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~MARCH  03/20__up dated


-「空間術講座14 建築の終わり」session 2
-『ワールズエンド・スーパーノヴァ』くるり

-ギャラリー・間「北山 恒展/On The Situation」
-「美しく燃える森」東京スカパラダイスオーケストラ
-『夜風の匂い』フィリップ・ガレル
-『ふたつの時、ふたりの時間』ツァイ・ミンリャン
-ブライアン・ウィルソン「ペット・サウンズ・ツアー」
-『WASABI』G・クラヴジック


3月20日(水)

「空間術講座14 建築の終わり」session 2 (3/16)

1時30分会場だと思って行ったら誰もいない。30分くらいぶらぶらしてもう一 度行ってみると、建築の学生らしき二人組が7時からに時間が変更された旨を教えて くれた。

北山恒をナビゲーターに迎えた「消費されるイデオロギー」と題された第2回は、 前回の内藤廣ナビゲートによる「卒業製作と現在」からの延長のような形で、それぞ れが建築を志す前に影響を受けた建築物、学生の頃に興味を持った建築物、初めて海 外に行った時に見た建築物等のスライドを映しそれに説明を加えるという形で始めら れた。スライド映写の冒頭、建築物の写真の前に内藤の1975年に書かれた当時の 建築に対する月評をいくつか紹介して、北山はイデオロギーを言説であると言い換え る。磯崎新の『建築の解体』をはじめとするさまざまな言説に、彼らが学生だった 70年代初頭、大いに影響を受けたという話が前回語られたのだが、磯崎の「群馬県 立美術館」に対する内藤の批評は単純な磯崎への賛辞ではない。「建築」として非常 に優れたものであると述べながらも最後に、これが「建築」であるのなら「建築」を つくる必要を感じないというような言葉でしめくくられる。3人がそれぞれに抱いた 実製作としての磯崎の建築への反感を語る。「建築の解体」を叫びながらもある体制 の中で建築せざるをえないことに「建築の業のようなもの」を感じる、と発言する岸 和郎はスライドの一枚に「福岡銀行大分支店」を選び、その内装こそが最も磯崎らし い作品なのではないかと述べる。「その言説のひとつひとつがイデオローグとして あった」(内藤廣)磯崎新の言説と実製作との異和。

その異和を当時敏感に感じとった3人の話から明らかになるのは現代における言説 の不在である。実はイデオロギーは消費されていないということが裏返しに透けて見 えるというのがナビゲーターの書いたシナリオではなかろうか。「70年代に様々な 言説がありそれらのカードは今も残っている」のにもかかわらず、「カードが選択さ れていない」(北山恒)。内藤が冗談まじりに「僕が昔から思い続けていたことに、 やっと磯崎さんが追いついた気がする。だとすると20年かけて僕の言説が消費され たとも言える。」という時、そうそう笑ってばかりもいられない。

「ル・コルビュジエは「サヴォワ邸」において白い抽象的な面をつくろうとした が、現実にできるのはレンガを積んで漆喰を塗った壁だ。両者の無限の隔たりの中に 全ての建築は在る」(岸和郎)。そのうちの一方を定めるため内藤は「「建築」に戻 る建築」のような発言をし、岸は“保守主義”のような言い方を用いる。より詳細な 話と残る一方については次回語られるだろう。

土曜22時を回ったキャットストリート、hhstyleの前。原宿に買い物に来 たと思われる2、3人の男女とキックボードを蹴っている小さいおんなのこが話をし ている。そこに乳母車を押した若いおとうさんとおかあさんが通りがかり、赤ん坊に ついてなにやら言葉を交わす。自分が話の中心にいなくなったからか、おんなのこは 勢いよく蹴り出そうとして危うく向かいから来た自転車にぶつかりそうになるが、 「ごめんねっ」とおねいさんの乗る自転車は軽やかに避ける。
できてしまった建築たちが、無限の隔たりを持つ両極の間の一点とはまた違った表 情を見せる瞬間もあるかもしれない。

(結城秀勇)


3月20日(水)

『ワールズエンド・スーパーノヴァ』くるり

 好きな映画や、好きな音楽というものには、一つに圧倒的なものであったということがあり、もう一つにはひょんな出会いのまま、気が付けば離すことができないものとなっていたということがある。くるりは僕にとって後者だった。出会いは東京で起こり、その当時くるりが見つめていた京都という場所を、僕はその春に後にしてきたばかりだった。それから早くも数年がたったが、その間も彼らの変遷をいつも楽しみながら見てきた。そしてその変遷に決定的な瞬間がやってきた。2002/2/20くるりの9thシングル『ワールズエンド・スーパーノヴァ』を手にとった。

 ドュー ビー ドュー ビー ダ ダ ドュー

このほとんど意味が伴っていないような音を発するとき、なぜか安心する。どうしてか。くるりのデビューシングル『東京』で岸田は 「東京の街に出てきました (中略) 君がいないこと〜」と東京と遠い街(京都)の距離を唄い、それ以降しばらくそれがテーマとなっていた。それが力強くあればあるほど、その距離を埋めることができない絶望感に溢れ、ノスタルジックな詩が生まれていた。ところが4thシングル『街』で岸田は絶叫とともに「この街は僕のもの (中略) さよなら言わなきゃそろそろ 迷わずためらわず」と唄った。いつまでも過去との距離を引きずるのではなく、そこから決別 することを岸田は選択した。そして2000年秋に出された6thシングル『ワンダーフォーゲル』で、岸田は歩き出していた。それまでの「僕」ではなく「僕ら」であること、そして悩みながらも歩きつづけることを打ち込みのリズムとともに語りかけてきた。その後出された3rdアルバム『TEAM ROCK』で、「僕ら」を体現するべく「くるり」であることをテーマに掲げたが、現実とのギャップ(岸田主導のプロデュース等)によってくるりは崩壊の危機を迎えた。 興行的成功と内部崩壊の予感の間を彷徨ったくるりが、それから一年後の今年2月に発表した『ワールズエンド・スーパーノヴァ』は、まさにその彷徨った果 ての着地点として感じられた。力強く「僕」や「僕ら」と叫ぶことはなく、淡々とけれども確実な音を伴って唄われる「ドュー ビー ドュー ビー ダ ダ ドュー」という音がある限り、くるりは音を作りつづける。「ライブステージは世界の何処だって」良いのだと唄われるとき、例え世界が終わっても、新しい世界を見つければいいのさという(『ワールズエンド・スーパーノヴァ』というタイトルどおり)、絶望の先に希望を見つけたくるりの軽やかな視線が見えてくる。ヒットチャートが絶対であること、それに反対の意を唱えること、その議論がいつまで続くのか知らないが、そんな議論が降りかかったときくるりは鼻歌交じりで「ドュー ビー ドュー ビー ダ ダ ドュー」と軽くジャンプして飛び越すだろう。そしてもう一つおまけに「ドゥルスタンタンスバンバン」と流し、次の場所へと飛んでいくんじゃないだろうか。

軽快なフットワークを身に付けたくるりは、さらに前進を続け、立ち止まり、僕らとともに踊り、そしてまた歩き出すだろう。果 たして次はどんな場所へと向かうのだろうか。彼らの4thアルバムが待ち遠しい。

(和田良太)


3月12日(火)

ギャラリー・間「北山恒展/On The Situation」

CDやMDによって、好きなときに好きな分だけ、私は私が好きな音楽を聴くことが出来る、これは多分当たり前のこと。もちろんその時の私の体調とかプレーヤーの状態とか、天気なんかの環境によって、例え同じ曲でも微妙に違って聞こえるということはあり得る話だけど、原則的には全く同じ曲を繰り返し私は聴くことができる。つまり私には同じ曲を選択する自由があるってこと。

サム・フィリップの『wasting my time』という曲のことは、とあるラジオ番組で知った。ただラジオから流れていただけで、また聴きたいと思ったからアルバム買って、部屋で繰り返し繰り返し今も聴いている。ただ曲自体というより、この『wasting my time』という曲が、サム・フィリップという女性のこの曲が、そのラジオ番組で流れていたということに、何て言えばいいのか、私は小さなリアクションを受けていたように思う。それは日曜の深夜のラジオ番組で流れていて、DJがこれまたやたらまったりしていて、たゆたゆしてて、もうほとんどひとり言喋っているような。これ聴いて明日(今日)からまた一週間がんばろうとか思う社会人って間違いなくひとりもいないだろうな、とそんな感じ。毎朝早く出社して、その労働に対して毎月決まった額の給料を支払われる、そんな広く“当たり前”だとされている経済活動をここでシステムと呼んでしまうと、たまに平日の朝電車に乗って、隣で揺られてる出勤のサラリーマンを見ると私なんかは、ああこんな朝早くから社会の“システム”って動いているんだなと思うし、休日に渋谷の人ゴミを歩くと、ああ今日は“システム”は機能を停止しているのかな、などと単純に思ってしまう。
このラジオ番組がはじまる日曜の深夜24時という時間。それは当たり前だとされてる“システム”が機能を停止している、休息をしている最果 ての時間というような感じが何だかするのだ。ラジオのDJのまったりした雰囲気が余計それを増長する。サム・フィリップの『FAN DANCE』というアルバムのなかに『edge of the world』という曲があるのは後々知ったのだが、日曜の深夜24時に部屋でひとり、初めてラジオから流れる『wasting my time』を聴いたとき、薄暗いこの空間には、“システムの縁”って時間が流れているみたいだ、とちょっと思った。

建築家北山恒のギャラリー・間での個展と合わせて出版された『on the situation/北山恒の建築』の中に収められている、白石市白石第二小学校の写 真の中に、体操着を着た子供達が教室と教室を繋ぐ長い廊下を駆け足で移動している写 真がある。『wasting my time』を聴いたとき、全く関係ないけどこの写 真が何故か頭に浮かんだのを覚えている。<教育>という与件からすれば、教室間の移動距離が長いのはただ効率が悪く、無駄 なものな訳だけど、北山恒はそこに<普段は同じ教室で過ごすことの多い小学生にとって、移動とは特別 な時間である>という別の“価値”をぶつける。始業時間に遅れないようにと、この、長い長い廊下を小走りするあいだに、学校の規則に囚われていることにふっと首を傾げる白石第二小学校いち生徒も、恐らく、いるかもしれない。教育でも何でもそうだけど、何かが“機能”していることっていうのは、ある価値観の仮設によってしかはかる事は出来ない。そしてその“価値”というものが仮設でしかないということ、フィクションに過ぎない事は、多分無駄 なことによってしか判らない。ゴミみたいなものからしか気付けないんじゃないか、と思う。『wasting my time』を聴いて白石第二小学校の写真を思い出すというのは実は逆で、北山恒の言葉を読み、北山恒の建築展に足を運んだ最近の私が、"I'm wasting my time"「無駄にしている」状態って何なのかとか、何かが機能していない状態って何なんだろうとか、そういうことに恐らく敏感になっているのだ。それは感傷的になるのとは違う。考える“状況”をけしかける、北山恒の建築とはそういうメディアなのだと思う。

『wasting my time』を聴きながら、今日はこのまま寝るとして、明日は朝起きて何から始めようか。聴きたいCDをチョイスするのと同じくらい自由に、過ごし方を選択できる時間は多分過剰にある。できれば無駄 に時間を過ごしたくはない。じゃ何してたら無駄じゃないか。ギャラリー・間4階の、集合建築の模型たちを囲んでいたお花みたいに、北山恒の建築も変化し続けて完成することはない。この問いもずっと枯れるまで流動し続け、一瞬一瞬の状況の連続を生きる。≪個の解放≫とはそのことを指すのだろうかと思う。

(澤田陽子)

[北山恒展/On the situation] 4月27日までギャラリー・間にて開催中 → http://www.toto.co.jp/GALLERMA/

architecture WORKSHOP → http://www.archws.com/

nobody 3号、北山恒氏へのインタビュウ掲載予定。


3月11日(月)

「美しく燃える森」東京スカパラダイスオーケストラ

スカパラである。誰もがその存在を知っているだろうが、とりたてて思い入れのある人は少ないのではないだろうか。何となく印象が希薄で、気付くとそれなりに曲は口ずさめる、ライヴには行ったことがないけれど、パーティで偶々見たことなら何度かある、僕にとってもスカパラはそうした位 置付けのバンドであり続けていた。

しかし少し視点を変えると、僕のCDラックの様々なところにスカパラの影を発見できるのだった。小沢健二は言うまでもなく、FPM、ヒクスヴィル、エルマロ、キミドリ、果 てはブランキー・ジェット・シティまで、そのキャリアのどこかでスカパラと関係を持ったバンドは多い。永瀬正敏の“愛だろっ、愛っ”なんてのもあったし、石川さゆりと一緒に“真赤な太陽”をカヴァーしたりもしている。他の音楽ジャンルに対してと同様に“歌謡曲”に対しても深い造詣と愛情を持つ彼らは、実に“90年代の歌謡曲”と呼ぶにふさわしい名曲、名盤を陰から表から演出した。それは「渋谷系」の隆盛と少しだけ関係があり、また「裏原」のイメージともほんの少し交錯しつつ、2002年現在の音楽シーンでは一見健康的に忘れ去られているかのような“歌謡曲”だった。

バンドブームと大箱ディスコの80年代末期にそのキャリアをスタートしたスカパラは、90年代というディケイドを「歴史」として引き受ける稀有なバンドである。それは当時のバンドの顔とも言うべきメンバー―ASA-Chang、ギムラ、青木達之―を失う度に、「継続」という選択を取り続けたことの結果 でもある。彼らはある時代を象徴することはなく、むしろそのように機能することをできるだけ回避していて、ただ幾つものターニングポイントを迎える度にバンドを継続する選択を取り続けた。「何となく印象が希薄で、気付くとそれなりに曲は口ずさめる」とは、別 に「何となく」でも「気付くと」でもなくて、スカパラの意志が反映した状態でもある。そしてその意志を意識したとき、初めて僕たちはある「歴史」を対象化することできる。スカパラの存在を感じることができる。

「美しく燃える森」はゲスト・ヴォーカル―田島貴男、チバユウスケ、奥田民生―を迎えたシングル3部作を締めくくる曲であり、“90年代の歌謡曲”を別 々に作り出してきたスカパラ、民生の初ジョイント曲でもある。スカパラの演奏のうえに、民生の声が“Woh”と響く。10年以上ステージに立ち続けたプロにしか出せないだろう色気とライヴ感、「まあごちゃごちゃやっても変わんないし」とでもいうような簡単で手馴れた録音状態が本当に素晴らしい。

(志賀謙太)


3月11日(月)

『夜風の匂い』フィリップ・ガレル

冒頭の階段のシーン、ひたすらに耳を打つカトリーヌ・ドゥヌーヴの足音は、重力 にも、年月の滞積にも、あらゆる加重に打ち勝たんとする。すれ違う若く魅力的な女 性の足音に比較すれば一目瞭然である。彼女のそれは堅く軽く、高く細いヒール部分 によって束の間その身を支え、次の瞬間は宙に身を投げ出して、重力に従って再び僅 かな面積で僅かな時間体を支える事の繰り返しで安定感ある大地へと降り立って行け る。それに対してエレーヌ(ドゥヌーヴ)は、重くなったその体で、不安定な足場を つたって、重力にさからった高みへと登らねばならない。より多くの力をより多くの 面積を介して叩き付ける。次の一撃までその力をとどめておく。そんな音だ。靴底と 階段の接しあう表面への執着が、音となり現れ、消えて、積み重なる。
(などと書くことでは『夜風の匂い』について言葉を捧げることにはならない。足 がかかった段にはもう足はなく、違う段にかかっているから。)

セルジュ(ダニエル・デュヴァル)とポール(グサヴィエ・ボーヴォワ)のふたり が駆る真っ赤なポルシェの安定感あるフォルムもひたすら表面に接し続ける。ポジ ターノやベルリンやパリはポルシェによって踏破できる地続きの場所であるばかりで なく、かつてのそれらの場所ともまた地続きである。画面の奥に在る青みを欠いた空 にもおそらくどこかで続いている。飛行機というもうひとつの交通手段をカメラは映 し出すことなく、ポルシェはスピードを上げて表面に一体化せんとする。フィルムの 回転とともに、タイヤは地面をグリップし続ける。
(などと書く事も『夜風の匂い』に追いつかない。そうしている間にタイヤが触れ ていた地面は彼方に過ぎ去ってしまうから。)

(ならばどうするか。)このフィルムで最初に言葉が発せられるのはエレーヌが手 帳に何かを書き付ける仕種をする時、今まさに書き付けられんとする文字が音声とな る。その前にはエレーヌの「エンジン音」が響く。このフィルムで最後に言葉が発せ られるのはセルジュが遺書を書き上げた後、既に書かれた文字が音声となる。その後 には既に書かれてあるはずの文字を書く走るペンの音が続く。未だ鳴らないフィルム の回る音とともに映画が撮られ、既に書き込まれた表面上を何かが音をたてて滑走す る。
(だから書き終わらないようにキーボードを音立てて叩き続けるだけ。)

死体の座った椅子を軋ませ続けろ。

(結城秀勇)


3月11日(月)

『ふたつの時、ふたりの時間』ツァイ・ミンリャン

『ふたつの時、ふたりの時間』はツァイ・ミンリャン(蔡明亮)の長編第五作目に なる。
そして、その五本すべてにリー・カンション(李康生)は主演しており、ツァ イのフィルモグラフィーは彼とともに歩まれてきたといっても過言ではない。
リー・ カンションが演じてきた男の役名は(名無しだった『ホール』を例外として)すべて シャオカンであり、シャオカンには(『ホール』も含めて)ほとんど変わらないパー ソナリティが与えられてきた。監督自身、自らの作品群をシャオカンの人生を描いた ものであると言っていたように、シャオカンというキャラクターはツァイのフィルモ グラフィーを一貫する、欠くことのできない案内人なのである。

『ふたつの時、ふたりの時間』もまた、ほかでもないツァイ・ミンリャンのフィル ムが始まったのだということを知らせるように、老父が「シャオカン!」と叫ぶ冒頭 のシークエンスで開始していて、そしてそのほかにも、この冒頭のシークエンスには、 ツァイのフィルムであることの徴がいくつかある。例えば、次のシークエンスで突如 逝去しているこの老父もまた、ツァイのフィルムの常連であり、『青春神話』『河』 でもシャオカンの父親役を印象深く演じていたし、独りきりの食事というシチュエー ションもツァイが力強く描いてきた情景のひとつだ。注意すると、壁ぎわに寄せられ た食卓という配置に見覚えがあることにも気づく。つまり、この冒頭のシークエンス はかつてのツァイのフィルムの、ほとんどデジャヴュなのである。

ただ、だからと言って映画作家がマンネリズムの泥沼に足を突っ込んでいるのかど うかはわからない。新作では、ひたすら暗かったデヴュー作と違い、前作『ホール』 でも一瞥できた彼のコミックな才能が羽を伸ばしている。一方で、『ホール』『青 春神話』と同じように、主旋律たるシャオカンの物語と、彼とほとんど交わることの ないもう一人の物語という対位旋律が平行に語られる構造が『ふたつの時、ふたりの 時間』でも主軸となっている。つまり、「孤独」がそのテーマであると本人も認める 彼のフィルモグラフィーでは、一本一本の作品はそのテーマのヴァリエーションのよ うなものであり、短調を長調に、バラードをワルツに変奏しつつ、シャオカンの物語 が何処までいけるのかを探究しているのである。

その意味で、(まさか誰もそんなことは考えてはいなかっただろうけど)、シャオ カン少年は現代のアントワーヌ・ドワネルでは決してなく、シャオカンが『大人は判っ てくれない』をビデオで鑑賞するのは、シャオカン/ドワネルの入れ子構造を導入す るためでははなく、パロディにすらならないパロディを笑っているようだ。つまり、 シャオカン少年はただ飽くなきヴァリエーションをツァイ・ミンリャンに導かれなが ら踏破してゆくだけであり、ドワネルのようにレオーの身体とともに成長してゆく登 場人物ではないのである。ツァイにとって時間とは単に時計の針のようなものであり、 成長というかレオーの顔の皺というか時間の厚みというか、そういうものは、パリ/ 台北7時間の時差のようにぺしゃんこにしてしまえたりする。ちなみに、リー・カン ションは今年御歳三十四歳になるという。

(新垣一平)


3月8日(金)

ブライアン・ウィルソン「ペット・サウンズ・ツアー」(2/22)

「無人島に1枚だけレコードを持っていくとしたら?」というテーマのもと、著名人がそれぞ れ1枚のレコードを挙げる、という企画のみでできた本があったが、確かその中で数人が『ペッ ト・サウンズ』を挙げていたように記憶している。
 私は『ペット・サウンズ』というアルバムをこよなく愛している。今以上にお金のなかった 中学生の時に、学校の近くのレンタルショップで手に取って以来、ずっと聞き続けている。飽 きない。常に新しい。でも、たぶん私はこのアルバムを無人島には持っていかない。
 何だか嫌な予感はしていたのだ。私は何を求めてこの会場に来たのだろう?そして何が私を 居心地悪い気分にさせるのだろう?コマ劇場のショウのような2部構成の演出か、それともチカ チカ落ち着きのない照明か、それとも「Fun,Fun,Fun」や「Surfin'U.S.A」が始まるとやたら手 拍子を強くしてのりまくる観客達か、それとも「やっぱ声でてないよねー」とつぶやき合う青 年たちか、それともこのような企画のツアーを行うブライアン・ウィルソン自身か、それとも …、それとも…。
 そんな私の困惑をよそに、ブライアン・ウィルソンはほとんど椅子に座ったまま、手を不器 用に動かし続けながら、ひたすら歌った。彼はあの会場の中で誰よりも冷静だった。『ペット ・サウンズ』の曲を矢継ぎ早に歌っていく。彼はあのレコードを「再現」しているのではなく 、あのレコードに入っている歌を今歌っているだけだ。あのレコードを再現することが可能か どうかはどうでもいい。再現する必要がないのだ。最後に彼は淡々と「Love and mercy that's what you need tonight」と歌い、さっさとステージから去っていった。いつのまにか、困惑は 消え去り、私は笑っていた。

『ペット・サウンズ』は私の青春ではない、思い出ではない、生きる糧ではない。今、部屋 では「God Only Knows」が流れている。いい歌だ。

(黒岩幹子)


3月8日(金)

『WASABI』G・クラヴジック

ネオ・ヌーヴェルヴァーグという呼称をどれだけの人が記憶しているだろうか。中学 生は知らねぇだろうな、さすがに。30歳前後の人の中には「おお、我が青春!」とば かりにアンヌ・パリローの銃撃シーンやジャン=ユーグ・アングラードの弱った顔が 目に焼き付いている方も多いのではないか。驚くなかれ、中学生諸君。リュック・ ベッソン、ジャン・ジャック・べネックス、そしてレオス・カラックスを(同列にし て)誉めとくと通ぶれるみたいな時代があったのだ。ほんと、ほんと。「ネオ・ヌー ヴェルヴァーグ」ってひとくくりにされて売られてたんだから、ほんとに。

それから10年が経ち、日本でも彼ら3人の立ち位置はバラバラになった。カラックス とべネックスにとって90年代は苦難の時代と言ってもよく、彼らとは対照的にベッソ ンは『レオン』の世界的な興行成功を足がかりに莫大な製作費をかけた大作を手がけ るようになり、ついにはヨーロッパ・コープという自前の映画製作システムを有する に至る。あまりに時代錯誤な(あるいは逆に「時代」に殉じ過ぎた?)力作だった 『ポーラX』、もはや悪い冗談としか思えない『青い夢の女、そして過剰な物量 と 圧倒的な空虚だけが印象的な『TAXi』『YAMAKASI』という作品をひとくくりにまと めようとする人はいないと思う。

『WASABI』もまた他のヨーロッパ・コープ製作作品と同様に退屈で空虚で時に目をそ らしてしまうほど恥ずかしい映画であることは変わらない。広末涼子の熱演も痛々し いとしか感じられない。ジャン・レノとナタリー・ポートマンの活躍にうっとり出来 た人でも、この映画を見て苦笑することすら出来ないだろう。だが、渋谷BEAMの脇で 泣く広末を見ていて、その白々しさにリュック・ベッソンという決して器用ではない だろう映画監督の10年の歳月を感じて、同様に器用とは言えないカラックスやべネッ クスの近作を見たときにも彼らが不在だった月日を感じたことを思い出した。10年間 まがりなりにもファイティング・ポーズを取りやめなかった男たちへの妙な感動とい えばいいのか、それじゃまったくのところ「男たちの挽歌」だけれども、そういえば 広末が泣いている時のBGMは(何故か)フィッシュマンズで、彼らのラスト・ツアー のタイトルも「男たちの挽歌」というのだった。

(志賀謙太)