まなざしと接触
——本作は、冒頭から詩のような言葉から始まります。その最後の言葉である「ずっと感じていたのだ 愛のまなざしを」という一節がそのままタイトルに繋がるのですが、これはどのように決められたものだったのでしょうか。
万田 編集の最後の最後で、どういうふうに映画をまとめようかと考えていたとき、あのトンネルの絵から始まることが決まり、その前に何か言葉を入れようと、僕が書きました。我ながら上手いこと考えたなって思うのは、最後の倒置法での「愛のまなざしを」という一節がそのままタイトルになるってことですね。こういう映画なかったぞって(笑)。
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——やはり「を」というのが効いていますよね。やはりこの「まなざし」という言葉に導かれて映画を見ていたのですが、しかしそこから想起されるだろう「視線」のバチバチのぶつかり合いみたいなものは、実はほとんどこの映画では問われていません。その代わりに最も顕著なのは、「手」と「肩」による「接触」ですよね。この作品はそのような「接触」を「まなざし」に置き換えて構成された作品のようにも見えます。
万田 正しいと言えば正しい、違うと言えば違う。なぜならこのタイトルは最後の最後に決まったからで、撮影中は「抜ける」という仮タイトルだったからです。あのトンネルの絵が「抜ける」っていうタイトルだったところから借用したものですが、最終的に変更しなければとは最初から考えていました。ですから、撮影中は「まなざし」はほとんど意識していないんです。でも貴志の背中にすうっと薫(中村ゆり)の手が入ってくる場面とか、考えてみればそうやって手を置く前に薫は貴志の背中をじっと見てたはずですよね。貴志は薫にずっと見られてる、そして貴志も薫をずっと見続けている。
——「その手はいつも私の肩に触れていた」という言葉によって、観客はやはり肩に注目することになると思います。
万田 それは念頭に置いていました。最初に薫が貴志の背中に触れる。そして綾子も、まず最初に貴志の肩に手を当てる。その綾子の手を、貴志は薫の手のように感じている、そういうプランですね。
呪いから救済へ
——物語として、ラストの展開を撮影中に変更されたという話を伺っていますが、正確にはどのように決断をされたのでしょうか。
万田 撮影に入って3日目に、ラストを変更したいと仲村さんと杉野さんに相談しました。お二人とも同意してくれました。それで、5日目が撮休で、妻が新たなラストを書きました。貴志が綾子を殺してしまうという展開は変わらないのですが、綾子が貴志に自分を殺させようとする理由が大きく変わったんです。もともとは「貴志が薫に執着している理由は目の前で薫が飛び降り自殺をしたことが記憶から拭えないからだ、だったら私(綾子)がもっとすごい死に方をしてやる、だから私のことを忘れないでほしい」というニュアンスでした。もともとシナリオでは、ラストで貴志が歩いてると横断歩道の向こうにふうっと綾子の亡霊が現れて貴志が呆然とする。つまり貴志は薫の亡霊からは逃げ去った、けれど今度は綾子が取り憑いたという終わり方でした。それでひとまず撮影をスタートしたんですが、ずっと撮影に付き合っていた珠実が「何か違う」と。見ていたら綾子のことも貴志のこともかわいそうになってしまって、ふたりを救ってあげたい気持ちになったんだと。そういう理由でラストを変えることにしました。ざっくり言えば、綾子が貴志に自分を殺させる理由を「私があなたを薫の呪縛から救ってあげる」っていうニュアンスに変えたんです。
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——呪いから救いへ、となりますと、これは本当に大きな転換ですね。
万田 新しいラストにしたものの、それはそれで悩みどころもありました。一番困ったのは、ラストシーンのひとつ手前にある拘置所での貴志と茂とのシーンをすでに撮っちゃってたことです。その場面には、貴志が自分の肩に手を当てる動きがありますけど、つまりその時点では貴志の肩にまだ薫の手は乗っているわけです。でも新しいラストでは、本当は綾子が解放したはずだから、薫の手はもうないはずなんです。
それでラストシーンは地下通路に綾子が出てくると、ふたたび肩に手を当てる貴志に対し、綾子が「もう薫さんはそこにはいないんだよ」っていうふうに気付かせる流れにしました。貴志がそれに応えるのを見て綾子もすごく喜ぶ。無理くりつくったラストではありますが(笑)、でもこの変更はすごく良かったと思います。もともとの脚本で、ラストがやっぱりちょっと弱いなっていうか、よくあるお化け話みたいな展開だなとは思っていたんですよ。こういう流れにすることで綾子も救われるし、貴志もある意味で救われる。綾子と貴志の関係にひとつの決着がついたという意味で、すごく良かったなって思ってます。映画のイメージもぜんぜん違って見えますからね。
——貴志は綾子の死について「自分がはたしてそこで手を押したのかどうかわからない」と呟いていますが、監督はどうお考えでしょう。
万田 おそらく意識的には手は貸さなかっただろうなとは思います。やはり綾子が主導して、自分を刺すように持っていったのではないか。ただ、それだけではなかなかグサリとはいけない。綾子の犠牲になる気持ちに、やはり貴志も手を貸したのではないかと。ただ、貴志にはその記憶はない。それがなくなってしまったことに、自分でもどうしていいのかわからないのではないか。薫の手の感触の記憶とともに、ある種の狂気が貴志にはまだ続いているのだと思います。