『アンダーカヴァー』

不明瞭な画面に活劇を呼び込む

山田剛志

 1980年のニューヨークを描いた新作『アルマゲドン・タイム』から8年後の同州を舞台に、警察とロシアンマフィアの血で血を洗う抗争を描いた本作におけるグレイの演出には明瞭な特徴がある。豪雨の中で繰り広げられるカーチェイスしかり、雑木林で行われるラストの追走劇しかり、活劇的緊張が高まるシーンでは、見通しの悪さが強調され、登場人物は眼前の出来事に目と耳を澄ませる必要に駆られるのだ。観客もまた、登場人物の心の動きに連動するようにして、画面にのめり込んでいく。
 ホアキン・フェニックス扮する主人公・ボビーは、警察官の父(ロバート・デュバル)と兄(マーク・ウォールバーグ)に反発し、ロシアンマフィアの庇護のもと、ナイトクラブのオーナー業で身を立てる。しかし、兄がマフィアの凶弾によって重傷を負ったことを機に、警察側のスパイを買って出ると、マフィアの深部に潜入する。
映画批評家の山根貞男は、画面の運動と登場人物の心の動きに、観客のエモーションを加えた三者の連動状態を「映画そのもののアクション」と呼んだ*1。随所で上記の連動状態を創出するグレイの演出は、先に触れたカーチェイスシーンでピークに達する。視界不良が極まるこのシーンで、映画に活劇を呼び込むのは音響だ。ホアキンは、敵のショットガンの餌食になったドライバーに代わりハンドルを握ると、対向車をかわしつつ、必死に目を凝らして前方を走るデュバルの車に食らいついていく。ホアキンのクローズアップ、彼の視点ショット、車の疾走を俯瞰するロングショットの手に汗握る連鎖によって構成されるこのシーンでは、視界を晴らすのにほとんど無力なワイパーの作動音がずっと響いており、チェイスが激しさを増すにつれてテンポを速め、デュバルが撃たれると、他の音を圧するようになる。映像で示されるワイパーの運動から剥離した作動音は、父が撃たれる瞬間を目撃し、感情を昂ぶらせたホアキンのクローズアップに被さることで、ほとんど彼の鼓動と一体化し、画面を見つめる我々の鼓動をも巻き込んでいくようだ。
 ジェームズ・グレイのフィルモグラフィーの中でも、『ロスト・シティZ』のごく短い戦場シーンを除き、最も多くの銃弾が画面を飛び交い、最も多くの死体が転がるという点で、『アンダーカヴァー』は最もアクション映画らしいフィルムである。しかし、「おもしろい映画はすべて活劇なのだ」*2という見地に立つならば、費やされた弾薬の量は大した問題ではない。『リトル・オデッサ』から『アルマゲドン・タイム』に至る他の7本のフィルムと同様、本作の魅力は「映画そのもののアクション」に身を浸す悦びに根ざしている。


*1 山根貞男『活劇の行方』 草思社、1984年、308頁
*2 同上、12頁

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