『砂の影』
甲斐田祐輔監督 インタヴュー

取材・構成 松井 宏

正直に書くのがよいだろう。というのも、少なくとも私は甲斐田祐輔監督の作品をそれまでひとつも見ておらず、またその名前すらも、ただ耳の奥で微かな記憶と反響するだけだった。そんな善き観客ではない者が新作『砂の影』にふと出会い、急いで過去のDVDを走り借り、ひとり夜の部屋のなかで遅すぎる発見を果たした、それが図々しくも今回のインタヴューのかたちをとった。
彼の新作を見て、耳の奥が、眼の奥が、そして肌の裏側がなんだか疼いたのだ。その理由を、この作品が8ミリで撮られたからだとか、あるいは撮影監督や音響監督を始めとした強者たちがそこにいるからだとか、素晴らしい役者がいるからだとか説明しても、おそらく十分ではない。なによりもその疼きは、この映画作家の過去の作品を見るにつれさらに増していったのだと、そう言い添えておこう。
甲斐田監督はいま変容している。つまり自らの慣れ親しんだ肌を脱ぎ去り、獰猛な場所へと身を投げ入れている。不遜を承知で言うならば、それこそ私の疼きの最たる原因だったのだろう。たくさんのノイズが、たくさんの砂粒がこの新作には響いているのだ。そして気付くのは、その砂のひと粒ひと粒が彼の誠実さの証拠でもあることだ。
もし私同様の悪しき観客がいるならば、まだちっとも遅くはない、映画館に駆けつけるべきだ。いまこそが始まりであることを、好機とするのだ。

これまでの歩み

——リトル・クリーチャーズの企画したオムニバスでPVを撮ったのが最初の作品となっていますね。

甲斐田監督(以下K):彼らと知り合いの友人がいたんです。実はあれ、彼らに頼まれたのではなく、勝手に作らせてもらったような。当時は、いまでもそうだけど、PVというものが何なのかよくわからなくて、もちろん存在意義はプロモーションだけど、いつの間にかルールは生まれているし…。しかもそのフォーマットもわかってないから、10数分のものを作ってしまったんです。プロモーションの意味がまったくない(笑)。でも運良くそれを面白がってくれた。それが96年、最初に映像でお金をもらった作品でした。
 ただその前にHi8で10分ぐらいのものを作ったことはありました。友だちの家に転がっていたんですHi8が。それを編集するのにどうしようとなって、まだ当時はいまみたいに家でできるわけじゃないし、編集スタジオでバイトすることにしました。つまりバイトの空き時間や、仕事の終わった夜に、そこで編集をやるわけです。その後は8ミリもやったんですが、とにかくHi8でも8ミリでも、本気で作っているとはいえ、自分はまったくルールがわかってなかったから、とにかく手探りでやっていました。
 映画を作り始めるのに、やり方の選択はいろいろあるだろうけど、とにかく自分にはよくわかっていなくて…。いちばん最初、イマジカでもバイトしたんですよ。暗闇のなかフィルム洗浄ばっかりやっていて、3ヶ月でクビになってしまいましたね(笑)。つまりそこで何かあったわけではない、でも当時は映画について——映画に限らないかもしれない——全部知りたいという気持ちがあったんです。結局思い返せば、かつてのすべてがいまに繋がっていたかなと思います。学生時代やってたラグビーだってね、繋がってると思います。
 もちろん映画はたくさん見てましたが、たとえば映画学校に通うかどうかも、もしそこに払うお金を稼ぐなら、その金で実際に作った方がいいと思ってました。

——プロの現場に入ろう、あるいは誰かの下に付こうとは思わなかったのですか?

K:その考えも理解できますが、それはなかったような・・・。手元にビデオや8ミリがあるわけだし、それに、驕りかもしれないけど、その流れに入ったからといって映画監督になれる保証はありませんよね。なり方はいっぱいあるはずで、もちろん厳密には「いろいろはない」のかもしれませんが、そこは僕らが決めることじゃないですしね。

——初の中編『Two death three birth』(99、以下『Two death』)では、キャメラマンの星野有樹さんと、俳優の川口潤さんと、後に「カトマンズ・プロダクション」を一緒に作るひとたちと初めて仕事をするわけです。

K:川口君はHi8で撮った作品にもすでに出演していました。彼はまったく俳優志望じゃなかったけど、僕は「こいつはまさに俳優だ」と思って、こう言ったんです。俳優って、やりたくてやれるとも限らないし、やりたくないのにやれるなんてツイてるじゃんとかいって。
 キャメラマンの星野君は元々写真をやっていましたが、その作品がすごく気に入ってしまって、一緒にやってみようと思いました。

——画面の構成や構図が本当に美しいですよね。たとえば湾岸地帯や、あるいは集合住宅やマンションといった、直線と曲線の組み合わせがとても印象的です。

K:ええ、たしかに、あっこれいけるなと思いましたね。最初キャメラマンには、かなり指示というか指定を出しました。パンにしても、とにかく我慢だ、ガマンガマン!って。まあいま思うと、我慢の快感ってものがあった気がします。あと当時ドリーがやりたいけど、それは無理だし、レールも引けない。だから車イスを使いました。そういえば、撮影のときに車イスを押してもらった友人がいましたが、嫌気がさしたのか音信不通になってしまいました・・・。

——あれは東京が舞台ですが、ああいった風景を東京で見つけるのはとても難しいのではないでしょうか。しかも、なぜかその風景にはいつもひとがいない…。

K:ああいう風景は僕とキャメラマンお互いの好みなんだけど、たしかにロケハンは本当に大変だった。ただ僕は、誰もひとがいない場所や生活していない場所に敢えて行くことには興味がない。そういう特殊な空間を撮るのも別にありだけど、少なくとも僕にその考えはなかったですね。逆に、たとえば普段使い慣れてる家の前の道とか、ふつうなら何にも思わないものを、どうしたらハッとした空間にできるかが勝負。それに実際、ひとが多く集まる場所の方が死んでる空間が多い。たとえばあそこで映る駅のロッカーの空間は新宿駅西口なんだけど、そこは本当に誰もいないデッドポイントなんです。
 結局全部作り物というか、特にいまの東京って難しいですよね、すごく撮りづらい。そういえば奇妙な話があって、『Two death』や他の作品で撮った数々の風景はね、けっこうな割合でだいたい1年後ぐらいになくなっちゃうの。必要なくなったと思われる風景なのかな。もちろんそれを狙っていたわけじゃないけど…。

——そもそも初中編が16ミリというのも、時代を考えるとちょっと珍しい気がします。

 実は、あの作品を作る前に運命のような出来事があったんです。編集スタジオでバイトしていたわけですが、会社に何かで使った16ミリのフィルムが余っていた。それを、これ使いなよと言ってくれた方がいて…。彼は僕が映画を作りたいというのをどこかで知って、それで声を掛けてくれたんでしょうね。しかも彼は、その後突然亡くなられてしまって、だから彼には何も見せてあげられなかったんです…。
 とにかくそのフィルムが2万フィートほどありまして、だからそれを使って『Two death』の撮影に入れた。中古でボレックスで、しかもモーターがないからクランク。実際には22秒ぐらいしか撮れないから、じゃあ22秒でカットを割ればいいのかと思って、その通りやっていきました。
 でもね、その2万フィートは撮ってから全部捨てたんです。全然だめだ!って僕が発狂しちゃった。みんなで——といっても3人だけど——ラッシュ見て、愕然とした。16ミリで撮るのは初めてだったし、どんなものが出来上がるのかとても期待していたのが、あれ、これ8ミリ?という感じで…。結局は、機材を持ったという事実だけで何かを得たような気持ちになっていたわけです。でも実際見たら「これ映画じゃないよ」と…。画面に映るというのは、こんなに大変なことなのかと気付いたんです。俳優に関しても、いまなら別の考えができるかもしれないけど、ひとつの動きをするのでさえ、これほど気になるのかと愕然としました。とにかく楽しくやろうと考えていただけで、結局その楽しさが映ってるだけ。そんなものは誰も見たくない。つまりね、僕たちが自由だと思っていたものが、実はまったく自由じゃなかったことに気付いたわけです。たとえば、歩くのってすごく難しいし、それから、何もしないことってすごく難しいんだと。

——じゃあ俳優にも特に指示は出していなかった?

K:そう、特にはね。だから撮り直そうとなったとき、まず最初にやったのは公園での歩く練習でした。ひたすら歩いてもらいました。川口君はそんなことするために俳優やったわけじゃなかったのにね(笑)。

——そのおかげだったんですね、あのフィルムでは俳優たちの在り方や「歩く」という行為が本当に美しいです。

K:かなり練習してもらった。それってもしかしたら、普通は演劇学校なりで学んでくるのかもしれないけど、僕ら二十歳過ぎの若者にはそんなことわからなかったし。
「楽しい」というのも、いまなら魅力になるかもしれないけど、当時はまったくそう思えなかったですね。やっぱり歩くこととか、コップを掴んだりとか、つまり動作とか肉体から始める必要を感じました。もしかしたらそれは、Hi8や8ミリで撮っていたことと関係があるかもしれない。ちょっとサイレントに近いからかなあ。

——その「歩く」や、俳優の演出に関して参考はありましたか?

K:やっぱりブレッソンはありましたね。別にブレッソンになりたいとかじゃなく、そのときちょうどレトロスペクティヴもあって、そこに映る人間たちの動きが特に気になったというか…。ただ面白いのはね、俳優やるんだったら普通は自由な動きするひとに惹かれるでしょ、松田優作みたいな上手に身体を使いこなすひとに。だから川口君に「ブレッソンだ」って言って歩き方練習させても、彼はなんでこんなことしなきゃいけないのかって言う、けれども彼が素晴らしいのは、意味や説明を求めることなく、ふっとそれを受け入れてくれたことですね。そういう両面性みたいなものが面白かった。

1