ベルトラン・ボネロインタビュー 2014年カンヌ国際映画祭より (2)

 ーーサン=ローランの人生の重要な瞬間を描きながらも、その感情に寄り添うのではなく、彼の「仕事」が精査に描かれているように見えました。たとえば、クチュールのシーンや、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ演じる妙齢の女性が彼のアトリエにやってくるシーンです。長回しでほとんどカメラの位置も変わりません。ですが、フレームの中での彼女の変化は驚くべきものがあります。

BB それがまさしく私の意図するところでした。彼のアトリエ、そしてクチュリエとしての仕事を見せたいと考え、そのために作品のための衣装の制作の過程をドキュメンタリーのように捉えていくことを決めたんです。この作品は、イヴ・サンローラン財団や、イヴ・サン=ローランのパートナーであったピエール・ベルジェの許可を得ることなくつくられました。だからジャリル・レスペールによる『イヴ・サンローラン』の製作発表があったときには正直驚いだんです。私たちは作品のための準備をその数ヶ月前からすでにはじめていましたから、状況はかなり複雑になり、企画を実現するために越えなければならない大きな壁が立ちはだかりました。

ベルジュと私たちとの関係には、非常に難しいものがありました。彼は自身を通してのイヴ・サン=ローランを描くことを望んでいたからです。ですが私にとって重要なことは、物事に関する自分の視点に自由であることです。もちろん、衣装や髪型などは当時を意識していますが、登場人物に関してはまったく別の話なのです。レスペール版は、ベルジュとイヴ・サンローラン財団の多大な協力とともに制作されました。一方、私たちは衣装から装飾まですべて一から自身で作る必要がありました。ですが、そのおかげで私たちは、作品を生み出す実際の過程を捉えることができたわけです。

テデスキが演じる女性は、イヴ・サン=ローランのアドバイスで髪形を、着こなしを変え、まったく違う女性に生まれ変わります。あのワンシーンで、その目の輝きまでが違って見えるでしょう。このシーンはちょっとしたヒッチコック『めまい』へのオマージュでもあります。大げさかもしれませんが、サン=ローランの仕事は女性という概念自体をも変化させることだったのだと思っています。

 

−−サン=ローランを演じた主演俳優、ギャスパー・ウリエルはどのように選択されたんでしょうか?

 

BB キャスティングはシナリオが完成する前、2012年の初頭に始まりましたが、かなり早い段階でギャスパー・ウリエルの名前は挙がっていました。私自身も彼がイヴ・サン=ローランに似ているとは思っていましたが、候補に挙がっていた20数人の俳優と同じように彼に会いました。

しかし、私は彼がイヴ・サン=ローランに「なる」ことを望んでいたわけではありません。重要なのは、対話をすることができるか、ともに仕事ができるかどうかだったからです。『メゾン ある娼館の記憶』のすべての女優たちが、舞台である19 世紀の振る舞いを真似ているのではなく、彼女たち自身としてそれぞれの登場人物であったように、ギャスパーに対しても同じことを望んでいました。ギャスパーはサン=ローランであるとともに、彼自身として作品に存在している必要があるんです。その混合はとても美しいものです。ギャスパーはサン・ローランと同様に、ルイ・ガレルはジャック・ドゥ・バスシェールと同様に私を熱狂させる存在なのです。実在する人物像を構築するには、その人物とそれを演じる俳優とのバランスをとることが必要になります。それはかなり複雑な作業です。映画監督は、その2つのどちらかを選択するべきではありません。カメラの前にいる俳優にこそ関心を持つべきなのです。

 

ーー短編『Where the boys are(2010)、そして『メゾン ある娼館の記憶』(2011)でフィリップ・ガレルの娘であるエステール・ガレルを、そして今回、『サンローラン』では、息子であるルイ・ガレルを起用していますね。また、クロチルド・エスム(『恋人たちの失われた革命』)やルー・カステル(『彼女は陽光の下で何時間も過ごした』)も起用しています。そして、あなた自身、フィリップ・ガレルから大きな影響を受けたと聞いたことがあるのですが……。

 

BB ガレルの作品に魅かれるのはそのミニマリズムです。すべてをシナリオに帰すべきではなく、あるひとつのクロースアップの瞬間が幾千の言葉よりも力を持つことを彼は理解しています。その息子のルイ・ガレルは『サン=ローラン』において、ジャック=ドゥ・バスシェールの複雑な人物造詣にある種の軽さと現代性を与えてくれていると思います。ルイはバスシェールを陰鬱さに引き寄せることはしません。物語全体を見れば陰鬱なものではあると思いますが、イヴとジャックの愛の物語はむしろ編集によって展開するのです。初めてふたりがクラブで出会うシーンは、彼らの身を置く空間を引き延ばすように撮影されています。そこで彼らの間に美しい何かが生起したことがわかります。90年代から作品を撮り始めた私の世代の映画監督は、登場人物の在り方に自然主義を重視する傾向があると思います。たとえばフランソワ・トリュフォー、モーリス・ピアラ、アルノー・デプレシャンといった作家に近い態度ですね。しかし私はむしろロベール・ブレッソン、ジャン=リュック・ゴダール、そしてフィリップ・ガレルのように、ダイアローグによってではなく、カメラの動きや編集によって物語を表現する作家たちに近い場所にいると思います。実は2001年の映画『ポルノグラフ』では、フィリップ・ガレルを主演に据えることを考えてシナリオを書いていたんです。最終的にはガレルの世代にとって重要な俳優であるジャン=ピエール・レオーに演じてもらうことになりました。よくトリュフォーの映画を参照にしたのではと言われることがあるのですが、私にとってレオーはトリュフォーの俳優である以上に、ガレルやジャン・ユスターシュの俳優だったのです。ガレルのフィルモグラフィーには複数の時代がありますが、特に『彼女は陽光の下で何時間も過ごした』から『救助の接吻』にかけての時期が好きですね。自分の映画の主演をガレルに依頼したのは、映画作家として彼を尊敬していたからではなく、俳優としての彼の演技の仕方や存在感が素晴らしかったからです。私が出演をガレルに依頼したとき、自分がいくつかの映画に出演したのはたんにお金がなかったからであって、誰かのために演じるつもりはないのだと、すぐに断られてしまいました(笑)。結果的にではありますが、レオーは『ポルノグラフ』にある種のファンタジーを与えてくれたと思っています。

 

ーーサン・ローランの人生における1967年から1976年の10年間を作品の舞台として選んだのはなぜなのでしょうか?

BB もう少し短い期間を描くことも可能だったかもしれません。あるいは、65年から始めるというアイディアもありました。イヴ・サン=ローランはディオールで成功した後、ピエール・ベルジュとともに66年に自身のメゾン(ブランド)を設立します。この2年はイヴ・サン=ローランの人生にとってもっとも重要な数年ですが、ジャリ・レスペール版の『イヴ・サンローラン』がその期間を描くことを躊躇っていたのも事実です。結局、彼が自身のブランドを設立したのちに多くの変動を受け入れた時代、685月の胎動を感じられる時期を舞台に選びました。レスペール版は、ひとりの人物の人生そのものに寄り添うこと以外のやり方で、サン=ローランについての映画を撮る方法を私に考えさせてくれたと言えるでしょう。イヴ・サンローランに対する私の視点を先鋭化させてくれたのです。その結果私の作品は、サン=ローランの成功の後の10年に焦点を当てることになったのです。

 

ーーこの作品には、スプリットスクリーンを多用されていますね。67年からの10年間に起きた歴史的な出来事ーー685月ーーや、ランウェイを歩くモデルたちの映像、ランウェイとその裏側を同時に映したシーンがそうです。

BB モードをどのように時代と結びつけるのか、そしてそれがどのように生み出されているのかを表現することが『サン ローラン』の大きな課題でした。コレクションを生み出すアトリエを見せることを決め、実際に彼らの仕事を見に行きました。最も難しかったのは、終盤のランウェイのシーンです。どうすればこのシーンを映画的なものにできるか考えた末に、スプリットスクリーンを思いつきました。結果として過程を見せるためにほとんどすべてのシーンがロングショットになりました。スプリットスクリーンというアイディアを思いついてから、『華麗なる賭け』(ノーマン・ジュイソン) と『絞殺魔』(リチャード・フライシャー)を再見しました。どのように見せるか、何が見えるのか、この作品にとっての重要な核であり、モードにとってはそれしかないのです。

 

今秋、日本で公開予定。