爆音収穫祭レポート

  • 「週刊金曜日」964号に掲載された廣瀬純の「闘争はその継続を爆音でささやく」というテクストは、マイケル・チミノと樋口泰人が、「映画は同一の映像・音声を共有する体験ではない」という点において重なり合う存在であると論じる。「作品を爆音で上映することで樋口が『聞こえる』と言い張る記号を無理やり聞こえるものにしようとする発狂した試み」としての「爆音上映」とは、私たちがすでに「見た」と信じていたものを、実はそうではんかったのだと、ほとんど暴力的に私たちに気づかせようとする批評的実践である。「爆音収穫祭」というタイトルを誤解してはならないのは、これが決して「収穫されたもの」を愛でるための品評会ではないということだ。収穫しなければならないのはほかならぬ私たち観客である。 

    ということで、先週土曜から吉祥寺バウスシアターにて開催中の爆音収穫祭について、これから断続的にレポートをお送りしたい。 本来ならばこけら落としの爆音『スプリング・ブレイカーズ』から参加したかったところだが、初日はどうしても都合つかず。ということで私の収穫祭は27日(日)の『ポール・マッカートニー&ウィングス ロックショウ』からスタート。ポール・マッカートニー&ウィングスの1976年のアメリカ・ツアーを撮影したライヴ・フィルム。兎にも角にもバキバキなポールのベースラインに身も心も委ねてしまえばよいというものだが、このフィルムのポール・マッカートニーは、その複雑な曲調に併せ、様々な時代における「ポール」の瞬間的なイメージを楽曲毎、フレーズ毎に創出しているように思えた。それはポールひとりのものによるというよりは、デニー・レイン、ジミー・マッカロクのサイケなふたりとの関係においてこそ構築されたものだったように思える。この作品に参加しているキャメラマンはエンドロールによれば14、5人だったように記憶しているけれども、要するにこのライヴのキャメラ・アングルはほぼ15種類前後しか存在していない。しかしまるでそうは見えない。というのも、ポール、デニー、ジミーの頻繁なパートチェンジが、ステージ上に視覚的な流動性を導入しているからだ。 レフティのポールと、デニー、ジミーの3人がステージ中央で正面を向いて演奏するとき、上手のポールと下手のデニー、ジミーの姿は、ちょうどステージの真ん中を境に鏡写しのような位置関係にある。年齢の離れた彼らの顔が、一種の分身的なものをステージ上に断片的に織り成しつつ、しかし突然プツッと切り離されるような感覚があると言えばよいだろうか。ポールがステージのやや隔離された場所でピアノを弾いているとき、ふとステージを見るとそこにもポールがいるような錯覚……とまで言ってしまうと極端かもしれないが、このステージの上にはそんなことも実現させてしまえるような不思議な時間感覚があった。 

    食事を獲ってなかったのでチョコチップ&バナナの爆音マフィン(180円)をつまみ、続けてウェス・アンダーソンの『ムーンライズ・キングダム』へ。 冒頭、レコードプレイヤーから流れるベンジャミン・ブリテンの管弦楽のこもった音色が、少女が窓を開けるアクションに合わせて一気にヴォリュームを解放する瞬間に、『ムーンライズ・キングダム』はこれこそが適正なヴォリュ−ムなのだと確信。

    昔宮沢章夫さんが、いわゆる「箱庭療法」の本についての文章を書いていたことを思い出す。患者であるひとりの少女のエピソードで、彼女は箱庭に人形たちを横にして並べていた。普通は人形たちを立てて配置するものだというのに、わざわざ人形を横に寝かせることを療法士たちは不思議がっていたとのことだが、少女は最後にそこに水を流し入れたという。するとその水によって箱庭の中に寝かされた人形たちがスックと立ち上がった。たしかそんな内容だったように覚えているが、『ムーンライズ・キングダム』の鉄砲水は、まさしく再生を呼び起こすための流れだ。きわめて理知的に構築され制御されたウェス世界の時空に流れ込むあの濁流は、そして雷鳴は、登場人物たちを押し流し焼き尽くすためのものではなく、絶望した彼らを再び大地に立ち上がらせるためのものなのだ。徹底してコンセプチュアルにつくりあげられた世界に吹き込まれる決定的な息吹、それがあの濁流であり、そしてこの濁流はこのヴォリュームがなければ決して立ち上がりはしないものだと知る。

    ところで終盤、少年たちが向かうレバノン島の、そのほんの少し南西に、「シュトックハウゼン島」という場所があったことに気付いた。『ムーンライズ・キングダム』は、ひょっとするとウェス・アンダーソンによる「少年の歌」に限りなく近いところに位置する何かなのではないか…という妄想もありうるだろうか。シュトックハウゼンによって徹底的に構築された世界に、ばらばらに切刻まれながら響かされた少年たちの歌声のように、あの鉄砲水と雷鳴は残酷さとともにどこかスウィートな響きのようにも聴こえてくる……のかもしれない。

     

    田中竜輔

    10/28/2013 - 02:56
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  • 見に行ってないのでレポートでもなんでもないのだが、書きそびれていたことがあったのでここで書いておく。 黒沢清の『リアル〜完全なる首長竜の日〜』という映画が2013年にあったのは私にとって象徴的な出来事で、今年映画を見るおりにふれ、たびたびその存在を考えさせられる。
    たとえば、昨日までアンスティチュフランセ東京で開催されていたアブデラティフ・ケシシュの特集上映。彼の映画を見た誰もが口にするのは、その会話の自然さや生々しさといったことだろう。だがその実現に必要なのが、いわゆる一般的に「自然な」撮影方法とはかけ離れたものだということは、映画をよく見たり、監督の言葉を少しでも聞いたりすればすぐわかる。だがケシシュの「自然さ」(より正確に監督自身の言葉を用いれば「スクリーン上の真実」)によって私が考えさせられるのは、昨今の新作映画の多くがいかに安易な自然主義によりかかっているかということだ。ここでいう安易な自然主義とは美学的な装飾のことではなく、要するに映画のなかの「リアル」を生み出す根拠を映画の外の世界から無意識に借りてきているような作品があまりに多いということ。多くのフランス映画、多くの日本映画、あまつさえ少なくないアメリカ映画にさえ、そう言える。だが、当然のように映画にとっての「リアル」とは、外の世界がどうなっているかということによって損なわれることはありこそすれ、全面的にそれだけで保証されるようなものではない。映画の「リアル」は、自然に見えることでも、もっともらしいことでも、蓋然性が高いと感じることでもない。
    完全なる首長竜のほうの『リアル』に話を戻すと、この作品内にはどれが現実なのかわからない複数の世界のレイヤーが登場する。いやもちろん、ストーリーの上ではこれが現実であるという世界は存在しているのだが、いつまたそれが反転してしまうかという不安なしに映画を見終えることなどできないし、もしかすると昏睡者の意識のなかの夢という、いちばんリアルじゃなさそうな世界の光景こそが現実なのではないか、などと深読みしたくもなる。だがこの文章で言いたいのは、いくつもあるレイヤーのどれが「よりリアル」であるかなどという話ではなくて、そのように相対化することのできないものこそ、映画の「リアル」だろうということなのだ。
    それはつまり、この作品のラストに置かれた綾瀬はるかのダッシュなのである。ブーツとひらひらしたスカートという、とても走りやすそうとは言えない格好で、彼女は海辺にそそり立つフェンスめがけて疾走する。そしてそれは本当に速い。無論、綾瀬はるかという実在の人物が100m何秒で走れるとか、彼女が昔なんのスポーツをやっていたかなどということとはまったく関係がない。カットとカット、シーンとシーンの積み重ねの上でしか獲得できないものこそが「リアル」なのだ。ともすれば手のひらからこぼれ落ちて行きそうになるものをつかみとる速度、瞬きの合間に見失いそうになるものを離さない速度。それが綾瀬はるかのダッシュにはあって、それだけで感動する。これこそこの作品が当初の予定の『アンリアル』ではなく、『リアル』というタイトルでなければいけないことへの偉大なる証明となっている。
    そして『リアル』と同年につくられた、青山真治の『共喰い』を私が支持する理由もまさにここにある。『Helpless』とほぼ同じ地域を舞台とし、同じ時代を背景としたこの作品だが、そのふたつの「昭和の最後」の光景は天と地ほどの違いがある。『共喰い』が、検証可能なデータで裏付けることができるようなディテールをほとんど放棄し、「フラットな日本人そのものの視点」(『共喰い』インタビュー参照のこと)を導入したことは、青山真治個人の演出の変化という問題にとどまらない。彼もまた「リアル」とは外部からの裏付けや保証によってではなく、スクリーンの上でその都度つくりだされねばならないものだと考えているはずだ。
    黒沢、青山両監督の2013年の新作は、原作つきの映画でなければ製作できないような現代日本映画の状況への身のふるまいを単に示しただけのものではない。そんなちっぽけな問題をこえて、世界中のあらゆる現代映画がさけてとおることのできない「世界の認識」に対しての高らかな態度表明だととらえるべきだ。

     

    結城秀勇

    10/28/2013 - 06:56
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  •  この映画の最初の台詞。綾瀬はるかが口にする、ずっとあなたと暮らしていたような気がする、といったような言葉だったろうか。その台詞がずいぶんと遠くから聞こえる声のような気がした。

     初見ではない。はじめて見たときは、途中で見ているこちらが次々と不安が増していくところがあって、よくわからないと混乱するところがあった。今回、そうした不安の所在が少し分かったような気がする。

     それは、見ているこちらが勝手にそう思い込んでいたことがあっさりと裏切られるということなのではないかと思う。

     観客は、この映画に置ける現実の世界と思われたところが「センシング」の世界であったとされた時、足下に揺さぶりがかけられる。それはミスリーディングを誘導するようにするように作られているわけで、それ自体は珍しいことではないのだけど、ただそれが不安を感じさせるのは、間違った方向に誘導されたとして、それに対する正しい方向というものがほとんど提示されないからではないか。

     改めて見てみると、はじめて見た時以上にすべてが現実性に欠けるように思えてしまう。例えば、ペンが空中に浮かびクルクルと回転を始めること、部屋の中が水で満たされていること、建物の周囲を靄が包み込んでいること、腐食した死体が目の前に突然現れること。  そして、この環境で見ると、音に関しても相当に手を加えていることがわかる。台詞の響き方、主な舞台となる部屋の中の限られた音、など。

     もちろんそれらは「センシング」という彼/彼女の意識の中の出来事ということなのであると言われてしまえばその通りなのだが、そうした事象は現実の世界と大して変わらない場所で行われているのであって、そこに違いはあるのかと言われれば説明するのは難しい。というよりも、「センシング」の外の世界が、この映画では病院のシーンなどわずかしか描かれていない。しかも、それは「センシング」で描かれた世界とほぼ違わない。

     もちろんそれがそういうものなのだという映画なのであれば何の問題はないのである。近未来映画にそういうことを求めても仕方がない。ただこの映画には、彼と彼女が戻る現実らしきものがあるのだと思う。そして、それを私たちは、彼の意識の中でしか見ることができない。

     つまり、こちらが見ている場所が絶えず崩れかける可能性を持ち、安心できない場所へと反転する危険性を常に持っているのだと思う。

     

    渡辺進也

    10/29/2013 - 04:09
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山形国際ドキュメンタリー映画祭日誌2013[結城秀勇]

  • 毎回このシーズンに山形にやってくると必ず風邪をひくので、今回は防寒に気を使ってみたら、暑い。10月だというのに半袖一枚の暑さはちょっと経験したことがない。関係ないが、実家に泊まったらくしゃみが止まらない。実家アレルギー。

    10/12/2013 - 07:02
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  • ジョシュア・オッペンハイマー『殺人という行為』。朝からけっこう混んでいる。インドネシアで1965年のクーデター後に起こった共産主義者の大量殺戮を、実際にそこで殺人を行っていた人物を集めて映画化しようとするプロセスを追う。

    10/13/2013 - 04:05
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  • ズーン ・モン・ トゥー『ブアさんのゴザ』 。老婆の持つゴザとヴェトナム戦争との見えない関係、そして彼女を取り巻く村の人々の生活を描く。

    10/14/2013 - 03:04
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カンヌ映画祭日誌2013[高木佑介]

  •  5月7日、4年ぶりの海外渡航だというのに、たいした準備も出来ないままエールフランス機に乗り込んで、シャルル・ド・ゴール空港に向かう。5月15日から開催するカンヌ映画祭の取材(と称した旅行)が今回の目的で、nobody最新号の準備もかなり中途半端に投げ出して出発してしまったのだが、まあパリでも何かしらのことはできるだろうとタカを括っている。とはいえ、日本を発つ前日に購入した廣瀬純の最新刊『絶望論』を機内で読み、いたく感銘を受けた一方で、まあ自分がパリでできることなんてたいしたものにはならないだろうと、パリ到着前からすでに己の無力さを実感。こんな心構えでパリに行っていいものなのだろうか。

    05/09/2013 - 13:30
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  •  朝9時に起床し、パリで使うプリペイド携帯を怪しい店で購入後、クレモンと一緒にモンパルナスに行く。ブルターニュ地方のチーズとハムと玉子のシンプルなクレープとリンゴの果実酒で腹ごしらえし、リュクサンブール公園を横切ってオデオン、サン・ミッシェル界隈の映画館をまず案内してもらうことに。以前、彦江さんにパリでジョギングするならどこが良いか聞いたとき、リュクサンブール公園が良いと言っていたが、たしかにジョギングには気持ちが良さそうな場所だ。クレモンが通っていたリセはこのそばにあるらしく、ジャック・プレヴェールやミシェル・ゴンドリーもそこの卒業生なのだとか。

    05/10/2013 - 10:18
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    05/11/2013 - 19:30
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Lettre pour L. [坂本安美]

週刊平凡 [梅本洋一]

nobody in Paris

「外国人である」ことと、「外国人になる」ことは異なります。人は、外国に来たからと言って無条件に「外国人になる」ことができるわけではありません。そこには何が必要でしょうか? たとえばある人は「異なった言葉や習慣、文化的背景を持つ人々の足並みに自分を合わせること」が必要だと言い、またある人は「そういった人々に自分をぶつけること」が必要だと言います。たぶん、そのどちらも正しいのでしょう。問題は、状況に対するひとつの態度を常に生み出すというアクション/リアクションなのだと思います。

私たちは、そうした「外国人になる」という経験をした多くの先人たちに羨望のまなざしを送ってきました。なぜならそうした多くの人々はその経験を通過してからもなお、自身の「母国」においてさえ「外国人になる」というスタンスを保ち続けているように感じられるからです。無為に属することのできる安定した風土の中に閉じこもって満足するのではなく、今いる場所を常に外部として見つめることから自らの態度を生み出そうとする人々ーー無論、母国に留まり続けながら「外国人」たる態度を生み出さんとしている果敢な人々も含めーー、私たちはそうした世界中の「外国人」に憧れます。

本ブログでは、様々な幸運や偶然や助力のもとにこの秋からパリでの生活を送ることになった、誰でもない3人の「外国人見習い」によるレポートをお送りさせて頂きます。憧れだけではどうにもならない、という自戒を含めて、広く開かれた記事をお送りできれば幸いです。

  •  ーーサン=ローランの人生の重要な瞬間を描きながらも、その感情に寄り添うのではなく、彼の「仕事」が精査に描かれているように見えました。たとえば、クチュールのシーンや、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ演じる妙齢の女性が彼のアトリエにやってくるシーンです。長回しでほとんどカメラの位置も変わりません。ですが、フレームの中での彼女の変化は驚くべきものがあります。

    03/17/2015 - 01:51
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  • 2014年カンヌ国際映画祭受賞結果

    パルムドール:『雪の轍 (原題:Winter Sleep)』(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン)

    グランプリ:『Le Meraviglie』(アリーチェ・ロルヴァケル)

    審査員賞:『Mommy』(グザヴィエ・ドラン) 

         『さらば、愛の言語よ(原題:Adieu, langage)』(ジャン=リュック・ゴダール)

    監督賞:『フォックスキャッチャー』(ベネット・ミラー)

     

    03/16/2015 - 10:04
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  • 5月24日

    朝からアパルトマンに泥棒が入った疑惑が持ち上がり、大捜索の末事なきをえたが、その結果午前中の上映には行けなかった……。
    今日の1本目は、リー•ダニエル『The Paper boys』。酷い。今年のコンペティション、アメリカ勢の評判はすこぶる悪いけど、これは最低だった。
    2本目は楽しみにしていたカルロス・レイガダス『Post Tenebras lux』。物語を追うことは恐らく不可能。カラックスも過激だったが、レイガダスの自由奔放さも凄い。カンヌのコンペティションでこんな作品見れるとは思っていなかったので多いに満足した。

    05/27/2012 - 14:33
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ニッポンコネクション2012 滞在レポート[隈元博樹]

隈元博樹(くまもとひろき)  映画監督
1987年、福岡県生まれ。主な監督作品に『清子とミチ』(11)『傍観者 H』(11)『わが谷は炭鉱(ヤマ)なりき』(11)など。冬口撮影予定の新作を準備中。

  • 20時30分、成田国際空港。今回上映される『Sugar Baby』(11)の撮影を担当した佐藤駿を待っている。航空会社は21時20分発アブダビ経由のエティハド航空。プレミアリーグで躍進するマンチェスター・シティのスポンサー企業らしい。機内への搭乗時刻を待ってはいたけれど、結局佐藤とは合流できないまま。しかたなくひとりフランクフルトへ向かうことに。

    機内ではモニターの番組で上映されていた『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(11)や『リアル・スティール』(11)を見て過ごした。だけどその長いフライト時間の大半は、カードゲームの「ソリティア」につぎこんでいた気がする。モニターゲームで目が充血し始めた午前4時ごろ、ようやくトランジットでアブダビ国際空港に到着。

    05/01/2012 - 14:12
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  • フランクフルト国際空港に着いたのは、現地時間の14時ごろ。到着ロビーには映画祭スタッフの黒河内麻耶さんが待機してくれていて、ヘトヘトなぼくを空港からホームステイ先まで親切に案内してくれた。滞在先は中央駅からSバン(近郊電車)で3駅ほどの「Frankfurt west」という郊外。麻耶さんはドイツ人と日本人のハーフで、英語も堪能なトライリンガル。横浜の高校に通っていたこともあるらしく、来年は日本へ留学する予定とのこと。電車で移動中のあいだ、フランクフルトの街並みの特徴や名産品、簡単なドイツ語などをくわしく教えてもらった。
     
    05/02/2012 - 14:39
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  • 午前中はフランクフルト中央駅周辺をぶらり。ドイツ最大の金融街なので、高層ビルを要したさまざまな銀行が多い。市内の中心にはユーロ圏最大の欧州中央銀行がそびえ立っている。いっぽう付近では「Occupy!」の横断幕を掲げたテント集団が居座っていた。おそらくデモが起こればこの一帯は暴徒化するのだろうか。いっぽう市内では大規模な再開発が進んでいた。あらゆる場所で工事中の看板が見受けられる。巨大なクレーン車もフル稼働中で、市内の景観や状況はここ数年で変化するのかもしれない。嵐の前の静けさのなか、シラー像のある公園の鳩たちが呑気に見えた。

    05/03/2012 - 15:20
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ニッポンコネクション2011 滞在レポート[ヤング・ポール]

今年第11回目を迎えたニッポン・コネクション。ドイツ、フランクフルトで開催されるこのヨーロッパ最大級の日本映画の祭典。今年は「nobody presents 三宅唱 special」として三宅唱監督の紹介もさせていただきました。そんなフェスティヴァルを、東京芸大大学院映像研究科第4期生であり、自身の修了作品『真夜中の羊』(10)も上映されたヤング・ポールさんにレポートいただきます。ヨーロッパの地で、この期待の若手作家は何を感じたのでしょう?

 

ヤング・ポール
1985年4月生まれ。アメリカ人の父と日本人の母を持つ。2008年日本大学芸術学部映画学科映像コース卒業。2010年東京芸術大学大学院映像研究科監督領域修了。去年は助監督だったり編集部だったり俳優部だったりしました。

 

  • 08:30東京(羽田)発 北京経由 18:10フランクフルト着の予定だったが、余震の影響で08:30発が飛んでいないと、空港のカウンターにて知らされる。14:30発に変更。本来乗り継ぐはずの便には間に合わないので、北京に1泊し翌日のフライトに切り替え。同行していた東京芸大同期の大橋礼子監督が、機内サービスでブラッディメアリーを頼んでいるのを見てやはりさすがだなと思う。北京。人気のない郊外に立つホテル。ホテルで夕食を食べ、やることもないので部屋に戻り、点けていたテレビを眺める。ダンス甲子園的な番組。気付くと眠っていた。

     

    04/24/2011 - 08:28
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  •  03:30に一度、目が覚める。眠る前とまったく同じ番組の同じ場面がテレビに映っている怪奇。08:30起床。散歩。14:00北京発。ひたすらビールとワインを飲みつつ持って来た『ファウスト』の文庫を読破。フランクフルトはゲーテ生誕の地である。しかも自分の映画の冒頭に『ファウスト』からの引用文があるので、少し恐れおののき、再読。飛行機は夜から逃げるように飛び続けているので、窓の外は暗くならならずに明るいままだった。

    04/25/2011 - 08:46
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  •  08:00起床。日本で、鳥の鳴き声の効果音をCDで探している時に、日本じゃ絶対使えないと言っていた鳴き声がそのまま聴こえる。ニッポンコネクションは明日27日から開催なので、観光。大橋さんとゲーテ像前で待ち合わせる。

    映画館に行こうということになりマーク・ロマネク監督『わたしを離さないで』(10)観る。ドイツの映画館は、エンドロールが始まると場内が明るくなり客は帰って行く。ちなみに『わたしを離さないで』もそうだったがドイツ国内で上映される映画の8割はドイツ語吹き替えらしい。ニッポンコネクションの会場まで下見を兼ねて散歩。

    04/26/2011 - 09:20
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