——アルノー・デプレシャン監督の作品は、これまでもアメリカ映画への愛に満ちたものばかりだったと思いますが、今作『ジミーとジョルジュ 心の欠片(かけら)を探して』(以下、『ジミーとジョルジュ』)では冒頭のショットからまさしくアメリカ映画的な、西部劇的な風景が広がっています。アメリカで映画を撮るということに対し、強い意気込みがあったのでしょうか?

アルノー・デプレシャン(以下、AD) :すでに私は英語の映画を1本撮っていて、それは『エスター・カーン めざめの時』(2000)という作品です。他の私の作品が人々の集団を描いていたのに対し、『エスター・カーン』と『ジミーとジョルジュ』は両作品とも強迫観念のようなものに憑かれた個人の——『ジミーとジョルジュ』では、ふたりの人物が映画の中心になるわけですが——肖像を描いた作品であると言えるでしょう。

アメリカで撮影をしたのは今回が初めてですが、『ジミーとジョルジュ』は私がこれまで撮ってきた作品のなかで最もヨーロッパ的、最もフランス的な作品です。ジョルジュ・ドゥヴルーという医師がヨーロッパからアメリカにやってきて、アメリカ・インディアン[*編註]のジミーに出会う。かけ離れた世界にあるふたり、一方には古いヨーロッパ的な文化・伝統を持ったジョルジュ・ドゥヴルーがいて、そしてもう一方には絶対的なアメリカ人、アメリカ・インディアンのジミーがいる。彼らがアメリカという場所で出会うわけです。 本作ではアメリカ映画をつくろうというよりも、ヨーロッパの一部をアメリカに持ちこみたいと考えました。私が面白く感じていたのは、精神分析というふつうであれば観客が怯えてしまいそうな題材を用いたことです。精神分析には、たとえば狭い小さな部屋に閉じこもって長椅子に横たわって受けるものだというイメージがありますね。心の内部という小さな問題を西部劇のようなアメリカの巨大な風景の中に移しかえるということに興味があったのです。シネマスコープでの撮影を選択したことも関係がそれにあります。

冒頭ばかりでなく、フラッシュバックで現れるジミーのアメリカ・インディアン居留地での過去のシーンは、本当の居留地でそこに住んでいる人々とともに撮影をしました。フランスでも日本でも子どもにはふたつの種類があると思います。インディアンの存在を知ったときに、カウボーイになりたいと思う子どもと、インディアンになりたいと思う子どもです。私はインディアンになりたいと思った子どもでした。インディアンに関する本を読み、インディアンが使う手話のような動作を学んだりもしました。

©2013 Why Not Productions-France 2 Cinema-Orange Studio

——この作品は彼らが言葉という武器を持って冒険に出るという意味で、まるで西部劇のような映画だと感じられました。

AD:この作品にはひとつ重要なテーマがあります。それは奇妙なことかもしれませんが、「アメリカ人になる」というテーマです。この映画はふたりの人物が「アメリカ人になる」までの軌跡を描いた映画だといえるのではないでしょうか。

まずひとりには、フランス国籍を取得してフランス人になったハンガリー系のユダヤ人がいます。アメリカにやってきた彼は、恋人であるマドレーヌとのエピソードにおいて、ヨーロッパを捨て、アメリカ人になることを学ぶことになる。そして一方にはアメリカ・インディアンがいます。彼はもちろんアメリカ人なのですが、しかし一方で彼はつねにアメリカの社会、世界の外側にいる人物でもある。そして彼はアメリカという領域を征服することを学ばなければならないのです。

このようにアメリカという世界は、つねに誰かがアメリカ人になるという夢、その動きにおいて出来上がるのではないでしょうか。はじめから日本人やフランス人であるという人々は存在しますが、はじめからアメリカ人であるという人々は存在しません。アメリカはひとつの夢であり、またその夢はアメリカという領域を自分のものにする、占有化するためのものでもある。これがこの作品の有する政治的な部分です。つまり少数派であったものが国民の一部になる。そして魂の領域においても、そのようにして自分が自分自身に属するようになるのか。それがこの作品で私が描こうとしたテーマなのです。

——この作品は実話に基づいており、ジミーもジョルジュも実際に存在した人物であるわけですが、ある意味でこの作品においてこのふたりの人物は初めて生まれたのだとも言えるのではないでしょうか。ベニチオ・デル・トロは怒りや悲しみや欲望すべてを大きな体の中に埋め込むような人物を演じています。彼によって、ジミーはどのように生まれたと思いますか?

AD:ベニチオ・デル・トロの寄与は巨大です。初めてベニチオとマチューのふたりの俳優のために脚本を書いたのですが、普段はそんなことはしません。私の作品ではよく同じ俳優を使いますが、脚本を書いているときはただただストーリーのことを考え、キャスティングはその後で考えるのです。今回の作品は準備の段階から、片足はフランスに、片足はアメリカにあるような製作の難しい映画だとわかっていました。ですからプロデューサーはかなり早い段階から、誰をジョルジュ役に起用するのかを尋ねてきました。そこで私は、マチューに「君のための役がある脚本を書いている」と話しました。これは自分とマチューの友情においてもとても異様なことであり、マチューも驚いていました。いつもならマチューにはギリギリになって出演依頼をしているからです。

それからすぐ、誰がジミーの役を演じられるかを考え、たくさんのアメリカ映画を見ました。商業的に配給されている作品だけでなく、より小規模なインディアンの居住区で撮られた小さい映画も多数見ました。アメリカにはネイティヴ・アメリカンのための映画製作の支援基金が存在しており、居住地で撮られた映画というものがあるのです。こうして数多くのアメリカ・インディアンの俳優を見ましたが、しかし自分のジミーを見つけることができませんでした。俳優たちは皆素晴らしい人でしたけれども、彼らを見ていると私は彼らに同情し、憐れみを感じてしまうような関係性に陥る気がしたのです。彼らに自分を投影し、同一視することができませんでした。

私はこの作品でジミーというアルコール中毒の神経症の人物を通して英雄を描きたかった、そしてジミーを通して私の自画像を描きたいとも考えたのです。そこで思い出したのが、私がショーン・ペンの映画の中で一番好きな『プレッジ』(2001)でした。ベニチオはこの映画の最初の短いシーンにアメリカ・インディアンの役で出演しています。彼が演じたのは本当に重大な発作に苦しんでいる精神分裂病の患者です。極度なまでに暴力的で、凄まじい悲しみをたたえた人物を演じていました。スクリーンでこれほどの生の苦しみ、激しい悲しみは見た事がありませんでした。これが私のジミーだとわかったのです。

もちろん彼自身はインディアンではなくプエルトルコ人です。しかしベニチオの個人史の中には私の心を打つものがあります。14、5歳の頃にアメリカにやってきて、アメリカで勉強し、そしてハリウッドの映画製作の制度の中で生きてきたスターです。けれども、彼は自分がこのような有名な俳優になっても、決して自分がアメリカ人として受け入れられることはないだろうとみごとに語っています。永遠にヒスパニック系、少数民族だと見なされ続けるだろうというのです。彼は「アメリカでは我々は犬以下の扱いを受けている」とすら言っています。ベニチオが抱きうるこのような恨み、人種問題への怒りを、彼はジミーにもたらしてくれたのでした。

またさきほど「西部劇のような」と指摘された最初のシーンですが、私はそこにどうしてもゲイリー・ファーマーに出てもらいたいと思いました。ジム・ジャームッシュの『デッドマン』(1995)に出演していたインディアンの俳優です。ここではベニチオの義理の兄を演じていますが、馬に乗って、牛たちの世話をしているジミーのところにきて、手を差し出し、自分の方に連れて行こうとします。それはあたかもインディアンの共同体の側から手を差し伸べ、「君は私の代わりに私を代表するのだ」と言っているようです。ヒップホップでよく言われるように「君は私を代表する、共同体を代表する」という意味なのです。

ベニチオは準備段階から濃密にこの映画に取り組んでくれました。ベニチオにはひとりコーチがついていて、ブラックフット族のピカニという言葉を習っていましたが、アメリカ・インディアンの共同体に関わっていこうとする彼の姿には感銘を受けました。

ベニチオとマチューの肉体的なコントラストも非常に興味深いものでした。まるでローレル&ハーディのようです。巨大なベニチオの横に、背の低いマチューがいる。マチューの役柄は神経質で熱をおび、ほとんどヒステリー状態、ベニチオの役柄は静かな苦しみを内面に秘めている。フランス的な演技の仕方とアメリカ的な演技の仕方という、ふたつの演技の伝統のコントラストもそこにはあります。そこにジーナ・マッキーのようなイギリス式の演技がつけ加わります。これは、私の作ろうとしている、演技の多様性、多数性を受け入れる演劇に対応するものです。

日時:2014年12月13日(土)
会場:アンスティチュ・フランセ東京
※本講演はSkypeを利用した中継で行われた。

聞き手=坂本安美
通訳=福崎裕子
編集=田中竜輔

*編註 『ジミーとジョルジュ』は1940年代のアメリカを舞台にしているため、劇中では「ネイティヴ・アメリカン」の呼称は用いられない。本採録ではそれに倣い、文意上必要だと思われた箇所を除いて「ネイティヴ・アメリカン」の呼称を「アメリカ・インディアン」に統一した

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