2024年ベスト

赤坂太輔 (映画批評家)

映画ベスト(順不同)

  • 『Las chicas están bien』イタソ・アラナ(2023)
  • 『You burn me』マティアス・ピニェイロ(2023)
  • 『孤独の午後』アルベール・セラ(2024)
  • 『ジ・アザー・ウェイ・アラウンド』ホナス・トルエバ(2024)
  • 『トレンケ・ラウケン』ラウラ・シタレラ(2022)
  • 『Here』バス・ドゥヴォス(2023)
  • 『Algo viejo, algo nuevo, algo prestado』エルナン・ロッセッリ(2024)
  • 『陪審員2番』クリント・イーストウッド(2024)
  • 『メガロポリス』フランシス・フォード・コッポラ(2024)
  • 『No vá mas』ラファエル・フィリペッリ(2021)

毎年5本にしようと考えるが今年も5×2の10本、さらに『悪は存在しない』(濱口竜介、2023)、『ユリシーズ』(宇和川輝、2024)、『Actual People』(キット・ゾーハー、2021)、『フィーリング・ザット・ザ・タイム・フォー・ドゥーイング・サムシング・ハズ・パスト』(ジョアンナ・アーナウ、2023)、『いもの国風土記』(黒川幸則・井上文香、2023)、『青春』(ワン・ビン、2023)、『Desert Suite』(ファブリツィオ・フェラーロ、2024)などが入れ替え可能で、マリアノ・ジナスやミゲル・ゴメス、ホン・サンス、レオス・カラックスは来年送り、ロブ・トレジェンザやウジェーヌ・グリーンやロイス・パティーニョ、ホセ・ルイス・トレス・レイバやマリア・アパリシオやセプルベダ&アドリアゾラの新作は・・・見られるかどうか?
メジャー映像の総AI化(もしかするとデヴィッド・リンチはそれを待っていたのかもしれない)が古典やインディペンデント映画の「立ち位置」を明白にするなら、論じるべき「後に残る映像と音」を見極めたい者には、それはそれでいいのかもしれない。

その他ベスト(音楽)

浅井美咲 (NOBODY)

映画ベスト

今年ベストに挙げた作品に共通するのは、それぞれの凄みや恐ろしさを纏っている、ということだと並べてみて思った。弛緩した頭と身体に鞭打たれて、動けなくなるような気分になることもしばしばだった。心もとなく揺らぐ人間の生活を浮かび上がらせるようにそこに佇む苔を映す『Here』。何度も見た『悪は存在しない』は、いつも同じオープニングのトラベリングショットから始まるのに、見るたびに別の支流にたどり着いてしまうようなおかしさがあった。特集上映「日々をつなぐ」で上映された『チーズとうじ虫』は、気が散っていて雑念混じりな私が2024年で1番我を忘れてスクリーンだけを見つめていた、とてつもない引力の映画。ホストクラブや脱毛サロンの常識を主人公カナがどこか冷たい目で通り過ぎていくのが面白かった『ナミビアの砂漠』。カナのやましさも柔さも、全て同等に描かれていたのがよかった。
あと、恵比寿映像祭で見た『ヒューマンサージ3』エドゥアルド・ウィリアムズの鉛のような湖を捉える空撮は、2024年のベストショット。あの湖を泳ぐ演者たちは、段々と高く昇っていくカメラに自分たちがこんなにも綺麗に映っていることを知らないんだと思うと、たまらなくなったことを覚えている。

その他ベスト

  • 『生まれ変わらないあなたを』ゆっきゅん(アルバム)

    ご本人にインタビューさせていただき、クロスレビューも書かせてもらったこのアルバムはどうしたってベストに入れたい。本当によく聴いたし、よく思いを馳せた1枚。なんだか人生を使い果たしていきたいと思った。「遅刻」のMV1:16のゆっきゅんの表情をたびたび見返している。

  • 『Two Star & The Dream Police』Mk.gee(アルバム)

    1曲目の「New Low」を聴いた瞬間から感覚をぶち抜かれた。個人的に惹かれたのはそのミックスの仕方で、ボーカルが少し奥に引っ込んでくぐもっていて、飾りみたいなビートが前に出ている。水の中で溺れているみたいなサウンドで、私にはよく理解できない秩序で作られているのに、ソリッドでイケている。10月にリリースしたシングル「ROCKMAN」もいい。

  • 『未成年~未熟な俺たちは不器用に進行中~』(ドラマ)

    「結婚しよう、法律が変わったら」というセリフで狂い泣き。結婚というトピックは私にとってシステムの話になって久しいけれど、やっぱりある2人の結びつきの話であると教えてくれた。制作者側に意図があったかなかったかわからないけれど、同性婚が未だ日本で認められないことから目を背けなかった作品だと思う。

  • 柚木麻子さんのステージ

    世田谷文学館主催のセタブンマーケットで見た「柚木麻子 with journal2」の、ハロプロ歌唱ステージは鮮烈だった。事の経緯が書かれたZINEを読むと、柚木さんはのど自慢大会で勝ち上がるためにボイストレーニングに通い、朝井リョウさんとでか美ちゃんをバックダンサーに据え、大会に挑むも敗退し続け、ついに世田谷文学館でのステージの機会を手に入れたのだという。私ももう本当にいい大人なんだけれど、柚木さんを見ていると「ああ大人になっても大丈夫だ」と思えてくる。ありがたい存在。

  • ZINEを作ったこと

    友達のとれたてクラブさんに誘われてZINEを作ったのが、私生活でのハイライト。人と繋がらざるを得ないSNSなどのツールから離れた自分の場所を持つのはいいことだなと思った。

池田百花 (NOBODY)

映画ベスト

見た順に。まず、ここ最近の新作のなかで出会えて最も幸せだった『ゴースト・トロピック』(合わせて公開された同監督の『Here』も好き)。掃除婦として働く中年の女性が仕事帰りの最終電車で眠ってしまい、見知らぬ夜の街を彷徨い歩くことになるという設定から魅力的で、舞台となっているブリュッセルの夜の光からアケルマンも連想しつつ、日常の延長に広がる夢幻的な世界に強く引き込まれた。同じく夢と現実や過去と現在が交差する物語でありながら異なるアプローチで撮られたシュミットの作品では、大好きな『天使の影』のイングリット・カーフェンが、本人いわく子ども時代を持たない「氷の女王」として日々歌う姿が今回も最高に素敵だった。『美しき仕事』でドニ・ラヴァンが踊るあのラストシーンを劇場で見られたのも貴重な体験で、20年以上前の製作当初とは異なる社会情勢のいま、彼の身体が語らずとも訴えかけてくるものにはより一層胸に迫るものがあるように思う。特集記事に携わらせてもらった『SUPER HAPPY FOREVER』や、ルノワール特集のなかからおすすめしてもらってスクリーンで見ることができた『河』もとてもよかった。確かに、人びとの生死と水が結び付いているところに個人的な関心があるのかもしれない。
その他、ソフィア・コッポラの『プリシラ』、ジュリエット・ベルトの『雪』(特にステヴナン)、イリヤ・ポヴォロツキーの『グレース』も劇場で発見できて嬉しかった。

その他ベスト

  • DIC川村記念美術館(美術展)

    「カール・アンドレ 彫刻と詩、その間」という企画展が開催されているときに訪れたのだが、それに限らず常設展や建築、自然、すべてが素晴らしくて終始感動していたように思う。その後間もなく閉館のニュースがあって悲しい。

  • Kew(食べ物)

    京都のKewというお店で食べたドーナツのことを考えていた。ほぼ球体の見た目にたっぷりのカスタードが頭からはみ出していて、じゃりっとしたお砂糖が全体にかかっていて、シンプルに幸せが溢れていた。今年出た『ショートケーキは背中から』で平野紗季子さんがこのドーナツを「お供え物」にリクエストしていたのも納得で、私は天国に一番近い食べ物に出会ってしまったのかもしれない。それから、焼き立てのスコーンの湯気と香りを赤ちゃんのようだと言う作家の朝吹真理子さんの例えが好きなのだけれど、ドーナツと一緒に頼んでやって来た焼き立てのマドレーヌもその仲間だと思う。他にいただいた物もどれも美味しくてお店も素敵で、また行きたい。

  • 『マルグリット・デュラス——平凡さの崇高性』ミレイユ・カル=グリュベール(日本語未訳、書籍)

    2014年に出版されてから10年経って復刊された本書。副題はデュラスの映画『トラック』から引かれた言葉で、そこに登場する(とはいえ画面には映らない)老女は「平凡さの崇高性」を持ち合わせていると言われる。デュラスを始めとするヌーヴォーロマンの作家の研究者でありながら彼女自身作家でもある著者の筆致は、単なる研究書の粋を超えていてとても刺激的だった。来日講演があったときも、かつて彼女が教鞭を取っていたときのことを知っている人たちが皆、当時と変わらずパワフルに語り続けるその姿に驚いていたのも面白くて、私も一瞬で魅了され、まさに生きるレジェンドという言葉を体現されている彼女のお話を直接聞けて幸せだった。

  • 『Charm』クレイロ(音楽)

    夏に出たクレイロのアルバムを聞きながらよく歩いていた。最近好きな曲を聞かれて彼女の名前を出したら、可愛いけど聞いてると少し眠たくなる感じだよねと言われて、なんだかしっくりきた。暑さでますます夢と現実の境が曖昧になった気怠い体に優しく流れ込んでくる彼女の歌声が心地よくて、長い夏を引きずりながらほとんど眠ったまま歩き続けていたような気がする。

梅本健司 (NOBODY)

映画ベスト(見た順)

劇場公開作のみ。今回でベスト参加10回目でした。

サッカー

  • チーム:アーセナル

    左右に揺さぶるよりも同サイドでのコンビネーションで崩そうという意識が強いため、ブロックを引いた相手にはオープン・プレーからの攻撃がしばしば停滞してしまうのだが、ハイプレスと撤退守備の使い分け、そしてセットプレーは史上最高峰といっても過言ではなく、2024年に限ればプレミアリーグでもっとも勝ち点を得た。ヴェンゲル時代からは考えられない手堅さ。

  • 監督:アルネ・スロット(リヴァプール)

    フォワードを最前線に貼り付かせることなく、ビルドアップに絡ませ、かつ空いたスペースへの裏抜けも忘れさせない。攻撃においてはほとんど非の打ちどころがない。撤退守備時にボール・サイドの相手選手に対するマークが緩くなるのと、無茶な最終ラインの高さが懸念。ファン・ダイクなしには成立しないのではないか。

  • 選手:トニ・クロース

    美しい引き際を見つけることほどスター選手にとって難しいことはないのだが、クロースは最終年においてもまだ成長していた。

  • 試合:ユーロ2024──スペイン対ドイツ(2-1)

岡田秀則 (フィルムアーキビスト)

映画ベスト

  1. ヴィットリオ・デ・セータ作品集
  2. 『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』マルコ・ベロッキオ
  3. 『密輸 1970』リュ・スンワン
  4. 『瞳をとじて』ビクトル・エリセ
  5. 『ナミビアの砂漠』山中瑶子

貴族出身ながら、南イタリアの民衆生活の記録に生涯を費やしたデ・セータの短篇集に圧倒された。キャメラは漁民、鉱夫、羊飼いたちの数百年変わらない労働の形をナレーションなし(1本だけナレーションあり)で追うが、どのショットもフレーミングが鋭角的かつ隙がなく、生音のリズミカルな編集も含めてすこぶる躍動的だ。キャメラ位置もしばしば信じがたい場所にある。手漕ぎのメカジキ漁船の漕ぎ手を、いったいどの位置から仰角で撮れるというのか。撮影ネガフィルムはイタリア産のフェラニアカラー。青の発色に特徴があり、フェラニアを通して見た地中海の青にはため息が出た。
そして、デ・セータと同じく民族誌映画にほかならぬ『越後奥三面』(1984)が、大スクリーンのスペクタクルとして甦ったことに驚いた年でもあった。これは泉下の姫田忠義本人も想像できなかっただろう。
『ペパーミントソーダ(ディアボロ・マント)』の日本初公開はうれしかった。1963年、いまだアルジェリア戦争に揺れ動くパリで、権威的な教師だらけの公立女子校に通う15歳と13歳の姉妹を中心に、恋心と反抗心と社会への目覚めが風通しのよい率直さで描かれていた。
『彼方のうた』は、ル・シネマ渋谷宮下で見た。客席はそれぞれ単独の5人。帰りは全員が同じエレベーターに乗った。私たちは偶然の他人である。だが、微笑ましく視線を合わせながら、同じ旅の仲間だったことにみな気づいていたようだった。

その他ベスト

  • 『The Bed I Made』The Softies(音楽)

    1990年代、女性デュオのヴォーカルとセミ・アコースティック・ギターだけの繊細なハーモニーで私たちを魅了したザ・ソフティーズが24年ぶりにニューアルバムを出した。彼女たちは衰えることなく歌を紡ぎ続けていた。2024年はイノセンス・ミッションも相変わらず水準の高い新譜を出したし、ミルウォーキーのブラックトップというバンドの優しい音にも心を動かされた。

  • 宇野港

    直島とやらに一度行かねばと思い、岡山県の宇野港を訪れたが閑散としていた。港に面した宿にチェックインすると、部屋名が「OZU」「KUROSAWA」「MIZOGUCHI」「IMAMURA」「OSHIMA」とあって目を白黒させた。私が与えられた部屋は「TESHIGAHARA」。日本人だけでなく「MARKER」「SCOTT」(リドリーの方だろう)もあったが、「ALICE」とは?まさか?と思い翌朝尋ねたら本当にアリス・ギイのことだった。アート島への出港地、恐るべし。

  • 『オール・アバウト・マイ・マザー』バッグ

    ハリウッドのアカデミー博物館は常設展がおそろしく充実しているが、同時にいつも複数の企画展を催している。その時はペドロ・アルモドバル展が開催中だったが、売店のグッズも冴えまくっており、あの貫禄あるママの描かれた(オスカル・マリネ画)青いバッグに一目惚れした。またこの夏は暑く、Tシャツ活動に力を入れたら随分増えてしまった。なお最高にうれしかったプレゼントは、ハーヴァード・フィルム・アーカイブのヘイデンさんから贈られたジャン=ピエール・メルヴィルのTシャツ。

  • 新美南吉記念館

    愛知県半田市にあるが、ここは名古屋から意外と遠い。建造物を半地下に埋め込み、地上は草で覆わせたさわやかな建築だ。隣の森は『ごんぎつね』の舞台だった土地だという。南吉は絵に描いたような実直な文学青年で、結核でついには夭折したが、記念館の控えめな解説だけでも非常に女性にもてた人だと分かった。そうだ思い出した。『手袋を買いに』で、人間のお店で手袋を得てうれしがる子狐に向かって、それでも母狐は言うのだ。「ほんとうに人間はいいものかしら」。

  • 「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」(展覧会)

    1930年代、シュルレアリスムに目覚めた日本の画家、画学生たちの仕事を包括的にたどっているが、日本の場合は権力の弾圧というフランスにはない特殊事情が、展示後半の相貌を避けがたく陰鬱にしていた。例えば、靉光の《眼のある風景》はもともと不気味な絵だが、1938年から41年、つまり終焉期の作品群が持つ無言の志の中に置かれるとより凄絶に見えてくる。振り返るに、同じ時期の日本映画界はもっと楽天的だったと思う。

荻野洋一 (番組等映像演出/映画評論家)

映画ベスト

  1. 『スポーツの女王』孫瑜(スン・ユィ)
  2. 『時は止まりぬ』エルマンノ・オルミ
  3. 『マハゴニー』ハリー・スミス
  4. 『クリスタル・ゲイジング』『スフィンクスの謎』ローラ・マルヴィ
  5. 『開いた口』モーリス・ピアラ

2024年公開の新作ベストテンについては「リアルサウンド」で既発表、そして日本映画&外国映画それぞれのベストテンおよび主演女優賞、新人男優賞などといった個人賞各賞については「キネマ旬報」(2/5発売)で発表するため、「NOBODY」では荻野にとっての純粋な鑑賞作品ベスト5をリストアップする。孫瑜、オルミ、ハリー・スミスはいずれも国立フィルムアーカイブ、ローラ・マルヴィは彩の国さいたま芸術劇場、ピアラは新文芸坐シネマテークで鑑賞。1930年代の上海映画を牽引した孫瑜監督の闊達な演出と黎莉莉(リー・リーリー)の健康美が合わさった『スポーツの女王(體育皇后)』(1934)は、まさに民国時代の上海モダニズムの精華といえる。

美術展ベスト

  1. 不在——トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル(三菱一号館)
  2. 没後300年記念 英一蝶(はなぶさ・いっちょう)―風流才子、浮き世を写す(サントリー美術館)
  3. フェミニズムと映像表現(東近美)
  4. 没後30年 木下佳通代(埼玉県立近代美術館)
  5. 生誕120年 安井仲治(東京ステーションギャラリー)

映画、美術展以外の諸ジャンルについてはベストを1つずつ。

  • 本ベスト=『新訳 ドリアン・グレイの肖像』オスカー・ワイルド著、河合祥一郎訳(角川文庫)
  • 舞台ベスト=『限り』竹之内敦志じねん舞踏(シアターχ)
  • テレビベスト=『光る君へ』演出・中島由貴ほか(NHK)
  • 音楽ベスト=『J.S. Bach: De Occulta Philosophia』ホセ・ミゲル・モレーノ(Glossa Music/再発)
  • スポーツベスト=尊富士(110年ぶり新入幕力士の優勝)
  • 飲食ベスト=中國飯店(上海料理/東京・六本木)

ソフィ・カルと、三菱一号館コレクションの中核をなすロートレック作品の融合にはこじつけのきらいを感じざるを得なかったが、ソフィ・カルによる痛みに満ちた作品の数々に惹き込まれ、館内では時間経過を忘れた。彼女自身も編集に関わった図録『不在 Absences』(青幻社)は5000円と値が張ったものの、素晴らしい出来ばえ。ソフィ・カルの展覧会を前回見たのは原美術館の《限局性激痛》だった。《不在》といえば原美術館の不在をこそ嘆くほかはない。
2024年はポッドキャストをよく聴くようになった。知人・友人たちが一斉にポッドキャストを始めたためだが、ずっとモニタと睨めっこしていなければいけないYouTubeよりも私の嗜好に合っている。自宅キッチンに置いたBose社のBluetoothスピーカーに飛ばして、自炊しながら誰かの話に耳を傾けるのが好きだ。リュート奏者ホセ・ミゲル・モレーノのアルバムを知ったのは、ラジオフランスのポッドキャスト『Le Bach du dimanche(日曜日のバッハ)』を聴いている時だ。毎週日曜に更新されるこの番組は私が一番気に入っているポッドキャスト番組。コリーヌ・シュネデールというバロック音楽学者がナビゲータで、彼女が思い思いに新旧さまざまなバージョンのバッハを紹介してくれる。
「中國飯店」は長年愛してきた老舗の上海料理店で、昨年12月まで市谷薬王寺町に住んでいた私はよく市谷の支店を訪ね、スタッフには顔を覚えてもらった。麻布十番の「富麗華」も「中國飯店」の支店である。今回、六本木本店を飲食ベストに選んだ理由は、ここで拙著『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ』の出版祝いをおこなったためである。といってもみんなを招いた派手な催しではなく、この本を出してくれたリトルモアの社主・孫家邦さんが、著者の私と編集を担当してくれた大嶺洋子さんにおごるという内輪の会だった。その日(9/25)はちょうど上海蟹の解禁日であり、老舗が繰り出してくるコースの皿の数々はまさに絶品で、あの夜の幸福を私は生涯忘れることがないだろう。六本木本店は以前は午前4時まで営業していたので、東京の深夜族が口悦の贅に耽溺する空間として知られた。私もかつてはそんな愚かな一人で、真夜中に訪れ、上海蟹1匹と北京ダック半羽だけ注文してワイン片手に一人で頬張って立ち去るという行動をとったりした。どんなに深夜でも泥酔する客なんか誰一人としていない空間の筋の良さが素晴らしかった。しかし現在は午前0時閉店。同じく六本木では「香妃園」が現在も午前4時閉店で、あそこも良い店だが「中國飯店」の域には到底達しない。東京の街も、私自身も、馬鹿をする元気な時代はもう過ぎ去ったのだ。

金在源 (NOBODY)

映画ベスト

昨年の衆院選当日に『HAPPYEND』を鑑賞した。思いもよらぬタイミングで忘れがたい作品と出会う経験こそ、映画や芸術に触れる醍醐味であることを再確認できた。
『Here』鑑賞後、外に出るたびに道端の苔を探し、育てるかどうかしばらく悩む日々が続いた(石川県小松市には「苔の里」なるスポットがあることを知った)。
2024年は黒沢清作品をたくさん摂取することができた。特に『Chime』は終始不穏な空気が流れ、「これぞ黒沢清」という演出が45分間にぎっしりと詰まっており、堪能することができた。
年末鑑賞した『トレンケ・ラウケン』はパート2からの展開に圧倒された。単純な男女の恋愛に収まらず、男たちが抱く思いがいかに独りよがりで的外れであるのかを突きつけ、主人公ラウラを取り巻く人々との間におけるお互いの理解できなさや、存在の曖昧さ、共同体を求めながらも孤独に歩んでいくことなど、二転三転していく物語に目が離せなかった。今年もっと多くの劇場で上映されてほしいと思う作品であった。
『マッドマックス:フュリオサ』は、前作で熱狂した私(たち)の在り方を問うような作品であった。そのことを執筆した拙文を多くの方に読んでいただきありがたいと思ったと同時に、前作のファンの方々からさまざまな言葉を投げかけられたこともまた印象的であった。

その他ベスト

  • 『ヤンキーと地元』打越正行(書籍)

    ずっと読まなければと思っていながら、12月に著者である打越さんの訃報を受けてやっと手に取り、もっと早く読むべきであったと後悔してしまった。著者自らが沖縄のヤンキーグループの中に入り、パシリとして交流を深め、10年間参与観察をしてきたことが記録されている。沖縄の若者たちの語りから、彼らが直面している問題や、一枚岩ではない沖縄の現実が浮かび上がってくる。文庫化に際して書き下ろされた補論も必読。先日webちくまで公開された上間陽子による追悼文『打越くんのバカ話』も涙なしでは読めない。

  • 『BAD HOP ( THE FINAL Edition)』BAD HOP(音楽)

    なんだかんだ言って2024年は彼らの年だったのではないかと思う。私自身、くり返し聴き、解散に向けた東京ドーム公演までの間に更新されていく本作に胸が熱くなった。10年以上前、私が彼らの地元である川崎市川崎区池上町の隣町、桜本に住んでいたとき、地域の児童館でバイトをしていた。そこにメンバーのうちの何人かが遊びに来ていたのを今でも覚えている。彼らが仲間たちとともに東京ドームに立つ姿は感動的であり感慨深くもあった。

  • 『鰤しゃぶ』(食べ物)

    これまで「鰤しゃぶ」と言えば鍋料理の一つというような認識だったが、年の暮れに昆布などでとった出汁に岩海苔をこれでもかと入れた小鍋に鰤を潜らせ、ポン酢で食べるという方法を知って以来やめられなくなってしまった。とてもシンプルであるが、脂の乗った寒鰤にさっぱりした出汁と磯の香りが絶妙にマッチしており、これと日本酒があれば北陸の冬は越せることがわかった。

  • 『岩井戸の民話』@能登町立岩井戸公民館(民話)

    能登半島地震が起きて1年が経過した。何度か被災地に赴く中で、能登町の岩井戸地区にある公民館にお邪魔することがあった。そこで、館長が地区の方々から聞き取った民話を編集した冊子に出会った。岩井戸地区では『猿鬼伝説』が有名らしく、岩井戸に住みついた「猿鬼」を退治するという話であるが、大陸から日本にやってきた人たちが「猿鬼」として描かれてきたのではないかと、日本海に面している場所として想像することもでき大変興味深いものばかりであった。

  • 『AT MOMENT 政治とアートの現在地点』@金沢美術工芸大学(展示)

    今年の夏、金沢美術工芸大学の学生たちが中心となり、金沢にもパレスチナに思いを寄せている人たちがいることを記録した展示会が開催された。パレスチナで続くイスラエルによる虐殺行為について、金沢からでも抵抗の意志を示すことはできるという力強いステートメントから始まり、ガラス窓に転記された『ガザ日記』の本文、「FREE PALESTINE」と刺繍されたバッグ、金沢市議会への陳述書、訪れた人たちで作成するメッセージキルトなど、連帯の思いを抱く人々がたくさんいるということが伝わり、力づけられるものだった。(停戦合意がなされたとはいえ)パレスチナでの虐殺行為に対して自分にできることは何なのかを自問してばかりだが、パレスチナが解放されるまで私も声をあげ続けていきたいと思う。

隈元博樹 (NOBODY/BOTA)

映画ベスト

映画を見ていると、スクリーンの中の登場人物たちが隣に現れては消えていくような感覚に陥ることがある。そのことで終電を過ぎた真夜中をともに彷徨うことができるし、凍てついた世界を救うためのユニークなテクノロジーを目の当たりにすることができる。また、ある悲劇を多様な視点で更新することもできれば、素朴ながらも知見を携えた宇宙の一員として生きていくこともできるし、さらには愛する者をつねに遠くで見守り続けることさえ可能となる。それらが生きているのか、はたまた死んでいるのかは問題ではない。目の前で起こることを単に切り取って見せるわけでなく、それぞれが孕む危うさ、もしくは煌めきの世界へと誘ってくれるような隣人とも言うべきか。そういった仲間たちの存在に魅せられた5本を選んだ。
また2024年は豊作だったためベストに日本映画を挙げなかったが、酒井善三の『フィクショナル』については言及しておきたい。『カウンセラー』の手腕もさることながら、「つくられたもの」の域を越えた現代社会に対する批評性、また一つひとつのショットから滲み出てくるかのような演出の機微と力に唸ったことを付記しておく。

その他ベスト

  • 「Help Me Make It Through the Night」クリス・クリストファーソン(音楽)

    映画館「Stranger」のジョン・ヒューストン特集に寄せてマガジンに文章を書かせてもらう機会があり、『ゴングなき戦い』のことを考えるたびに脳内を駆け巡った曲のひとつ。これからもいくつもの「ひとりぼっちの夜」があるかもしれないけれど、この歌詞を思い出すたびに気心の知れた仲間たちの元へ会いに行こうと思う。

  • 連続テレビ小説『虎に翼』(ドラマ)

    ここ数年の朝ドラでこれほど主人公が疑問を抱き、時に間違え、都度そこで得た気付きを言語化していく様相に心を打たれたドラマはなかった。相手に対してだけでなく、自分の中の正義と呼ばれるものに疑いを持つことは、見ず知らずのうちに生じてしまいがちな自らの加害性と向き合うことでもある。寅ちゃんだって間違えるし、私たちも間違える。問題はそこからどのようにして立ち上がるのかということだ。

  • 「喋喋喃喃」(ポッドキャスト)

    劇団「ロロ」の森本華さん、亀島一徳さん(+制作の奥山三代都さん)によるトーク番組。俳優として、あるいは生活者としての振る舞いや考察、またその多くは愚痴だったりするけれど、毎週金曜日の配信を欠かさず楽しみに聴いていた。番組名が「喋喋喃喃」(ちょうちょうなんなん)なのに、全然そうじゃないところもすごく良い。残念ながらシーズン1は終了したがシーズン2に期待大。

  • 韓国・ソウル(旅行)

    コロナ以降初の海外旅行。以前は仕事やプライベートを問わずほぼ毎年韓国には行っていて、今回は実妹の結婚式に参列するための渡韓だった。家族も増え、韓国の人々や文化に触れることが多くなってとてもうれしい(義弟から「オッパ」と呼ばれることもうれしい)。ちなみに妹夫婦でYouTuberチャンネルをやっているので、韓国の美容や文化、また私たちの家族にご興味ありましたらば。

  • 豊永酒造「カルダモンTAKE7」(リキュール)

    熊本県球磨郡の蔵元によるスパイス焼酎。「スパイスの女王」ことカルダモンの心地良い香りとすっきりとしたのどごしが、いつもの食事をよりいっそう美味しく引き立たせてくれる。炭酸で割るのがベターだが、ノンアルコールビールで割るのもオススメ。近所の酒屋さんで見つければ自宅で、飲食店で見つければホッピーや日本酒の次に必ず呑むことにしている。

坂本安美 (映画批評、アンスティチュ・フランセ日本 映画主任)

映画ベスト(2024年に日本で上映・紹介された新作より、見た順)

  • 『瞳をとじて』ビクトル・エリセ
  • 『ラジオ下神白 あのとき あのまちの音楽から いまここへ』小森はるか
  • 『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』/『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』マルコ・ベロッキオ
  • 『これが私の人生』ソフィー・フィリエール (監督週間 in Tokio)
  • 『陪審員2番』クリント・イーストウッド(U-NEXT 配信)

その他

特集上映で再見・発見した旧作ベスト5

  • 『私の彼氏』ラオール・ウォルシュ
  • 『南部の人』ジャン・ルノワール
  • 『東から』、『南』、『向こう側から』シャンタル・アケルマン
  • 『紐育の波止場』ジョゼフ・フォン・スタンバーグ
  • 『雪』ジュリエット・ベルト、ジャン=アンリ・ロジェ

仕事に明け暮れた一年だったことを、昨年のベストの「その他」を見て自覚、ふー。ふらふらと漂い、見知らぬもの、風景、人たちと出会い、驚く時間は大切だ。そんな時間を与えてくれた映画たちに感謝。

作花素至 (NOBODY)

映画ベスト

  1. 『悪は存在しない』濱口竜介
  2. 『喜劇 あゝ軍歌』前田陽一(1970)
  3. 『城市特警』ジョニー・トー、アンドリュー・カム(1988)
  4. 『ナミビアの砂漠』山中瑶子
  5. 『シビル・ウォー アメリカ最後の日』アレックス・ガーランド

映画館で見た順です。①既にどこかで指摘されていることかもしれませんが、濱口作品にちょくちょく(コロナよりずっと前から)テレビ通話の場面があることが気になっています。東北三部作の撮影方法とも関係があったりするのでしょうか?②とても不謹慎で真面目な映画。フランキー堺、財津一郎、北林谷栄はいずれも岡本喜八とも縁のある面々。倍賞千恵子が九段の神社の巫女役でそわそわした。③去年見た映画で一番好きかもしれない。恋人の形見のネックレスで引き金を引くのに感動しました。④カナ(たち)は、他者と共に生きるというような生やさしいことじゃなく、現実の、あるいは潜在的な「加害者」たちと共に生きなきゃいけない。砂漠のユートピアにはもう人間がいない。⑤今までアメリカの外側で起こっていた災厄がすべてその内側で起こる。キルスティン・ダンストたちはそれをカメラのフレームの向こう側に押しやって、もう一つ内側を作ろうとするけれど、気づけば自分が向こう側に立って=写ってしまっていないとも限らない。

生誕100年の岡本喜八(とその周囲の作家)ベスト

  1. 『どぶ鼠作戦』(1962)
  2. 『侍』(1965)
  3. 『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』(1979)
  4. 『独立機関銃隊未だ射撃中』谷口千吉(1963)
  5. 『戦場にながれる歌』松山善三(1965)

①岡本の戦争映画の兵士たちにとっては戦後日本が存在しない。戦場にいた者はその生死にかかわらず一人として帰国しない。『日本のいちばん長い日』(1967)でも、玉音放送の前に自決した阿南と青年将校たちは、作中の立場の相違を越えて岡本的な軍人像を共有している。すなわち、岡本はここであのファナティックな宮城事件の首謀者たちに秘かに共鳴している。『肉弾』(1968)の〈あいつ〉が岡本本人の経歴とは異なって海に漂い出たのも、彼が戦後を拒絶したからである。あるいは、映画が始まった時点で既に戦後を生きている元兵士はすべて異邦人として描かれている(『江分利満氏の優雅な生活』(1963)、『にっぽん三銃士』(1972-73)、『近頃なぜかチャールストン』(1981))。『どぶ鼠作戦』のラストは、還らないことを選択した兵士たちの姿をとりわけ明るく、感動的に描いていると思う。
②岡本が撮った最初の「笑いのない」大作映画。橋本忍の脚本は完璧だとは思わないが、プリタイトル・シークエンス及びクライマックスの桜田門外の変のショット連鎖は岡本作品の中でも随一。岡本は戦争だけでなくテロリズムを撮り続けた監督でもある。
③この映画を特に評価している論評を読んだことはないのだが、若者たちの生き急ぎの速度(作中に早慶戦は存在しない)や、戦時下と戦後をはっきり断絶させる操作、そして岡本の戦争映画を規律し続ける圧倒的な重力の作用が航空特攻のモチーフにおいても現れていることは結構ショッキングだと思っている。
④谷口は岡本の師の一人。『独立愚連隊』(1959)は明らかに谷口の『暁の脱走』(1950)に対するオマージュかつ批評である。あるトーチカ内部の密室劇に等しい『独立機関銃隊』は日本の『地下水道』(1956)のようだ。戦争は閃光や音響、振動、粉塵、跳弾(!)、空の薬莢から立ち上る煙などのミクロな知覚に分解還元されて、兵士たちを極小の地獄に追いつめていく。
⑤岡本の『血と砂』とひと月違いで公開した、同じく軍楽隊の青年たちの映画。喜八組の二瓶正也、小川安三などが良い役で出ている。原作は本作の音楽も担当している團伊玖磨の半自伝的小説だが、松山による脚色とコンティニュイティを破壊する映像はそこに侵略戦争に対する強い批評性を加えている。和解すべき「敵」が中国などからアメリカにいつの間にか横滑りしている構造が「太平洋戦争史観」(吉田裕)を如実に反映している点も含めて興味深い作品。

鈴木里実 (映画館スタッフ/刺繍作家)

映画ベスト(鑑賞順)

  • 『瞳をとじて』ビクトル・エリセ
  • 『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』アレクサンダー・ペイン
  • 『ジガルタンダ・ダブルX』カールティク・スッバラージ
  • 『陪審員2番』クリント・イーストウッド
  • 『春をかさねて』/『あなたの瞳に話せたら』佐藤そのみ

ベストと関係のない話をいきなりすみません。『サン・セバスチャンへ、ようこそ』のボンゴを叩くルイ・ガレル、何かの枠にはまればと思いましたがそんな枠はなかったのでここだけで書かせてください。エリセの、本当に待ちに待った新作は年月を重ねたからこそ表現できるものがあるのだと、登場人物を正面から映すひとつひとつのカットを1秒でも見逃したくなかったです。校長室から盗ってきた高級ウイスキーを飲むのではなく吐き捨てる、私もそんな人間でいたいと思えた『ホールドオーバーズ』、あの新人は何者でしょうか。『ジガルタンダ・ダブルX』は見せ方が上手とは言い切れませんが、映画の、そして映画館が持つ力をまだ信じてもいいのかも、と泥臭い画面の中に光を見ました。演出が冴えすぎていてイーストウッド教の私ですら震えた『陪審員2番』は、娘に死体の役をさせたことに特に感心してしまいました。本作を遺作とか勝手に言うやつは黙っていてください、オリヴェイラを超えてくれないと困ります。あの時子どもだった世代が作り手となり、こんな作品まで撮ってしまったのかと感動を通り越してかなり食らった『春をかさねて』、続けて『あなたの瞳に話せたら』を見られたことが大きく、二本で一つの映画体験とさせていただきます。いつか大人になる子どもたちにどう向き合うかを強く考えた締めくくりとなりました。

その他ベスト

杉並区の大衆中華料理店5選
昨年に続き今年も同じテーマで恐縮ですが、行っているところは同じであってもお店も自分も日々変化しているのでその記録と記憶として書かせていただきます。

  • 中華料理 光

    おじいちゃんが一人で営業している「光」ですが、メニューの名前から想像できるこちらの常識を超えてくる美味しさです。冬場の石油ストーブの匂いも好きで、駅からは少し遠いですがお店がある限り行き続けたい場所です。

  • 中華屋 櫂ちゃん

    いつになったら櫂ちゃんのいかつい店主に緊張しなくて済むようになるのでしょうか……メニューの9割はいただいたかと思いますがいまだに緊張します。それがまた良いスパイスではあるのですが。新高円寺の町中華は「タカノ」も含めて曲者揃いです。

  • 三久

    久しぶりに行ったら額に入れられた女将さんの写真が飾られていました。最後に会ったのは何を食べた時だったか。由利徹も常連だったという三久、向こうで会えていたらいいな、と勝手に思うこととたまに食べに行くことくらいしか残されたものにはできません。

  • えのけんラーメン

    今はもう一緒にいない人とかつて行っていた場所というのは敬遠しがちですが、そのままにはしたくないのとここの餃子が食べたくて行ってみました。特に何か大きな感慨があるわけではありませんが、日々を新しく重ねて自分は今ここにいるのだなとぽってりした皮の餃子を特製味噌につけて食べながら思いました。

  • 中華徳大

    荻窪に行かれたなら是非こちらのチャーハンに「らんらんトッピング」を試してみてください。2世代経営で安定した美味しさを供給してくれる徳大、なぜか行く度に豪雨なのですがらんらんなチャーハンを食べたらそんなことはどうでも良くなります。借りた傘を返しに行かなくては。

鈴木史 (映画監督・文筆家)

映画ベスト

  • 『メイ・ディセンバー ゆれる真実』トッド・ヘインズ
  • 『ビートルジュース ビートルジュース』ティム・バートン
  • 『春をかさねて』/『あなたの瞳に話せたら』佐藤そのみ
  • 『時々、私は考える』レイチェル・ランバート
  • 『フィシスの波文』茂木綾子
  • +1『シークレット・ディフェンス』ジャック・リヴェット(旧作)
  • +2『ANORA アノーラ』ショーン・ベイカー(試写/2025年2月公開)

その他ベスト

常川拓也 (映画批評家)

映画ベスト5

  1. 『ブルー きみは大丈夫』ジョン・クラシンスキー
  2. 『The Substance』コラリー・ファルジャ
  3. 『ANORA アノーラ』ショーン・ベイカー
  4. 『ロボット・ドリームズ』パブロ・ベルヘル
  5. 『Ghostlight』アレックス・トンプソン&ケリー・オサリヴァン

(『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』『HOW TO BLOW UP』『太陽と桃の歌』は2023年、『ヒューマン・ポジション』2022年のベストに選出したため除外)

ケイティ・ペリーが「今こそ『26世紀青年』を見よ」と言っていたように、2024年もどんどん世界は恐ろしく気が滅入る場所になり、個人的にも自己否定と自己嫌悪が重なる心底辛い暗澹たる年だったけど、①④にただただ泣いた。ネガティビティに飲み込まれず、ユーモアを忘れないジョン・クラシンスキーの軽視されがちな傑作の良心と優しさに救われた。私にとって必要な映画だった。

②は2024年最も挑発的で凶暴なボディホラーで、しばらくイメージが頭から離れないほどショックと驚きを刻み込まれた。アートを通じて文化における何かを動揺させる明確な意図を持ったフェミニスト映画。③はやはり『タンジェリン』でインタビューした時のまま変わらないショーン・ベイカー映画で最高だった。『セイント・フランシス』コンビの新作⑤は再び人と人のつながりが悲しみや痛みを穏やかに解き放つ様を真摯に描いたドラメディで素晴らしかった。ハグを美しく撮る人だと確信した。

フランス版『セイント・フランシス』な『クレオの夏休み』、欲望の可視化を驚嘆のカメラワークで示した『チャレンジャーズ』、フィクションと現実の接地が鮮やかな『聖なるイチジクの種』、R指定セックスコメディの復権を告げる『恋するプリテンダー』なども印象深い。それぞれ『The Thin Blue Line』への日本からの回答のような方法論で実際の事件を再検証した『正義の行方』『マミー』は2024年を代表するドキュメンタリーで、パンフレットに寄稿できたのは自分自身にとっても意義あることだった。

いまの気持ちは「ずっといい人しか出てこない話は嘘臭いと思っていた。でも、今はそういうものを信じたい」(『アイミタガイ』)です。

その他ベスト5

  • アルトゥーロ・リプステイン特集(東京国際映画祭)

    社会に根付いた家父長制に挑戦し、貪欲で虚栄心に満ちた人間の邪悪な本性に迫る異形のメキシコの映画作家の発見だった。メキシコの先駆的なゲイ映画『境界なき土地』、反ユダヤ主義を迫真的に描いた『聖なる儀式』、コンプレックスを抱えた孤独で不幸な殺人鬼カップルの異端のラブストーリー『深紅の愛』とどれも強烈だったが、特に家族を生涯監禁し続ける支配的な父親の暴政を容赦なく描き切った『純潔の城』が凄まじく衝撃だった(『籠の中の乙女』より36年早い!)。

  • 『ツイスターズ』4DX

    通常の映画鑑賞とは別種のアトラクション的な映画体験(物語と合わせて文字通り雨風に晒される)として、没入型劇場フォーマットとしての4DXの新たな可能性に気づかされた。

  • RGがあるある歌い続けウエストランドがあるなしクイズし続ける会inなかのZERO

    2024年一番笑った。お笑いライブでは、トム・ブラウン『たろう7』、ラブレターズ『39』も行けてよかった。

  • ジョルジャ・スミス日本初単独公演『falling or flying TOUR 2024 JAPAN』

    初めて生で見れて感激。終盤の「Teenage Fantasy」「Be Honest」「On My Mind」の盛り上がりの一体感は幸福な時間だった。オリヴィア・ロドリゴ日本初単独公演『GUTS WORLD TOUR』も学園祭のようにみんな彼女にインスパイアされた格好をしていてパワーを感じた。

  • BAD HOP THE FINAL at TOKYO DOME

    解散に向けたすべてがこれからの次世代やフッドへの還元であり、「ヒップホップシーンをでかくする」(YZERR)ための貢献へと集約していたのが印象的だった。

中村修七 (映画批評)

映画ベスト

『ショーイング・アップ』が描くのは、住まいや家族をめぐるいくつもの些事に振り回されながら制作を続ける女性芸術家の肖像だ。本来なら壁があって撮影することが不可能な位置から作品制作中の主人公を捉えた冒頭のショットに、正面から女性芸術家の姿を捉えるのだという強い意志を感じる。
『瞳をとじて』では、登場人物が瞳をとじることによって、過去を想起し、失われたものを哀悼し、微かに残されていた希望を召喚する。『瞳をとじて』は想起・哀悼・召喚の映画だと思う。
『悪は存在しない』を三宅唱の『密使と番人』への応答として捉えてみたならば、どのようなことが見えてくるか。『密使と番人』は、舞台となる山が眼差しの主体であるかのようだった。一方、『悪は存在しない』は、舞台となる山とその近隣地域にある様々な事物が眼差しの主体であるかのようだ。また、『悪は存在しない』と『密使と番人』には、主人公が別の登場人物の首を絞めるという点で共通する。
『夜の外側』は、起こりえなかった歴史の側から、あるいは死者の側から、現実に起きた歴史を見つめる。死者の眼差しを畏れよ。そのように『夜の外側』は告げているように思う。
グスマンは前作『夢のアンデス』において、アンデス山脈から切り出された石が街路の舗石となっていることをふまえ、石がチリの現代史を目撃して記憶にとどめていると語った。そして、『私の想う国』でグスマンは、石はこれから作られる新しい家の土台となると語る。未来へ向けた希望が率直に語られているのが印象に残る。

美術展ベスト

ブランクーシにとって、卵は原型として重要だ。さらに、飛ぶということも重要な要素として加わる。ブランクーシの作品群は、ゴロリと横たわっていた原型としての卵から生まれてきた鳥が空高く飛翔するに至るまでを包括するかのようだ。
カルダーの作品では、運動と安定という矛盾する要素が統合されている。だから、彼の作品は常に変容し、生成する。絵画作品においても、モビールやスタビルと同様に、背景としての地の上に色の付いた形としての図が描かれており、いくつもの要素同士の関係が作られている。
結婚式の晩のセルフ・ポートレイトが典型的に表すように、アレック・ソスの写真は、現代に生きる人々の虚無感を捉えている。人物の背景となる生活空間や部屋に置かれた物品は、それを所有する人物の充足ではなく、むしろ空虚を表しているようだ。
ある時期までの木下佳通代の作品は、時間的変化そのものを作品の主題としていたように思う。連作写真における被写体の移り変わり、描かれた円と描かれつつある円の重ね合わせ、紙を折り畳むことと広げること、描くことと拭くことなど、作品の中に時間的変化そのものが含まれているからだ。
内藤礼展の8階展示室の数寄屋橋交差点に面した角には、男女のペアの人形が並んで置かれていた。高いところにいる小さな人形たちから見つめられているとも知らずに、地上では、交差点を多くの人が行きかい、車が往来しているわけだ。恩寵とは、たとえ気付くことがないとしても、そのような眼差しに見つめられていることなのではないかという気がする。

新谷和輝 (映画研究)

映画ベスト

  • 『瞳をとじて』ビクトル・エリセ
  • 『フェラーリ』マイケル・マン
  • 『社会主義リアリズム』ラウル・ルイス、バレリア・サルミエント
  • 『かづゑ的』熊谷博子
  • 『A Window of Memories』清原惟
  • 『ナミビアの砂漠』山中瑶子

特異な切り返しの果てに、映画と人間の記憶・感情の意地を見せたエリセの映画には、ほんとうに驚いたし嬉しかった。『社会主義リアリズム』は50年前の素材なのに最先端。同じく労働者討議映画でいうとジョアキン・ジョルダの『Numax presenta...』にも心から感動した。『すべての夜を思いだす』とどちらにするか迷った清原さんの作品は、最近の朗読映画のなかで最も遠くに行っていた。『ナミビアの砂漠』は上手いとか下手とか共感するとかしないとかよりも、この映画の人たちと今を一緒に生きている感じがとても新しかった。

その他ベスト

  • 『TOCHKA』京大西部講堂上映会

    今まで行った上映会場でたぶん一番寒く、皆でストーブを囲んだ。冷えきった空気の中で大音量、大スクリーンで見た『TOCHKA』はすさまじく、頭に焼き付いた。

  • ニューガーデン映画祭

    岡山の真庭で3月に行われた映画祭。映画も交流もたいへん楽しかった思い出。

  • 『歌、燃えあがる炎のために』フアン・ガブリエル・バスケス(久野量一訳)

    今のラテンアメリカ文学を背負ってる作家の短編集。語りの距離と構成がすごい。

  • 伊豆・伊東温泉 お風呂ずきの宿 大東館

    ここの温泉はほんとうにすばらしいです。お値段はお手頃。朝食が美味しい。外に出ずにずっとごろごろしていたい。

  • 本厚木 十和田

    この居酒屋に行くために毎週本厚木に行っていたのだと思う。お魚と煮込みが好き。「本日の祭」は超お得。

patchadams (DJ)

映画ベスト

  • 『私は時々ハワイを想う』『青の隔たり』エルフィ・ミケシュ@国立映画アーカイブ
  • 『ヒューマンサージ3』エドゥアルド・ウィリアムズ@東京都写真美術館1Fホール 恵比寿映像祭
  • 『海賊のフィアンセ』ネリー・カプラン@東京日仏学院 「フランス映画の女たち」
  • 『デビルクイーン』アントニオ・カルロス・ダ・フォントウラ@シアター・イメージフォーラム
  • 『じぶん、まる!いっぽのはなし』崟利子@泪橋ホール
  • 『オルフェア』アレクサンダー・クルーゲ &カヴン@アテネ・フランセ 文化センター Im Apparat 現代ドイツ映画作家シリーズ

醒めない夢のようなこと。あらゆることが寒々しい。熱のあるものに触れても、途端に冷える。燻る瓦礫に雪が降り積もってる。丘の上にある、かつて暮らした家は役場すらちゃんと把握できていない土地にあった。隣の敷地のぶっ壊れた社や鳥居を片付けるのにウチのハンコがいるなんて。見覚えのあるもの、見覚えのないものが出てきては捨てる。見知らぬ人たちにどんどん捨ててもらう。かぞくは、みんな、体力が落ちてる。薬を飲んでる。しっちゃかめっちゃかな2階の小部屋でモスクワオリンピックのキャラクターの熊のキーホルダーを拾って、台所まで持ってくる。土埃がうっすら堆積した食台を、軍手をした手でさっと払い、熊を置く。いくつか食器類と壁掛けの電波時計を持ち帰る。
街に出ると顔つきが違うと言われる。それはずっと前から身に覚えのあること。
映画をあんまり見なかったし、本を全然読まなかった。YouTubeばっかり見たり聞いたりしていて、朝方、夜明け前からの数時間はソファで横になって過ごした。左肺を下にして。ある時右肺が痛かったのでそれからこの体勢になった。左目を閉じて右目で見ていたスマホの画面。いつかチャンネル登録したTerry Bの動画がよく流れていて、それに感化されたのか夜中に自転車かっ飛ばして遠くの寺まで行ったりした。その時は異常なまでに体力の漲りを感じていたが、きっと速度は遅かった。寺には急にたどりついたりしないで、やっとこさ、帰ってくれば疲労だけ。
日毎寝落ちして3時間で意識が戻った。
年を越してすぐ、寝床に入るといつもより陽気なトーンの怪談配信の音が聞こえる。枕元で光るスマホの画面を覗くと中年男性にみえる人物の右肩の上あたりに「LIVE」の文字がキラキラしている。アンナ・カヴァンの『眠りの館』を半分読んで止めたことを思い出す。それを読み返してみる。

深田隆之 (映画監督)

劇場でかかった映画ベスト(観た順)

  • 『瞳をとじて』ビクトル・エリセ
  • 『夜明けのすべて』三宅唱
  • 『悪は存在しない』濱口竜介
  • 『SUPER HAPPY FOREVER』五十嵐耕平
  • 『ピアニストを待ちながら』七里圭
  • 旧作短編だけど、『The River Squawk 川でギャー』黒川幸則

今年はあまり多くの映画を劇場で観られなかったのだけど、何本も映画を撮っている監督が肩の荷をふっと下ろしたような作品に出会えてとても解放感を感じた。もちろん実際に力を抜いているわけはなくむしろパワーアップしているのだけど。配信で見た過去作『バカ塗りの娘』(鶴岡慧子)、『アイアンクロー』(ショーン・ダーキン)も丁寧な作品でとてもよかった。

その他ベスト

  • リスボン(街)

    フランスの映画評論家であるアラン・ベルガラ氏が監修する映画教育プログラムle cinema cent ans de jeunesse(映画、100年の青春)に久しぶりに参加し、中高生たちとリスボンへ。今年のテーマは「他者を撮る」。初日にクレジットカードを無くす子がいたり二段ベッドから落ちる子がいたり女子部屋にゴキブリが出て大騒ぎになったり、海外遠征ならではの(?)楽しい時間だった。ちょうどイワシ祭りの時期で歩いているだけで楽しい。福間恵子さんからおすすめのお店を教えてもらい地図まで書いてくれたのだがどうやら看板がないらしい。目印とかあるんですかと聞いたら「匂いよ」と一言。また訪れたい街が増えたけど、年取ってから坂が多いこの街を楽しむのは大変そうなので早めに行きたいものです。

  • ハイエタス・カイヨーテ@豊洲PIT(ライブ)

    初めてライブでハイエタス・カイヨーテを体験。1曲の中でアフロ、ジャズ、ゴスペルとジェットコースターのようにくるくると景色が変わっていくのにそれが断絶しないかっこよさ。こっちはいつの間にか熱に浮かされている。フェスで見たらまたカッコええのだろうと思う。

  • 『私運転日記』大崎清夏(本)

    夏のタフな仕事の合間、電車の中で呼吸を整えるように読んでいた本。大崎清夏さんの詩は前からとても好きなのだけど、日記という形式で書かれた文章は自分の重苦しい日々を少しだけ軽くしてくれるような気がした。視界の端へ追いやってしまうようなささやかさを掬っていく大崎さんの視線が、世界への狭まったまなざしを少しずつ解放してくれる。にんじんのラペが食べたくなるし、人と出会いたくなる。自炊したくなる。

  • 左のあご、はずれる(身体)

    小学校の頃、人はあごがはずれるとよだれが止まらなくなって医者に行かないと戻らないと何かの本で読んでいた。それ以来“あごがはずれる”という出来事に恐怖していたのだけど、あくびした瞬間に、はずれた。しかも片方だけ。はずれた瞬間に“これははずれた”ということだけはわかるが、口を閉じようとしても戻らない。痛みはない。奇異な目を向けられながらこのまま病院へ行く自分の姿が頭をよぎる。なんとか自力で戻ったけど、どうやって食べるのか聞きたくなるような分厚いハンバーガーは気をつけなくちゃいけない。こうやって年を経るごとにいろんな食べ物飲み物をこわがっていくのかなと思う。

二井梓緒 (映像制作会社プロデューサー)

映画ベスト ※順不同

めずらしくすべて映画館で観たものをベストに。
夏休みがテーマの映画が私は大好きなので『化け猫あんずちゃん』は間違いなくベスト。フランスのアニメプロダクションであるMIYU PRODUCTIONの繊細で丁寧なクオリティに感動。吉岡睦雄のカエルちゃんが温泉に浸かって気持ちよさそうにしている姿にも涙。もちろんそのまんますぎる閻魔大王役宇野祥平も大拍手。
洋画では『ゴースト・トロピック』がベスト。幽霊にばかり興味がわく一年だったためより一層に。そこに確かにいるのに社会的にいないとされてしまう人がいる昨今に、私はつねに目を凝らすことを忘れたくないと思う。
そして四年ぶりにスクリーンで観ることができた『タレンタイム』。四年ぶりでもその感動は色褪せず、また違った感動があってうれしかった。そしてこれまた幽霊案件なのである。どのショットも煌めいてた。
そして2024年一番よかったドキュメンタリーは『美と殺戮のすべて』。記憶は物語になり、それは美化されていくが本当の記憶はもっと複雑だ的なことを言っていて、だからこそ私は写真を撮るのだと。大好きですナン・ゴールディン。(これを観ることのできた年にベッド・ゴードン『ヴァラエティ』も観れて本当にうれしかった!)
『Chime』は天野はなの演技の素晴らしさに泣いたし吉岡睦雄がたくさん走っていて本当にうれしかった。大きなスクリーンでこんなにもかっこいいシーンを観れるなんて、なんて贅沢なんだろう。

その他ベスト

2024年よかったMV ※順不同

  • goat - Joy In Fear

    大大大ファンの石田悠介さんの作品。とんでもなくかっこいい。Goatも昨年ライブを見に行ったらとんでもなくかっこよかった。緩急の間の描き方。おそらく1人で100回以上はすでに再生しています。今年も何度でも見ます。

  • 長谷川白紙 - ボーイズ・テクスチャー

    Brandon Saundersのセンスたるや・・・長谷川白紙の音楽とのコンビネーションがたまらない。

  • Mild Minds - WALLS (feat. Boats)

    4年前のだけどこの世にありふれるスプリットスクリーン作品の中でもかなり好きな作品。まだまだ世界はアイデアに溢れている。

  • Fortuno - Wanna Believe U

    スプリットスクリーン無双。James Blake 「Can't Believe The Way We Flow」みたいな可愛すぎるアニメーションも入ってるし『恐怖分子』をおもいだすラストシーンにじんわり。

  • Mac Miller - The Star Room

    Danae Gossetのアニメーションは本当に可愛い。とりあえず走り続けるとか長回しの映像がとにかく大好きなのでドストライクな作品。

松田春樹 (NOBODY)

映画ベスト

  • 『ザ・バイクライダーズ』ジェフ・ニコルズ
  • 『フェラーリ』マイケル・マン
  • 『ザ・ウォッチャーズ』イシャナ・ナイト・シャマラン
  • 『SUPER HAPPY FOREVER』五十嵐耕平
  • 『エドワード・サイード OUT OF PLACE』佐藤真

まず満場一致だろうと思うものを上から二つ。それから個人的に今年はシャマラン(父)作品を多く見直した年だったこともあってか、娘イシャナによる堂々たる処女作のラストカットに落涙してしまい、個人賞に。豊作だった邦画からのベストとして、個人的にも今年唯一書くことができた『SUPER HAPPY FOREVER』を。撮影の高橋航さんの仕事ぶりは『広島を上演する』でも光っていたように思う。旧作のベストとして、佐藤真RETROSPECTIVEで見た『エドワード・サイード OUT OF PLACE』を選んだ。撮ってみなければわからないものを撮るという覚悟をひしひしと感じながら、しかしひとつひとつの映像が強くなりすぎないように、慎重にカットが選ばれているという気がした。その編集のバランス感覚、時間の扱い方の謎は一度見ただけではわからず、この先何度も見返したい作品となった。

三浦哲哉 (映画研究・評論)

  • 『陪審員2番』クリント・イーストウッド
  • 『ヒットマン』リチャード・リンクレイター
  • 『ビーキーパー』デヴィッド・エアー
  • 『フェラーリ』マイケル・マン
  • 『ラジオ下神白 あのとき あのまちの音楽から いまここへ』小森はるか

気持ち良く朗らかに笑わせてくださった映画を選んだ。『陪審員2番』は、J・K・シモンズが、じつは元シカゴ警察の敏腕刑事だったことが判明し、ぐっと前面にせり出してくる場面にものすごく笑った(逆にそれまでJ・K・シモンズ感がなかったことに二度驚く)。『ヒットマン』は、かつてルビッチがドン・アメチーと一緒に面白がってつくっていたような設定の映画。グレン・パウエルがまったくモテない男からモテ男に変身する物語なのだが、そのパウエルがモテない大学教員に身をやつす前半の姿に惹きつけられた。『ビーキーパー』は、ステイサムが養蜂家の殺し屋を演じるのだが、台詞にいちいち「bee」など蜜蜂ネタを入れてくる。その小さいことこそが本当にやりたいことのように思えた。『フェラーリ』は、どんな場面も「イタリア訛りの英語…」。それがたまらなくよい。日本からは、日常を生きるご高齢のみなさん(誰もがじつは千両役者)が大挙出演するミュージカル・コメディを選んだ。

夕方利用できる近所の酒場

晩ごはんづくりを基本的に担当しているので、夜にゆっくり外で飲食することのできる機会はなかなかに少ない。そこで夕方の小一時間ほど、晩ごはんづくりの前に酒場に立ち寄り、グラス片手にほっと一息ついている。合間、というのもいいものだ。近所なのですぐ帰ることができ、つまみもお酒もおいしい店を選んだ。

  • 祖餐

    石井英之さん、美穂さんのご夫婦が営む酒場。鎌倉の御成通りそばにある。17時に開店。開店すぐは客もまばらで、空気が凪いでいる。一階の大きなガラス戸の外からは、通勤帰りのみなさんの歩く姿が見える。70℃付近までぐっと上げ、手のひらにすっぽり収まる小ぶりの蕎麦猪口で提供される熱燗が、冬は余計においしい。

  • 企久太

    17時開店。駅から小町通りを歩き、横に少しそれた路地裏にある。すべてが適切なすばらしい名酒場。カウンターに座り、お店のおすすめ「生もとのどぶ」から始めると、体の力が抜けて時間が止まったかのような錯覚に陥る。が、18時には気合で腰を上げる。

  • やきとり秀吉

    上記2つが最も高頻度で行く店だが、それ以外にもふと立ち寄れるよい場所がある。その一つが、「下馬」(げば)交差点近くにあるこのお店。おもにテイクアウト中心だが、軒先にテーブルとイスが置いてあってイートインできる。夕暮れ時に、レバー、はつ、などを適当に頼み、やはり道行く人たちを眺めつつ、ひとりで瓶ビールからグラスに手酌。

  • TRES(トレス)

    地元で愛される酒場。最近初めて訪れたが、いい。16時開店。皮が全粒粉でちょうどいいサイズの水餃子などうれしいつまみがずらりと揃う。日替わりのグラスワインも一杯、また一杯とつい止まらなくなる。

  • サカナヤマルカマ(角打ち)

    ここは家からやや遠いのだが、魚の品揃えに惹かれ、休日になると来たくなる。お造り盛り合わせを事前注文しておき、夕方取りに来るついでに、軒先のテーブルで少し角打ち、というのが理想のパターン。年季の入った商店街の片隅というロケーションが余計に酒を誘う。さつま揚げとか鯵フライとかの魚屋惣菜をつまみに、一杯、二杯……。

三浦光彦 (映画研究者/skiptracing共宰)

映画ベスト

  • 『墓泥棒と失われた女神たち』アリーチェ・ロルヴァケル
  • 『SUPER HAPPY FOREVER』五十嵐耕平
  • 『すべての夜を思いだす』清原惟
  • 『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』マルコ・ベロッキオ
  • 『ヒューマンサージ3』エドゥアルド・ウィリアムズ

かたや片手におさまるデバイスで全世界が繋がっているかのように錯覚させられ、他方でテレビをつければ政治によって分断がひたすらになされるような状況で、切断と接続でなにかしらの世界を観客のもとに仮構する映画はもしかすると、かろうじてなにかしらの抵抗をかたちづくるかもしれない。ここにはそんな感触を抱かせてくれた映画をあげた。『墓泥棒と失われた女神たち』は土を探る手ざわりの中で死者と手を取れるかもしれない可能性を、『SUPER HAPPY FOREVER』は私たちの何気ない贈与で世界が繋がっているかもしれない可能性を、『すべての夜を思いだす』はあらゆる事物に埋め込まれた視線がそこら中で交錯しているかもしれない可能性を抱かせてくれた。所詮、錯覚でしかないかもしれない可能性がこのこわれた世界に信を取り戻させるのだとおもう。他方で『エドガルド・モルターラ』は宗教と国家の結託が死を常に先取りするような恐怖をひどく即物的に描きつつ、しかしそうすることが世界への変革を可能にするだろうという信念に満ちていた。『ヒューマンサージ3』はどんなに世界を把握しようとしてもできないことを、その見かけとは裏腹にきわめて古典的ともいえる手つきで描きつつ、音の中で人や異種が結合することの美しさを素朴に捉えていた。

その他ベスト

  • 書籍ベスト:『非美学 ジル・ドゥルーズの言葉と物』福尾匠(河出書房新社)『新たな距離 言語表現を酷使する(ための)レイアウト』山本浩貴(いぬのせなか座)(フィルムアート社)

    どちらもものすごい密度で<書く>ということのポジティビティを肯定する書籍。『非美学』は全体的な組成が把持しづらいにもかかわらず、一文一文がきわめて明瞭に書かれていることにびっくりさせられる。そのゴツゴツした文体は人文書における発明といってもいいかもしれない。『新たな距離』は<私>というものの同一性をどのようにしたら肉体の外に投げだせるかを検討していく書物だが、読むというプロセスに負荷をかけながら高速にテクスト手前側の肉体を触発していくその文体において、すでにその実践がなされているのだろう。どちらも今までにない読書体験をもたらしてくれた。

  • 批評ベスト:「出現 ものまねとななまがりのミメーシスの笑い」大岩雄典

    「プラトンが都市から追放した詩人はななまがりである。ななまがりは九〇〇回改元した。かくして私たちの世界で宣言された元号と一致して、門扉は開き、ななまがりはパラレルワールドから出現する」。この一節だけでベスト決定だろう。きわめて複雑な世界と肉体の処理を必要とする漫才やコント、あるいはモノマネといった笑いを演劇的な可視性/不可視性の論理として考えるこの批評は、体制順従的な側面を多く有するお笑いという文化を不気味なものへ書き換える。

  • 音楽ベスト:Pedro Kastelijns “Construção”

    音の素材がラップトップ上で細かく切断と編集を繰り返され、どんどん離散的な方向になっていく中で「声」というものは、それらを異質なままに統御しうる素材として今後ますます重要になってくるだろう。一音一音がなるたびに肉体が跳躍の予感をはらみながら、その予感が肉体的な声のもとへと圧縮されていくこのアルバムはすこし『トレンケ・ラウケン』に似ている。

村松道代 (デザイナー)

映画ベスト5

  • 『孤独の午後』アルベール・セラ
  • 『越後奥三面 山に生かされた日々』デジタルリマスター版 姫田忠義
  • 『からむしと麻』姫田忠義(姫田忠義特集)
  • 『オアシス OASIS』大川景子
  • 『美しき仕事』4Kレストア版 クレール・ドゥニ

『孤独の午後』。東京国際映画祭で。セラによる闘牛界ドキュメンタリー。基準がおかしくなっている男たちと、ゲームの規則どおりに走らされてしまう牛たち。牛が自由に動いているのは冒頭の短いシーンだけ。自由?
『越後奥三面』。撮影は1980年ごろから。昭和が終わる少し前の山の人たち。山、山、山、猫、犬、ウサギ、熊、魚、キノコ、山菜、栗、クルミ。80年代とは。
『オアシス OASIS』、『からむしと麻』。そこに何かができあがる現場があり、それをじっとみる時間。
『美しき仕事』。一般公開されてとてもうれしい。そこかしこで戦争が起きている今だったら、このような映画は撮らないだろうという監督の言葉と共に見た。『美しき仕事』や『ママと娼婦』は下高井戸シネマに下りてきた時にも見ると楽しい。近隣に住む常連さんたちと一緒に見て、感想に聞き耳をたてる。

その他ベスト

[書体界隈]

おかえり、写研! ここで何度か書いてきたネタですが。
2024年はモリサワによる写研書体のリリースがとうとうスタートした年。
「モリサワなのに写研! 写研なのにモリサワ!」という感覚にも慣れてきた。
印刷博物館の企画展「写真植字の百年」も面白かった。写植全盛期は、比較的簡単に独立でき、それなりに儲けることができたのだそう。当時の写植会社、版下会社の人たちとギリギリの日程で版下を作っていたことや、力でねじふせるような入稿~校了のことを思い出す。改めて単位「級/Q」「歯/H」を大切に考えたくなり、級数表と歯送り表を買い直しました。

山田剛志 (NOBODY)

映画ベスト

  • 『メイ・ディセンバー ゆれる真実』トッド・ヘインズ
  • 『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』マルコ・ベロッキオ
  • 『違国日記』瀬田なつき
  • 『Chime』黒沢清
  • 『ボーガンクロック』ベン・リヴァース

ナタリー・ポートマン扮する女優が行う役づくりのプロセスを通じて、ジュリアン・ムーアとチャールズ・メルトンの関係の起源にメスを入れ、ジュリアンを中心とする特異なネットワークの磁場を映し出す『メイ・ディセンバー ゆれる真実』の核を取り出そうとするたびに躓いてしまうのは、ジュリアン(が前夫との間にもうけた)の息子に絡まれ、タバコの煙に顔を背ける喘息持ちの女優のリアクションを一例とする生々しい瞬間の連続が、安易な言語化を拒むからであり、映画自体が、事件の真相を追求する“フリをして”サスペンスを醸成しつつ、「要約」とも「考察」とも無縁の面白さを掴んでいるからかもしれない。日本映画では他にも『夜明けのすべて』(三宅唱)、『ルート29』(森井勇佑)、『PLAY! 勝つとか負けるとかは、どーでもよくて』(古厩智之)、『すべての夜を思いだす』(清原惟)もベストに入れたいほど好きな作品だった。

その他ベスト

  • 「絓秀実コレクション1 複製の廃墟」(書籍)

    物理的に重い本なので持ち歩く気にならず、「絓秀実コレクション2 二重の闘争──差別/ナショナリズム」(blueprint)ともども、寝る前にちまちまと、半年近くかけて読んだ。ちまちま読んだ本の中では、他にも、石川義正「存在論的中絶」(月曜社)、柴田元幸訳のジョセフ・コンラッド「ロード・ジム」(河出文庫)も深く脳裏に刻まれた。

  • ちゃんこ 霧島 両国本店(食事)

    4階の窓際の席で総武線を見下ろしながら食べるちゃんこ鍋は最高だった。

  • 御谷湯(銭湯)

    職場から自転車で約20分。今じゃすっかり金曜の夜にここに入らないと締まらない体になってしまった。

結城秀勇 (NOBODY)

映画ベスト

見た順に。そして飯岡幸子と井戸沼紀美の企画による特集上映「日々をつなぐ」も、この5本とほぼ切れ目なくつながっている。
足りないアメリカ映画成分は、年末の早稲田松竹のこの三本立てで。

その他ベスト

「70勝ペースの快進撃を続けるクリーブランド・キャバリアーズについて書くのはやめて、一本の木の話をしよう」

実家の前に一本の木がある。おおかたヒバだと思うのだが、ヒノキだと言い張る人もいる(父親に至っては、昔からいままでずっと一貫して「あのスギの木」と呼び続けている)。誰がなんのために植えたのかを知る人はいない。樹齢は100年を越えるらしい。誰が植えたかわからないというのはそういうことだ。ギリ19世紀生まれの曽祖母からも「あの木を植えた頃は……」なんて話を聞いた記憶もないから、おそらく最低でも150年スパンの話だろう。もともと、ゆくゆくは建材に、という投資の狙いがあったのだろうか。なんでも戦前の火事のときに、身を張って我が家を守ってくれたという伝説まであるらしい。
実家の建替えの話が進んでいる。最初にその話を聞いたとき、さすがに一抹のノスタルジーを感じはしたものの、いいことだと思った。2024年元日の地震で茶箪笥が倒れるんじゃないかとヒヤヒヤしたり(地震じゃなくても5歳児の甥っ子が暴れるだけで倒れてきそうなのだが)、台所や廊下の床板がところどころたわんでいたり、風呂場にいたっては貼ってあるタイルの半分以上が欠けていて、裏の竹藪にはスズメバチの巣ができて弟が刺される、といった老朽化の具合(そしてエアコンがない)なのだから、老いた両親には過ごしやすい余生を送ってほしい。だがいったいどういうわけか、その話を最初に聞いたときには、家はなくなってもあの木がある庭はそのままにある想像をしていた。そんなことはあるはずがないのに。
なのでここから、リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』のはじめに置かれたクリの木の話よろしく、このヒバだかヒノキだかスギだかよくわからない木を巡る結城家の年代記を綴る……、といきたいのだが、すでに言ったように当時を知る人はもうおらず、また記録もなにもないので、できない。というかそもそも、この木についてなにか記しておかねばと思うほどの思い出があるのかと言えば、ない。いやむしろ思い出がないからこそ、なにかを記しておかねばならないという気になっているのだという気もする。
幼い頃、木の周りは花壇のような扱いのスペースになっていて、かつて池があった名残の深い水溜まりの上に金網が置かれていてそこに落ちると危ないという理由で、子供にとっての「庭」である砂利の敷かれた部分を踏み越えて、木の周りの土の部分に立ち入ると祖母に叱られた(たぶんどちらかといえば自分の植えた草花が子供に踏み荒らされるのが嫌だったのだろう)。だからこの木に登って親しんだなどという記憶はない。ただ、子供の手の届くような場所に枝がない(というかどんな人間でも手の届く場所に枝はないのだが)この木の、抱きついて登ろうにもそれを拒むかのようにささくれだった樹皮の感じだけを覚えている。
古びた我が家にはエアコンがないと書いたが、そこがたぶんこの家のいちばん好きなところだった。この家について思い出すのは、盆地特有の暑い夏の昼下がり(サウダーヂ)でも、玄関から茶の間、その奥の仏間へと続く廊下のように使われている応接間(?)まで吹き抜ける風で、存外心地よかったことだ(高校まで暮らした2階の部屋は無論死ぬほど暑い)。その風が、あの木の陰でちょうどよく冷やされたものだったなんて、いまのいままで考えてもみなかった。

だから、無念や後悔や申し訳なさのような気持ちがあるのだが、それはあの木が切られてしまうこと自体に対するものではない気がしている。イタロ・カルヴィーノの『木のぼり男爵』のように、土地その他一切の継承を拒否する代わりに、あの木の上であの木とともに生きていくことはできるか、などと考えてみもするが、たぶんそういうことではない。「最近葉っぱがすごく落ちて掃除が大変」「葉っぱが変色してるからなにかの病気かもしれない」、そんな言葉を母や弟から聞くたびになんとなく気づいていたこの木の衰弱を、今回改めて見上げた葉ぶりのどことなく力ない様子のうちに確認する。もし私たち家族が切らなければ、この木はもっとそこに居続けられたというわけではない。昨年の夏はついに、クーラーなしでは茶の間にいることが耐えられないほど暑くなり、大型スーパーに買い物がてら涼みにいかなければならなくなったのだと家族は言う。この木の木陰が風を冷やしきれないほどに、地球は暑くなっている。私の無念や後悔や申し訳なさは、そこに向かっているのだと思う。この木を切ってしまうことの取り返しのつかなさ以上に、この木がたった一本でここに立っていること、この木を含んだ森が存在しないということに。「森は大きくなくてはいけません」(『オーバーストーリー』)。
バス・ドゥヴォスが『Here』をつくるにあたり大いに影響を受けたというロビン・ウォール・キマラーの『コケの自然誌』の中に次のような一説がある。「岩やその他のものに私たちがつける名前は、私たちの視点によって決まる。輪の内側から見ているか、外側から見ているか。私たちが口にする名前は、相手の何を知っているかを明らかにする。だから、愛する者には甘美な秘密の名前があるのだ。自分で自分に名前をつけるのは、自決のため、自分を治めているのは自分だ、と宣言するためにとても効果的だ。輪の外側では、コケには学名さえあれば十分かもしれない。だが輪の内側では、彼らは自分を何と呼ぶのだろうか」。あの木のことを「ヒバだかヒノキだかスギだかよくわからない木」と呼ぶのは、木にとって失礼なことかもしれないが、私にとってそれは「甘美な秘密の名前」なのだ。

まあやっぱり『オーバーストーリー』を引用して終わろう。

彼は片手で目を覆って言う。「すまない」。許しは来ない。それは未来にも訪れることはないだろう。しかし、木には一ついいことがある。それが木のいちばんいいところだ。たとえ木のそばに行けなくても、もう木の形が思い出せなくても、木に登ることはできる。そうすれば、高いところから、弧を描く地平線の向こうまで見渡すことができるのだ。

言ったように私はあの木に登ったことはないけれど、それでもそれが木のいちばんいいところなのはわかる。
私の家は、このなんと呼んだらいいかわからない木や、「すごく狭い幅の羽目板に掛かってる柱時計の替えの針とか」(ジョンのサン「具」『カップホルダー』)がある家だった。

李潤秀 (助監督)

映画ベスト

  • 『墓泥棒と失われた女神』アリーチェ・ロルヴァケル
  • 『夜明けのすべて』三宅唱
  • 『パスト ライブス/再会』セリーヌ・ソン
  • 『憐みの3章』ヨルゴス・ランティモス

去年は本当に映画館に全然行けなかったので、何となく4本で。思い出した順。
『墓泥棒と失われた女神』はこんな映画が作れたら…と思うほどにはうっとりしてしまった。見たことのないものを作りたい、という願望が多くの作り手にはあるようで、その感覚は分からなくもないのだけど、ロルヴァケルの映画を見ると、自分は見たことのないものを見たいのではなく、知らない感情に出会いたいのだと気付く。この感情は知らないんだけど、たしかにずっと考えていたような何かにハッと気付くという瞬間がロルヴァケルの映画にはあって、自分はこのために映画を見ているんだと思う。
三宅唱の映画で一番劇的なのはいつも些細なことだ。それは本当に些細なことなんだけど、(少し目線を外すとか、体の向きや表情、声のトーンが少し普段と違うとか)そんな些細なことが人の人生を大きく変える瞬間が三宅唱の映画には映っている。そしてそれに気付くためには大きなスクリーンと暗闇が必要なので、三宅唱の映画は絶対に映画館で見続けるのだ。
「これは今の私が泣いているんじゃなくて、12歳の私が泣いている」的な意味の台詞が良すぎて、おいおい泣いてしまった『パストライブス』(その割に台詞ちゃんと覚えてなくてすみません)。過去に思いを馳せた時、その時に未来を見ていた自分と目が合う、ということはリアルに結構あって、そんな子供時代の坂道のカットは美しかったけれど、ラストの平坦で平凡なアメリカの道路が最も美しいシーンになっているのが素晴らしかった。
『憐みの3章』はキャラクターのスタイリングとエマ・ストーンのダンスが良すぎて入れざるを得なかった。ランティモスの現場は楽しそうで羨ましい。