「第21回カイエ・デュ・シネマ週間」 東京開催オープニング作品 『ジャネット、ジャンヌ・ダルクの幼年期』について

坂本安美

 東京、京都、大阪、横浜と開催される今年で21回目を迎える「カイエ・デュ・シネマ週間」。まずは4/1(日)から東京でスタートする本特集の上映作品を同雑誌の批評やインタビューを訳出しながら紹介していきます。

 これまでもブリュノ・デュモンの作品を紹介し、そして監督自身をお迎えしながら、この監督の作品を心から愛せたことはない、とまずここで正直に告白しておこう。心から愛せないながら、しかし見ないわけにはいかない、いや、とにかく見てみたい、そう、ブリュノ・デュモンとは私にとって至極やっかいな存在なのだ。居心地の悪さを感じながらも、どうしても見ずにはいられない、という気持ちにさせられる。それはたんにカイエ誌を含めた数少なくない批評家たちから高い評価を得ているからではなく、まさに彼の作品が描く世界が孕む相反する要素によってなのではないか...、とぶつぶつ思いながらも、今日まで、そしてこれからも見続けるであろう監督がブリュノ・デュモンである。

 そうした「やっかいな」デュモンの映画においてまず驚かされるのは、彼の作品に登場する人々だ。初長編作品『ジーザスの日々』(1997年)から今回の新作に至るまで、ほとんどの場合(『カミーユ・クローデル』と前作の『Ma Loute』は例外として)、デュモンの作品にはプロの俳優ではない素人が起用されている。彼らは今風な美貌を兼ね備えているわけではなく、その表情も振る舞いもどちらかというと無骨なのだが、一度見たら忘れられない、なにか強烈なものを醸し出している。とくに主人公演じる俳優たちの顔、その身体は、まるで偉大な肖像画を目にした時のような、なにか見てはいけないもの、原初的なるものに出会ったかのような慄きとともに私たちの記憶に刻まれてきた。
 ぶっきらぼうな表情で、ときに私たちの心を揺さぶり、恐れさせたりもしてきたデュモン映画の人物たちが、なんと笑いも引き起こすようになった。それはテレビ局アルテから白紙委任状を受けたデュモンが、いつものように撮影場所でオーディションした素人の俳優たちと共に撮り上げた連続犯罪ドラマ『プティ・カンカン』(2014年)から始まった。冒頭から、登場人物たちのやりとりやふるまいには可笑しみがあり、それはときにブラック・ユーモアを含みながらも、多くの場合、愛おしさを伴った笑いを誘うのだ。それに比べ、小さな村で起こる事件を描いた推理ドラマの次回作の『Ma Loute』(2016年)は、ブラック・ユーモア満載のコメディである。ドーバー海峡に面したその土地で俳優たちがどのように動き、またその場所にどのように俳優たちが動かされていくか、土地と人々との生々しい関係をスリリングに見せていくデュモンのいつもながらの演出は見応えがありながらも、ビノッシュらプロの俳優たちと素人たちの演技、その有り様の対比がそのまま階級の対比となるなど、あまりにもあからさまな図式にはやや辟易する。

 さて、今回上映する最新作『ジャネット、ジャンヌ・ダルクの幼年期』である。作品ごとに、そこで語られる内容、テーマ、そのスタイル、前述した独自のキャスティングでつねに驚かせてきたデュモンだが、本作の奇抜さはこれまでになく観る者を驚愕させるだろう。フランスの詩人・思想家シャルル・ペギー(1873 - 1914)による『ジャンヌ・ダルク』と『ジャンヌ・ダルクの愛の秘義』を元にブリュノ・デュモンが未来の聖女の幼年期をミュージカルで描き出した、というだけでどんな作品となっているのか興味を掻き立てられるが、ペギーのテキストにフランスのデスメタル系奇才作曲家Igorrrが音楽をつけ、振り付けはサーカスとダンスを交錯させる奇想天外な演出、そして31歳の若さでアルベールビル冬季オリンピック開会式を手がけたことで有名なフィリップ・デコフレが担当しているという、なんとも奇想天外な企画である。
 物語の舞台は15世紀の百年戦争末期、フランス北東部にあるドンレミ村。農家の娘で羊飼いの少女ジャネット(ジャンヌ)は、目の前のあまりに悲惨な現状を嘆き、心を痛めている。敬虔なカトリック教徒の彼女は、友達のオーヴィエットと修道女ジェルヴェーズとの宗教的かつ哲学的な対話を通して、自身の中にある愛国心に目覚めていく。そして13歳になった時、彼女はついに神の"声"を聞き、ある決意をする......。

ここで「カイエ」736号に掲載されているインタビューでの監督の言葉を紹介することで、この驚くべき試みへのイントロダクションとなることを願う。

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ブリュノ・デュモンへのインタビュー
ーー『ジャネット、ジャンヌ・ダルクの幼年期』の素晴らしさに驚嘆しました。どのようにこの作品が作られたのですか?

ブリュノ・デュモン:あまり何も決めずに出発してみました。企画の段階ですでにいくつかの提案がありました。すでになにか爆発的なものがあると感じていました。難解とされ、やや忘れ去られたきらいのある作家ペギーとIgorrrの音楽という組み合わせは、たしかに奇妙な提案でした。しかし両方とも、それぞれの分野で実験的な試みをしているわけで、その組み合わせは興味深いと思ったのです。

ーー出発点で、コメディからミュージカル・コメディに移行されることをお考えだったのですか?

BD:むしろ「ミュージカル・フィルム」と呼びたいと思います。ミュージカルを撮りたいと強く思っていました、大好きなのです。心理ドラマにはうんざりしていたので、コメディに移行し、「リリック」の中に「普通に」喋らない別の方法を見出しました。コメディの爆発的な部分とリリックの持つ爆発性によって、現在私が必要としている、現実的なるものから離れることが可能となります。

(...)

ーー映画史に刻まれた子供による並外れた演技として、たとえばジャック・ドワイヨンの『ポネット』が挙げられますが、あなたのジャネットもまさにそのひとつとして記憶されますね。彼女は何歳ですか?

BD:8歳です。彼女を選ぶことは大きなリスクでした。はじめて会った時、何かを持っていると感じました。彼女はまずまずは歌える、まずまずは踊れる。この「まずまず」が、ジャネットの「目覚め」には適切、ちょうどいい、と思ったのです。天才少女を探したかったわけではありません。彼女は小さいけど、素晴らしい顔をしていて、温かい心を持ち、何かを放っています。もちろん、それからレッスンをしてくわけで、ダンスを教えたり、手取り足取り教えたりしていくわけですが、望んでいたのはまさに彼女のようにまだ色がついていない、無垢な、天真爛漫とした子供でした。

本作は、4/1(日)アンスティチュ・フランセ東京でプレミア上映された後、京都、大阪での「カイエ・デュ・シネマ週間」でも上映予定です。
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/cinema1804011700/