10/11 この傷み多き地チリを、私は離れたことがない

結城秀勇

『僕と兄』ロバート・フランク。理解が間違ってなければ、統合失調症の兄・ジュリアスをドキュメンタリーに撮ろうとする弟、をフィクションとして作り直そうとするというフィクション(の失敗?)。クリストファー・ウォーケンやアレン・ギンズバーグという豪華キャストに惹かれて見に行ったが、なにより被写体としてのジュリアス兄ちゃんの見事さに感服する。ドキュメンタリーとしてのジュリアスがいて、それを演じようとする俳優がいて、でもそのドキュメンタリーとしてジュリアス自体が演じられたものである......という多層的なつくりの果てに、ジュリアスが「演技とは?」という質問に、「いまこうして存在すること以上のなにか......。でもひょっとするとまったくの徒労」と答える場面は、ドキュメンタリーとかフィクションを越えた、まったく映画的な瞬間である。

「1960〜70年代チリ短編映画集」。ヨリス・イヴェンスの『ヴァル・パライソにて......』は、一見してすぐそれとわかるナレーションのテキストのクリス・マルケル節っぷり。その詩的さばかりではなく、むしろ現実を多層化する眼差しにおいて、現代の生真面目なドキュメンタリーがぜひ取り入れるべきニュアンスだと思う。それを目当てで見に行ったラウル・ルイス『スーツケース』の前衛っぷりにも満足するが、なにより1970年に製作された『勝利をわれらに』のコンテクストが、翌日の『チリの闘い 三部作』を見るのに必須だった。見てよかった。

『女たち、彼女たち』フリア・ペッシェ。スタンダードの画面で、寝たきりの老婆の脚を拳でマッサージする映像の、画面の切り取り方に好感を持つ。女たちが浴室にすし詰めになりながら身繕いをする際の、脈絡のない言葉の多層的な音響の重なりにも好感を持つ。だがこの映画に映されたものを、冒頭の言葉通りあらゆる女たちが当たり前に行ってきた行為として映し出すためには、水浴びのシーンも、最後の出産シーンもあまりに荘厳で美しすぎる気がする。ここに映された出来事をもっとありふれた女の子たち、かつて女の子たちだった人たちのものとして見せることは出来なかったのだろうか。『ヴァージン・スーサイズ』の前半部分のオルタネイト・ヴァージョンのようなかたちで。