戻る | 1  2

<自由な作品>

――これまでのお話を聞いてきて、アピチャッポン監督自身も、まだ完成された映画スタイルを持っていると意識しているわけではないことが判りました。完成することのない、まさに「有機的なプロセス」そのものがあなたの映画の原動力となっているんですね。

アピチャッポン・ウィーラセタクン

AW私はいつも、自分の映画スタイルを固定しないことを心がけています。たとえば、シルク・スクリーンにひとつのパターンの増殖をアンディ・ウォーホルが表現していたように、作者のトレード・マークのようなものが見る人の側に固定化されていくことは、芸術の世界ではよくあることですよね。これまで自分の仕事をしてきて、私はジャングル=森のなかにいるかのように映画を作ってきたんだと感じます。固定化された作者のコンセプトというものは、資金繰りの際などには役に立つことも多いと思いますが、実際の制作のときには、逆にそれが重荷になってきてしまう。なので、私にとっては、作品を作っていくことで自分に貼られていくレッテルのようなものを、どう剥がしていくのかがひとつの課題になっているとも言えます。たとえば、ゲルハルト・リヒターという画家の作品を見ていると、その作品はとても抽象的なのですが、同時にものすごく自由であるとも感じるのです。彼のような、実験を重ねながら自由に前に進んでいけるようなアーティストを理想と考えています。

富田この『ブンミおじさんの森』は、まさにそのような自由な作品になっていると思います。東京フィルメックスでのQ&Aの際に、『ブンミおじさんの森』に登場する猿の精霊は、「スター・ウォーズ」シリーズに登場するチューバッカをモデルにしたと言っていましたよね。僕には、『2001年宇宙の旅』(68、スタンリー・キューブリック)の冒頭に登場する猿たちのようにも見えたんです。なので、アピチャッポン監督はいったいどこでモノリスを登場させるんだろうかと思いながら見ていましたね(笑)。実際、あの映画のように、『ブンミおじさんの森』は時間や空間を軽々と飛び越えていく力を持った作品になっているんです。たとえば、この映画に登場する猿の精霊たちの姿が、どこか『世紀の光』に登場していた森のなかを歩く男女の姿に、自然と重なっていくかのように見えてきてしまう。人間が猿のように見えてきたり、猿が人間のように見えてきたりするんです。時間も空間も、それに作品の枠そのものも飛び越えて、様々なものが混在しながら画面を横切っていくアピチャッポン監督の作品は、だからこそ、どこまでも自由な映画になっているんだと思います。

AW私はいつも、個々の作品には、それぞれ独自な命が宿っていると思っています。そして、それらのなかには、私や仲間たちの人生の一部も混入しているんだと思うのです。だから、私の映画の波長に合う人もいれば、その逆にまったく波長の合わない人も数多くいる。

富田克也

富田たしかに、アピチャッポン監督の映画を「政治的」という人もいれば、「喜劇的」という人もいると、先日のQ&Aで仰っていましたよね。ところで、あなたの作品を「政治的」な映画として見てとる人々が存在することについて、アピチャッポン監督はどう思われますか。たしかに、この映画にあの猿人たちが登場することを、タイの共産党ゲリラたちが精霊になって生き返っている、という解釈で見ることもできます。「政治的」というような言葉について、アピチャッポン監督はどのような考えを持っているのでしょうか。

AW私としては、人々に正しい解釈を強いるような作品ではなく、もっと多義的でオープンな映画を作っているという意識があります。人々がそこで自由に考えを廻らすことのできる、<プラットホーム>のような映画です。たとえば、いわゆる一般的な大衆娯楽映画では、お話のすべてが説明されてしまいます。編集や音楽を通して、「ここで泣きなさい、ここで笑いなさい」と指示されているかのように、観客たちは映画の解釈を誘導されますよね。実は、私もその手の映画が大好きで(笑)、すぐにはまってしまうんですが、自分の作品を作るときは、もっと自由に開かれた<プラットホーム>のような映画を作りたいと思っています。もちろん、大衆娯楽的な映画の手法が、私にはわからないということもひとつの理由として挙げられるでしょう。料理の世界にも、イタリア料理の料理人やフランス料理の料理人たちがいるように、映画監督も、何らかの専門家になっていくことがあるはずです。だから、「政治的」「喜劇的」といった映画の見方の違いがあることは、ただ違う見方があるというだけで、私がその見方に対して「良い/悪い」という判断を下すことはできないのです。

富田この『ブンミおじさんの森』が素晴らしいのは、これまでアピチャッポン監督が撮ってきた作品と同じように、観客たちに理屈を考えさせることのない力に満ちているからなのだと思います。水辺でお姫様とナマズが出会ったり、猿の精霊が突如登場したりと、理屈で考えればとても不可思議な出来事が展開していくにも関わらず、僕たちはこの映画を自然と信じることができてしまう。この『ブンミおじさんの森』を見て、映画というものは、観客たちがスクリーンの前で作品そのものに身を委ねながら見るものなんだと、強く実感しました。
 最後の質問になってしまいますが、アピチャッポン監督の次回作はもう決まっているのでしょうか?

AWあなたのような良い観客に出会うことができて、とても嬉しく思います。まだ始まったばかりですが、新作はメコン河についての映画を撮ろうと考えています。

富田その映画が見ることができるのを、とても楽しみにしています。

アピチャッポン・ウィーラセタクン

1970年、バンコク生まれ。タイ東北部のコンケーンで育つ。地元コンケーン大学で建築を学び、24歳の時にシカゴ美術館附属シカゴ美術学校(School of the Art Institute of Chicago)に留学、映画の修士課程を終了。1999年、映画製作会社“キック・ザ・マシーン(Kick the Machine Films)”を設立し、2000年に完成させた初長編『真昼の不思議な物体』が2001年の山形国際ドキュメンタリー映画祭インターナショナル・コンペティション優秀賞、NETPAC特別賞を受賞。『ブリスフリー・ユアーズ』(02)、『トロピカル・マラディ』(04)、『世紀の光』(06)といった作品を監督。本作は2010年のカンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)に輝き、日本では初の劇場公開作となる。

富田克也(とみた・かつや)

1972年生まれ。山梨県甲府市出身。相澤虎之助(『花物語・バビロン』、『かたびら街』)と共に、映像制作集団<空族>として、『雲の上』、『国道20号線』といった作品を監督。『国道20号線』(07)は、自主上映から注目を集め、その後単館系劇場にて全国公開。「映画芸術」誌上にて、自主映画にもかかわらず2007年日本映画ベスト9位に選出された。監督最新作『サウダーヂ』が、2011年に公開予定。
『サウダーヂ』公式サイト http://www.saudade-movie.com/index.html

取材・構成 高木佑介
写真:鈴木淳哉

戻る | 1  2