映画とはスタイルの問題である限り、モラルの問題だ

2011年2月7日

 

 数日前の新聞の訃報欄に、マリア・シュナイダーが亡くなった記事が載った。死因はガンだったという。もちろんアントニオーニの『さすらいの二人』やリヴェットの『メリー・ゴー・ラウンド』もあるけれども、マリア・シュナイダーと言えば、誰でも思い出すのが、ベルトルッチの『ラスト・タンゴ・イン・パリ』だろう。前回、横浜のクリフサイドに触れ、そのとき『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のダンス・ホールと似ていると書いた。マーロン・ブランドとマリア・シュナイダーが、大きなダンス・ホールでタンゴを踊る場面があったからだ。あれはパリのどこでロケされたのだろう。セットだったかも知れない。

 「ねえ。パッシーでアパルトマンを見つけたの。四部屋の」と公衆電話で告げるマリア・シュナイダーは、黄色の超ミニのワンピースに、花飾りの付いた黒い帽子を被っていた。マーロン・ブランドとマリア・シュナイダーが裸体で交合するこのフィルムは、指にバターを塗るマーロン・ブランドの姿がスキャンダラスなものになったが、見る者に印象的なのは、ふたりの裸体よりは、ふたりが身に纏う衣裳だ。一時期、マーロン・ブランドが『ラスト・タンゴ』で着ているラクダ色のコートのような色──といったような表現が多くのシネフィルたちの口に上ったこともあるほどだ。撮影監督ヴィットリオ・ストラーロによる照明と色彩設計が本当に見事だった。(http://www.dailymotion.com/video/xg9dzt_theme-from-last-tango-in-paris-1972_shortfilms

 それはとても不可思議なフィルムだった。たとえばブランドとシュナイダーは、ビルアーケム橋の上で出会い、ふたりはセーヌ左岸からパッシーの方、つまりセーヌ右岸へと渡っていく。シュナイダーは、見つけたアパルトマンの前に立ち止まる。映像をよく見ていると、アパルトマンの壁にはRue Jules Verneと記載されている。不思議だ。ジュール・ヴェルヌ街というのは、パッシー近郊には存在しない。メトロのベルヴィル駅から西にふたつほど行った場所だ。ベルトルッチの昔のフィルムには、この種の地理的な壊乱が多い。『暗殺の森』にも出てくる。クルマがセーヌ川を左岸から右岸の方に渡ると、今、オルセー美術館になっている場所に近付く。これまたセーヌ川を横断するのはビルアーケム橋である。ヌーヴェルヴァーグのフィルムなら、きっちりと地理的な道順が守られるのだが、ベルトルッチのフィルムになると、編集によって、一続きの街路であるはずの場所が、実は10キロ近くも離れた場所であったりもする。これはベルトルッチのヌーヴェルヴァーグに対する態度表明であるかもしれない。

 ベルトルッチのヌーヴェルヴァーグに対する態度表明は、『暗殺の森』や『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の地理的な壊乱にばかり現れているわけではない。たとえば『革命前夜』では、そんな態度表明が何度も繰り返される。「20年後にアンナ・カリーナは、現代のルイーズ・ブルックスになるだろう。彼女が時代の象徴になるんだ。それこそ映画の奇跡だね。1946年を象徴するのに『三つ数えろ』のハンフリー・ボガートとローレン・バコールのカップルを越えるものなどないだろう。ぼくは映画を2回続けて見ることがよくあるよ。『めまい』は8回。『イタリア旅行』は15回見た。ぼくは、ヒッチコックやロッセリーニなしでは生きていけないんだ。レネやゴダールは逃避的なフィルムを撮ると言われているが、『女は女である』はデ・サンティスやロージよりも政治的な関わりを持つフィルムなんだ。映画というのはスタイルの問題なんだ。スタイルというのはモラルの問題だ。トラヴェリングはモラルの問題だというね。ニコラス・レイは360度のトラヴェリングを使用した。映画史上最大のモラルの問題、政治的な関わりの瞬間だった。ファブリッツィオ、ロッセリーニがいなければ生きていけないことを忘れるなよ」。(http://www.youtube.com/watch?v=hLw91ylsJrk)ビリヤードの玉が当たる音が、切れ目なく聞こえるカフェで、恋に悩む友人のファブリッツィオ(フランチェスコ・バリッリ)にお構いなく、そうまくし立てるチェーザレ(モランド・モランディーニ)。チェーザレの言葉は、そのまま「カイエ・デュ・シネマ」に集った50年代の若いシネフィルたちのものだ。それは『暗殺の森』や『ラスト・タンゴ・イン・パリ』よりも、もっと直截でもっと素直にヌーヴェルヴァーグの継承を表している。なんか素直で好きだな(もっとも、ぼくらの若者時代そのままで、ちょっと恥ずかしくもあるけど)。

 ところでチェーザレを演じているモランド・モランディーニは俳優ではなく、本物の映画批評家だ。1947年、23歳のときにシネクラブを作り、その後、La Notte紙に映画評を書き続けた。その後、いくつものフェスティヴァルのディレクターを務め、何冊も映画辞典を刊行している。『ジョン・ヒューストン』、『エルマンノ・オルミ』といったモノグラフィーも書いている。御年86歳。未だに現役の批評家である。

 『革命前夜』は本当に若々しい映画だった。もちろん黒沢清の立教大学時代の伝説的な作品『逃走前夜』というタイトルは『革命前夜』のパスティッシュだろう。蓮實重彦の『映画崩壊前夜』だって、『革命前夜』というタイトルがなければ存在しなかったろう。それに原題のPrima della rivoluzioneプリマ・デッラ・リヴォルツィオーネという音もとても素敵だ。記憶に残るのはモランド・モランディーニばかりではない。このフィルムのヒロインを演じたアドリアナ・アスティは、ベルトルッチと一時結婚していたこともあったはずだ。イタリアの劇場のゆっくり落ちていく照明。ベッドの上で、両足を露呈させて座るアドリアナ・アスティ。もちろん、そこにある青春と映画の物語も感動的ではあったが、それ以上に、「映画というのはスタイルの問題だ。スタイルの問題である限りモラルの問題だ」というモランド・モランディーニの発言がそのまま映画になったような作品だった。

 でも『革命前夜』とはいったい何の前夜なんだ? 「革命」なんてやってこない。オリヴィエ・アサイヤスが、伝説的な革命家カルロスの生涯を追った長大な作品『カルロス』を見ていると、カルロスもまた決して革命を生きたわけではなく、その前夜を、ずっと継続する革命前夜を生き続けただけのように思える。来るべき革命を信じ、その前夜を華々しく生きているうちに、革命などどこかに雲散霧消してしまう。革命という祭がやってくることなど決してなく、知らぬうちに革命への渇望が終息し、革命の後にやって来るはずの白けきった平坦な時間の中で、生きる術を失ったカルロスがいる。きっと『革命前夜』を信じていたベルトルッチも、『暗殺の森』、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』、『ラスト・エンペラー』と革命を待ち続け、『シャルタリング・スカイ』でポール・ボウルズにYou are lostと言われてから、カルロスと同じように、革命後の時間を生きるしか術がなかったように見える。結局『ドリーマーズ』のように、革命をノスタルジックに語るしか方法がなくなってしまったようだ。

 マリア・シュナイダーは、「あの映画に出演しなければよかった」と、数年前のインタヴューで語っていたそうだ。あの映画のスキャンダルがその後の彼女のキャリアに大きな傷を負わせたことはまちがいない。『愛のコリーだ』に出演した松田英子も同じだろう。でも、『愛のコリーダ』にせよ、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』にせよ、「革命前夜」を生きたフィルムは、今でも輝いている。