特集上映「知られざるサッシャ・ギトリの世界へ Bonjour, monsieur Sacha Guitry」
クリス・フジワラ×坂本安美『幸運を!』アフタートーク 2022/3/12@シネマヴェーラ渋谷

坂本安美(以下、坂本) 以前より、サッシャ・ギトリがお好きだとお聞きしていたクリス・フジワラをお迎えして、ギトリ映画の魅力、そしてアメリカ映画との接点などもお聞きできればと思っております。今、皆さんにご覧いただきました『幸運を!』はギトリが1935年に撮った作品であり、同年、この前に『パストゥール』も撮っていますが、1915年に発表した初映画作品『祖国の人々』の後、なんと20年もの月日が経て、再び映画を撮り始めています。何故ギトリはそこまで待ってから映画に戻ってきたのだと思われますか?

『パストゥール』

クリス・フジワラ(以下、フジワラ) フランスでは1920年代末から1930年代の初めにトーキー映画が製作されており、『パストゥール』(1935)の5〜6年前にはトーキー映画がすでに上映されていました。しかし、ソ連や日本では、『パストゥール』と同じ時期の1935年ごろまで、サイレントからトーキーへの移行を待たねばならなかったことを考えますと、とても興味深いです。それはたんなる偶然だったのか、あるいは映画のなにか普遍的なシンクロニシティと関係があったのか、ということも考えられるかもしれません。ギトリは1930年代の初め、あるいはそれ以前に、「私が映画に求めるのは、演劇ではできないことなのだ」と語っています。つまり彼は、演劇をただ再現するだけの映画を求めてはいなかったのです。
 私たちはそれを『幸運を!』(1935)で見ることができます。まさに作品の冒頭から、映画でしかできないことが確認できます。非常に短い5秒ぐらいのショットが続き、次いで別の人物へと切り替わるのですが、それもまた5秒ほどの速いリズムで切り替わっていきます。それは、純粋に映画的な表現です。
 しかし、ギトリのいわゆる演劇的な映画においても、そうした映画的な表現は行われています。ご存知のように、ギトリは二種類の映画を撮っていました。『夢を見ましょう』(1936)などの、すでに劇場で上演していた自分の戯曲をもとにした作品と、『幸運を!』のような映画用に構想された作品です。『幸運を!』は映画のためだけに作られた最初の作品でしたが、当時、ギトリの父が主人公を演じて大成功を収めた舞台がもとになった『パストゥール』にもまた、そうした映画的な表現が見られるのです。いわゆる演劇映画であっても、作品の作り方、映画の見せ方において、映画にしかできないことがあります。ある意味、ただ映像化された演劇を見ているわけではないのです。映画をそのように作ることも可能でしょうが、ギトリはそれを行うことはしません。ギトリが私たちに見せるのは、登場人物たちの実生活から見た演劇的演出に関するものであり、彼はまるで、登場人物を実在の人物であるかのように、演劇的に生きている実在の人物であるかのように示すのです。

坂本 先ほど『祖国の人々』の話をしたときにも触れたのですが、ギトリの映画では、映画という装置やからくりを映画の中で見せることがあります。『幸運を!』以降のいくつかの作品において、最初にまずギトリが出てきて、「これから始めます。まずは出演者を紹介します」といったように、映画の装置じたいを見せてしまうシーンがあります。『幸運を!』の中でも、そういったシーンが見られるのではないかと思います。たとえば車のシーンで、「前を見てごらん。まるで映画を映しているみたいだろう?」というふうに話しているところなどです。こうしたシーンについてどう思われるか、お話いただけますか?

『祖国の人々』

フジワラ そうですね。私が思うに、ギトリの、映画にたいする距離感、また人生そのものにたいする距離感が関係しているのではないでしょうか。しかし、なによりもまず、映画にたいしての距離感が関係しているのだと思います。のちの作品のプロローグ・シークエンスについて触れられておりましたが、そのいくつかは本当に驚くべきもので、あらゆる映画のなかでもっとも素晴らしいシーンの一つだと思います。その中でもっとも注目すべきことは、ギトリが自分自身を表現していることです。彼はサッシャ・ギトリと名乗ります。たとえ、あとで自分が映画の登場人物になるとしても、彼はカメラを構え、「ここがスタジオです、彼が撮影監督です」と、みんなを紹介します。それはある意味で、映画の外側に自分を置く方法なのだと思います。いわゆる、現実としての外に自分を置くことから始めるのです。もちろんそれが現実の彼というわけではないのですが、自分を現実のサッシャ・ギトリとして提示するのです。そして、これがあくまで映画であること、映画はこうして作られているということを提示し、観客を映画の外へと連れて行くのです。
 そして、先ほどあなたが言及された『幸福を!』の車内のシーンでは、似たようなことが行われていると思うのです。まったく同じというわけではないのですが、ある意味では似ています。というのも、この運転シーンは、みなさんもよく覚えていらっしゃると思いますが、動いている車の視点から道路を撮影しただけの美しいショットです。そして、ギトリとジャクリーヌ・ドゥリュバックの声が聞こえてきます。そこで彼は、映画がどのように作られるかについて話します。どうやって撮影するのか、ということですね。車の中にカメラを入れて、音声はその後スタジオで録音するんだ、ということを語ります。そして、ここで語られていることは、まさに分離という先ほどと同様の原理であり、とても似ているあり方なのです。ギトリは、映画製作の世界から自分を切り離します。「彼らはこうやって撮っているんだ」「彼らに聞いたんだが、映画のプロはこうやって撮っているんだ」と語りますが、続けて「私はただのアマチュアなんだ」と語るのです。これは、彼が映画監督としてのキャリアをスタートさせたばかりの頃に行った、ある意味驚くべき身振りでしょう。
 また、このシーンでは、ショットの視点が、車内のギトリの視点として撮影されており、事実上、彼は観客と一体化しています。彼は映画館で、この道路の展開を見守る、私たち観客の中の一人になるのです。こうした、作家と観客の一体化は、ギトリにとって非常に重要な意味をもちます。というのも、彼はこのことについてよく話しているからです。彼の映画や戯曲の多くには、観客のルールや、見ることに関する多くのセリフがあります。たとえば1947年に彼が書いた本の中で次のように語っています。「私の考えでは、劇作家は人生を前にしてたんに観客であるべきだ(J'estime qu'un auteur dramatique doit, devant la vie, n'être qu'un spectateur.)」。
 そして、本特集で上映される『新しい遺言』(1936)のなかで、先ほどのセリフとは同じではないですが、似たようなセリフが繰り返されています。ギトリは、映画の登場人物として、あるとき他の登場人物に「観客になろう」と語ります。言い換えれば、「自分の人生の前で、観客になったつもりで自分に起きていることを見てみよう」と。観客の力についての理解、その力にあらためて価値を与えることは、ギトリの映画にたいする考え方にとって非常に重要だと思うのです。こうしたセリフは演劇でも機能するでしょうし、もちろんそれらはもともと演劇の観客にも機能していたはずなのです。しかし、映画館にいる観客にとって、それは新たな方法で機能します。なぜなら私たちが見ているのは、過去に撮影されたイメージだからだと思います。私たちが見ているのは、つねに何度も繰り返し上映されている映画なのです。私たちは、スペクタクルとしての人生それじたいを見ているというよりも、人生の写真的なイメージを見ているのです。そして、観客の価値、観客の役割、映画を見ることの重要性は、映画において、二重に意味をもつことになるのだと思います。
 そしておそらく、これは作者と観客との一体化と関係があるのでしょう。たとえば、あの車のシーンにおける映画の可能性は、映画作家が観客席に座って自分の映画を見るという可能性です。つまり舞台に立つ人間は、客席にいることが不可能な劇場にくらべて、映画館では、観客が本当の意味で、作家としてのギトリの立場に身を置き、同一化することをできるわけです。
 そして、先ほど話したことですが、『幸運を!』のシーンは、もちろんトイレに行きたくなったら見逃してしまうくらいとても短いシーンですが、それはあなたがおっしゃるように、とくにゴダールを想起させるもので、それじたいが丸ごと物語となる、映画のあいだのある種の場所について考えさせます。あのシーンはゴダール的です。それは一つには『中国女』(1967)冒頭の字幕における「今まさに作られているところの映画(UN FILM EN TRAIN DE SE FAIRE)」という考え方のようなものです。それは、私たちが見ているものです。観客は、ギトリとドゥリュバックが映画を作っているところを見るわけですが、おそらくパリからモナコまで一緒にドライブして、モナコで他のシーンを撮影したのでしょう。この映画は、ある意味、自分自身が作ったドキュメントのようなものなのです。そして、それはゴダールのもうひとつの発言、「すべてを注ぎ込まなければならない(Il faut tout mettre)」にも通じるものです。それは、ゴダールが『中国女』と同時期の記事で書いていた文章の中で語っていたことです。「一本の映画の中に、あらゆるものを取り込まなければなければならない(On doit tout mettre dans un film)」。ギトリは、ヌーヴェルヴァーグ以前のどのフランスの映画作家よりも自由の精神を体現しているかもしれません。この自由は、ゴダールが「〜しなければらならない(doit)」と語るように、権利、つまり義務感さえも自らに与えるのです。そうすれば、自分の頭に浮かんだことのすべてを、作品にぶつけることができるようになります。「このショットは、もし私たちが好きな映画の中だったら、本当にこう撮るだろうな」と。

坂本 最後の方の作品まで、そうした傾向があると思います。他の作品に触れる前にもう少し『幸運を!』の素晴らしさについて語り合いたいのですが、この作品はロードムービーですよね。この数年前に、アメリカで『或る夜の出来事』(フランク・キャプラ/1934)という映画史においてもエポック・メイキングな作品が作られますが、果たしてギトリはそういった作品は見ていたのでしょうか。どうしてロード・ムービーを作ろうと思ったのでしょうか。クリスさんはどう思われますか?

フジワラ ロード・ムービーという言葉は、おそらく1930年代にはなかったと思います。しかしアメリカでは、ある場所から別の場所へと移動する人々を描いた映画がたくさんありました。『幸運を!』のちょうど一年前に作られた『或る夜の出来事』が有名です。しかし、たとえば、『家なき少年群』(ウィリアム・A・ウェルマン/1933)など、旅人や移動する人々を描いた映画もありました。『仮面の米国』(マーヴィン・ルロイ/1932)などもその一例です。もちろん、チャップリンの映画も、『モダン・タイムス』(1936)以前の作品は、ある意味そうした移動がテーマになっています。浮浪者の役は動き回る人物です。ギトリはチャップリンが好きでした。ギトリは、映画に反対していた時期であっても、素晴らしい映画は見に行っていたようです。彼が映画について語るときは、おもにアメリカの映画を挙げていました。
 ある意味『幸運を!』は、アメリカ映画とは違う、フランス流アメリカ映画だと言える作品です。その意味でヌーヴェルヴァーグの映画とも比較することができるでしょう。1930年代前半のアメリカ映画には、特別なリズムがあり、登場人物の奇抜な感覚や、背景の人物がいかに現実にいる人々に近いかというような、特徴的な感覚があります。たとえば『幸運を!』でドゥリュバックの婚約者(アンドレ・ニュメス・フィス)がトランプゲームをしている場面や、他の女性と一緒にいる場面などは、すべてカットバックで示されています。あのショットの中で短く映し出されている世界は、現実にある世界と近く、こうした関係は、1930年代前半のアメリカ映画においても、非常に近いことが行われています。
 それから以前、ギトリを特徴づけるのは、台詞の質や登場人物、とりわけ主役二人のやりとりの質だという話をしました。ギトリの作品は、いわば直接的に会話している人同士の反応や反応性で成り立っている映画であるように思います。たとえば、『夢を見ましょう』という、戯曲が元になっている素晴らしい作品が挙げられます。この映画の中でギトリは、登場人物の一人として、とてもとても長い、信じられないほど長いスピーチをします。彼は一人の同じ女性に向かって話し続けます。要約すれば、彼は自分と一緒に寝ようということを語っているのですが、これを言うのに10分くらいかかるのです。ギトリは、「何も言わないで、あなたがノーと答えるのが怖いのです、だから、何も言わないで」、と話しつづけます。しかしここで肝心なことは、実は彼女の反応なのです。この場面で、ドゥリュバックの素晴らしいクロースアップが挿入されます。話しつづけるギトリのカットが彼女へと切り替わると、彼女の顔はデクパージュの中であらゆる重要性を持ちます。彼が話しているにもかかわらず、じつは相手の女性の反応が肝心なのです。すべては彼女のためにあり、すべては彼女が何を言うか、何を言うことができるかという点からデザインされているのです。

坂本 あと5分ということで、あっという間なのですが、ちょうどジャクリーヌ・ドゥリュバックの話になったので、最後はぜひ彼女の魅力についてお話していただきたいです。ギトリは5回結婚しているわけですけれど、一人一人が彼のミューズでもあったということが、この本(梅本洋一『サッシャ・ギトリ――都市・演劇・映画(増補新版)』)でも書かれていますけれども、ジャクリーヌ・ドゥリュバックが一番好きだ、という人がけっこう多いんですよね。そうしたことをおいても、やはり彼女が一番映画的な女優だったのではないかな、というのが今のクリスさんのお話からも感じられたのですが、ドゥリュバックの魅力についてお話しいただけますか?

フジワラ 彼女について言えることですか、そうですね。なんといっても、私は彼女の声にとても魅せられました。どこの訛りなのかはわからないのですが、彼女の「r」のアクセントでしょうか。彼女はときどき、喉の中で鳥が鳴いているような声を出すのです。とにかくギトリとドゥリュバックのふたりは互いに独特の会話の方法を作り出していきます。ギトリの映画は書かれた言葉、彼が愛するフランス語で書かれた言葉に多く依拠しており、ギトリは素晴らしい書き手であり、その美しい言語が映画によって伝えられていくのですが、しかしそれでも、ギトリの映画のこの上ない愉しみは、とくにギトリとドゥリュバックの共演を見ることの喜びは、ほとんど言葉にならない言葉でのコミュニケーションにあります。とくに『カドリーユ』などで行われているコミュニケーションはもっともそれが推し進められ、彼らは、言葉を発するのではなく、喉で音を出して会話をしているのです。

坂本 ほとんどスクリューボール・コメディのようですよね。

『あなたの目になりたい』

フジワラ そうですよね。そしておっしゃるとおり、のちの女性たち、他の妻たちはドゥリュバックとは同じような関係ではありません。リズムがまったく違うのです。例えば、『あなたの目になりたい』(1943)のジュヌヴィエーヌ・ギトリとのやりとりは、もちろんプロットの暗さと同調しているのですが、もう少しゆっくりでより荘重なものになります。またギトリの最後の妻となるラナ・マルコーニは、『役者』(1947)のときがギトリとの初共演だったのですが、『役者』の中でマルコーニは、うまく喋ることができないとか、女優として失格だとか、そういうことが強調されています。それは、実際のマルコーニのことではありませんが、いずれにせよ、ドゥリュバックとの軽妙なやりとりとはまったく異なるものとなります。

坂本 ギトリの人生と、そのとき付き合っていた女性、どちらがどう作用しているかわからないながらも、その女優たちで彼のフィルモグラフィーを語ることができるし、その逆もできるかなということが、まとめて特集していただいて見ていただくと見えてくるのではないかと思います。ギトリの魅力をもっともっとお話しいただきたいのですが、次の上映の準備がありますので、最後、言い残したことなどありましたらお願いします。

フジワラ ギトリがこのように多くの名作とともに日本で再発見され、知られるようになることは本当に素晴らしいことだと思います。実は、本国フランスでも映画作家として評価されるまでにはだいぶ時間がかかっています。彼は戦争中に対独協力者として告発され、のちに、法的には潔白であることが証明されましたが、そのことで、戦後あまり評価されず、あまり好まれませんでした。ギトリは有名な大スターでしたが、「カイエ・デュ・シネマ」でさえ、ギトリを映画作家として評価することを躊躇していました。ギトリを支持し続けたのは、トリュフォーだけだったのです。そのギトリが本格的に評価されるようになるのは、トリュフォーの死後、1990年代に入ってからです。ギトリはフランスであらためて発見されていき、高く評価されるようになりました。現在、ギトリは以前よりも適切な評価を得ていますが、さらに、本当の意味で再発見され、再評価されるべき人物であると思うのです。というのも、ギトリはある意味、非常に革命的で、個性的な映画作家であり、現代の観客にこそ、新しい方法で語りかけることができる作家だからです。

坂本 クリスさん、本日は貴重なお話ありがとうございました。

通訳:藤原敏史


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