サッシャ・ギトリにおける演出とは?

坂本安美

「ギトリのスタイルは、何よりも生き方であり、在り方である。」(ジャン・ドゥーシェ)

逸脱する人

 夫であり、同志であった梅本洋一が亡くなってから10年を迎えるにあたり、彼の仕事にあらためて光を当てるためになにができるか、なにをすべきか、仲間たちと相談を重ねてきた。梅本の遺稿をまとめてシリーズとして出すことを検討するも、それはまた近い将来に実現していくことを誓いつつ、まずは梅本の代表的な著書のひとつである『サッシャ・ギトリ 都市・演劇・映画』の増補新版を出すことに決まる。ソリレス書店の衣笠真二郎氏が版元として本企画を全面的に引き受けてくれることになり、そこに梅本の愛弟子のひとりで「Nobody」初代編集長の黒岩幹子が助っ人に入ってくれた。それぞれ他の仕事も抱え、多忙な身でありながら、一カ月に一回は必ず定例会を開き、時に(いや毎回…)ワインを片手に、増補部分についてアイディアを出し合ったり、フランス、日本の識者、関係者の皆さんに協力を要請したり、全体の構成を練ったりしながら、数年かけて少しずつ、少しずつ形になってきた本、その本がようやくこの4月25日に出版された。

 本書の初版あとがきで、梅本が記しているように、1990年の当時、サッシャ・ギトリは日本ではほとんど未知の固有名詞であった。それにも関わらずこの本は渋沢・クローデル賞LVJ特別賞を受賞するなど、梅本洋一ならではの仕事として高く評価されてきた。演劇を専攻し、パリで博士号を授与された後、演劇批評、映画批評をほぼ同時期に開始し、スポーツ、料理、そして建築や都市論についても多くの文章、著書(『映画旅日記 パリ ‐ 東京』や『建築を読む - アーバン・ランドスケープ Tokyo‐Yokohama』など)を遺した梅本洋一は、それら様々なジャンルを自由に横断し、境界をおおらかに逸脱しながら、変化し続ける世界へ視線を向け、その思考を運動させてきた。その梅本がサッシャ・ギトリという存在と出会ったこと、それはどこか必然であったのではないか、この本を何度も読み返し、そしてギトリについて知るようになればなるほどそうした思いを抱くようになる。本書Ⅲ章「語られるべき人」で梅本は、詩、演劇、画家、映画と多くのジャンルを越境し続けたジャン・コクトーや、演劇、映画の間を往来したマルセル・パニョルとともに、ギトリを「逸脱する人」と定義している。「ジャンルを逸脱する人の名を歴史は記述しようとはしない。映画作家でもあり、劇作家でもある人、映画人でも演劇人でもある人を歴史は好んで取り上げようとしない。(…)歴史とは、極めて形体的、内容的なものの連続として捉えられるものであり、姦通物と歴史的主人公を主題として数多くの作品を戯曲と映画として残した者など、歴史が扱うエクリチュールの対象にはなりえない。逸脱者は、歴史の中で、公認された歴史の中で自らの場を失うことになる」。私生活そのものが舞台化され、そしてその演劇からも逸脱し、映画の世界へと入っていったサッシャ。また時代、歴史の中にもサッシャの身体は漂流していく。しかしそうした逸脱者であったことが、まさにサッシャ・ギトリという人物を追うことの醍醐味であり、そして梅本洋一という書き手だったからこそ、その漂流に、その運動の中に入って行き、その人生の、創作の持つ豊かなうねりに身を任せて、本書が書き進められたのではないか、そんな風に想像したくなるのだ。

完全なる作家

 「不遇の映画作家の中で最も高名な者、いや、もしくは最も高名な不遇の映画作家になるのが、サッシャ・ギトリの運命のようだ」。オリヴィエ・アサイヤスは本書に寄せてくれた文章をこのように始めている。「サッシャ・ギトリなど日本人にはほとんど未知の固有名詞である」という梅本の言葉を先ほど引いた。20世紀前半の演劇界の大スターであると同時にパリ社交界の有名人でありながら、実はサッシャ・ギトリの映画作家としての仕事は、本国フランスでもいまだにそれほど知られていない。たとえば同時代の映画監督たちやギトリを敬愛してきたヌーヴェルヴァーグの作家たちに比べて、映画作家ギトリの重要性が充分に論じられてきたとは言い難い。まだ駆け出しの若き映画批評家であったフランソワ・トリュフォーが映画作家サッシャ・ギトリについて「チャーリー・チャップリンと同様に、自分で脚本を書き、演出し、演じる、完全なる作家」と評し、自らが監督になった後も、生涯にわたり全面的に擁護し続けた。またアラン・レネやジャン=リュック・ゴダールもギトリへの深い敬愛の念を示し、それぞれの作品の中でオマージュを捧げ続けた。そしてギトリの映画にある種の躊躇を示していた映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」も1965年にサッシャ・ギトリとマルセル・パニョルの大々的な特集を組むことに。特集上映や関連書籍が少しずつ増えていき、その流れの中、1993年にロカルノ国際映画祭、それに続きパリのシネマテーク・フランセーズで全作回顧上映が開催され、こうしてはじめて映画作家ギトリの全貌が紹介されることになった。日本でも、本書初版発表後、梅本自身が定期的に開催していたシネクラブやフィルムセンターなどで代表作『とらんぷ譚』などが上映され、少しずつサッシャ・ギトリの映画が知られるようになっていった。そして今年3月、本著の刊行を記念して、シネマヴェーラ渋谷で14本のギトリ作品が上映され、ようやく本格的なサッシャ・ギトリ特集が開かれた。さらに本特集では、クリス・フジワラ氏、濱口竜介監督をお迎えし、ギトリ映画のエッセンスについてそれぞれ素晴らしいお話をお聞きすることができた。その貴重なトークをここに採録することをご許可下さった両氏、そして特集を開催下さったシネマヴェーラ渋谷の皆さんに心から感謝申し上げたい。

言葉が映像を生み、映像が言葉を生み出す

 フジワラ氏はギトリが1935年まで、本格的に映画製作に携わり、トーキー映画を撮り始めなかったことについて、「私が映画に求めるのは、演劇ではできないことなのだ」というギトリの言葉を引用し、「ギトリは演劇をただ再現するだけの映画を求めてはいなかった」とし、「そのことは『幸運を!』(1935)など初期の作品から確認することができる」と述べる。1934年、ギトリはその自伝『もし私の記憶が正しければ』で演劇について以下のように述べている。「残念ながら、舞台は美しいだけでは足りない。それでも舞台は「良いもの」でなければならないとされる。この言葉は、実のところ、演出されるために必要なことをあまり語っていない。多くの立派な舞台でできていないのだが、舞台とは、それを聞いている間に、見られるように作られるべきなのだ」。トーキー映画を製作する一年前に書かれたこの文章はまさにギトリが映画に期待していたことを定義していると同時に、ギトリ映画の深遠な意義を明らかにしていると言えるだろう。なぜならギトリの映画では聞くことと見ることの絶え間ない往来が真の問題となるからだ。そのことによって登場人物たちは自分の存在を知り、確認し、確固たるものにすることがようやくできる。つまりそこはつねに演出の場であり、能動的あれ受動的であれ、ギトリの映画では誰もが「演出家」になる。
 ギトリはトーキー映画がサイレント映画と異なる性質を持っていることを真に理解した最初の映画作家だった(ジャン・ルノワールやマルセル・パニョルもそれを予見していたが)。ギトリは、トーキー映画に着手してすぐに、造形的なドラマトゥルギー(作劇術)が映画のすべてではなく、演劇的ドラマトゥルギーが映像に劣らない映画的な力を持つことを理解する。演劇的ドラマトゥルギー、それはつまり話し言葉やその声に、密度と厚みを持った現実としての存在を与えること、それらを映画の素材、マチエールとして扱っていくことだ。こうしてギトリ映画では言葉が映像を生み、映像が言葉を生み出すのである。ゴダールからユスターシュ、レネ、トリュフォー、ドゥミ、そしてロメールやリヴェットまで、つまりフランスの現代映画がどれだけギトリの教訓を記憶し、彼に多くを負っていることか。尚、ギトリの人生、そして創作における「声」の重要性は本書の核となるテーマでもあり、梅本の筆致がとりわけ生き生きと感じられる箇所でもある。第Ⅷ章「声の形而上学」、そして第Ⅸ章「語ることの愉しみ」では、『祖国の人々』や『夢を見ましょう』を例に挙げ、ギトリの「声のダイナミズム」を語っているので、ぜひお読みいただきたい。そしてギトリの「めくるめく語りの流れ」については、増補版で青山真治監督が「映画史上ほとんど類を見ない卓抜なものであり、だからそれは演劇と映画という領域の違いなど無効化してはるかに超えているものだと言わねばならない」と論じている。青山監督のこのすぐれた論考もぜひご一読頂きたい(さらにギトリの作品を見てもらい、語り続けてもらえないことは無念でならない…)。

思想としてある演出

 ギトリの映画は演出の明白さを強調し、それをドラマトゥルギーの中心とする。演劇的演出、それがギトリの映画を構築するベースとなっている。「ギトリが私たちに見せるのは、登場人物たちの実生活から見た演劇的演出に関するものであり、彼はまるで、登場人物を実在の人物であるかのように、演劇的に生きている実在の人物であるかのように示す」というフジワラ氏の言葉、そして濱口監督の「それ自体演劇として映画を撮ることは誰にでもできるわけではない。それはギトリが成し遂げたこと」という言葉はそれぞれそうしたギトリ映画の真髄を言い当てているだろう。
 たとえば演劇における舞台設定、舞台においてどこに身を置くかという問題はギトリ映画にとって非常に重要である。自分の場所を知ること、それを勝ち取る、あるいは失うこと、実力で、あるいは偶然に手に入れる、それを望むか拒否するか、ギトリの作品が拠って立つ人間喜劇の核心とはそのようなものである。それは使用人であれ、主人であれ、そして役を与えられた俳優にとっても同じ問題である。ひとたび場所や役が与えられると、どのように動き、移動し、入ったり、出たりするか、自分をどう紹介するか、他者をどう誘惑するか、プレイ(遊戯、ゲーム、演技)の中でどのように演出するか学んでいかなければならないのだ。世界の仕組みに関する多かれ少なかれ面白い考察、そして非常に滑稽なものから苦い、辛辣なものまで、人生に関するギトリの考察は、このように演劇という仕事、メチエの基礎、根本原理から出発しているのだ。

 蓮實重彦氏が寄せて下さった本書の帯文には「ギトリというからには、全部見なければまったく意味がない」という言葉が刻まれている。監督第一作とよべる『祖国の人々』(1915)から、遺作『犯人は三人組?』(1957)まで、サッシャ・ギトリ作品を追っていくことで、ギトリ映画に一貫して存在する幾つかのテーマ(ドキュメンタリーへの愛、声、扉、分身、二重化、演劇としての人生…)、俳優、スタッフへの深いリスペクト、そしてまた時代の荒波や移ろいゆく人生の中で変化していった作品のトーンや人間描写、死生観が、ひとりの作家の生の軌跡として確認できる(増補版では、人見有羽子氏のサッシャ・ギトリの略歴、そのほか仲間達による各作品の解説を読んで頂くことでギトリのそうした軌跡を辿って頂けるだろう)。そしてまた19世紀後半から20世紀半ばまでの大文字の歴史、芸術史、ほぼギトリと同時期に誕生した映画というアートが、この特異な作家とともに変革していったその証を確認することもできる。そうした意味で、蓮實重彦氏の言葉はきわめて正しい。しかしまずは本書を手に取り、サッシャ・ギトリという「複数の身体」に出会ってほしい。そしてこの本を導き手に、一本でもギトリ作品に触れて頂ける場を作り続けていきたい。いつの日か、ギトリ映画全作を紹介できることを願いながら。

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