屋内の人たち
西田悠人
『ファースト・カウ』では、主に屋外と屋内の空間がフレームによって切り分けられ、荒々しい外の世界とゆったりとした時間の流れる穏やかな内の世界が分断されている。とりわけ屋内の空間は心を落ち着けられる場所として描かれており、主人公たちはそこに住んでいる。その空間は人と人の距離を物理的に縮めさせ、その間に親密さを作り出すことにもなる。
映画序盤、主人公のひとりであるクッキーの血気盛んな仲間たちが乱闘を起こす。するとクッキーはひとり自分のテントのなかへと逃げていく。カメラは暴力的な男たちからフレームを外し、その存在の断片と音だけを残しながら、ゆっくりとテントのなかへと入っていくクッキーを映す。続いて、ひとり用のその小さなテントのなかにカメラは置かれ、わずかに開いた出入り口から、遠くでの乱闘を断片的に捉えるのだが、光が差し込まない真っ暗な画面とスタンダードサイズが相まって、テント内の空間は窮屈な印象を感じさせる。しかし、その屋内は窮屈であったとしても、外の荒々しさに馴染めないクッキーにとっては避難所であり、心を落ち着けられる空間である。屋内の人であるクッキーはそのなかに閉じこもることで、なんとか生き延びてきたのだ。
『ファースト・カウ』
©︎ 2019 A24 DISTRIBUTION, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
このような屋内と屋外の捉え分けは、クッキーがもうひとりの主人公であるキング・ルーと再会する場面においても重要である。かつての仲間たちと別れたクッキーは、ひとり酒場に座っている。店内でなされる会話に耳をそばだてていると、落ち着く間もなく、殴り合いが始められ、男たちは盛り上がり店の外へ出ていくのだが、このような西部劇的な男たちの身振りをカメラが追うことはない。カメラはむしろそこに参加できずに屋内に留まるクッキーに寄り添う。そしてもうひとり同じように屋内に留まる者がいる。それがキング・ルーであった。彼らが再会してから、語り合うときには、屋外で繰り広げられる殴り合いの断片が背景にかすかに見える、ひとつのショット(前景=ゆりかご/中景=クッキー/後景=出入り口)を除いて、画面内に暴力が入り込むことはなく、遠くに聞こえる音だけに留められている。クッキーとキング・ルーはともに暴力から隔てられた屋内の人として関係を深めていくのだ。
結果として、二人はキング・ルーの拠点とする小屋で共同生活を送ることになる。小屋のなかの空間がテントや酒場で見られたような屋内の空間を引き継いでいくことになるのだ。だが、やがて彼らは自分たちの行いによって離れ離れとなり、その間に彼らの屋内空間は破壊される。近くに身を潜める、追われる身となったキング・ルーの視点を代行するロングショットによって、屋外の人たちである、荒々しい男たちに小屋が荒らされる様子が捉えられる。しかし、心の拠り所であるその屋内空間が破壊された後でも二人は、二度目の再会をなんとか「屋内」で果たそうとするのだ。
クッキーもやっとのことで小屋へと戻ってくると、破壊された戸口や荒らされた周辺を見て警戒しながら、なかへと入っていく。その瞬間、外から小屋に近づく足音が聞こえてくる。その存在を確かめようと、壊された壁の隙間から覗き見ると、そこにはキング・ルーの姿があった。ここで、クッキーは真っ暗な屋内から光の差し込む屋外の空間へと歩き出す。もう会えないと思っていた二人が再会することができ、熱い抱擁を交わす姿に心を動かされるが、その後にこそ注目すべきである。
フレームによって切り分けられた空間を内から外へと、ある種の境界線を跨ぐことによって二人は再会したが、カメラは再び小屋のなかに戻される。この屋内からの構図には二つのフレーム内フレームが存在し、ひとつが画面の半分を占める小屋の出入り口であり、もうひとつは画面の六分の一ほどの小窓である。最初、二人は出入り口によって縁取られたフレームのなかにいるが、歩き出すと次は、より小さな小窓のフレームのなかに入っていく。このフレーム内フレームは、スタンダードサイズ以上に、狭い枠のなかにこの二人の登場人物を閉じ込める。それは、二度目の再会を経てさらに友情を深めた二人の関係性を、物理的な距離の近さとして表現する。そして、二人の空間を切り取るフレームが段階的に小さくなっていくことは、二人の関係がより深まっていくという感覚を見る者に与える。その少し後、追われる身となっているうえに、重度の怪我を負っているクッキーが脈絡もなく、キング・ルーに「なぜパン屋(baker)は物乞い(beggar)みたいなの?どっちもパンが必要だから」と冗談を言い、緊迫した状況から一気に二人の表情が和らぐ瞬間がある。このことが意味するのは、心を落ち着けられ、二人の親密さを醸成した屋内の空間から、その外側へ放たれたいまでも、二人の「屋内」の空間が維持できているという事実ではないか。
『ファースト・カウ』
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そして、とうとう手負いのクッキーの体力も限界を迎え、人目につかない木陰に横たわる。キング・ルーも腰を下ろし、見張っていると言うが、彼も間もなく眠りについてしまう。というような流れで、この映画はラストを迎える。最後から二つ目のショットでは、フレーム内に隣り合わせに並んだ二人の顔が画面一杯に映し出される。ライカートの他の全作品と比較しても、ここまで誰かと誰かが接近し、カメラまでもがその被写体に近づいた瞬間が存在したであろうか。この画面は、彼らの親密さに疑いがないことを、さらには「屋内」の空間がここに存在しているということを裏付けていると言えるだろう。
また、そのひとつ前の画面も見逃してはいけない。キング・ルーは目を瞑ったクッキーの顔を見つめると、意味ありげに少し間を置き、自分の手元にある麻袋にゆっくりと視線を落とす。その視線に合わせるようにカメラも動き、フレームには全財産を握るキング・ルーの手が映し出される。この瞬間、金銭を手にその場から逃げ出してしまうのではないかと見る者に不安をよぎらせるのだが、その心配は杞憂に終わる。麻袋はフレームの外へ持ち出されるのではなく、横になったクッキーの隣にやさしく置かれるのだ。そして、二人の顔が並んだ、くだんのクロースアップへと繋がっていく。この麻袋を捉えたショットが重要なのは、クッキーを置いて逃げることができるのに、そうしなかったという、キング・ルーの選択を可視化するからである。この登場人物の行動が、わずかに見えた裏切りの可能性を完全に排除し、フレームのレベルで提示されてきた親密さを、より強固なものにしているのである。
冒頭で提示されていたように、本作は犬によって掘り起こされなければ、200年近くも土の中に埋もれたままであった人物たちの物語である。世界に馴染めず、歴史から忘却されてしまうような彼らは、どのような人物で、どのようにして生きていたのか。ライカートのフレームは彼らを中心に捉え、彼らが暮らす空間を切り取ることで、登場人物の世界を作り上げてきた。そして彼女は、寄り添うようなまなざしを屋内の人たちに向けている。