キャノンフィルムズの夢と現実

——キャノンフィルムズについてのドキュメンタリーをつくろうと考えたのはなぜでしょうか。

ヒラ・メダリア(以下、HM):まずヨーラム・グローバスの息子と知り合いになりました。彼からきっといい題材になると思うからヨーラム・グローバスとメナヘム・ゴーランについての映画をつくってほしいと言われたんです。ドキュメンタリーをつくっていると、よくいろんな人にこのように頼まれることがあります。しかし、彼らはイスラエルでもとても有名な人物たちでしたから、実際に会ってみたいと私も思っていました。実は彼らとはもうひとつ接点があって、私の作品をHBOに売ろうとしたときになかなかコンタクトが取れず困っていたときがあったんです。そのときにメナへムに相談したところ、HBOとの間をとりもってくれて、結果作品を売ることができたということがありました。後から知ったんですけども、そのときに間に入ってくれたのがかつてキャノンフィルムズで働いていた人だったんですね。彼らキャノンフィルムズで働いている人たちがいまアメリカの映画業界で活躍していて、そうやって私の作品をアメリカで売る成功につなげてくれたんです。こうしたふたつのことがあって、彼らふたりに会ってみたいと思いました。実際、会ってみると、ふたりはまったく違う性格で、考え方も真逆。一緒にいてもつねに言い争っているような感じでした。ですので、キャノンフィルムズについても調べていくうちにどんどん興味を持つようになりましたが、どちらかと言うとそうしたこのふたりの性格の違いに惹かれたことがこの映画を撮ろうと思った理由です。

メナへム・ゴーラン

——ふたりと出会う前からメナへム・ゴーランの作品などはご覧になっていましたか。

HM:イスラエルで彼らがつくっていた作品というのは、毎年数回は必ず国内で放送されていましたので幼い頃から見ていました。彼らの作品はイスラエルではブレッカス・フィルムと言われているんですね。ブレッカスというのは、チーズが入っている三角形のお菓子で、安くておいしいけれども身体に悪いものなんです。キャノンフィルムズが躍進した1980年代はじめは、私も若かったのでそれほど見る機会はありませんでした。それに、実を言うと、私自身はそれほどキャノンフィルムズのアクション映画のファンではありません。どちらかと言うと、『暴走機関車』(1985、アンドレイ・コンチャロフスキー)などあまり成功しなかった作品のほうが好きなんです。ジャン=クロード・ヴァンダムの出ている作品ももともと見ていなかったですし、ニンジャ映画などのアクション映画に傾倒することもありませんでした。それよりも私が興味を惹かれたのは、経験豊富な彼らの人生です。彼らがいかに成功し、いかに失敗したのかというその経緯にとても惹かれました。彼らの資金集めの方法に関しても勉強になりましたし、人生観や映画業界の裏側の話は私にとってとても興味深かったんです。

——キャノンフィルムズは『ラヴ・ストリームス』(1984、ジョン・カサヴェテス)や『ゴダールのリア王』(1987、ジャン=リュック・ゴダール)などの製作もされています。

HM:キャノンフィルムズの成功は主に低予算のアクション映画でなし得たものです。その収益でどんどん成長していきました。しかしその一方で、それらの作品は批評家たちから酷評されていました。メナヘム自身そのことに傷ついていて認められたいという思いがあって、アート・フィルムも出がけるようになったという経緯があります。ただキャノンフィルムズにとっては、そのことが終わりのはじまりとなりました。アート・フィルムというのはそれまでつくっていた作品に比べて非常に予算がかかります。それまで100万ドル程度だった予算が、アート・フィルムの場合2000万ドルを超えることもあります。予算が多くかかっている分、それだけ成功しないと元が取れないわけです。『バーフライ』(1987、バーベット・シュローダー)や『暴走機関車』などは比較的成功しましたが、『ゴダールのリア王』は興行的に失敗し、その分を取り戻せませんでした。そうしたことがキャノンフィルムの破綻につながったと思います。

ヨーラム・グローバス

——しかし、『爆走風雲録』のなかではメナへム・ゴーランは自分の失敗を決して認めようとしませんね。失敗についての質問が出た途端、彼は怒り出していました。

HM:あのシーンは彼の人間性がすごく出ているところだと思います。彼は非常に前向きな性格です。彼に一番好きな映画はとたずねるといつも「俺が次につくる作品だ」と答えるんです。決して過去を振り返らず、次の作品をつくるためには何をすればいいかということばかり考えていました。彼の失敗についても私は繰り返し聞きました。その度に、彼からすると孫の年齢になる私を傷つけないように「失敗について話したくないんだ」と慎重に答えていました。映画をご覧になっておわかりの通り、彼はあれだけ率直に何でも言うわけですけれども、とても暖かい心を持っているという側面も見えてくるシーンであると思います。

——メナへム・ゴーランとヨーラム・グローバスは10歳以上も年齢が離れているんですね。性格も違えば年齢も違うふたりが長い期間に渡って活躍できたのはなぜだと思いますか。

HM:そのふたりの性格の違いというのが逆に、良い相互作用を生んでいたのではないでしょうか。メナへムは夢を大きく、目標を高く持っている人です。初めて会ったときに彼は「いい映画をつくればカンヌで上映できるよ」と私に言ってくれたんですね。当時、カンヌ国際映画祭ではドキュメンタリー作品がそれほど選ばれていませんでした。それにも関わらず、そうした大きなことを言うような人だったんです。もちろん彼の映画のつくり方などに批判はたくさんありましたが、ただメナへムがそれだけ大きい夢を持っていたからこそキャノンフィルムズは成功したのだと思います。一方でヨーラムはもっと地に足がついていて現実的です。監督業にはまったく興味がなく、常にビジネスの方を見ていた人だったんですね。同時に、ヨーラムの現実的な考え方があったからこそ、ふたりのコンビネーションがうまくいきあれだけ大きな成功を収めることができたのだと思います。しかし、ふたりが別々になってからはお互いを支えるものがなくなってしまいます。その後は、共にそれほどの夢をつかむことができなかったんです。

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