アルチュール・アラリ 特別ロングインタヴュー
歌うこと、それは生きること

2021年9月17日 パリのアラリ宅にて
インタヴュアー 坂本安美(結城秀勇、隈元博樹)

『ONODA』を発見したのは、2021年6月パリ、カンヌ国際映画祭前に行われた試写だった。本作の製作を支援しているアルテ・フランス・シネマのディレクター、オリヴィエ・ペール氏の計らいにより逸早く観ることができた本作に、冒頭から引き込まれ、ジャングルの中へと身体ごと導かれていった。出演している俳優たち、そして彼らが生きる現実がとても身近に感じられ、今を生きる私たちに直接語りかけてくる切実さ、そして普遍的な広がりを持つ本作に魅力された。前作『汚れたダイヤモンド』にもましてフランス映画の枠を果敢に超えていき、映画の古典的な醍醐味と現代映画の可能性を見事に融合させてみせたアルチュール・アラリ監督に話を聞きたく、再び訪れたパリ滞在中にインタヴューを申し込むと、すぐに快く応じてくれた。9月半ばながら、まだ夏の陽射しと暑さが残る午後、シャブロル通り(!?)にあるご自宅に迎えて頂き、娘さん、そして仕事上でも協力し合うパートナーであるジュスティーヌ・トリエ監督を紹介頂く。1時間半に及んだインタヴュー、一つひとつ丁寧に答えてくれたアラリ監督からは、この作品をどれだけ大切に企画、準備し、苦労しながらも信念を持ち続けて実現していったか、そして映画に関わったスタッフ・キャストへの深いリスペクト、友情がその言葉、真摯な話ぶりからひしひしと伝わってきた。そしてアラリ監督の才能を逸早く発見し、監督と日本との架け橋となったひとり、2019年に永眠されたプロデューサーの吉武美知子さんへは感謝してもしきれないと述べ、本作のエンディングでも彼女への謝辞がひときわ大きくクレジットされている。今回、日本公開のために来日できないことはとても残念であり、辛いが、近いうちに日本を訪れ、俳優、スタッフの人たち、観客の皆さんと会うことができるのを信じている、と力強く述べる監督と日本での再会を約束し、別れた。

撮影:ジュスティーヌ・トリエ

現実、そしてもうひとつの現実

──あるインタヴューで、監督は「小野田の話は現実との関係において私の心の内奥に語りかけてきました」と述べていました。あなたの映画を観て、もちろん日本のある歴史が描かれているわけですが、それを超えて、私たちの生きる現実もそこに見えてくるように感じました。ここで述べられている「現実」とは当時の、というだけではなく、より広い意味で理解してよろしいのでしょうか?

アルチュール・アラリ(以下、AH) はい、1940年代、そしてそれからの20世紀の現実だけではなく、より広い意味で、私たちが現実と結ぶ関係について述べたつもりです。実際の生、現実とされているものと、それを構築する思考、あるいはフィクションというものとの距離について、私は幼い頃から、現実とは異なる、別の物語、別の現実に身を投じる必要を感じてきて、それはまず映画であり、小説でした。そうした現実との関係のメタファーとして、小野田の話に興味を持ちました。しかし当初は、現在私たちが生きている現実との関係でこの映画を構想しているつもりはありませんでした。ポスト・モダン的世界、インターネットや、恐怖を感じさせる狂信的な宗教信仰への回帰や、陰謀論などは、脚本を執筆している段階においてはじめてそこに見えてきました。つまりジハード(聖戦)、フェイクニュースのような現代の出来事とこの映画のテーマが明白に共鳴し合っているのに気づき始めたのです。そして撮影し、編集していくうちに、それは明白となってきて、スタッフみんなもそのことを語り始めたぐらいでした。でも私自身がそうした現代の様々な出来事を脚本に加えようとしたわけではなく、語ろうとしているテーマの中にすでに現代で起こっていることと共鳴するものが存在していたのです。

──作品を観て想起した作品のひとつがクリント・イーストウッドの近作『リチャード・ジュエル』(2019)でした。リチャード・ジュエルも魅力的で、こちらの心を感動させる部分を持つと同時にどこか不気味な、不安にさせる部分を持っている人物です。小野田という人物も、複雑で、問題も多く抱えていますが、興味深く、人を引き付ける。

AH 小野田には、生や世界との関係において、非常に複雑であると同時に、非常に明白で強いものが凝縮されており、それはどのような人にも響いてくるものではないでしょうか。この物語において小野田の態度とは、頑ななまでにすべてを注ぎ込み、ともに何かを信じること、そこに身を投じること、約束をすることにおいて何が重要で、何が問題となっているのか。そうした意味で、この物語と私たちの人生との間には距離があると同時に強い繋がりがあり、どんな観客とも非常に親密な関係をつくり出すことができると感じたのです。

子供たちの彷徨

──この映画の中で小野田は「子供」として見えてきます。純粋に物事を発見し、ひとつひとつ、まだ何も解らぬ子供が意味を見出し、方法を発見し、進む道を見出していく。つねにアクションの中に身を置く子供のような存在であると。

AH 小野田を子供のような存在として描くことは、この登場人物を造形していく上で最初に抱いたアイディアのひとつでした。脚本を執筆する以前から考えていたことで、そうした観点からこの話の中に入っていったし、先ほど言われたように、小野田は道徳的にも、その行いにおいても、多くの問題を抱え、厄介な人物であるにも関わらず、そこに私自身を投影することができたのです。大人とは異なる関係を持っている子供、大人でありながら子供である、成長しているのに歳をとらない、世界を見る目が子供のまま、そこに留まってしまっている存在として小野田を考えていました。

──映画とは少し離れ、個人的な感情を述べて恐縮なのですが、外国から、たとえばフランスから日本に戻ると、つねに感じるのは、自分も含めた日本人の幼稚さであり、それを天真爛漫さ、無垢さと取ることもできるのかもしれません。子供のままでいていい、つねにどこかから見守られている、あるいは見張られているまま自分たちは子供のままでいいのだ、と思えてしまう時があります。日本人は戦後、いや戦前にいたってもどこか無意識ながら「子供」でい続けている。純粋であるようで、子供が時に残酷で、野蛮であるように、一瞬にして残酷な存在になり得るような恐ろしさを感じることがあります。『ONODA』はそうした「子供たち」がノーマンズランドのような場所にぽつりと置かれ、多勢から徐々に4人、2人、最後はひとりになって、生きる方法、進む方法を探っていきます。あなたの映画で描かれていることが、カオスに包まれた現在を生きる私たちに与える示唆があるように感じています。

AH そうしたことは誰にでも訴えかけることではないでしょうか。今お話になられた日本社会の純粋さを併せ持つそうした「子供」である部分について、私自身、口にしたことはありません。この映画を撮る前に日本のことをそれほど知っていたわけではなく、まさに映画を撮ることで日本を発見していきました。今でもそれほど自分が日本を知っているなどとは言えませんが、あなたの発言は興味深く、というのも小野田についての著作を読み、まず考えたのが彼の世界との関係がまさに子供が世界と結ぶ関係であるということだったからです。この話で美しくも悲劇的なのは、そうした子供が自分の家から遙か彼方にひとり送られ、子供ながらにそこで試練を受けるものの、家族がそこにいない代わりに自分で家族をつくっていかなければならない。そのことは脚本執筆の段階で考えていました。そしてある段階から、本作は戦争映画ではなくなり、戦争についての描写は遠巻きなものとなり、彼らがあまりにも多くの時間をともに過ごしているために、家族についての映画となっていったのです。
 また小野田の話を発見し、それをもとに脚本を書きながら、そして映画を実際につくりながら夢中にさせられたことは、一本の同じ映画の中に複数の映画が存在しているということです。そうした点で、この映画は小説に近く、映画内に別の映画を見出していく、展開していく可能性があると思いました。そのひとつとして、男たちは徐々に擬似家族を形成していく、家族についての映画があり、一番若い赤津が彼らの子供、思春期を体現していて、小塚はもしかしたら母親的存在、島田は長男、そして小野田は父親である、と。そうした役割は映画が進むごとに交代され、変化していく。島田が父親的役割を担う時もある、彼が一番年長であり、すでに子供がいるので。役割を変えながら、家族というものを自由に実験しているかのように考えました。小野田と小塚だけになった時、彼らはカップルを形成することになり、またあらたな組み合わせ、役割を実験していくことになります。つまりこの物語には、非常に厳格で動かしがたいもの、戦争や階級制度があるとともに、もっと自由な、動的なものが存在しているのです。それがある意味、不可思議とも言える彼らの自由やともにあること、ともに何かを行うことをその度に新たに実験していく自由があります。最終的に小野田がひとりになっても、彼はひとりでないように生き続けます。仲間たちを想い続け、彼らと過ごした場所、彼らの墓を訪れ、それまで彼らと過ごした記憶そのものとなっていきます。
 そうした自由を体験しながらも、そこに親や子供、兄弟をつくりだしていく。小野田は自由であると同時に決して自由ではない。はるか遠くから見えない目、それは父親なのか、国家なのか、司令官なのか、その目がつねに見ています。人生のすべてをそこで失った、しかし彼にとっては、もしかしたら遊技場のような場でもあったかもしれない。ただしそこから解き放たれるには、結局誰かが迎えに来なければならなった。そのようにこの話を理解した時、それはすべての人間の生と重なると思いました。私が子供だった時、そこから成長していき、やりたいことがあるならやってみろと後押しされ、映画に関わる仕事につくことで世の中に出たものの、自分の中の子供の部分、どこかで親のような存在を求めているがゆえに、見えない目を探している自分に気づくことがありました。そういった意味で小野田の話には人生のメタファーがあると思ったのです。おっしゃったように、もしかしたら日本人は「子供である」といった部分が他の国の人々より強く刻印されているのかもしれません。しかしどの国の人々も、文化や歴史が異なれど、個人的であれ集団的であれ、それぞれ異なる形で、生の複数の可能性を持ち得る人間のあり方を探っていると思います。たとえば私が外国で暮らしている間にフランスへ帰国した時、突如として明白に見えてくることや、不満、ある種の怒り、息苦しさを感じることがあるかもしれない。そうして人間の生の別のバージョン、別の側面、別の特殊さにアクセントが置かれた人間の生に触れることがあるのです。
 いずれにせよ「子供である」という問題は、そうした意味で非常に興味深い問題であり、この話における純粋さと哀しみ、両義性もそこにあり、確かに子供はいとも簡単に怪物になり得るのです。

映画の中の俳優たち

──小野田がひとりとなり、海岸で若い頃の自分と小塚に出会うシーンが印象的です。言われたように小野田と小塚がふたりになり、カップルとなって暮らしているパートが印象深く、同性愛の有無を問う以前に、思いやり、尊重しあうふたりが暮らしている姿が描かれていると思いました。それが心に響いてくるのは、俳優たちの演技にもよると思います。実際、本作の俳優たちが演じる男たちは、戦争映画であれば通常もっと誇張された演技、大声や悲痛な叫びなどが強調されるところ、ごく自然に日常を生きているようにして、スクリーンのこちら側と地続きになる人々が見えてきます。日本映画においても、そうした感覚を持てるのは稀であり、監督がどのように演技指導されたのかに興味を持ちました。

AH それははっきりと意図した部分でした。俳優の皆さんにお願いしたのは、どこかで、兵隊であること、時代や軍国主義を忘れてほしいと。そのことで彼らの演技に滑らかさ、自然さが生まれ、彼らを通して観客たちがこの物語に導かれていくことを望みました。だからといって時代錯誤的なものをねらったわけではなく、あまりにもずれた描写にならないよう、最低限そこには注意を払いました。それと同時に、観客がそこから出てこられるように、古典的な方法と、自然で滑らかな表現方法の間でバランスを見出す必要がありました。

──俳優の皆さんとはリハーサルを多く重ねられたのですか?

AH 私自身がつねに東京にいられるわけではないので、多くは行えませんでした。2回に分けてリハーサルの期間を設け、それぞれ5日間ほど来日して行いました。その間は連日のように俳優たちと過ごし、とりわけ主要な登場人物となる4人の俳優とは多くの時間を過ごしました。年を重ねた小野田と小塚を演じている津田寛治さんと千葉哲也さんとは、彼らよりは出演シーンが少ないので、リハの時間も少なかった。そのこともあり、正直、多少不安がありました。リハの段階では、それぞれがまったく異なる演技方法を持ち、ふたりの間でまだ波長が合っていない、まだ何かを見出していないように感じたからです。しかしカンボジアの撮影現場にふたりがやって来て、撮影を始めると、その間にしっかりと準備され、一緒に演じるためのトーンを見出してくれたのが分かり、彼らふたりのシーンはどれも非常に素晴らしいものとなりました。

──青年期の小野田と小塚から成年期の彼らが登場するシーンの間には、20年間の月日が省略されていながら、成年期の彼らがともにいるそのあり様、親密さからは、20年間ともに生きてきたことが伝わってきます。

©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

AH ふたりの俳優の演技には本当に感銘を受けました。同時に彼らは時にばかげていること、滑稽さや軽妙さを演じることも引き受けてくれ、この企画、物語の深刻さに押しつぶされるなく、とても自由でいてくれました。

──実は、昨日、パリの映画館で本作を見直したのですが、観客から時に笑いが起こっていました。

AH カンヌでのプレミア上映の際もかなり笑いが起こり、驚きながらも素晴らしいと思いました。笑いが起こるということは、観客の皆さんが完全に作品の世界に入っていってくれているのだと感じたからです。

──谷口教官を演じたイッセー尾形の演技も素晴らしいですね。躊躇しながらも、ルバング島へ小野田に会いに行き、テントから出てくる際、シャツをズボンの中に入れ直して少し情けないような格好で出てきます。あのあたりの細かい演技は監督からの指示があったのでしょうか?

AH 読んだ本や資料の中にその記述があったのか、自分でつくりだした逸話だったのか。あまりにも多くの時間をかけてこの作品を準備し、作業していったので、今となってはどちらだったのか覚えていないのですが、脚本に書かれていたのは確かです。しかしながら尾形さんは本当に素晴らしい俳優で、彼の行う演技のすべてが彼自身から生まれてきていると信じられるほどの真実味があり、特別であり、彼のような俳優と仕事ができることは本当に幸運なことでした。

──唐突ではありますが、アラン・ドロンはお好きですか?

AH はい、大好きです。

──お聞きしたのは、一作目の『汚れたダイヤモンド』を拝見した時に、ニスル・シュナイダーが演じている主人公がアラン・ドロンの演じてきた人物、非時間的、普遍的ともいえるシェイクスピア的悲劇的な登場人物を体現しているように思え、それは今回の『ONODA』の小野田にも繋がっているかと思ったからです。

AH 『汚れたダイヤモンド』を60年代に撮っていたら、当然アラン・ドロンにあの役をオファーしていたと思います。ベルモンドではなくドロンに。『汚れたダイヤモンド』に出演してもらうためにニスルに会った時、2本の映画を見ておいてほしいとお願いしました。1本目がまさにドロン主演の『太陽がいっぱい』(1965、ルネ・クレマン)でもう1本はジョージ・スティーヴンス監督、モンゴメリー・クリフト主演の『陽のあたる場所』(1951)でした。ニルスは『太陽がいっぱい』をすでに見ていたのですが、見直して、この作品はやはり好きではない、アラン・ドロンが好きではないからと述べていました。それに反して『陽のあたる場所』は初めてで、とても気に入ったようで、モンゴメリー・クリフトの演じる役こそが自分の演じる役に近いのだということで、ニルスの感想を理解しました。というのも『陽のあたる場所』の主人公のほうが圧倒的に感情移入できるからです。モンゴメリー・クリフト演じる青年はしだいにふたつの物語の間で身動きが取れなくなる。金持ちたちと貧しい女性との物語に引き裂かれ、罪を犯すまでに至ってしまうのですが、素晴らしい作品です。『太陽がいっぱい』も大好きですが、たしかにより表面的に描かれてはいる作品です。アラン・ドロンについては、ニルスとは異なり、俳優としてとても敬愛しています。ニスルがドロンと比べられるのを嫌がるのは、美しいという部分で評価されるのが俳優として気詰まりだからなのではと思います。しかしドロンの持つ魅力とはそれだけではなく、彼の持つ深刻さ、とても悲劇的な部分、闇の部分だと思います。たとえば『パリの灯は遠く』(1976)のドロンは本当に素晴らしい。当時、こうした映画に出演しなくなっていた彼が、本作では出演しているだけではなく、製作まで引き受けている。ドロンについて興味深いのは、彼の演じる登場人物が悲劇的でありながら死なない、死ねないところです。『パリの灯は遠く』のラストでは、死へと向かっていくのが分かるのですが、彼が出演した偉大な映画のほとんどは不死の存在であり、だからこそより悲劇的です。この点で、ドロンはこの映画の中の小野田と近いと言えるでしょう。ある種の不変性、堅固さ、死ぬことができないからこそ、とてつもなくメランコリックなわびしい存在となっていく。『太陽がいっぱい』でも、あまりにも堅固で、神のような存在となってしまう。神が子供となって現れ、何でもできてしまうからこそ恐るべき存在であると共に、魅了させられるのです。

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