『裏切り者』

移動と摩擦

隈元博樹

『裏切り者』の素地のひとつにヴィスコンティ『若者のすべて』(1960)があったことは、監督自身のインタビューやDVDのオーディオコメンタリーの中でも言及されている。冒頭のレオ(マーク・ウォールバーグ)の出所を祝う賑々しい自宅でのパーティの場面は、長男のヴィンチェンツォ(スピロス・フォーカス)と恋人との婚約パーティの様相と重なるし、それぞれの息子と家族たちの再会は、同じようにして奥行きを持った玄関先の廊下で繰り広げられる。また血の繋がりはないものの、幼馴染みのレオとウィリー(ホアキン・フェニックス)、それからレオの従妹であるエリカ(シャーリーズ・セロン)による三角関係は、『若者のすべて』における次男のシモーネ(レナート・サルヴァトーリ)、三男のロッコ(アラン・ドロン)、そしてナディア(アニー・ジラルド)における複雑な関係性さえも彷彿とさせるだろう。
 原題は「The Yards」。ニューヨークのクイーンズ区を運行する地下鉄の車両たちが駅と駅とを結んだレールという表の世界をひた走るのならば、日々のダイヤに合わせて車両を供給していく操車場は言わば裏の世界にほかならない。そうした状況下において目に見えるはずのなかった鉄道産業を巡る賄賂や汚職、談合のあらましは、ウィリーが冒した操車場での殺人事件をきっかけに、またそのことで濡れ衣を着せられたレオの目を通して詳らかにされていく。再生を誓い合った集団にもやがて綻びが生まれ、たとえそれが幼馴染みだとしても、また家族や恋人だとしても、既得権益を揺るがす者であるならば、相手の首に手を掛けることすら厭わない。ただそれでも、クイーンズの地下鉄は淀みなくレールの上を走り続け、高音を伴って生じるブレーキ音は乾いた空気の中でけたたましく響き続ける。何らニューヨークという都市を表象するメルクマールは出てこないが、こうした数多の摩擦によって生じる状況、あるいはどこからともなく地下鉄の音が聴こえたとき、まさにグレイの映画を見ていること、つまりグレイ映画におけるニューヨークを感じるのである。
 もうひとつ、グレイの映画において忘れてはならないこと。それは移動してきた者たちの物語であるということだ。マフィア、移民、冒険者、宇宙飛行士などこれまでのフィルモグラフィを辿っていけばわかるのだが、とりわけ『裏切り者』に関して顕著なのが「クイーンズ=ブロンクス線の整流器の交換」に関する入札協議の後、ライバル会社である「ウェルテック社」のヘクトル(ロベルト・モンタナ)が「エレクトリック・レール社」のウィリーに声をかける場面にある。ヒスパニック系移民である彼は同じ出自を持つウィリーに対し、スペイン語で「お前は白人にはなれない」と執拗に語りかけ、手を組もうと働きかけるのだが、このフィルムにおいてもニューヨークという磁場の中に移動してきた者たちが置かれた背景や、その痕跡を読み取ることができるだろう。思えば『若者のすべて』は、南イタリアの片田舎からミラノに住む長男の元へと移住する一家についてのフィルムだった。このようにしてグレイは、移動する人々とその中で生じる摩擦について描き続けている。


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