ロイス・ウェーバーを(再)発見する

増田景子

 1916年にユニバーサル社で一番の高給取りが女性だったという一文を読んだときに、思わず目を疑った。週に5千ドル(現在の9万ドル相当)を稼ぐ、ハリウッドでも屈指の稼ぎ頭で、自分のスタジオをも所有していた女性監督ロイス・ウェーバーとは、一体何者なのだろうか。

 ご多分に漏れず、映画業界でも女性の処遇改善が叫ばれている。近年では「女性」であるがゆえに、作品に対する正当な評価を受けられず、忘れ去られてしまった女性監督たちを再評価しようという動きが起こっている。例えば『Be Natural: The Untold Story of Alice Guy-Blaché』では、ゴーモン社の秘書時代にリュミエール兄弟の上映会に参加して、フィクション映画の製作に乗り出したフランス人の女性監督アリス・ギイの生涯を追っている。ロイス・ウェーバーもそんな忘れられてしまった女性監督のひとりである。
 現在の映画の都になる前の、特許で映画業界の利益を牛耳ろうとしたエジソンから逃れてきた者たちが集まっていた1910年代のハリウッドには、新しい産業にチャンスを求める女性たちの姿が多く見られた。ロイス・ウェーバーはアメリカのゴーモン社に女優として入社し、まもなく脚本家や監督へと転身していった。1914年にはアメリカ人女性監督としての初の長編映画『ベニスの商人』を監督、翌年にはユニバーサル社と契約し、1917年には自身の製作プロダクションを設立する程の成功を収めている。人工中絶、アルコール依存、異宗教間の結婚など社会のタブーに切り込んだテーマが話題をさらい、人気を博したという。

 ただ実際に見てみると、彼女の作品の良さは主題の斬新さだけではないことがわかる。独創的で社会に訴えかけるストーリーをしっかりと伝える創意工夫がいたるとこに施してあるのだ。人物紹介や状況説明の字幕に頼らず、小物や衣装など細部で丹念に状況を描いていくスタイル。『毒流』(1916)では、主人公の女性を脅かす貧しさを彼女のボロボロの靴が語っている。靴底にはぽっかり穴が開いている上に、布地がところどころ破れている靴がたびたびクローズアップで映し出され、その靴で一日中立ち仕事をしなくてはならない辛さを訴えかける。帰宅後、椅子に座って靴を脱ぐ主人公。靴底を補強するために入れた厚紙が紙屑となって床にぽとりと落ちる。そして靴下の親指に開いた穴をさっと隠す。この仕草の何気なさが、かえって彼女の惨めさを強調している。
 また俳優の顔のクローズアップを多用することによって、字幕だけでなく、表情においてもそこから汲み取るべき心情の描写を試みている。ここでいう表情とは手振りや身振りに頼った大げさなものではなく、耐え忍ぶような伏し目や歪んだ笑みなど最小限に抑えた表現が多い。『賢すぎる妻たち』(1921)の対照的なふたりの女性の違いが物腰や表情にも表れている。
 リアルさは何もストーリーテーリングに限った話ではない。街中シーンの撮影を屋外で行っている点からも、彼女のリアルさへのこだわりがうかがえるだろう。『賢すぎる妻たち』においてタクシーでブティックへむかう場面では、タクシーの向こう側でほかの車たちが絶えず行き来しており、そのちょっと前のショットで映るお店のショーウィンドウにもその往来が反射で映りこんでいる。『毒流』の靴屋のショーウィンドウにもきちっとお店が面する通りが映りこんでおり、物語空間の広がりをさりげなく見せている。  ロイス・ウェーバーのこうした演出のリアルさは、奥行きのない舞台セットのような室内で、固定されたカメラを前に、身振り手振りと大げさな表情で誇張気味な演技をする傾向が強かった当時のヨーロッパ映画と比較してみると、一層際立つ。舞台演劇よりの演出とリアルな演出、このふたつのスタイルの違いを『Idle Wives』(1916)という作品の中では、本編と劇中劇を区別するのに利用している。ただ、残念ながらこの作品は部分的にしか現存していない。

 1929年に起こった世界恐慌以降、
 労働市場として魅力的だったハリウッドから女性たちが締め出されていく中で、ロイス・ウェーバーも例外ではなかった。ハリウッドの稼ぎ頭は男性監督の指導員になり下がり、そして映画史から忘れ去られてしまった。そして『Idle Wives』に限らず、彼女の作品の大半はフィルム自体が残っていない。同時代のグリフィスやセシル・B・デミルなどの男性監督の横に名前を加えるだけでなく、残された作品を見て、彼女の溢れんばかりの才能を再発見してほしい。理解のしやすさを気にするがあまりに、「わかりやすい」演出傾向にある現在の映画に慣れ親しんだ眼には、ロイス・ウェーバーのリアルな演出は新しく映ることだろう。

ロイス・ウェバー Lois Weber(1879-1939)

ペンシルバニア州生まれ。歌手を志し、実家を離れて舞台などで活動を始める。1906年、のちに俳優・監督となるフィリップス・スモーリーと結婚。1900年代には、アリス・ギイらの元でゴーモン社のクロノフォン(有音映画)の脚本などを担当。1913年に夫と共同監督した『ヴェニスの商人』が女性初の長編作品と言われている。『Suspense』(1913)のスプリットスクリーン、『偽善者』(1915)の多重露光など撮影や編集で魅せたほか、妊娠中絶や死刑制度など物議をかもすセンセーショナルな題材を描き、興行的な成功を収めた。1916年には当時もっとも高給取りの監督と言われ、ユニバーサルの大作『ポルチシの啞娘』を監督。1917年には、ロイス・ウェバー・プロダクションズを設立。パラマウント配給『汚点』(1921)などがヒットした。20年代半ばに自社を手放し、スモーリーとも離婚。ヒットに恵まれず生活は苦しくなり、60歳の若さで亡くなった。


増田景子⦅ますだ・けいこ⦆

パリ第三大学IRCAV博士課程在籍。Les Fiches du cinémaで執筆中。

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