−−かなり綿密に構成されたフィクションの部分もあるわけですね。

MP:恭子さんの残した日記ですら、オートフィクションと呼べるかもしれません。私たちの目的は、母親と娘、ふたりの軌跡を混在させることでした。彼女たちは出会い損ねてしまったのです。しかし時間を越え、場所を変え、彼女たちの歩んできた人生には、多くの共通点が見えてきます。恭子さんが残した日記の断片によって、実人生では交わり合うことが難しかったふたりの人生が出会う瞬間をつくりたかった。母、娘という関係の中で、ふたつの世代を繋ぐ何かを探したかった。この作品はドキュメンタリーの方法で撮影されましたが、このような意味においてほとんどフィクションに近い部分があるのではないかと思います。

−−明子さんはいろいろなものに隔てられています。たとえば、彼女はパソコンの画面を介して、あるいは写真を介して、母、恭子さんの姿を見つめています。そこにはつねに壁が存在している。だからこそ後半部分、カメラのファインダーをまっすぐな目で見つめ、シャッターを切るシーン、スクリーンのような真っ白なシーツのその向こう側に渡るシーンは感動的です。広島、東京と旅をしてきた彼女が最後に辿り着いた場所はどこだったのでしょうか?

MP:新宿の「ラ・ジュテ」で店主のトモヨさんと会話するシーンも、写真や画面などの装置とともに隔たりを示しているように思えます。トモヨさんが被写体として撮影されることを好まなかったので、明子さんに焦点を当てて撮影しました。だからこのシーンには切り返しがないのです。そして彼女の母親に対する質問に、トモヨさんは明確な答えをひとつとして提示することができない。結果論ですが、この部分もまた答えを得ることの不可能性、生と死によって隔てられてしまっていることを表しています。

明子が向った場所は沖縄です。そこは彼女が最後に母親と過ごした場所で、彼女自身がそこに行くことを決めました。最初のパートで明子は母親の死の悲しみに耐えながらも、そこに押し流されている。そうですね、あなたの指摘した通りシャッターを切るシーンはこの作品の大きなターニングポイントになっています。ここから彼女は自分の人生を生きはじめるのです。それまでの苦しみから彼女はある意味で解き放たれる。シーツのシーンもまったく偶然に撮られたもので、目の前にいた彼女がシーツを通り抜け、シルエットになる。私はイドリサとこの美しいシーンに感動しました。

−−そのシーンには、広島という場所と原爆投下という出来事を、母と娘といった世代の問題と重ねて映し出した吉田喜重監督の『鏡の女たち』(2002)のことを思い出させられます。影やシルエットというのは、広島という場所を語るのに重要なモチーフでもあると思います。

MP:その作品は残念ながらまだ見たことがありません。撮影中、たしかに私たちは影というものからインスピレーションを受けていました。すでにこの世に存在しない母、恭子をどうやって作品の中に存在させればいいのかと自問していたからです。彼女は生前、自身のことを明子に語ることはほとんどありませんでした。だからこそ、私たちは彼女の痕跡を辿るのに多くの時間を費やし、彼女の存在を結晶化させる必要がありました。作品の中では直接触れなかった多くの印象的なエピソードが恭子にはあります。たとえば、フランソワ・トリュフォーとのエピソードです。彼女は『突然炎のごとく』(1962)に感動し、トリュフォーにそのことを伝えるために手紙を書き、それが彼らの出会いを生みました。『家庭』の中で、アントワーヌ・ドワネルの家に薔薇の花が届くシーンがあります。その花束に添えられているメッセージは、本当に恭子さんがトリュフォーに送ったものなのです。彼女についての作品をさらに創っていきたいという気持ちはありますが、残念ながらいまのところ具体的な計画はありません。

−−ラストシーンで、海に向かい、今までカメラの存在に無関心のように見えた彼女に私たちは見つめ返されます。トリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959)を思わせるシーンですね。

MP:そこでもし参照にしたものがあるとすれば、私にとってはむしろクリス・マルケル『サン・ソレイユ』(1982)がそれにあたります。この作品にも登場人物がカメラを見つめる印象的なシーンがあったはずです。
出来る限り近くで彼女が生きようとしている体験を捉えたいと思っていましたが、同時にそれがとても痛ましい体験であることを撮影のなかで私たちは痛感することになりました。そこで彼女がカメラに耐えられなくなった瞬間には、フィックスでの撮影に切り替えるようにしました。カメラの前に立ち続けるかどうか、フレームの中にとどまるかどうかの自由を私たちはすべて彼女に委ねたということです。このようなやり方が作品全体にある親密さと繋がっているのではないかと思います。

カメラを見つめ返す最後のシーンは、映画を終わらせるためのアイディアでした。このシーンで言いたかったのは、「私(明子)は、この作品を常に意識していた、この作品の俳優である」ということです。実は彼女が海に向って散骨する場面というのも撮影していましたが、最終的にはそれを見せることは避けました。なぜならこの作品を人生の終わりとしてではなく、乱暴な人生のはじまりとして締めくくりたかったからです。そうすることで灰、つまり過去ではなく、明子自身にこの物語の先を開かれたものにできると思ったんです。

インタヴュー・構成:槻舘南菜子
協力:䑓丸謙、クレモン・ロジエ

←前へ

最初 | 1 | 2 |