ーーまずは『ECTO』が製作されることになった経緯と、これまでに上映あるいは上演されてきた場所についてお話いただけますか。
渡邊琢磨(以下、渡邊):『ECTO』は水戸芸術館からの依頼で、当初は舞台作品の制作企画でした。後々、話しが二転三転して、「サウンドトラック生演奏付上映公演」という形に着地し、映画制作に取り掛かりました。水戸芸術館での初演以降、同志社大学の寒梅館ハーディーホール、山口YCAMで行われた「爆音映画祭」などの折に、弦楽の編成や演奏内容を微妙に変化させながら、上映環境に沿った実験を重ねてきました。また京都みなみ会館では、映画単体上映(生演奏が無い)も行いましたが、今年の「恵比寿映像祭」ではふたたび演奏付で上映しました。
ーーその後劇場公開が決まったわけですが、なぜその前に今回の配信版をリリースすることになったのでしょうか。
渡邊:劇場公開前に、『ECTO』の特定シーンを緩慢に引き伸ばし、その映像にあわせて演奏者が入れ替わり立ち替わり10時間くらい演奏するという、実演インスタレーション作品の展示を行う予定だったのですが、コロナウイルスの影響で延期になりましたので、別の形で『ECTO』を上映できないか配給のboid樋口泰人さんと検討していたところ、アップリンクさんより配信上映のご提案をいただきました。
ーー生演奏付の公演から配信、それから劇場公開を経ていくにあたり、映画の内容や編集において具体的な変更点はあったりするのでしょうか。
渡邊:映像に関しては目視できない範囲で数コマ切った程度ですが、音楽、音効に関しては大幅に改訂しました。生演奏ありきの上映形態だったこともあり、多めに付いていた劇伴を半分以上カットしまして、その分、効果や環境音を前景化させました。この調整によって私が撮影現場で見た白昼夢とリアルな幽霊が立ち現れまして、四宮さんに撮っていただた雰囲気がより明確になったと思います。且つ、川瀬さん始め俳優の一挙一動にもフォーカスできるようになりました。本作は引き算によって、現実と虚構が地続きになると言いますか、私たちが実際に幽霊やUMAに遭遇する際、音楽などの演出はありませんので。ちなみに私自身は幽霊を見たことはありませんが、是非お会いしたいと思っています。

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ーー配信版を拝見して、これまで水戸芸術館やYCAM、あるいは東京都写真美術館で体験した感覚とは違い、小さな画面から迫り出してくるような印象を受けました。撮影の四宮秀俊さん、出演の川瀬陽太さん、そして助監督の上野修平さんは今回の配信版をどのようにご覧になったのでしょうか。
四宮秀俊(以下、四宮):仕上作業がパソコン上なので基本的に画は同じですし、とくに変わったなという印象はありませんでした。ただ先ほど(渡邊)琢磨さんが言われたように、劇伴を含めた音の情報が精査されたことで登場人物たちのセリフが頭にスッと入ってくるようになりましたね。自分で撮っていてなんですが、そういうことを登場人物たちは考えて行動していたんだなと(笑)。初演で観た時以上に人物たちのセリフと画のつながりを意識させられたので、映画そのものに集中して観ることができるのではないかなと思います。
渡邊:撮影現場での四宮さんとのやりとりは初日の行程から詳細に覚えています。なかでも印象的だったのが、撮影初日に佐津川さんの俯瞰シーンを撮影したあとで映像を確認したら青色が基調の画になっていて、モニターの問題かと思い四宮さんにお伺いしたところ、私がルックの参考までに台本に貼り付けていた写真の色彩感に近づけていただいたとのことで驚嘆しつつ、以降は四宮さんのイメージに沿って撮影を進めてもらいました。
四宮:ただ、シナリオに貼られていた写真は明らかに琢磨さんが加工した色合いになっていたので、これこそが監督の狙いなんだろうなと思ってました(笑)。
渡邊:なかなか自分のイメージや質感と一致するものがなくて、フォトショで夜の風景に無理やり加工した写真などもありました(笑)。
川瀬陽太(以下、川瀬):僕は京都で生演奏のない劇場版『ECTO』を観たあとに今回の配信版を自宅のモニターで観たんですが、純粋に映像作品としてフォーカスできたし、それに連動して音もスッと入ってきたと言うか。監督の琢磨君が『ECTO』全体を通してどういったディレクションをしていたのかが配信版はとくに際立っていて、同じ作品なのにこれまでに観た『ECTO』とはまたさらに違ったものとして見えました。たしかに生演奏付の公演よりも音数は減ることになるんだけど、それでも各場面に仕掛けられている音楽の存在が、より画面の中で起こっているドラマを惹きつけるんですよね。
上野修平(以下、上野):僕はまだ今回の配信版を拝見できていないんですが、撮影後の編集段階で思っていたのは、『ECTO』は箱庭的な世界観やフレームの中に緻密な情報量がかなり凝縮された映画なんじゃないかということです。だから正直なところ、広い劇場でこの映画を観ることに対しての違和感はありました。ずっと小さな画面の中でものすごい数の人物を切り取って加工したり、霊体を視覚化するために「エクトプラズム」の効果を加えたりしていたので、むしろ小さな画面で観たほうがより面白さを感じやすいんじゃないかなとも思っています。
渡邊:上野君には煙の合成を始めとする撮影後のポスプロにもご協力いただきました。僕の合成技術はものすごくローテクでしたし、ポスプロ初期はストップモーションアニメのように素材をフレーム単位で何百箇所と切り分けて、1フレ毎に合成素材を動かしたりしてました(笑)。

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上野:最初に琢磨さんから素材の内容を聞いて「その作業だったら数時間でお戻しできますよ」と言ってしまったんですが、5秒ぐらいのデータなのに編集点がすでに100箇所くらいあったりするんです(笑)。作業自体は面白かったんですが、「今まで味わってきた編集作業とはわけが違うぞ」と思いながらやってましたね。
ーー素朴な疑問なんですが、『ECTO』の物語で重要な役割を果たす煙や、虫の群れ、鳥といった人物以外の存在は実物を撮影した上で加工された素材だったのでしょうか。それとも最初からデジタルでつくられたものだったのでしょうか。
渡邊:煙は素材として購入したものですが、複数の煙素材を混ぜたりでかなり加工してます。現場でスモークマシーンを使って実際の煙を撮影する予定でしたが、風でかき消えてしまったり上手くいかず、撮影日数も3日間でしたので煙に時間を割くわけにもいかず。なのですが、後日ネットで「煙」や「鳥」の動画素材を販売している夢のようなサイトを発見しまして重宝しました(笑)。
ーー煙に関しては、冒頭のシーンから喋り出したりと実際に撮られたものではないと判別しやすいのですが、引きの画に映る上空の鳥は実際には飛んでいないと明らかにわかるような付け加えられ方もあれば、実際に飛んでいる鳥もいますよね。
渡邊:偶然、写り込んだ本物の鳥もいます。ただ合成の鳥に関しては、実際現場で飛んでいた鳥に見えるよう試行錯誤したのですが、僕の技術だと取って付けたような感じにしかなりませんでした(笑)。それであえて書割のような鳥が飛んでいる演出に切り替えたのです。それは四宮さんと映画全体の色調を決めるカラコレ(カラー・コレクション)の相談をする中で着想したことですが、私的には功を奏したと思っています。
上野:『ECTO』はものすごく広い画で構成されていることもあって、遠くに映る自然の生物や俳優たちの姿が肉眼ですら見えなくても、拡大していけば確実に存在しているんですね。だから完全にそれらの存在を消すためには、カメラの微細な揺れに合わせた対応が必要で、フレーム単位で何かを消すたびにできた穴の埋め合わせに、少なくとも1ヶ月ぐらいはかかったんじゃないかと思います。
渡邊:リチャード・マシスンの『地球最後の男』じゃないですけど、とにかくこの映画に出てくる人物は染谷将太と川瀬陽太、佐津川愛美の3人のみで、閑散とした世界を描くことに固執していましたので。後半のシーンで川瀬さんが挨拶をする謎の男が登場しますが、あれは『シャイニング』(1980、スタンリー・キューブリック)のハイライトのように、現実に侵食してきた悪霊たちなんです。「たち」と言っても予算の関係でひとりだけですが。ポスプロでバレ消ししてしまった植物館の職員の方々も編集で残しておけば、冥界から大挙して悪霊が現れた場面になっていたかもしれません。失敗しました。
川瀬:何だかユーロトラッシュ系の監督にインタビューしてるみたいだな(笑)。
渡邊:予算感や撮影日数に抗って詰め込み過ぎると、後々、辻褄合わせの編集作業になって落とし所を見失うという(笑)。