6話
誰も代表できず
梅本健司
コッシーガのものだとひとまず考えられるモーロが救出される幻想とじっさいにモーロが発見される映像との違いはなにか。言うまでもなくモーロが生きているか死んでいるかという大きな違いもあるが、もうひとつ重要なのはコッシーガの幻想に民衆がほとんど映り込まないのに比べて、現実の映像ではモーロの死体を目撃する多くの民衆が映り込んでいることだ。
©︎ 2022 The Apartment – Kavac Film – Arte France. All Rights Reserved.
民衆を見つめ、彼らの声を聞くモーロは、しかしながらこの映画において民衆の代弁者として存在できているわけではない。あるいは複雑に絡み合う政治勢力を巧みに取り持つ調停者としても結局は存在しえない。モーロが十字架を背負う姿はキリストを想起させるものの、そのイメージ自体ローマ教皇の妄想であって、2話から5話を通して複数の人物たちが思い描くモーロ像のひとつにしか過ぎず、じっさいのモーロがキリスト的な英雄として想定されているのかは疑わしい。ユダヤ教とキリスト教、家族とより大きな共同体との狭間で自らを見失うエドガルド・モルターラもそうであったように、他人が抱く異なるイメージを受け入れるだけの包容力をモーロも持ち合わせておらず、むしろそれらのイメージによって彼らはボロボロに引き裂かれていってしまう。民衆を意識するモーロにとって、彼らの声や視線も自らを揺さぶるひとつの要因となるのである。
©︎ 2022 The Apartment – Kavac Film – Arte France. All Rights Reserved.
はたしてここまでのモーロを連れ戻そうとする諸々試みがひとつたりとも歴史的に正当化されないまま、映画は終わる。