久しぶりに『秋日和』を見た

3月7日

 

 移動中の電車や地下鉄の中、眠りにつく前のベッドで、ずっと池波正太郎の『銀座日記』を読んでいた。池波正太郎の時代小説は一作も読んだことがない。だが、グルメ雑誌で「作家の愛した店」などが特集されるたびに、この人の名前が目に入るし、池波正太郎の弟子に当たる佐藤隆介の『池波正太郎の食まんだら』(新潮文庫)も最近読んだので、その続きで、本家本元の『銀座日記』を読むことにした。

 とても哀しい本だった。新富寿司、与志乃といった寿司屋、山の上ホテルにある天ぷら「山の上」、神保町の揚子江菜館、日比谷の慶楽……試写に通い、買い物をする傍ら、ひとりで入った店々が記されている。もちろん「うまい」だろうし、「うまそう」だ。だが、ひどく哀しい。なぜか。

 『銀座日記』は1983年から88年の間に、煉瓦亭やみかわやの入口に置いてある、あのタウン誌「銀座百点」に連載されたものに「新銀座日記」が加わり、新潮文庫版『池波正太郎の銀座日記』(全)となって出版されたものだ。日記である限り、すべては○月○日で始められているが、○に数字は入っていない。ある月のある日だ。読者は、暑いとか雪が降るとか書かれていることから、○の中に適当な数字を放り込むしかない。試写会で映画を見て──『銀座日記』が執筆されている頃、ぼくはもう映画批評を始めていたので、池波正太郎と同じ日に同じ映画を見ていることもあった──、銀座に出たついでに溜まった買い物をし、夜になるとメシを食う。それだけのことが書かれている。もちろん、毎年2〜3度は、お茶の水の山の上ホテル(「作家のホテル」として有名。昔は、缶詰になって書かされるのは決まって山の上ホテルだったという)に連泊することもあるし、行き先が神谷町にある試写室だったりすると、食べ物も銀座ではなく、虎ノ門と神谷町の間にある著名なそば屋だったりもする。つまり、書かれていることはそれだけなのだ。

 極めつきの単調さがこの日記の特長だ。池波正太郎は、膨大な数の作品を残した「小説職人」なのだから、銀座に出ずに、家に籠もって執筆だけする日もあったろうし、もちろん「銀座百点」に連載されていたのだから、銀座に行った日だけを記述しているのだろうが、新宿や渋谷や池袋には赴いた気配が感じられない。そして、何よりも単調さを際立たせているのは、食べに行く店を新に開拓しないことだ。常に同じ店に赴き、同じものを食べている。

 誰だって街に出るとそんな単調さを逃れることはなかなかできない。池波正太郎の『銀座日記』を単調だ、と断定するぼくもまた、試写等で銀座に出ると、必ず慶楽か三州屋で昼飯を食ってしまう。昼飯を食って、映画を見た後、MUJIの有楽町店を覗いて、Banana Republicに行って、ついでにその前にあるUnited ArrowsJournal Standardに寄ることもあるけれども、「食べログ」を前日に入念に観察し、ブログまで読み込んだり、ブティックからバーゲンのDMが届かなければ、けっこう同じ店を周遊してしまう。だから、きっと池波正太郎ではなく、ぼくが「銀座日記」を書いても、ひどく単調な内容になるだろう。人間って変わっていくのは難しい動物なんだな。昼食をとるためには信じがたい数の店があっても、結局は同じ店に入ってしまう。次は新たな店に入ろうと思っていても、不味かったらやばいよな、せっかく近くまで来ているんだから、と考え直して、慶楽で炒飯ランチを注文したり、三州屋でミックスフライを注文したりしてしまう。

 だが『銀座日記』がひたすら哀しいのは、その単調さによってのことではない。むしろ単調さは、保守的ではあっても、つまり日常を勇気を持って変えていくのではなく、既知の日常を反復するという意味ので保守的ではあっても、それは哀しいことではない。哀しいのは、その単調さを反復することができなくなることだ。

 かつて、おいしく食べられたものが、身体に入らなくなり、否、身体が受け付けなくなり、身体的な衰えによって、保守的な反復が次第に不可能になっていくこと。哀しいのはそのことだ。かつては容易に可能だったことが、だんだんできなくなっていき、疲労を感じるのが早くなり、タクシーで帰宅するのが自然だと感じられるようになる。おそらくそれを老いというのだろう。まず、洋食屋に入ってフライをつまみにビールを飲んでから、仕上げにハヤシライスを食べるなんてことができなくなり、酒量が次第に減り始め、酒そのものを身体が受け付けなくなっていく。老いていくとはそういうことだ。『銀座日記』は、だから、池波正太郎の『老いの日記』でもあるだろう。

 久しぶりに小津安二郎の『秋日和』を見た。久しぶりと言っても半年ぶりくらいだ。妻がアンチヘブリンガンって覚えてる?と聞くので「なにそれ?」「『秋日和』で出てくるらしいよ。何度も見てるんでしょ!」ということで、確かめることになったからだ。ぜんぜん覚えてなかった。DVD(持ってるんだ!)をセットして、いかにもこの映画はカラーですよ!って強調するみたいに「秋日和」の「秋」だけが、赤い字で書かれている。キャスト、スタッフ、そして「監督 小津安二郎」の文字でもうKO!次の青空に東京タワーでもうダメ。涙で潤んで見えない……。そうか、アンチヘブリンガンってここか。覚えてなかったな。それにしても、東京タワーはいいなあ。スカイツリーばかりが話題の昨今、東京はやはり東京タワーでしょう!「むかしパリで一緒に見たときも、この辺りでもう泣いていたよね」

 「秋日和」のタイトルで「秋」が赤い字で書かれていて、快晴の空に東京タワーがすっくと立っているだけで泣けてくるのは、しょうがないことだ。避けられない。パブロフの犬と同じような反応だ。初めてこの映画を見たときは、この映画の司葉子よりも若いときだった。原節子の爪とマニキュアばかりが気になった。そして年月が流れて、今では、このフィルムに登場する、お馬鹿な中年三羽がらす(佐分利信、中村伸郎、北竜二)と同じ年代になった。なんとうことだろう。このフィルムを初めて見てからもう30年以上経ったということだ。それにしても、なんということだろう。このフィルムに映っている東京の若々しさは! 丸ビル、東京中央郵便局、赤い無数の郵便自動車、その向こう側の高架を走っていく湘南電車、それに向かって手を振る司葉子と岡田茉莉子。太平洋戦争が終わり、東京オリンピックをすぐ先に見据えた若い東京がある。そして、小津安二郎は、このフィルムで、彼が戦前に数多く撮った岡田時彦の娘と出会い、彼女を「お嬢さん」と呼ぶ……。そして、なんということだろう。小津は、この後、『秋刀魚の味』を撮って、この世を去る。彼にも、まちがいなく老いが迫ってきている。このフィルムの佐分利信や中村伸郎や北竜二の年齢がちょうど当時の小津の年齢。つまり、ぼくの年齢。老いの迫った小津の見る東京の若さ。それが『秋日和』だ。

 老いをドキュメントした池波正太郎の『銀座日記』の対極に、自らの老いを感じながらも、それを笑い飛ばし、ひたすら東京の若さを見つめた小津安二郎がいる。