——べん造の宿を再現するうえで意識されたことはありますか?

三宅  べん造は、綺麗好きなわけではないけれど、あの環境のなかで生活を維持するために、色々と家のことをやってもいる。年季の入ったモノに囲まれて、使っていないモノや別れた家族のモノには埃がたまっていたり、効率重視でモノが置かれていて、一見散らかってはいるが、不潔ではないだろうと思いました。
あとは、日本家屋特有の暗さですね。とくに、真っ白の雪の世界からなかに入ると、最初はまず何も見えない。そしてゆっくりと部屋が見えてくる。それをどう表現できるかは話題にしていました。

© 2025『旅と日々』製作委員会

——べん造の宿の場面では人物たちの動きが少ないですよね。明るいうちに主人公とべん造が互いに仕事をする場面は動くけれど、夜の場面では立ったり、座ったりもほとんどない。『ケイコ』や『夜明けのすべて』ではなかなかそのような場面はなかったと思います。

三宅  そうだと思います。

——夏編のワンシーン・ワンショットを撮った経験を踏まえた演出なのでしょうか、それとも別の事情ですか?

三宅  別の事情です。登場人物たちのことを考えると、寒いから囲炉裏の側からは基本離れたくないはずで、極力動かない。途中でコップを取りに立つとか、動く理由を作ろうと思えば作れはしますが、このふたりの物語は、ほぼ動かない状態から、ようやく重い腰を上げて外に出ていく話だと思っていました。夏編のファーストカットで河合さんが後部座席で寝ている状態から起き上がるように、止まった状態から動き出す瞬間を捉えるというのが、マンガの映画化なのだと考えていました。

——ある時点までべん造の顔はそこまでしっかりと映されない印象があります。主人公と囲炉裏を囲んでいる場面では、主人公が斜め前気味から捉えられるのに対して、べん造は斜め後ろ気味ですよね。

三宅  その方針が事前にあったわけではなく、その都度シーンに応じて、登場人物がどう見えるのか、物語の推移に合わせてそれがどう変化すると面白いのか、それを具体的に積み重ねていった結果です。ただ、スタッフと話していたのは、『夜明けのすべて』が主人公ふたりを等距離に捉える物語だったとすると、対して今回はウンギョンさんについていく話なので、「見知らぬ他者」であるべん造に、カメラが等距離、同角度である必要はたぶんない。そしてウンギョンさん側から見れば、表情で彼を認識するのではなくて、あの宿の内装や雰囲気も含めてべん造を少しずつ知っていくんじゃないかな、と思いました。だから、彼が身体を開いたときに、自然に顔も見えるくらいで十分だろう、と。

——べん造の顔が見えたと思えた瞬間は、娘と再会するときにもかなりはっきり映されるんですが、個人的にはその前に溜池に向かう道中で、木か何かの写真を撮っている主人公の後に置かれた、べん造へのバストショットにおいてでした。よくよく見ると影で顔が隠れていてむしろほとんど見えないのですが、目だけは光に照らされている。そのときの彼の眼差しは、べん造においては稀な画面の外に向けられたものですよね。

三宅  そうですね。それまで画面の外、というか遠くを見る必要がない生活をしている人で、いつも手元を見ている人だったと思います。

——ちなみにあのとき主人公は何を撮っていたんですか?

三宅  枝か何かを撮ろうとしていたという設定にしたと思います。きっと何も写ってないんだけど。

——またカメラの話に少し戻ってしまいますが、『ケイコ』や『夜明けのすべて』だと撮っている人がいて、撮られた写真や映像が見せられていたけれど、今回は、結局主人公が何も撮れていないというお話があったように、カメラで撮られた写真が見せられませんよね。同じように後半は主人公がノートに書いたものも見せないし、どこかで読み上げられることもない。そのために何を撮るとか書くとかよりも、撮ったり書いたりという純粋な身振りこそが浮かび上がるような気がしました。

三宅  そうですね。書いたものが、もしかしたらやっぱり駄目だったと後でなるかもしれない。本人も読み返さないようなメモかもしれない。けれど、とにかくその書いている時間がいいんだ、本人も自覚していないくらい特別な時間なんだ、と自分も想定していました。まあ、生の実感というか、没頭しているときの充実感って、リアルタイムでは本人は客観視しえないものですよね。没頭できているということは。

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——書きはじめる前に、主人公が何となくべん造の宿を見回す、という時間もいいなと思いました。書く/書けないというアクションを演出するうえで意識されたことはありますか?

三宅  あれは何を見ているんでしょうね。何も見ていないのかもしれない。『THE COCKPIT』でOMSBが「無」って言葉を口にしますけど、やっぱりそれなのかな。この映画でもっとも静かな場面、もっとも無音に近い場面であるのはたしかで、僕もあの場面を見ると毎回妙に心が動かれますね。『旅と日々』のラストは、書けなかった人が書けるようになるという成長物語の終わりとしてではなくて、たぶんこの後また書けなくなったりもするんだろうな、という考えで撮っていました。いま、たまたま書けている。そうやって進んだり、止まったり、速くなったり遅くなったりする、彼女ならではの筆致のリズムをただそのまま捉えたいと思っていました。そういうことを、ノートに書くアクションだけでなく、雪原を歩くアクションにおいても、ウンギョンさんが全身で体現してくれていたように思います。雪に足跡ついちゃうから本番1回なんだけど、あんなふうに歩くなんて思いもしなかった。彼女でしかあり得ない。その価値に気づいたのは映画が完成してからです。何度も見ているうちに、自分がこう言うのもおかしいんだけど、この映画そのものみたいだなあとか、いまだに考えてる途中です。実は一度、脚本から削除していたんですけどね。ウンギョンさんが「やっぱりあのラスト撮りましょうよ」と撮影中に言ってくれて。あぶなかった!

取材・構成:梅本健司
2025年10月14日

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