのである。それもとうの昔に。もちろん私たちは『ポーラX』や ら『ユリイカ』やら『デッドマン』やら,川を下ったウィラード大尉の物語をすでに 数多く知っているだろう。そして,そういった意味でも『地獄の黙示録』は重要なの だろう。そういえば,私と『地獄の黙示録』は同い年なのだ。

(新垣一平)


10月31日(水)

『BERTRAN DBURGALAT MEET A.S DRAGON』ベルトラン・ブルガラ

 “トリカテル”レーベルの主宰、“ベルトラン・ブルガラ”のライブ盤である。
 “トリカテル”と聞いてもピンと来ないかもしれないが、ここのレーベルからCDを出しているアーティストの名前を挙げよう。“ヴァレリー・ルメルシエ”,“エイプリル・マーチ”,“ルイ・フィリップ”,“エティエンヌ・シャリー”.... これらの名前を見て、割と多くの人が“小西康陽”“梶野彰一”の名前を頭に浮かべるのではないだろうか。私はベルトランの事を、語学の時間に扱ったフランスで出版されている『les inrockuptibles』という雑誌の記事で偶々知ったが、日本にいる限り大抵は“小西”や“梶野”という固有名を介して“ベルトラン”の名前を知るだろう。じゃなきゃなかなか知る人じゃない。私の読んだその記事には、その“小西”や“梶野”が作り出している“イメージのフランス”―頻繁に少し昔の映画『アンナ』『男性・女性』などを特集上映して、“ロリータブーム”を一部で沸かせたり―なるものを遠回しに皮肉っていた。“イメージのフランス”が存在する日本の“フレンチポップ”市場のおかげで、トリカテルレーベルは収益を伸ばしている!とのこと。 同じくその記事で、ベルトランが札幌で行なったライブの様子を記述した部分があったのだが、彼のCDを聴いてこのライブに来た日本人の観客は、その彼のアンビエントなライブを前にして面 食らっていた、こんなような記述がそのライブレポの中にあった。若かりし頃見た“CAN”のライブに限りなく近いライブを自分はしたいんだというベルトランの発言を引き合いに出し、つまりベルトランの音楽のルーツは“小西”や“梶野”の“イメージのフランス”からは乖離した場所にあるのだ、と、はっきりとは言わないがこんなようなニュアンスを含んだこの記事を私は興味深く思った。 で、そんなベルトランのライブ盤であるが、前出の記事も面白いと思いつつ、ベルトランの他のCD(『THE SSSOUND OF MMMUSIC』/『INITIALS B.B』)なんかも好んで聴いている私は、彼のCDとライブに齟齬があるのならばそれを知ろうではないかとこのライブ盤を買ったわけだが、はっきり言って「これのどこがCAN?」と首を傾げる内容だった。記事が示唆していた、イメージと、彼のライブとの齟齬は、少なくともこのライブ盤からは感じなかった。(もっとも、そうした齟齬は実際彼のライブに足を運ばなくては体得できないものかもしれないが。) 断わっておくが、それでも私は記事が指摘していたことに対して「嘘吐き!」と怒っているわけではなく、首を傾げながらも、というかむしろ、この記事を単に面 白いと思っている。 「小西さん推薦か..」と呟いてCDを買う。それもいいじゃないですか。ベルトランは彼らの作ったイメージに戦略的に乗っかっている。そうかもしれない。『les inrockuptible』の記事は梶野を遠回しに中傷しているかもしれない。それでもベルトランは単に彼を利用してやろうと思っているわけでなく、多かれ少なかれ友達だと思っているだろう、多分。 排除すべきなのは、ベルトランのCDが好きな“私”でもなく、『les inrockuptible』の記事を面 白いと思う“私”でもなく、“見えないイメージ”を“知らない私”である。そこに蔓延るイメージ、システムを示すことが出来るのは、作品ではなく、恐らく、批評だけなのだ。そこにシステムが見えたらそれを示す。十分な証拠がなくても示す。嘘を付いていいわけじゃないけど、正しいことを言ってどうする、とも思う。その見えないイメージを示すのは、音楽、映画の仕事ではなく、雑誌の、批評の、つまり、“言葉”のお仕事なのである。

(澤田陽子)


10月31日(水)

『リリィ・シュシュのすべて』岩井俊二

 最近,雑誌第二号のための諸々の雑務のために忙殺されていたのだけど,原稿もだ いたい書き終わり,ひと段落がついたので,久しぶりに映画でも見ようとバイトの帰 りに小走り,岩井俊二の新作へ。実は岩井俊二の作品は初めて。彼の作品については 悪い噂を聞くことが多かったので,食わず嫌いだったのだ。しかし人の噂も時にはあ てになる。「単純なシネフィル」の私は開始10分で劇場を出たくなった。腹が立った が,悪口を言うにも念のため全部見ておくのが礼儀かと二時間半(!)の苦痛を絶え 抜く(寝なかったぞ!)。
 『ディスタンス』の時もそうだったのだが,最初の十分でとりかえしのつかないほ どの嫌悪感を抱くと,ほとんど思考停止して腹ばかり立てながら映画を見てしまうの は私の悪い癖だ。で,そんな作品を見ている時,ずっと腹を立てつつ何を思っている かというと「なんでこの瞬間が捉えられる必要があるの?!」ということにつきる。 結局,映画の全てのシーンとは,何かを映して何かを映さない選択の連続なわけだけ ど,その選択に対してまったく無頓着というか「悩んでない」ように見えるのだ。だ から,ああも純粋に,恣意的にピックアップされたとしか考えられないような「悲惨 な」瞬間を羅列できるのだろう。
 ひょっとすると,岩井俊二はワイドショー的(=図式的)な「殺人を犯すに至る少 年」像に対するアンチとして,それを「もっとうまく」表象しようとしたのだろうか。 とすれば彼が二次大戦後に映画を撮っていたなら(いや,実は今もその延長戦上なの だが),その「悲惨な」瞬間を捉えるためにアウシュビッツを「もっとうまく」表象 しようとしたに違いない。それが言語同断な勘違いだとか言うこともできるが,それ 以前の問題として,彼は私たちの時代の問題を理解していないように思える。つまり 私たちはすでに『A.I.』の中で見たように,アウシュビッツの死体の山が,ロボット の廃棄場のガラクタとしてしか見えない(あるいはそのようにしか表象されえない?) 時代に生きているのである。それを思うと岩井俊二はずいぶんな楽観主義者なのだと しか思えない。

(新垣一平)


10月29日(月)

『insignificance』ジム・オルーク

 事前にこのアルバムが「ロック」であるということは小耳に挟んでいたのだが、確かに1曲 目の頭からいきなり軽快なエレキギターの音が耳に入ってきて、軽く驚いた。とにかく全7曲 全て歌入りで、何だか歌も妙に巧くなったように聴こえてしまう。来日の度にいつも同じカー ディガンをだらっと着ていることで有名(?)なぽっちゃりした人とは知らずに、UKの若手の お洒落バンドのような風貌を想像してしまう人がいてもおかしくないだろう。
 でも正直なところ、それほどの驚きはなかった。ハイ・ラマズなんかを思い起こさせるよう な曲があるからというのもあるかもしれないが、要はジム・オルークは「ロック」だろうが何 だろうがジム・オルークだったからだ。例えば「therefore i am」という曲。これは本当に良い歌で、多くの人に支持されるのではないだろうか。でも、この曲の凄いところは歌の部分ではなく、演奏なのだ。同じ単純なフレーズがこれでもかと繰り返される。そのフレーズの反復の中で、ドラムの拍子が変わったりという譜面 上の差異もあるのだが、面白いのは、途中で微妙にテンポが遅くなったりするのだ。たぶんこれは意図的なもので、彼等は反復の中で起こるその遅延を楽しんで演奏しているような気がしてならない。そして1つのフレーズ、音が、次に来るべき音を待ち受けているかのように聴こえるのだ。言い換えれば、あるフレーズや音は次の音の為に用意され、その連続が1つの楽曲を成しているかのように聴こえるのだ。それはジム・オルークが以前からやっていたことと何ら変わらないのではないだろうか。
 だからこのアルバムは決して革新的なものではないし、ジム・オルークの作品群の中でも傑作に位 置付けられるものではないかもしれない。でもそんなことはどうでもよくて、このアルバムが良いのは、ジムが本当に楽しんでギターを弾き、このアルバムを作ったということが伝わってくるところだ。馬鹿みたいだけど、本当にそうなのだから仕様がない。前述した「therefore i am」なんかを聴いていると、バンドであのギター・リフを延々と弾くのはどんなに楽しかろうと思ってしまう。この感覚は、8ビートの鬼として有名なラモーンズのファー ストアルバムを聴いて、「バンドやろうぜ!」と盛り上がる中学生男児と同じものだろう。そういう意味では、やはりこのアルバムは何よりも「ロック」と言えるのかもしれない。

(黒岩 幹子)


10月29日(月)

『WALK THE WALK』ロバート・クレイマー

 三人の登場人物がいる。黒人の父親、白人の母親、その娘。娘が父親を見、それから母親を見るまなざしによってこのフィルムは始まるが、彼女の視線そのものがこのフィルムを作っているのだといっても過言ではないだろう。
 母親のネリーは湿地に住む微生物の研究をしている。その微生物ついての説明が彼女に対して為される。「光に弱いこの生き物は、強い光を受けると二つの行動をとろうとする。そのどちらかが為されなければ死んでしまう。ひとつは光をフィルターにかけて弱めること。それでも防ぎきれないときはその場所から動くこと。その移動のためのエネルギーはスティグマである視覚ポイントによってつくられる。」彼女は帰りのバスでなぜか涙を流す。
 娘が旅立ち、ついで父親が旅立ち、母親が残る、というのがこの話の筋だ。娘が旅に出る理由なんてどうでもいい。あんなきれいな夕陽を見てしまったら選択肢は二つなのだ。母親のように涙を流してフィルターをかけるか、どこかへゆくか。彼女は後者を選ぶ。その旅先で目にすることになるのは第三の選択肢である死だ。単なる観察者として死と接触するのではなくて、文字通 り死に感染しうる距離のまま彼女は旅を続ける。死を体感した指先の傷も瞳も移動のためのエネルギーをつくり出すスティグマなのだ。
 娘の視線からこのフィルムができているということは、その題である「ウォーク」をつくりだすものが娘の視線から得られているということもあるのだが、もうひとつ事物にひどく寄ったショットが多いということだ。船が港に接岸する瞬間、列車が連結する瞬間、父と娘がキスする瞬間、カメラはすぐ近くで画面 一杯にそれを写し出す。何かと何かの距離がゼロになる瞬間、その最も緊張的な瞬間に照れや対象に対しての遠慮なども忘れて、できる限り近づいてくぎづけになる。実際は父親が見ているはずのショットだったりもするのだが、だとしたら彼が娘くらいの年だった頃そうだったはずの少年(それは彼が出会うあの少年かもしれない)が見ているに違いないのだ。そしてそれは第四の登場人物であるロバート・クレイマーにもいえるはずだ。
 この『WALK THE WALK』を撮り終えてすぐあとに書かれた文章で彼は述べる。「フィルムから、ビデオを経て、デジタルの映画に至るその時系列的な歴史を分析し始めれば、19世紀末の楽観的な状況から、20世紀末のたんに悲観的であるばかりか個人主義的で、当惑していると言うよりはどちらかと言うと途方に暮れた時代までの旅を実行することになるように思われます」。「途方に暮れた」旅の途中、彼が最期まで旅を続け
られたのは聖痕である少年の目に強い光の刺激を灼き付け続けたからなのだろう。

(結城秀勇)


10月27日(土)

東大自主ゼミナール「映画・作家へのコミッタンス」

 10/25。東大で開かれている自主ゼミ「映画・作家へのコミッタンス」に行く。 講師は梅本洋一氏である。その日はゲストに黒沢清氏を招いて行なわれた。教室は立ち見が出るほどの人で埋まる。このゼミを主催しているのは、教養学部の田口さんという方が主宰する「ラブレター フロム 彼方」(略して“ラブかな”)というサークルである。実態については良く知らないが、こうした運動を起こすことのできるチームというのは、単純にうらやましい。今度は、吉祥寺スターパインズ・カフェで、主催イヴェントするみたいですし。
 田口さんを含む3人の進行役と黒沢氏、それに梅本氏が前に座り講義は行なわれた。黒沢清という人は、やはりここでも「ホラー」とか「幽霊」を介して理解されようとしている映画監督で
、話も当然、『CURE』と『回路』に集中していた。「怖いというのは、突然鳴る大きい音で驚くというのとは別 のところにある」とか、「そもそも、幽霊を観て怖いのは何故なのでしょうか。」「脚本にはなかったのですが、なぜか分からないけど、加藤晴彦君が幽霊を掴むというシーンを撮ってしまったんです」など、決して断定せずともそこに深い思考の存在を伺わせ、それを聞くものにさらなる思考を促す、説得力のある謎っぷりは健在である。だが、同時に職人気質なところもあって、ひとつのショットの作り方と映画全体とどう関わるのかという事を実際のショットについて質問され、独自の方法論と「映画」的な方法論をからめて告白する様にひとつの躊躇もない。ただ、黒沢氏が「名誉もお金も得ようとしないで、映画を作れる環境は日本にまだ残っている。その象徴が北野武だ。」と言い、「黒沢さんは、作品ごとに異なった環境で仕事をしなければならないし、何よりその環境と黒沢さんの間に入る人間がいない。映画祭のオファーのFAXが黒沢さん宛に直接来て、それを黒沢さん自ら返信のFAXを送るんです。そういった意味では、とても不幸なところがある。それがクリアされたら、『ニンゲン合格』のような映画がお金になる日が来る。」と梅本氏が言うと、いささか躊躇した口調で「それは、僕も考えてはいることなんですが」と言う。批評が映画に内包されながらも、映画が批評に内包されるべき瞬間がそこにある。
 このゼミが東大という場所で明らかにしたのは、『CURE』や『回路』をつぶさに観察することではなく、『ニンゲン合格』や『大いなる幻影』が黒沢清のフィルモグラフィーのみならず、現在やこれからの映画の在り方を問うフィルムとして語られるべきであるという事だ。そして、黒沢氏自身が言っていたように、「怖さを見せる映画はしばらくやらない」時、彼にはそうした新しい環境が必要であるということだ。
 積極的にサイトのBBSと連動させようとしている講義であるだけに、そうした講義のレポートを積極的にもう一度サイトでアウトプットしたら、次の運動に繋がって行くと思う。それこそ、この講義の映画へのコミッタンスではないか。
 ちなみに、来週は青山真治氏を迎えて行なわれるようです。

(酒井航介)

「ラブレター フロム 彼方」
URL : http://www2.to/lovekana/


10月25日(木)

「フィルム・メーカーズ『岩井俊二』」(キネマ旬報社刊)

 勉強家の僕は「フィルム・メーカーズ」シリーズから最近刊行された『岩井俊二』(責任編集:宮台真司)を買って読んだ。ある授業でこのフィルムについて語らなくてはならなかったからだが、いろいろな意味でこの本は面 白かった。もちろん、まず読んだのはフィルム・リヴューのラストにある『リリイ・シュシュのすべて』についての批評だ。書き手は桜井亜美。小説家らしいが、不勉強な僕はこの人の本を一冊も読んでいない。「この映画は間違いなく岩井俊二の最高傑作だ。そればかりか欧米の作品と並べても2001年の「ザ・ベスト・ムービー・オブ・ザ・イヤー」であり、あたしがこれまで見てきたすべての日本映画中でもっともすばらしい作品だった」と書いている。単に驚く。岩井俊二のファンならこのフィルムを最高傑作と断定する権利はあるとは思う。だが、欧米の作品をすべて見ていない僕は判定できないが、少なくとも今年見たほとんどの「欧米の」フィルムはこのフィルムより面 白かったし、いったいあなたは何本の「日本映画」を見てきたのかと問いたくなる。別 の人がこう書いている。湯山玲子という人だ。どんな人か僕は知らない。「単純なシネフィル系には、岩井俊二は昔から評判が悪いことになっている」。そうかもしれないと僕も思う。僕も単純なシネフィルかもしれない。でも「シネフィル系センス至上主義者のスタンダードはもうタランティーノということになっている」とこの人が続けると「本当かよ?」と思ってしまう。この場ではロッセリーニからヌーヴェルヴァーグそして作家主義を経た後の映画の系譜を講釈しないけど、シネフィルをバカにしないで!って思ってしまう。こういう類の文章で映画について書かれると柄谷行人ならずとも「映画批評はレベルが低い」と断定したくなってしまう。
  ちなみに、本書に収録された大塚英治と香山リカの対談──と言っても語っているのはほとんど大塚なのだが──はとても興味深く読んだ。

(梅本洋一)


10月25日(木)

『エスター・カーン』アルノー・デプレシャン

 公開からしばらく経ってしまったが、ようやく『エスター・カーン』を観ることができた。 あまりに偉大なフィルムであるが故にとまどう部分も多いが、同時に感じたいくつかの事を書いておく。
 このフィルムのリズムは、端的に俳優の顔によって成されている。そのことは、いくつかの象徴的なシーンとともに回想することができる。例えば、エスターとジョアンのキスシーンであり、エスターが自らの両の拳で顔面 を殴打するシーンであり、また、エスターがガラスの破片を口に含み砕くシーンである。それらは、あくまでも演劇とは決定的に違う映画における俳優の身体性の表象という点で、どの映画にも観ることができないであろう瞬間であった。だが、そうしたフィルムの物語における特権的なシーンでなくとも、それ以前に身体として特権的な人物であるエスター・カーン、つまりサマー・フェニックスの顔は、同様の驚きと緊張感なくしては観ることのできないものとして絶えず映される。撮影のエリック・ゴーティエのカメラは、彼女の顔に時折、吸い込まれるかのように引き付けられる。それは、このフィルムの素晴らしいアイリスとともに、美しい(耽美ではない)リズムを構成している。
 「顔」をカメラで据えることが映画にとっての大きな力となることは幾つかの映画によってこれまでにも示されて来た。まっ先に挙げるなら『裁かる々ジャンヌ』のファルコネッティの顔だろう。だが、あくまでも意識すべきはそれがサイレントのフィルムであったという事であり、サイレントこそ俳優の顔、その唇の動きによって台詞の所有が知らされるという性質である。その時そこには、確かに文字で見せる台詞と俳優の顔、そしてフィルムの物語の間にリズムがつくられていた。また、顔がそうした幾つかの映画の要素の中で強度を見せる為には、その「物語」との距離を観る者に正確に理解させる必要があった。徐々に歪んでいく顔や、きっと目を見開いた顔が力を持つ時、そのショットは他のすべてのショットとの関係性に支えられているからだ。
 『裁かる々ジャンヌ』に、歴史的説話という物語の裏支えがあるのなら、『エスター・カーン』には1900年ロンドンという場所と、実際に撮影された場所である現代のロンドンという場所が持つ2つの時間の齟齬と、その間に挿入された俳優の身体に宿ったパッションがある。そこに僕らはいくつもの距離を観る。「エスター・カーン」という小説を真摯にもういちど仮構した物語の上で強度を持ちうる為の最良の手段についてそれらが思考され、この世界に晒されたのが他でもない『エスター・カーン』というフィルムなのだ。その時、アルノー・デプレシャンはもはや映画監督というよりも、より俳優の身体と物語との間に居る演出家であり、強く肯定せずとも確実に存在するトリュフォ−という固有名詞と繋がるのである。
  僕らが来月発売予定の雑誌「nobody」第2号のために行なったアルノー・デプレシャンへのインタビューで、彼はこう語っていた。
 
「今日の映画はトリュフォーとともにつくられていると僕には感じられる。」

(酒井航介)


10月24日(水)

『夜風の匂い』フィリップ・ガレル

 ここでもまたフィリップ・ガレルは葬送の儀式を執拗に反復している。『秘密の子供』以来、ニコについての記憶の箱が開けられ続けているが、ここでもまたナポリ近郊のポジターノとベルリンで、すでにニコがいないという事実が噛みしめられている。ところが、ガレルの場合、そうした執拗な反復が既視感を生むことはない。記憶とは生き続けるものであって、死ぬ ことはないのだ。ガレルのフィルムはそんなパラドックスを身をもって体現している。当然、音楽はジョン・ケール。
 だが、『夜風の匂い』は、ガレルの執拗さばかりで形成されているのではない。カトリーヌ・ドゥヌーヴとカロリーヌ・シャンプティエというふたりの女性の身体を賭けた貢献がなければこのフィルムそのものも存在しないだろう。老いという死への接近を身体ごと受け止めようとするドゥヌーヴには素晴らしいという形容詞しか思い当たらない。そしてパリ、ナポリ、ベルリン(特にそれらの場所の夜景)を撮影するシャンプティエの風景への感受性は群を抜いている。シャンプティエ、ジョン・ケール、そして、このフィルムでドゥヌーヴの若い愛人を演じるグザヴィエ・ボーヴォワという固有名の組み合わせは、ボーヴォワ自身が監督した『君も死ぬ のを忘れるな』と同じものだったことを私たちは知っているし、そのフィルムで主人公を演じたボーヴォワとイタリアで出会う若い女性は、カトリーヌ・ドゥヌーヴの娘のキアラ・マストロヤンニが演じていた。考えてみれば、『君も死ぬ のを忘れるな』にはローマ駅のシーンがあったが、そのシーンの演出をボーヴォワはガレルに依頼したのだった。『君も死ぬ のを忘れるな』における自死への渇望もまた『夜風の匂い』で見いだされる。ガレル=ボーヴォワという系譜が明瞭に存在している。

(梅本洋一)


10月23日(火)

「 boid.net 本を巡る対談@池袋ジュンク堂 」

 10月19日金曜日、立教大学内にある書店に雑誌“nobody”を置いてもらう交渉をしに行く。
 既にいくつかの大学生協に交渉をしに行き、実際に何冊か置いてもらっているわけだが、その時の経験上、“その大学の学生に同行してもらい、更にはその人も雑誌に関わっているということにした方が取り扱ってくれやすい”、とnobody編集長は言う。 というわけで、雑誌とは関わっていない私の友人で、その大学の3年生扶見ちゃんを携帯で呼び出す。訳を話すと快く応じてくれ、あたかも自分を含め多くのここの学生がこの雑誌に関わっているような振りで書店と交渉をしてくれた。更には決していい顔をしているとは言い難い店長に対して「ここの大学は授業で映画監督を招いたりして学生の映画に対する関心も高く、こういう雑誌に興味を持つ人は多いと思う」と本当か嘘か判らない話で説得までしてくれた。ものは言い様、それで事は運ばれる。
 結局雑誌10冊を置いてくれることで交渉は成立したが、その書店の店長からは「“nobody”じゃ何の雑誌か分らない。映画なら映画の雑誌だと分るような表紙にした方がいいのではないか。」と言われたが。至極当たり前な意見であるが、我ら“nobody”の中に雑誌の名前を変えた方がいいと思っている者は恐らく一人もいないだろう。サイトも上映会も含め、すべて“nobody”という名前で既に動いてしまっている。あとはその名前を認知してもらうしかない。 夕方、池袋のジュンク堂にも雑誌を販売しに行く。boidの樋口さん、ジュンク堂の副店長さんの御厚意により、黒沢、青山両監督のトークショーが行なわれる4Fカフェの入口で雑誌が販売できることになったからだ。雑誌の売上は計12冊。定員40人相手に売っていたのだからよく売れた方だろう。ありがたい。雑誌を売りながらトークを聞くことが出来たのだが、両氏がセレクションした本について自ら語るというこの企画。本を読むときはその内容ではなく“形式”を追っているのだと言う青山氏と、世界で最も強い猛獣は何なのかについてロジックに語る黒沢氏の“差異”は、採録して永久保存版にする価値大いにあり、である。(boid日記 10月19日参照)トークに来られなかった方でも、セレクションされた本のリストを見て比較するだけでその“差異”が感じられるのでは。
 それにしても、青山氏はこれまで自身の作品にも多くの言葉を投げかけ、舞台挨拶やトークショーにも精力的に参加して身を晒して来たことを私達は知っている。そういう人が「『監督 小津安二郎』を読んで以来私は監督の発言を信用しなくなった」と発言するのと、他の人間がするのとではかなり意味が違う。監督の発言を聞く側は、“監督”であり“制作者”である人の言葉として無意識的に聞いているが、青山氏は上の発言によりそれを否定する。「監督の言う事を信用するな!」とまでは言っていないが、“監督の発言”は最初にその映画を観たひとりの観客の意見である、その心意気でこれからは臨もうと思う。

(澤田陽子)


10月16日(火)

『ブロウ』 (テッド・デミ)の星条旗、そしてアメリカ

 “夢を使い果たして、男は“アメリカ”を手に入れた“ こんな使い古しの常套句に誘われて映画館に赴く者は今時いないだろうが、ポスターには上の宣伝文句が堂々と掲げられていた。こんな文句を掲げられれば、タイトルの背後に星条旗の揺れるこのフィルムの主人公ジョージ・ユングは70年代のアメリカを“象徴”し、コカインが、ウエスト・コーストが、フィルムに映るものがある時代のアメリカを“象徴”しているようにも見えかねない。しかし麻薬取引をめぐる世界がある一方で、この映画には“父系”をめぐるミクロな世界も映されており、『ブロウ』ではこの2つの世界がパラレルに進行している。親からも妻、娘からも見捨てられた主人公を演じるジョニー・ディップのたるんだ下っ腹、ジャージ姿のぺネロぺ・クルス、そしてフィルムの最後にスクリーンに晒される廃人のようなジョージ・ユング本人のポートレイトを見て、彼らは少しはある時代のアメリカを“象徴”しているかもしれないが、しかしそれでもやはり彼らは何ものをも“象徴”していないのだろう、と人は気付くのではないか。
 先に“父系”という言葉を使った。そこで“家族”という言い方をしても良かったのかもしれないが、やはり厳密に“父系”の方が相応しいだろう。
「他人を守る力がない人間がついに愛を見出したときに何が起こるかを描いている」
監督のテッド・デミはこう寄せる。
 留置所の庭で、ジョージ・ユングは幻想の娘と再会し、抱き合う。それは妄想であるがしかし身体感覚を伴った超クリアな彼のイメージであり、彼は60歳になってそれを獲得した。
 クリアなイメージを獲得することが重要なのだ。ユングの父親は貧しい生活を息子に強いることで「金持ちになりたい」というイメージを彼に反面 教師的に抱かせたが、彼が言うように「金なんて幻」だとすれば結局ユングが抱いていたのは幻想のそのイメージであり、その意味で彼は息子を守る力が無かったし、“責任”がなかったとも言えるかもしれない。ユングの生涯を綴るこのフィルムの映像が、どこか彼の一人称のナレーションと有り物の音楽に主導権を奪われているように感じられるからという訳ではないが、欲望のクリアなイメージを獲得することが出来なかったという意味で彼は彼の人生に対する責任がなかったと言えるかもしれない。
 アメリカ合衆国のアフガニスタン攻撃は今も続いている。国民の90%が支持するこの国の指導者は例のテロ事件以来盛んに「敵に屈しない」「我々は勝利する」と繰り返しているが、では一体90%のうちのどれだけの人間が“屈しない”“勝利する”ことに対するクリアなイメージを想像し得るのだろうか。何をもってすればアメリカは“勝利”したことになるのだろう。そのことを具体化にしないまま空爆という行為をはじめる指導者に“守る力”があるかと考えると首を捻らざるを得ないし、支持できない。
 報復攻撃開始のニュースを聞いた3日後、映画を観ながらこんなことを思った。

(澤田陽子)


10月14日(日)

『平原の都市群』 ロバート・クレイマー in 山形ドキュメンタリー映画祭

 山形ドキュメンタリー映画祭でクレイマーの遺作『平原の都市郡』を見る。
 デジカメで撮ったものを35ミリにブローアップしたもので、独特のざらついた質感が印象的だ。移民の主人公が辿る孤独の人生が語られる。外国へやってきて、仕事をみつけ、結婚もしたが、妻を結局うまく愛することができず、その関係が破綻し、祖国の母も失い、その後彼は自暴自棄の生活をし、やがて視力を失ってしまう。そういった人生の節目節目をフィルムは切り取りながら、しかし、それが決して「人生の縮図」といった紋切り型にならず、あくまでそれはある個人に属する物語であるように語られる。それは、その人生の断片の瞬間瞬間をまさに「いま、ここ」としてフィルムがフィルム自身の時間として生き直されているためだろう。そしてまた、このフィルムは同時に、その逆に、それら生き直された断片によってある個人−−もちろんそれはまずクレイマー自身だろう−−の人生全体を投射する一点へと向かい始めるのである。この運動にこそ、このフィルムの尋常ではない力強さが秘められているように思われる。カメラの前の遍在する現実「いま、ここ」というものがあり、同時にそれらがある個人の人生の記憶の一点へと集約していくような、二重の感覚。
 その感覚は何処から来るのだろうか。例えばこのフィルムでは、盲目の老人の主観ショットが示されたり、主人公の過去を別 の二人の俳優が演じられたりしている。めくらの主観ショット、それは、その老人が見たはずであろうもの−−それは彼の脳のヴィジョンかもしれない−−をカメラが捉え直し、フィルムの時間として私たちの前に提示しようとしているのかもしれない。主人公役の俳優が別 に二人いるのも、その二人の俳優が老人の記憶の時間をフィルムの時間としてもう一度生き直しているのだと言える。主人公と妻がカフェで別 れ話をするシーンは『ギターはもう聞こえない』で二人が最後にカフェで会話をするシーンに匹敵するような深い悲しみがある。そしてスクリーンにはついに彼の内面 世界まで登場することになる。つまりそれも彼の内面世界そのものというよりも、その内面 世界をフィルムがフィルムの時間として生き直したものなのだ。
 こうしてある老人の人生はフィルムの時間、すなわち「いま、ここ」として生き直され、その生き直された「いま、ここ」によって老人の人生の記憶ももう一度紡がれることになる。そして人生の断片が最後の瞬間に凝縮されることとなる。それらの断片を背負った盲目の老人−−フィルムの最後にはもう私たち自身かもしれない誰か−−は彼よりも遥かに若い少年の側に座る。老人は、自らの人生の終着点として、かつ「いま、ここ」として、その場所に佇んでいる。側にいる少年は格段老人のことを気にするふうでもなく、釣りを楽しんでいる。しかし、老人は彼が生きているということを認めるものがもはやまさにその少年でしかないということを知っているのである。そしてあるいはその逆も、すなわち少年の存在を認めるものが自分でしかないということも老人は知っているのかもしれない。そしてそのことを確かめるように,老人は少年にお金を渡す。これで好きなものを買いなさい。少年はさしてその金に気をとめるふうでもなく釣りを続けるかもしれないが,その行為は、そこに、その場所に確かに老人と少年がいたのだということを示す何かなのだ。これこそ−−すなわち他者が側にいるということこそ−−まさに、人生の最後の瞬間を「いま、ここ」として示す,死にゆく者の映画なのだ、と思い、この映画を見るには私は何といっても若すぎると実感し、身震いしてしまった。

(新垣一平)

◇ 山形ドキュメンタリー映画祭のレポートは、11月上旬発行予定の雑誌 'nobody' 2号で特集予定!◇


10月12日(金)

『カフカ』 錬肉工房 構成・演出/岡本章 @シアタートラム

 詩人阿部日奈子のテクスト『K』を基にした、俳優や舞踏家、美術作家達とのコラボレーションからなる舞台。舞台上5人の彼ら、彼女らは阿部のそれにカフカの小説、日記等を織りまぜたテクスト=分節言語を<音>の位 相にまで解体するように見える、ではなくて聞こえる。
  ほとんど教科書通りに作動する、じゃなくて実行されることばの解体、「あな」・・「た」・「は〜」うんぬ んかんぬん。けれども今現在まさしく問題とされるべきは、その後である。
  御覧なさい、開始から数分間かけて直立姿勢から屈伸姿勢へ、プルプル震える全身、そして待ってましたとばかりに発せられる<あ>、徹底的に人間的な声。岡本章は間違えたのでしょうか、姿勢の移行は「うなだれた頭」から「挙げられた頭」へと為されるべきでしょう。抑圧された身体、抑圧の追体験そして「あ」による治療、癒し、か?「あな」・・「た」は「穴・他」となる。
  垂直的に、遊歩することなく<闇>へと迫ろうとするかのごとき彼ら、「裂け目からわれしらず噴出した」(岡本)声、「(俳優、舞踏家達の)技芸や様式の枠組みが揺さぶられ」てできた「ひび」なる「裂け目」、それは例えば「新世界秩序」を築こうとしたアメリカ合衆国のつくりだした「裂け目」、悪しき共同体の成立条件である仮構された「死」「喪失」・・・。アフガン爆撃によって癒される合衆国、再び神話を掲げる共同体、そして「あ」・・・。
  御覧なさい、舞台上の壁に映し出される重なりあった彼らの影を。その「裂け目」でできた<全体>はやっぱり合一への望みを、その合一された影へと託しているのだ。間違ってもそこは「エクスタシー」の場でもないし、「環境」の場でもないし、「機械」の場でもない。彼はカフカを裏切っているのではないか。「あな」・・「た」は「穴=他」となる。
  「裂け目」から発せられるのは「あ」じゃなくて犬の遠吠えでないといけない、いやいやその時もう既に「裂け目」は裂け目ではないんだろう。そして、わたしたちの<舞台>は闇ではなく夕暮れであるべきなんだろう。そう、「K」とはカフカであると同時にコルテスでもあるのだから。

(松井宏)


10月04日(木)

『ラ・シオタ駅の列車の到着』

 先日、『ラ・シオタ駅の列車の到着』をスパイラルホールで見る。資料には2分と書いて あったが、想像を上回る短さだった。消失点の方からやってくる列車は画面の左側に おさまり、動きをとめる。同時に画面右側にいた人々があわただしく動き始める。そ れが映画の始まりと呼ばれるものだった。
 この日の東京は快晴と言える天気で肌寒い空気に日射しがまっすぐに入り込んだ。 ここ数日の冷え込みを考えると秋を思わせる空というにふさわしい天気であっただろ う。しかし人に溢れた湿度の高い駅のホームや、空調の効いた室内から眺めるそれ は、ひどく透明で季節感を欠いた風景に写った。見ようによっては夏の夕暮れにも見 えた、春先の天気のよい昼下がりにも、良く晴れた元旦に窓の向こうにある景色に も。明治通りの交差点で信号待ちしていると隣の女の子が「なんか日曜日っぽい」と 言っていた。世界ができた次の日あるいは世界の始まりの最後の日。明日は秋分の日 で今日は昼が夜より長い最後の日である。
 かつて古代ゲルマン人のあいだで土地の面積を表すのに一日の労働が単位として使 われたらしい。一日の仕事[Tagewerk]であるとか男一人の仕事[Mannewerk]とい う言い方。同様にフランスでは「一人が一日に耕せる<journal>」土地の面積とい う表現が地方によっては今なお存続しているという。<journal>がどれほどの広さ か不勉強なためわからないが、自分は一日にどれだけのことができるのかと夜勤明け の頭で考えてしまう。
 帰りに青山ブックセンターで買った中上健次のエッセイ『鳥のように獣のように』 の始めのほうに「母系一族」という文章がある。その中で「八月十五日の青空も知ら ないのに、なにやらその青空は、この日本などにあってはならない母系一族のつかの 間の誕生及び死の、あっけらかんとして悲しい色のように思えてくる」というくだり がある。彼が今日の天気を見てどう思うかということでもなければ、そもそも今日は 八月十五日などでもないのだが、なにかと「一日」と「始まりと終わり」を感じさせ ることが続いたという話。
 「到着」が始まりで、終わるのか始まるのかはっきりしないがそれでいてやたらと 透明な一日にできるだけの仕事とはどれだけのものであろうか。「母系一族」は「埋 葬するのは、ぼくである。墓をひとつ作るのは、あくまでもこのぼくである。」とい う言葉で終わる。そんな仕事ができるのは、あるいは今日のような一日なのではない かと妄想を抱く。それが自分にとっての<journal>であったらどれだけすばらしい か。

(結城秀勇)