北海道・根室の海浜を舞台に繰り広げられる圧倒的な音像を伴った映画作品『TOCHKA』が、いま奇妙な広がりを見せている。本年度の東京国際映画祭(日本映画ある視点部門)への出品を皮切りに、まもなく始まる渋谷ユーロスペースでのレイトショー公開、映画の音源を再構築して作られたサウンドトラックのリリース、chihei hatakeyamaやHOSEらが登場したイベント「TOCHKA NIGHT」の開催など、映画作品のミニマルな佇まいとは裏腹に、その周辺は何やら慌ただしい。 そんな慌ただしさのまっただ中にいる松村浩行監督からお話を聞く機会を得た。途中からは配給・宣伝を担当する吉川正文氏にも同席いただいて、話は現在のインディペンデント映画を取り巻く状況にまで及ぶ。 なお、映画づくりの核心について触れている部分を12月10日発売予定の本誌32号にて掲載します。

――松村監督ご自身の書かれた作品解題に、学生時代に関わりのあった仏文学者の石井直志さん、それから幼少期を過ごした根室というふたつの固有名が映画のきっかけとして挙げられていましたが(『TOCHKA』と二つの固有名詞)、企画のはじまりについてもう少し詳しく教えていただけますか?

松村まず資金面では、7年くらい前に映画美学校の映画祭で『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』(02)という作品が作品賞に選ばれて、助成金というかたちで賞金が出たんです。そのお金を使って映画を一本撮ろうというところから企画は始まりました。途中で停滞していた時期もあって、そのときは周りの人も企画がポシャったと思ったでしょうけど。だから足かけ7年の企画ということになりますね。解題の中に書いている映画のきっかけというのはかなり早い段階での話なんです。そこから何か広げられないかなという思いがずっとあったんですね。それで一度根室に行ってみようということで北を目指したんです。

――そこで根室の荒涼とした風景に出会ったときにこの作品のイメージが固まったのですか?

松村はじめはもっとシンプルだったんです。ある種の舞台表現とか身体表現に近いもの、もしかしたら舞踏みたいなものをイメージしていたかもしれないです。ひとりの男がトーチカの中にいる。そういう時間がずっと続く。そこにひとりの女がやって来る。ろくに話もせずに女は立ち去る。それでだんだんと夜になってきて、囁き声が聴こえてくる。そして最後にトーチカが瓦礫の山となって崩れ落ちる。そういう非常に「前衛的」なものを考えていたんです。
はじめはセットでいいと思ってたんですよね。いま言ったようなスタイルの映画なら千葉の海岸あたりに作ったベニヤのセットでも成立したかもしれない。風景を抽象化した書き割りのようなかたちでね。でも実際に根室に行ってそれができなくなってしまったんです。場所にだんだん引きずり込まれていったんですね。構造だけをどこか別の場所に移し替えるんじゃなくて、もっと土地に根差したものと自分とをどのように切り結ぶかみたいなことの方が面白いなと思ったんです。物語自体もそういうふうに変わっていったと思います。撮影場所を一ヶ所に決めて、そこでしかできないことをしようと思って今のような物語に移り変わっていったのかな。

――すると気になるのは、なぜいわゆる「プロの俳優」である藤田陽子さんと菅田俊さんのふたりをキャスティングしたのかということです。

松村僕は今までプロの俳優とやったことがなかったんです。それで一回やってみようと子供のように思ったということがまずあります。もうひとつは、そうしたほうがこの映画についてはうまく届くんじゃないかというような気がしたんですね。それはお芝居の上手い下手じゃなくて、誤解の多い言い方かもしれないけど、その方が観客に対して開けるんじゃないかと思ったということです。
ただ脚本は当て書きではないです。菅田さんについては黒沢清監督の『ニンゲン合格』(98)での印象でスタッフから勧められたんです。そのお名前が出てから急に映画が膨らむところがあったのでお話をさせていただきました。藤田さんについては、ちょうどそのとき井口奈巳監督の『犬猫』(04)が公開されるちょっと前くらいだったんです。当時ファッション誌の「装苑」にモデルとして出ていた藤田さんの印象があって、制作の女の子に雑誌を見ながら「藤田さん、いいかもしれないね」という話をしていたら、『犬猫』に先を越されたんです(笑)。

――シナリオを渡したときのふたりの反応はどういうものだったのでしょうか?

松村藤田さんについてはシナリオをお渡しした次の日にメールをいただきました。「酒が抜けたので読みました」って(笑)。そのメールの印象では事細かな反応はなかったんですが、ちょうど昨日(編註:10月19日)東京国際映画祭の舞台挨拶の打ち合わせのときにお話を伺ったら、非常に説明不足な印象を持たれていたらしいですね。行間を埋めていかなければならないことに対して不安に思われていたようです。でもそこに面白さも感じてくれたということでした。
菅田さんはあまり細かな感想をその都度言われる方ではないんですが、紹介していただいた女優の中原翔子さんを介して「読みました。やらせていただきます」と仰ってくれました。これも昨日ご本人からお聞きできたんですが、シナリオが手強いな、飲み下しにくいなという印象があったそうです。

――その後はどのように撮影準備を進めたのでしょうか?

松村現場に入る前に東京で半日くらい話し合う時間を作っていただきました。そのときに僕が考えていることをすべてお話ししたんですが、おふたりの反応が面白かったですね。藤田さんはものすごく貪欲にこちらの解釈を求めるんですね。一方の菅田さんは「いちおうお話は伺いますけど役者はやるだけです」というスタンスだったんです。おふたりを前にしてどちらにどう合わせればいいのか(笑)。ただ藤田さんと菅田さんと膝を交えて向き合う時間があって、そこで一緒に映画を見ることができたんです。

――映画というのは?

松村僕が持参したんですが、小津安二郎の『秋刀魚の味』(62)です。何のアレもないんですけど、いや本当はあるんですけど(笑)、僕の好きな映画をひとつの経験として一緒に見たらどうかなと。台詞回しが小津調になったらどうしようかと思ったんですが、それはなかったですね(笑)。

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