——この『アレノ』は越川さんにとってはじめての監督作品となります。これまでもプロデューサーとして数多くの映画の制作に携わってこられましたが、いかがでしたか?

越川道夫(以下、越川):はじめてと言えばはじめてですが、僕はものをつくるのが単純に好きですし、僕の師匠と呼べる方に澤井信一郎監督がいて、短いながら東映で助監督をしていた頃もあったんですが、でも職業監督になろうと思ったことは一度もありませんでした。これまでも小劇場の芝居の演出とか、台本も書いたりしていたので、はじめての監督作品ということで何か特別に気負うものがあるわけではないんです。

渋川清彦(以下、渋川):越川さんのことを知っている周りの人たちは、『アレノ』の監督は越川さんがやると聞くと「あー、やっぱりね!」という感じで反応していましたよ。越川さん、やっぱり自分で監督したかと。

越川:僕はそもそも自分が何屋なのかわからないから(笑)。普段の肩書きは「映画プロデューサー」ということになりますが、自分としてはいつも「映画クルー」の一員だと意識しながら映画をつくってきました。俳優もプロデューサーも監督も、みんなが映画のクルー。サードの助監督だってそう。ひとりひとりがクルーの一員として、ものをつくるという意識を持って参加していると思います。僕は作品の責任を取る立場としてプロデューサーをやっているだけなので、根本的に自分が何屋かと考えると、よくわからない。

渋川:越川さんが普段からやっていることって、プロデューサーや監督を務めるというより、ただ単純に「映画をつくる」ことですよね。監督をやってもプロデューサーをやっても、台本を書いていても、やっていることはいつも一緒。

越川:だからいつもと変わらずKEEくんや山田真歩さんと接して、スタッフがやっていることを見ながら楽しんでいました。

——この映画はエミール・ゾラの「テレーズ・ラカン」を原案としていますが、企画の成り立ちはどのようなものだったんでしょうか?

©2015 ユマニテ

越川:原作の「テレーズ・ラカン」が先にあった作品ではなくて、そもそもは山田真歩さんを主演にして映画をつくろうということではじまった企画です。そのなかで題材をいくつか考えていって、この原作なら面白くなりそうだということで動きはじめたわけです。山田さんと最初にお会いしたのは、僕がプロデュースをした『かぞくのくに』(2012、ヤン・ヨンヒ)のときで、その映画では火傷を負った女性の役を演じてもらっています。台詞のない役でしたけど、そのときの演技や振る舞い方がすごく面白いなと思ったんですよ。山田さんが現場に来てから、一気に役のなかに入っていく様がすごく良かった。そのあと、これも台詞がない役だったんですが、『楽隊のうさぎ』(2013、鈴木卓爾)にもうさぎ役として山田さんに出演していただきました。やっぱりそこでもすごく面白くて、今回の『アレノ』で一緒に芝居をつくっていけたのは本当に楽しかったですね。KEEくんと一緒にやった現場は『惑星のかけら』(2011、吉田良子)が最初だったよね?

渋川:そうですね。

越川:お互いのことは知っていたけど、それまで同じ現場になることがなかったんですが、『惑星のかけら』にKEEくんに出演してもらい、すごく面白い印象を受けました。芝居も良いし、現場にいるときの佇まいも面白いなと。こういうことを強調するのも変なんだけど、印象として「この人、優しいなあ」と思ったんです。一説では野獣なんだけど(笑)、僕としては自分が知る誰よりも優しい人のように感じました。なので、この作品で山田さんのお相手をしてもらう人は最初からKEEくんを考えていて、こうして出演していただきました。

——それはやはり、渋川さんが今回演じられた「愛人」の役柄に求められているような、役者本人に秘められた野獣性も期待してのキャスティングだったんでしょうか?

越川:どうなんだろう(笑)。

渋川:どうなんですかね?俺はそのあたりはわかんないですよ!

——最初にこの映画の脚本を読んで、渋川さんは自身の役についてどういう印象を受けましたか?

渋川:この作品に限らず、そういう質問をよくされるんですけど、実は俺もよくわからないんですよね。たぶん理解力がそんなにないからだと思うんだけど、何となくという感覚しかない。役というものをよく理解できている気がしないんですよ。ちょっと前にやったことをすぐに忘れてしまうタチなので、現場であったことも断片的に憶えているだけです。寒い湖に入ったなあとか、越川さんすごく熱心だったなあとか(笑)。越川さんは本当に熱心で、山田さんとの濡れ場のシーンの撮影のときは、身体の密着のさせ方をつくっていくために越川さん本人がお互いの髭があたる距離で演出してくれたんですよ。

越川:「KEEくん、俺でごめんね!」って言いながらやってた(笑)。

渋川:それがすごい印象に残ってますね。本当に越川さん、エネルギーが溢れていたなあと。

——山田真歩さんが演じる「女」の「愛人」という手がかりがあるだけで、映画では人物たちの背景の詳細は語られませんが、役づくりや演技はどのようにつくっていったんでしょうか?

渋川:役づくりというか、子供がひとり遊びをしているような感じで、歩いているときに縁石があったらそこに乗っかるとか、そういう小さい遊びを取り入れていくように越川さんと現場で話しながらやっていったかな。役づくりっていったい何だろうなといつも思うんですけど、俺の場合はけっこう台詞でそのあたりをつくっているような気もします。こういうインタヴューを受けて話をしていると、何か台詞とか字面で役づくりをしているのかな、と自分でも思うことがあります。全体のやり取りの流れももちろん把握した上でやってますけど、事前にがっちりと固めていくということはあまりないですね。現場で色々とやっていく感じでした。

——越川さんとしては、渋川さんの芝居に関してどういう演出をされていったんでしょうか?

越川:難しいことをやろうとは考えていませんでした。これは少し話がそれてしまうかもしれないんですけど、たとえば別の現場をやっていたりすると、不意にKEEくんが懐かしくなってくることがあるんですよ。それをどう言ったらいいのかわからないんだけど……。僕にとってのKEEくんは田舎の不良のような存在で、すごく格好良い人であると同時に、弱さのようなものも垣間見えたりする人なんですね。僕自身、田舎出身の人間なので身近に不良たちを見てきましたが、必ずしもぶいぶい言っている不良だけじゃない。暴走族になった奴もいるし、家の仕事を継いだ奴もいるし、とにかく色んな人たちがいるわけで……。KEEくんを見ていると、何と言うかそういう人たちのことをいっぱい思い出すんです。この映画を見るお客さんもそう感じるのかわからないですけど、たくさんの人の手触りをKEEくんは持っている気がするんです。その手触りが、すごく良いなと。だから、この映画は人物の背景をひとつも説明していませんけど、僕としてはその「手触り」だけあれば十分だったので、人物をもっと説明しなきゃと不安には思わなかったです。見る人にもそれを感じてもらって、そこからそれぞれが持っている色々な記憶を引き出してもらえるような感じになれば良いと思っていました。そういう、いい大人なのに子供っぽくも見える、色んな人の姿が詰まっているKEEくんの手触りを引き出せるように、小さい遊びのようなものはリクエストしていきました。

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