唯一の女性、おおいなる他者

──本作にはほとんど女性が登場しませんね。セクシュアリティが描かれているシーンもほとんどありませんが、その問題をどのように描くか、あるいは描かないかというあたりはどのように検討されたのでしょうか?

AH セクシュアリティについてはサンドランの著書の中に次のような言及がありました。後半部分で小野田がジャングルから出てきて記者会見が開かれ、ジャーナリストから「30年間の間、性の問題はどうしていたのですか?」という質問がなされています。小野田は「それはたいした問題ではありませんでした、他にすることがあったので」と答えています。小塚については、どこの資料で読んだのか忘れてしまいましたが、ルバング島に来る前に女性との経験があったとされています。ただ小野田については、未経験だったという考えをもとに人物造形し始めました。もちろん確証はないながらも、だからこそ彼にはピューリタン的な側面、女性を理想化しているところがあったのではないかと考えました。小塚との対称性がそこから生まれています。4人のグループだった時には、ある意味、島田と赤津、そして小野田と小塚という二組のカップル、あるいは二組の兄弟がいるようであり、いずれにせよ、彼らはあらゆる役割、組み合わせを実験しながら日々を送っていて、そこにはある種の性的な行為もあったのではと想像しました。それは正面切ったものではなく、マッサージによる触れ合いかもしれないし、欲求不満になって自慰行為をする者もいたかもしれない。あるいは地図作成のために小野田と小塚が探索している際に、山の形をかつて付き合った女性の胸を想起して名前をつけるシーンなども挙げられるでしょう。セクシュアリティなしに生きること、語ることはもちろんできず、そう言う意味で、自然の中で暮らすこと自体の官能性、そこにあるすべてのものとの官能的な交感を小野田は生きてきたと言えるでしょう。最後に残ったふたりの男たちの間にはセクシュアリティとしての同性愛がなかったとしても、カップルが形成され、痴話喧嘩をすることもあれば、抱き合うこともあり、ふたりの間にはある種の愛情がありました。

──先ほど女性がほぼ登場しないと言いましたが、唯一と言っていい女性が後半に突然登場し、映画の中のふたりと同様に、観客の私たちもその登場に面食らいます。まるで天から降りてきた天使のように彼女が登場するからです。彼女はある美しさ、純粋さのようなものを湛えています。

AH まさに彼らの前に出現しますよね。彼女のシーンは脚本執筆の最後の段階で追加したものです。

──本の中にはないエピソードだったのですか?

AH はい。小野田は女性や子供はひとりも傷つけていないと証言しています。そこにも確証はなく、ルバング島に実際に足を運んでいないのですが、彼が証言している以外に、島の人たちとの間により頻繁なやりとりがあったことは推測されます。本の中のあるエピソードでは、廃屋だと思って入った家で現地民に出くわし、そこには若い女性もいたようです。その後彼らとは数時間過ごし、危険がないと察知してからその場を後にしたことが語られています。そのエピソードを読み、彼らと島の人たちとの短いながらともに過ごすシーンを入れようと思いつきました。映画自体にもドラマティックなシーンの導入が必要だと感じたのです。最初は男性の現地人との遭遇を考えていました。一日、二日捕らえ、危険がないと察して逃すというエピソードでしたが、それよりも女性との遭遇の方が衝撃的であると思いました。確かに、女性はまるで天から降りてきたかのように彼らの前に出現する。彼女は多少気が触れているような、子供のままでいるような、小野田と小塚とまったく異なる存在ながらも、鏡像関係にあるような存在として考えていました。彼らふたりもどこか子供のようであり、やはり気が触れているように彼女の目には映っていたかもしれない。そして彼女の出現で、突如として、彼らの中に欲望が生じてきます。それまで押し殺してきた欲望を、小野田と小塚は、それぞれ異なる形で感じることになるのです。小塚にとっては、25年間という長い間に女性との接触がなく、その間放棄してきたこと、人生の真髄でもある欲望が湧き起こってくるのを感じる。そうした体験が以前にない小野田はセクシュアリティをより容易に切り捨ててきたため、それぞれに反応が異なります。

──このシーンでのふたりの反応の違いはとても興味深いですね。このシーンはまた西部劇的な要素が強いシーンでもあり、彼女の存在は、西部劇のインディアンの女性、おおいなる他者に遭遇する幾つかの映画を想起します。

AH はい、まさに西部劇のそうした「おおいなる他者」としてのインディアンとの出会いのシーン、絶対的他者という問題を提示している映画を思い浮かべて撮りました。たとえば、ロバート・アルドリッチの『ワイルド・アパッチ』(1972)がとても好きで、インディアンが登場する西部劇の中でも最も素晴らしい一本だと思います。アメリカ人とインディアンとのやりとりをリアルに描いていると同時に、インディアンを神聖化することもなく、決してともにあることはできない彼らとの絶対的距離と同時に、彼らへの敬意を持って描いており、そこには植民地政策の抱える複雑な問題が示されています。
この女性とのシーンもふたりのカウボーイがインディアンの女性に遭遇するようなイメージで構想したのですが、実はふたりの男たちもほとんど肌の色からしてインディアンのようであり、格好も互いにあまり変わらず、まるであまりにも長い期間そこに暮らしていることで、同じインディアンになってしまった、と。

──だから彼らは自分自身を殺したとも言えるわけですよね。ほんの10分にも満たないシーンでの登場ながら、彼女の存在はひとりの登場人物として、本作にとても強い印象を残していますね。

AH この3人のシーンをもっと長くして、彼らのしばらく共同生活をしていき、しかし最終的に彼女を殺めることになる、という考えもあったのですが、他の多くの要素、エピソードがすでに書かれていたので、突然のように起こり、終えるというアイディアが作品の構成上、理にかなうという判断に落ち着きました。とはいえ、このシーンを30分ぐらいの長さにして描けなかったことにはいまだにほんの少し後悔が残っています。小野田と小塚がこの女性と、多義に尊重し合いながら高潔な形でともに暮らしていた、というシーンが描けたのではないかと。そうしたシーンが描けていたら、彼女の死はより残酷なもの、辛く悲しいものとなったでしょう。でもそれを実現する方法を見出せず、諦めました。

──でもその後、小塚が怪我の回復後にどうしても外に出て光を浴びたいと川の畔に向かい、結局命を落とすあの一連のドラマティックなシーンは、あの女性との出会いがあり、忘れかけていた生の迸り、美しさ、女性の美を感じたからであり、ある意味ふたつのシーンは続いていますよね。

AH ええ、そこには運動があり、前のシーンから論理的に展開されています。それまで葬っていた、忘れていたすべてのことが、遅きに逸しながらも小塚の中に突如沸き上がってくる。だからこそあの登場人物を女性にしたのです。小塚は、死の直前の最後の行動を起こす、もうこれまでのように続けられない、放棄せざるを得ない状態に至ったからです。

©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

撮影の醍醐味

──川でのふたりのやりとり、そして襲撃、死のシーン。この一連のショットの展開、デクパージュは見事で、最良のアメリカ映画、やはりここでも西部劇の幾つかのシーンを想起させられたのですが、何かの作品を特別に参照されたということはありましたか?

AH 今回見直したわけではないのですが、頭に浮かんだシーンとしては、たとえば ジョン・ブアマンの『脱出』(1972)の弓での突然の襲来のシーンがありましたが、デクパージュを真似たわけでありません。西部劇、戦争映画をたくさん観てきているので、そこからは無意識にも影響を受けてはいると思います。川でのシーンはふたつに分けられていて、最初のシーンでは拳銃を紛失してしまったことでふたりが喧嘩をし、見つかった時にシーンが終わると思うその瞬間、弓が降ってきて、小塚が犠牲となる。このシーンは、どのように撮っていくか、どのようにカット割りをするか、ワクワクしながらつくりました。弓を射られ、引っ張られていく小塚をトラベリングで追っていくなど、撮影はとても楽しかったです。

──撮影方法に関連して、今度は照明について編集部からの質問です(隈元博樹)。

カンボジアでのロケーションが多くを占める一方で、室内の場面(中野陸軍二俣分校で仲間と酒を酌み交わし歌う場面、谷口が営む古書店など)での鮮やかさと影をふんだんに利用したライティングが印象的でした。『汚れたダイヤモンド』においてもそうした画づくり、ルック(質感)に特異な印象を感じていたのですが、本作を撮影するにあたり、撮影監督のトム・アラリさんとは、全編を通してどのようなやりとりや設計がなされていたのでしょうか。あるいは前作と異なるアプローチなどはあったのでしょうか。

AH ご質問頂いた学校や古書店含め、ほぼすべてのシーンはカンボジアで撮影しました。唯一日本で撮影されたのが、鈴木が谷口に会いに行く際に歩いている村のロケーション部分です。それ以外は今述べたようにカンボジアでセットを組み、撮っています。日本の村まではカンボジアで撮ることができず、日本で撮りました。なかでも興味深く、心躍らされると同時に、不安もあった作業だったのが日本家屋、建造物の内装をセットで再現することでした。ジャングルでの掘っ立て小屋のシーンなどはそれほど心配なかったのですが、日本家屋となると、当時の日本の生活文化、建築に対する信憑性がなければなりません。美術担当はかなり時代考証をして、中野陸軍二俣分校など、すべて木材で作り直し、色彩についても、灰色がかった緑色にするなど工夫しました。屋内がどのように照明で照らされ、その中の薄明かりの部分、明るい部分の配分など知るために、同じ時代が描かれている日本映画もかなり見ました。とくに古書店のシーンでは、薄明かりを用いることで、空間を捉えがたいようにし、逆に想像力を喚起させるようにしました。ジャングルのシーンでも、光と影のバランスを考慮し、小屋の中で過ごす暗闇のシーンと、日中の屋外でのシーンとの間にそれほどの差異がないようにしています。彼らはあまりにも多くの時間をジャングルの中で過ごしていて、映画全体が長いフラッシュバックでもあるため、屋内のシーンでさえまるでジャングルの中であるかのように構想しました。ルバング島から離れた場所でも、島を離れることがないかのように、屋外でたくさんの光に満ちている瞬間と、夜の洞窟や小屋での暗闇の時間、そして古書店や学校のシーン。それらのシーンの間に差異があると同時に、そこに一体感があるように心がけました。

──これで最後の質問となります。「本作は実話に基づいたフィクションである」といったクレジットをあえて入れないことを選択したのはなぜでしょうか?

AH そうしたクレジットは入れたくなかった。でも脚本には、ちょっと理論的な言葉となりますが、「この映画の登場人物が実在した小野田と類似しているかどうかまったく確信はない。ともかく、これは真の(まぎれもない)物語である(une vraie histoire)」と書きました。この文で私が伝えようとしていたのは、実際にあった物語であるということだけではなく、子供に語る物語…

──あるいは「真の愛の物語」と言う時のような…。

AH そうですね、あまりにも信じられない、驚くべきことだからこそ、それが本当になってしまう、そうした意味での物語であるのだと。でも映画自体にはそうしたクレジットを入れるつもりはありませんでした。望んでいたのはすぐに映画そのものを観客の皆さんに見てもらうことでした。できることならクレジットタイトルやスポンサーのリストも入れたくなかった。ずいぶん前から配給会社やプロデューサーにそのように頼んでいたのですが、やはりそれは無理で、誰もが団体や会社の名前を入れたがる(笑)。とにかく、実際の出来事や人物が描かれているとか、これだけいろいろな支援を受けているだとか、そうした情報なしに、暗くなって映画が始まったら、観客の皆さんには即座にその中へと身を投じ、見てほしいと思いました。

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