10/11 「大海で泳ぎ方を忘れる」

結城秀勇

『アナザサイド サロメの娘 remix』七里圭。「音から作る映画」シリーズ最新作。完成した作品を上映しながらその前でパフォーマンスを行い、その記録が次のバージョンでは作品内に素材として織り込まれ、次第にいくつものレイヤーが重なり合うものとなっていく......。そんな方法論が上映後のトークで語られたが、そのことを知らなくとも、この作品を見る体験自体が自ずとその制作プロセスに似通っていく。循環的な構造を持つテクスト、ズレを持って反復し反響するその朗読、目の前の光景はいつしか画面内のスクリーン上に投影されたものとしてオーバーラップしていく......。それは基本の層の前後に重ねられるアディショナルな層を通じて奥行きのあるパースペクティブを獲得するような体験ではなく、目の前で積み重なっていく層のうちいったいどれが基本の層であったかを見失い途方にくれる、そんな体験である。
画面内で映像を投影させていた光沢のある白いスクリーンはどこかヒラヒラとした布の質感を思わせるものだったはずなのに、それを投影させているいま目の前に物理的に存在するスクリーンもまたそうしたものであったはずなのに、画と音の重層的なオーバーラップの合間にふと露出する黒み(それは「影」ではなく「黒い光」である)が、まるで黒光りする鉱石か樹脂のような厚みと硬度を持った物質であるかのような錯覚がする。なにも映っていないはずのスクリーンの表面に、一瞬、もしかしてそこを覗き込んでいる自分の顔が映り込んでいたような気がして鳥肌が立つ。
......てなことを書こうかと考えていたら、機材トラブルにより上映は中断する。その中断について七里監督は、デジタル化以降、わたしたちが映画と呼びならわしているものが「データ」に変わってしまったという本質的な事実を思い起こさせる「象徴的」な上映だったと語っていた。だからこの作品については、ちゃんと全編通して見た翌日の再上映ではなく、この日の上映の体験として書いておきたいと思った。

表彰式。
受賞作品はこちら。毎度毎度のことだが、賞をとった作品をそんなに見てない。でも受賞作品は翌日に再上映されることを考えれば、まあそれはそれで得してるんじゃないかという気も。気になっていたけれどタイミングが合わなかった『パムソム海賊団、ソウル・インフェルノ』チョン・ユンソクが次の日見れるかと思ったのだが、「アジア千波万波」だと特別賞では上映されないのが残念といえば残念。
インターナショナル・コンペティション部門の審査員イグナシオ・アグエロは、公式カタログ等に掲載された七里圭の「審査にあたって」のコメント、「ドキュメンタリーの大海に翻弄されて、めためたになってしまうのでしょう」という言葉を引用し、まさに自分たちはそういう体験をしたのだと語る。その言葉には、正直なところ、今回に限らないこの映画祭の感想として非常に共感するところがある。
2年に一度、この映画祭に帰ってくるたびに、前回よりは多少マシにこの大海を乗り切れるようになっただろうと思ってやってくる。だが結局全然そんなことはない。毎度毎度、この大海の泳ぎ方を自分は覚えてなかったんだよなと痛感する。いやむしろ、普段はなにげなく覚えているような気になっている泳ぎ方を忘れるためにここに戻ってくるのかも、という気もする。泳ぎ方を忘れ、また一から四肢の動かし方を、バランスの取り方を、浮き上がるための呼吸を、学び直すためにこの場所に帰ってくるのかもしれない。そんな気がする。