——『ニューヨーク ジャンクヤード』では誰かが向こうから人物がやってくる場面があったときに、カメラの前にいた人物がそのことに気づくところから見せています。何かが起こったからカメラを回しているのではなくて、撮影しているところにたまたま何かが起こったのだという印象があります。撮影中はずっとカメラを回しっぱなしなのですか。

『ニューヨーク ジャンクヤード』
©Verena Paravel and J.P. Sniadecki
VP:カメラを持って撮影することは、リサーチのプロセスです。そのために、いつでも身体の一部のようにカメラを持っています。人々と最初に出会うその瞬間からカメラを持っていることで、急にカメラを持ち出したときの攻撃性や暴力性を取り除きたいということもあります。実際のところ『ニューヨーク ジャンクヤード』は6ヶ月間撮影していますけど、その多くは映画に使っていません。
LCT:私たちが考えているのは、カメラが自分たちの意志を超えたアイデンティティーを持ち得る場合もあるのではないかということなんです。たとえば今回日本で映画の現場を撮影していたわけなんですが、私たちのカメラは女優さんたちの顔2センチのところまで近づいたこともありました。それにもかかわらず、彼女たちは私たちのカメラに対して「自分たちと共にあると感じる」、「人間的なものを感じる」といったことを言っていたんですね。彼女たちは現場で緊張したり自分を装ったりするわけですけど、そのなかでこういった言葉を聞くことができたのは珍しいことだと思います。フィクションの撮影現場では本番とカットの間が本番で、その前後の時間は存在しないかのように思われています。けれども、私たちは本番もカットがかかった後もリハーサルの間もずっと撮影していました。その連続性にこそ私たちの大事にしていることがあります。
——ルーシァンさんは『モンタナ 最後のカウボーイ』で、数ヶ月間羊を放牧しながら移動している人たちにずっと同伴しています。映画のなかで羊を襲おうと熊が出てきますけど、そのときにも咄嗟にカメラを向けていて常に撮影の準備ができていてすごいなと思いました。あのときはどういった感じだったのでしょうか。
LCT:その例をあげられるのは面白いですね。というのも、まさにいま言われたその場面がこの映画のなかで私が一番自信がないところなんです。期待される通りそのままの画じゃないですか。熊には昼間であったり何度も会っています。ただあまりにも馬鹿らしいつまらない映像だったので使いませんでした。映画では熊が出てくるシーンを2度使っていますが、ひとつは男たちが拾った化石や矢尻を自慢しあう会話が面白いと思ったからです。年長の男がピストルに片手を持ちながらおしっこしていますよね。夜に熊が現れるところでは、黒い暗闇のなかで恐怖や理解不可能な世界が映り込んでいると思ったから使いました。でも、熊の怖さよりも機材がものすごく重いことのほうがずっと大変でしたよ。山のなかには電源がないですからソーラーパネルで電気を確保しないといけない。ひとりでその機材の重みも背負わっていかなければなりませんでしたから。『リヴァイアサン』と『マナカマナ』についてはいまも語るべきこと、学べることがあると思いながら話すことができます。しかし、過去の作品ですとまず恥ずかしい思いがしてしまいます。というのも、いまならつまらないと思えるような既存の映画芸術の表現に偏り過ぎているような気がするからです。
VP:『リヴァイアサン』は制作してから2、3年は経っているんですけど、いまだに謎めいていて理解を深めようとしている気がしますね。

『リヴァイアサン』
©Arrete Ton Cinema 2012
——最後に、今回の4作品すべてで音響デザインをされているエルンスト・カレルさんについてお聞きしたいと思います。やっぱりどの作品を見ても音響の設計が素晴らしくて、音がその場所や映っているその外側までをも示しているように感じるんです。彼はどういった人物なのでしょうか。
LCT:彼は我々と同じように人類学の博士号を持っていると同時に、何かを解説したり意味によって明快にするといった行為にアレルギーを持っている男です。彼は同時に素晴らしいミュージシャンでもあって、ドキュメンタリーのフォノグラファーでもあり、そしてオーディオ・エンジニアでもあります。神経性の耳鳴りの病気を持っていて、だからかもしれませんけど音楽をつくるとそれはほとんどノイズのようになっていますね。いわゆるポスト・ジョン・ケージのような美学を耳のなかに持っているんです。私たちが映画の音響ってこんな感じかなのかなと思っていることを口にすると、彼は非常に熱く反論してきますね。映画的なお決まりの世界なんてつまらないというふうに議論を仕掛けてくるんです。また、彼は地方の風景にもどんな街にも独自の音楽があると考えています。彼のつくるそのノイズには私たちが思っている以上に多面的な魅力を持っているものがあります。既存の音楽のなかで感じていること以上に豊かなものになっているんです。ですから、私たちと彼とは非常に実りのある三角関係になっていますね。