夏休みの終わりにリゾート・ホテルについて考える

 2011年8月31日

 一ヶ月間お休みをいただいた。まるでフランスの雑誌のようだ。7月号の次は9月号。つまり、みんなヴァカンスに出かける。パリの街のパン屋さんも7月が休みのパン屋さんと8月が休みのパン屋さんがあって、7月が休みのパン屋さんには、近くの開いているパン屋さんの住所が書いてある。

 ぼくらも旅行に出かけた。1泊2日だ。まるで「日本人」! 多忙なんで仕方がないか。行き先は日光中禅寺湖。湖畔にある中禅寺金谷ホテルに泊まった。ここに泊まったのは14年ぶりのことだ。日光も14年ぶりということ。最近、旅行は日光のような国内の伝統的な保養地ばかり行っているような気がする。箱根、葉山、軽井沢、川奈、妙高赤倉、志賀高原、蓼科……。

 パリに行っても仕事ばかりなので、マルセイユやラロシェル、クールシュヴェルやメジェーヴがすごく懐かしい。ヨーロッパのリゾートに1ヶ月ぐらい滞在するのはいい気持ちだ。本当のヴァカンス。9月になると雨が降って、On rentre à Paris !(もうパリに帰る)っていう気分になる。トリュフォーの『突然炎のごとく』でも南仏でヴァカンスを過ごし、9月の雨が降るとカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)がそう言っていた。実感だよね。

 なんでぼくらは日本でのひどく伝統的な保養地ばかりに行くのだろう? それに泊まるホテルも、箱根だったら小田急ハイランドホテル、葉山だったら音羽の森、川奈ホテル、赤倉観光ホテル、奥志賀高原ホテル──伝統的なホテルばっかり。けれども、ここ最近──そう10年ぐらい前からかな?──思うのは、どこに行っても寂れていること。地方都市の商店街のシャッターストリート化と同じように、廃墟になった土産物屋や潰れたホテルによく出会う。今回も、中禅寺湖畔の菖蒲が浜にあった日光プリンスホテルが潰れていた。でも、それらのホテルの立地する辺りは、ランドスケープとしてどこも絶景だ。たとえば川奈ホテルから134号線を熱海の方に走れば、ほとんどモナコ近辺と遜色ない。中禅寺湖畔から男体山を眺めると、マジョーレ湖畔から見た山々にも似ている。まだ泊まったことはないけれど上高地帝国ホテルからの眺めなんてスイスと同じ! 土産物屋が廃屋になっていても、大規模な旅館が潰れていても、それらのランドスケープは変わらない。それに、どのホテルも、それなりに優れたレストランがあって、おいしいものが食べられる。

 ではなぜ寂れてしまったのか? もちろんバブルの崩壊があって、皆、貧しくなってしまったこともあるだろう。円高で、かなりお値段も張る日本のリゾートホテルよりも海外に行った方が安いということもあるだろう。バブル時代に施行されたリゾート法が大失敗して、リゾートの乱開発が自然破壊をもたらして、リゾート本来の目的と正反対に作動したこともあるだろう。急峻や山々が多い日本でゴルフ場を作るのは、宅地の開発と同じ手法だし、ゴルフ場の会員権が株券のように扱われた時代もあった。それにリゾート地とテーマパークとはまったく折り合わない構図なのに、リゾート法だとその相反するふたつを一緒にしてしまった。それで失敗した観光地も多い。

 大倉喜七郎が惚れ込んだ川奈のゴルフコースのような場所は日本には多くない。(川奈ホテルもいつの間にかオークラ系からプリンス系になってしまった。)やはり彼が建てた赤倉観光ホテルがある赤倉温泉スキー場のような、眼下に野尻湖が見える絶景の地のスキー場も少ない。奥志賀高原にしても、1967年にほとんど自然を残したまま開発したスキー場で、しばらくの間、奥志賀高原ホテルとロッジしかなかった。お金のなかった学生時代のぼくは、ホテルには泊まれず、いつも奥志賀高原ロッジに泊まっていた。奥志賀にあったスキースクールで、大雪の降った翌朝には、かならず焼額サイドのシュプールのないパウダースノーを滑った。奥志賀スキー場の隣に西武が焼額スキー場を開発し、プリンスホテルを三つを建つまでは、奥志賀高原スキー場はすごく静かだった。リフトの上から東側を見ると、そこは真っ白な秋山郷で、正面には妙高山が見え、その向こうに北アルプスの山々が望めた。いつの間にか奥志賀高原ロッジはなくなってしまった。奥志賀高原ホテルにせよ赤倉観光ホテルにせよ、西武系スキーリゾートのフラッグシップである苗場スキー場の苗場プリンスとは正反対の小さなホテルだ。室数も50程度。苗場プリンスの1000室を越える規模には遠く及ばない。でも、赤倉観光ホテルにも奥志賀高原ホテルにも、素敵な暖炉を備えたロビーがある。つい最近までどちらのホテルにも冬でも泳げる温水プールがあったのだが、閉鎖されてしまった。山岳リゾートホテルにもプールが欲しいよね。中禅寺ではなく日光の金谷ホテルにはまだプールがある。

 だんだん考えがまとまってきた。素敵なリゾートホテルの条件は、まず居心地の良いロビーがあって、そこでしか食べられない料理を出すメインダイニングがあること。それに小さくてもいいからプールが欲しい。そして何よりも絶景の地に建つ一軒家の素敵な建築であること。そうした条件が整っていれば、部屋は豪華じゃなくてもいい。寝心地の良いベッドがあればシャワーしかなくても構わない。そう考えると、第2次大戦直前に、鉄道省国際局がバックアップして建てた国策の「国際ホテル」は、かなりそんな条件が整っている。アイディアを出した大倉喜七郎の趣味なのかも知れない。