5月6日(日)

午後からまた市内をぶらり。レーマー広場近くの大聖堂を訪れる。キリシタンではないけれども、旅先での教会訪問にはいつも癒される。年季の入った木造の椅子に腰掛け、パイプオルガンの音に耳を傾ける。それだけで心地よい。気がつけば首をもたげて爆睡していた。

駅の左手にあるタウヌス通りは、いわゆる赤線地帯でいかがわしい雰囲気が漂っている。ただ日本のような雑居ビルが立ち並んでいるわけではなく、どの店舗も西洋的なアパルトマンの形態を成しているのが面白い。むしろこの風俗街一帯は娼婦たちの登録制しかり、観光名所としての重要な側面をも担っているという。じっくりと見て回りたかったけれど、映画祭は本日が最終日。急いで会場へ戻った。

 

少し遅れて飯塚貴士監督『ENCOUNTERS』と安川有果監督『Dressing Up』(12)を見る。『ENCOUNTERS』を拝見するのも2回目。アナログの醍醐味を独力で見事に体現した非常に興味深い作品だ。客席の反応は、本映画祭で体験したなかでも一番だったと思う。とにかく爆笑の嵐で、質問も矢継ぎ早に飛んでいた。再見して思ったのは、不完全さゆえの味わいがこのフィルムには漂っているということだ。たとえば人形には表情がない。あるいは人形に付着する動線が最初から画面上に映っていたりもする。だけどそうした一般的なミニチュア映像において排除すべき不完全さこそが、逆に作品自体のクオリティを高めていると言ってもいい。何しろ飯塚監督ひとりで人形を動かし、撮影し、火薬を燃やし、声まで当てるのだから、そうした不完全さはおのずと生じてくる。ただ、そうした人形たちのぎこちない動きすべてが、幼年時の人形遊びにおけるスペクタクルまでをも喚起させるのだ。これはおそらく飯塚監督が、独力で何もかもをやってしまうことに意味があるのかもしれないと。
ラストの切り返しがすばらしいと聞いていた安川有果監督の『Dressing Up』では、じっと食い入るようにして画面を見つめている客席の姿をよく目にした。思春期の少女が、母性を通してつかもうとする血縁的狂気のまなざしを見逃すまいと、誰もが固唾を飲んで見守っている。そして同級生の自宅へ向かう玄関でのラストシーン。ふたりの少女を2,3度切り返し、何も言わずに目から滴り落ちる泪。切り返しのタイミングにチクショウ感。
 
 
夕方の別会場でレセプションが終わると、すぐさま閉会式が始まった。「NIPPON CINEMA」部門のグランプリは沖田修一監督の『キツツキと雨』(11)、「NIPPON VISIONS」部門は特別賞に松林要樹監督の『相馬看花 第一部 奪われた土地の記録』(11)、グランプリは山崎樹一郎監督の『ひかりのおと』(11)だった。最後にすべての映画祭スタッフが壇上に集結。ほんとお疲れさまでした。
 
 
控え室での乾杯や最後の打ち上げでは、会期中にお話できなかったゲストの方々や、『Sugar Baby』をご覧になってくださった方々から改めて感想をいただいた。会場近くのバーにてヴァイツェンのヘルという種類の生ビールを呑みながら、ニッポンコネクションは根に足のついた多くのスタッフによる大きな賜杯だなと実感する。それはスタッフの方々が、観客やゲストと非常に近しい距離で対話できる空間を作ってくれること、またドイツ、とりわけフランクフルトの人々の日本への関心の高さがそれを支えているからだと思う。そんな最後の夜のひとときを噛みしめていると、時刻はいつのまにか朝の5時をまわっていた。