悲痛かつ滑稽に ベロッキオにおける現実と虚構

筒井武文

 イタリア戦後史の負の中心とでもいうべき、キリスト教民主党党首アルド・モーロの誘拐事件に、二回目の挑戦をおこなったマルコ・ベロッキオの『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』(2022)だが、その6部に分かれた全体の冒頭を、病院に運ばれたモーロの場面から始めるのは、まるで解放されたモーロが早朝のローマを彷徨う『夜よ、こんにちは』(2003)のラスト・ショットの続きのような錯覚に陥らさせる。といっても、描写のありようはまったく違う。前作の夢遊病的ファンタジーに対し、背景の窓が白く飛んだ病院の廊下を政治家たちが歩いてくるフィックス・ショットには、そんな夢想を許さない現実感が立ち込めているからだ。では、なぜベロッキオは現実ではないと観客の多くは知っている場面からこの大作を始めるのか。
 もちろん作者の真意は分からない。ただ描かれるのは、55日間の監禁から解放されたが、衰弱仕切っているモーロと彼を見舞うキリスト教民主党幹部3名との対面の様子である。内務大臣コッシーガ、首相アンドレオッティ、書記長ザッカニーニである。ベロッキオは、モーロと3人を正面から切り返す。まるで、モーロは3悪人と対峙しているようではないか。少なくとも、ベロッキオが映画の冒頭にこの構図を作っておきたかったのは間違いないだろう。それは、この作品が歴史的な意味での事実だけで構成されているわけではないことも示す。ただ、事実でも(ベロッキオによる解釈の度合はさまざまだ)、夢想でも、妄想でも、現実感に溢れた苛烈な描写に貫かれるのが、『夜の外側』という作品なのである。
 ここで、作品の背景を整理しておこう。第2次世界大戦後のイタリアでは、戦後すぐの大連立後の、1948年から30年間、キリスト教民主党(DC)が政権を担ってきた。モーロ誘拐事件の起こった1978年3月16日は、アンドレオッティを首班とする新内閣が信任され、発足した日に当たる。そこで、イタリア共産党をDCを中心とした与党連合に加えるという、あり得ない「歴史的妥協」を企てた張本人がDC党首のモーロだったのである。つまり右から左までの大連立である(日本で例えれば、自民党と共産党の連立政権となるか)。その前の総選挙で、DCと共産党は第1党を争い、どちらも得票率で30%を超えていた。イタリア共産党には、戦時中ファシストに対抗したパルチザンが多いことも、国民の支持が高い一因である。この連立に反発したのは、国内勢力だけではなく、冷戦下の当時、当然アメリカ、西欧諸国の資本主義陣営ばかりか、共産主義陣営の盟主ソ連もそうで、「ユーロ・コミュニズム」を標榜し、暴力革命路線を否定したイタリア共産党に非難を投げかけることになる。68年の学生運動により生まれた極左集団「赤い旅団」にとっても、モーロの存在は許し難いものであったのだろう。それで、銃の扱いに関しては素人といわれた「赤い旅団」の背後に、外国の諜報機関が暗躍していたという陰謀説は消えていない。CIA、KGB、モサド、PFLP(日本赤軍がリッダ闘争の前、イタリアで銃器を受け取り、テルアビブ空港に向かったが、イタリア国内での武器の持ち込みを黙認するという密約をPFLPと結んだのも、モーロだったらしい)。もちろんマフィア、そしてフリーメイソンの秘密結社ロッジャP2(コッシーガのテロ対策本部のほとんどは、P2の結社員だった)。モーロの命を助けようとするヴァチカンのパウロ6世とモーロ家を赤い旅団と仲介しようとする謎の組織。キリスト教民主党の幹部は、モーロの命より、モーロが暴露する国家機密の方を心配しているようにすら見える。法を優先して、テロリストと取引をしないと強行に主張したのが、モーロが政権に引き入れた共産党だというのが、歴史の皮肉でもあろう。逆にモーロを救出すべく人命優先を唱えたのが、(得票率では約10%の)社会党である。なお、日本語で読めるモーロ事件の文献として、レオナルド・シャーシャ「モロ事件−テロと国家−」(千種堅訳、新潮社、原著1978年、日本語版1979年)、ロバート・カッツ「首相暗殺」(リック・タナカ訳、集英社、原著1980年、日本語版1989年)がある。

©︎ 2022 The Apartment – Kavac Film – Arte France. All Rights Reserved.

 さて、全体の構成を示しておこう。第1部は、1978年3月12日から16日までのモーロ、第6部で、5月8日以降の出来事を描くが、第2部から第5部までは、それぞれ中心人物が据えられ、モーロが誘拐された55日間と赤い旅団の場合はそれ以前も描かれる。よって、同じ出来事が視点の違いを伴って、何度も繰り返されることになる。『夜よ、こんにちは』で描かれた赤い旅団とモーロとの監禁中のやりとりは第6部になるまでは描かれない。従って、モーロの描写は外部からの想像の視点でのみ描かれることになる。モーロから何人もの人物に送られてくる手紙が彼の考えを観客に伝える。ヴァチカンが赤い旅団との裏取引を成立させるべく、モーロの生存を信じさせる条件として、最新の新聞を持って写ったモーロの写真か、モーロの書いた手紙の記述に最新の状況が含まれている必要があった。赤い旅団はモーロに主要な新聞を読ませていた。DC側は、モーロの手紙の信憑性を疑い、拷問や薬物により、赤い旅団に命じられ書かされたものとし、新聞は「狂人モーロ」と伝えるが、実際は赤い旅団の検閲は受けているものの、モーロが自らの政治的判断で訴えたものである。実際、モーロの処分と解放の交換条件は赤い旅団でも確固とした方針があったようには見えないので、むしろモーロ自ら解放の交換条件を手紙の表に裏に滲ませているのである。

 以下、各パートで字幕で示された日を示す。括弧に入れた日は、字幕で示されていない。特定できない日もある(ベロッキオが厳密に日時を特定する必要がないと判断したのだろう)。

第1部(アルド・モーロ)
 1978年。3月12日。13日。15日。16日。

第2部(コッシーガ)
 3月16日。(18日)。19日。29日。4月4日。16日。(18日)。

第3部(教皇パウロ6世)
 3月(19日)、20日。24日。25日。4月(17日)、18日。

第4部(ファランダ)
 1976年3月。1977年3月。6月21日。1978年2月。3月8日。(16日)。18日。29日。4月17日。18日。

第5部(エレオノーラ・モーロ)
 3月16日。18日。26日。29日。4月18日。21日。22日。30日。

第6部
 (4月30日)。5月8日。9日。10日。13日。7月9日。8月8日。1979年5月29日。1985年6月24日。2010年7月19日。

モーロが監禁される55日間が各パートで、どう振り分けられているかを見ると、以下のようになる。

3月16日(1、2、4、5)モーロ誘拐。新内閣発足。
  18日(2、4、5)赤い旅団の声明。囚われたモーロのポラロイド写真。5人の護衛官の葬儀。
  19日(2、3)コッシーガ、アメリカのテロ対策専門家ピチェーニックと面会。聖週間のはじまり。
  20日(3)トリノでの赤い旅団創設者裁判。
  24日(3)聖金曜日。十字架の道行。
  25日(2、3)聖土曜日。赤い旅団第2の声明。エレオノーラ、パウロ6世を訪ねる。身代金の山。
  26日(5)復活祭の日曜日。モーロ家での聖体拝領。
  29日(2、4、5)モーロの秘書、エレオノーラ、コッシーガ宛のモーロの手紙届く。
4月 4日(2)赤い旅団第4の声明。コッシーガ、絡み付いたイタリア国旗を解く。「気が狂ったモーロ」の新聞記事。コッシーガ、ピチェーニックに拳銃を贈る。
  16日(2)赤い旅団、モーロに死刑判決。コッシーガ、ピチェーニックと意見交換。
  17日(3、4)クリオーニ司祭、身代金の交渉。ファランダ、モルッチ、レストランで仲介人と会う。
  18日(2、3、4)疑わしい第7の声明。モーロの遺体はドゥケッサ湖に。
  21日(5)エレオノーラ、赤い旅団から電話を受けるが、切られる。
  22日(5)パウロ6世、赤い旅団への手紙をラジオで放送。
  30日(5、6)エレオノーラ、赤い旅団から最後の電話を受ける。モーロの家族、モーロを見殺しにしたとDCを糾弾。エレオノーラ、修道院の前の建物を捜索。現実と同時進行の映画撮影と判明(これは完全な虚構)。
5月 8日(6)モーロの監禁場所に神父が連れてこられる。ピチェーニック、コッシーガに帰国の挨拶(実際は4月16日に帰国)。
  9日(6)モーロの遺体、発見。

 このように、赤い旅団の声明やモーロからの手紙を扱う新聞記事、TVで放送される護衛官の葬儀やドゥケッサ湖での捜索等が各エピソードで繰り返される。これは、観客が当時のローマ市民の立場になったようなものだろう。それに伴う各人の反応がそれぞれのエピソードで展開される。
 第1部では、政治家としてのモーロ、家庭人としてのモーロ、キリスト教信者のモーロ、そして教育者としてのモーロが描かれる。ここで注目されるのは、DCの総会で共産党の政権参加に反対する議員の演説の後のモーロの演説場面である。もちろん選び抜いた言葉の威力もあるが、それ以上に左手の曲線的な包み込むような動きの雄弁さである。現実のモーロの演説の映像記録を見ると動くのは右手の上下動であり、左手は演壇の下に隠れている。ということは、モーロ役のファブリツィオ・ジフーニとベロッキオのモーロ像の解釈ということになるだろう。『夜の外側』は、この手の雄弁さが抑圧されていく物語ともいえる。第2部の主人公コッシーガ内務大臣の挿話でも、手が大きな役割を果たす。彼以外には見えない手のしみが事態の進行に伴い悪化していくからである。
『夜の外側』は、映画の手法でいえば実に古典的な作品である。人物の表情を正確に捉える寄りの切り返しを中心に、時折思い切ったロング・ショットがその場の状況を冷酷なまでに伝える。編集はできる限り短く、アクションを中心に繋がれていく。そのショットが何を伝えようとしているか、観客が見間違えることはない。ここでのベロッキオは、まるでマキノ雅弘のように効率的に感情の起伏を伝達してくるのだ。

©︎ 2022 The Apartment – Kavac Film – Arte France. All Rights Reserved.

 またロケーションの素晴らしさも比較を絶している。40数年前のローマが再現可能な環境は羨ましい。何人のエキストラを街中に配したのだろうか。大群衆のデモの場面ばかりか、赤い旅団員が乗り合わせたバス内であっても、声を潜めて激論を交わす広場であっても、あらゆる階級の人々が行き交うその様子は1978年がタイム・スリップしたかのようだ。前者では、ファシスト支持の女性とパルチザンの過去を思わす男性の口論が、後者では物乞いやスリも当然のように登場して、ローマの喧騒を伝える。あるいは、モーロが共産党書記長と密談を交わす夜の車中の場面であっても、その政治的重要性と無縁に、車外で共産党の若者とモーロの護衛官のレオナルディの会話は、ローマ対ユベントス戦の話題で盛り上がっている。この画面の手前と奥での対位法。コッシーガがアメリカのテロ対策の第一人者と会話するのが、ローマの空間に開かれた内務省のテラスだというのも、場違いな魅力に満ちている。
『夜の外側』では、見えないはずのものが見えるという描写が、一貫して使われる。第2部では、コッシーガが内務省内の瞑想室のような暗い小部屋にいると、旅団に囚われているはずのアルド・モーロが扉を開け、これは失礼と謝る。もちろんこれはコッシーガの贖罪意識が生み出した幻視なのだが、重要なのは、モーロがコッシーガの見た目で撮られていないことである。つまり客観的な現実として描かれている。第3部では、自らキリストの道行で十字架を背負う体力のなかったパウロ6世は寝台にいる。やがて、ヴェルディの「怒りの日」とともに、十字架を背負うモーロの姿が現れる。パウロ6世とのカット・バックになるので、この情景を想起しているのは教皇以外にはあり得ないだろう。では、ユダは誰か。モーロの背後にいるのは、映画冒頭でモーロを見舞った3悪人である。その後にはキリスト教民主党の議員団が集結している。つまりパウロ6世には、モーロをめぐる政治力学がよく見えているのである。第4部では、赤い旅団員ファランダが川辺を歩いていると、モーロを含めた多くの死人が流れてくる。その呪詛のような表情が恐ろしいが、これも彼女の無意識が生んだ光景であるだろう。第5部となると、寝ているエレオノーラのもとに、アルドが現れ、当然のようにベッド脇に腰を下ろす。夢遊病のように、彼女はキッチンに行き、ガス栓を開く。さらに、復活祭の日曜日。モーロ家の面々は神父から聖体拝領を受ける。一同はランチのテーブルを囲むが、エレオノーラの向かいの席は空白である。2度目に彼女から切り返されると、そこには孫を抱いたアルドがいる。そこで、墓地にモーロ家の礼拝堂を作ると語るので、これは前年の復活祭の情景だと、つまりフラッシュ・バックだと示されるのだが、奇妙なのはエレオノーラを含め会食者の全員が現在と同じ服装でいることだ。ここではアルドはいなくて、いる。過去と現在が同じ密度で綱引きをしているのである。つまり現在から見たフラッシュ・バックではない。これが、ベロッキオの到達した映画である。

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 第5部の最後では、目隠しをした神父が向かいの建物に連れ込まれたという修道院長の証言(ここでも、見た目で撮られてはいない)で、エレオノーラが捜索に向かう。第2部で、コッシーガが捜索した精神病院で、モーロそっくりの患者がいたように、ここでもモーロに似た教授がいる。第6部で、モーロが監禁された小部屋の壁が壊される情景が、まるで映画のセットを壊しているように見えるように、ベロッキオにあっては現実と虚構はいつでも反転可能な環境であり、その壁や扉はフィルム上の現実として、その歪んだドアスコープの機能とともに観客の無意識を刺激し続ける。その集大成が、第6部でのコッシーガの執務室での夢想の描写だろうが(コッシーガの表情はモーロ救出の情景が見えているように演出されている)、唐突な音声によって、その夢想は破られる。音の演出という点で比較すべきは、鈴木清順ではないか。トリノでの裁判での、傍聴の赤い旅団を支持する若者たちがインターナショナルを歌い出すや、いつの間にかオーケストラ伴奏が加わるという人を食った音響処理を思い出してもいい。第6部で、アメリカ人が解決を待たずに捜査から離脱するや、コッシーガの周りがライト・アウトし、やはり大袈裟な音楽に導かれるように、内務大臣をスラップスティック・コメディアンにしてしまう出鱈目さも清順に通じている。悲痛かつ滑稽に。コッシーガのデスクには盗聴システムが備えられているとはいえ、リアリズムの配慮を無視して、幻聴のように赤い旅団からの電話音声が流されることこそ、この映画最大の謎でもあろう。

筒井武文(つつい・たけふみ)

1957年生まれ。映画監督、東京藝術大学大学院映像研究科教授。主な作品に、『ゆめこの大冒険』(1986)、『オーバードライヴ』(2004)、『バッハの肖像』(2010)、『孤独な惑星』(2011)、『映像の発見=松本俊夫の時代』(2015)、『自由なファンシィ』(2015)、『ホテルニュームーン』(2019)。

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