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クロード、ミシェル、そしてロミー

坂本安美
5593442-michel-piccoli-romy-schneider-et-claude-950x0-2.jpg「ミシェル・ピコリ追悼特集」を開催するにあたり、上映したいと思いながら、様々な理由で叶わず涙を呑んだ作品が数多くあった。それでも今回、どうしてもこれは上映すべきと、困難を乗り越えて準備したのがクロード・ソーテ監督、ミシェル・ピコリ主演作品『マックスとリリー』である(本作は日本未公開作品であり、『はめる 狙われた獲物』というタイトルでビデオ発売のみされている)。
再びピコリ特集を、と心に誓いながらも、ひとまず今回の追悼特集を閉幕するにあたり、ピコリが映画俳優として絶対的な評価、認知を得ることになり、その後の彼の生き方、演技にも多大な影響を与えたクロード・ソーテとの大切なコラボレーションについて、そして彼らにとって欠かすことができない存在であったロミー・シュナイダーについて語っておきたい。

「クロード・ソーテという映画監督は、人生を深く、本当に深く知っていた」ミシェル・ピコリ



逆説とともにある映画監督、クロード・ソーテ

 クロード・ソーテ(1924-2000)は、35年の監督生涯において13本の作品を遺している。日本、そしておそらく世界的にも、70年代にロミー・シュナイダーを迎えて撮った『すぎ去りし日の...』(1971年)『夕なぎ』(1972年)などによって人気を博し、フランスの中産階級の家族やカップルの日常のドラマを描いた監督として、非常にフランス的な作家として認識されてきたのではないか。しかしソーテ自身の映画的源流はかならずしもフランス映画にはなく、エルンスト・ルビッチ、ハワード・ホークス、ビリー・ワイルダーといったアメリカの巨匠たちの映画をこよなく愛し、初期にはまさにそうした監督たちの影響を感じられるジャンル映画を撮っていた。こうしたクロード・ソーテの来歴は、フランス本国でさえあまり知られておらず、2000年にソーテが他界し、ようやく最近になってその全貌が紹介されるようになってきたようだ(シネマテーク・フランセーズでは2014年に大規模回顧上映特集、ラウンドテーブル、講演会が開催された)。ミシェル・ピコリとのコラボレーションについて触れる前に、もっともフランス的とされ、もっとも知られた監督であるようで、いまだ未知なる、発見すべき映画監督でもあるクロード・ソーテという映画監督の軌跡をしばし辿ってみたい。

 幼い頃から映画好きな祖母の影響で、映画の世界に憧れを抱いていたソーテは、音楽への情熱も持ち、まずは新聞に音楽批評を寄稿することで生計を立て始めるが、映画への思いが捨てきれず、フランス国立高等映画学校(IDEC)で映画を学び、ジョルジュ・フランジュの『顔のない眼』の現場などで助監督に就く。そして1960年、ジョゼ・ジョヴァンニ原作小説の映画化『墓場なき野郎ども』で本格的に長編監督デビューする。この企画をソーテに提案したのがリノ・ヴァンチュラだった。そしてこの当時フランスでもっともアメリカ的俳優であったヴァンチュラのパートナー役として、アラン・ドロンからジェラール・ブランまで様々な名前が挙げられていたが、ソーテ自身が最終的に選んだのが新人俳優のジャン=ポール・ベルモンドだった。ちょうど本作に出演する直前、ベルモンドはジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』に出演し、注目され始めていたが、ソーテは体型もその演技スタイルもまったく異なるこのふたりの俳優の差異を巧みに利用し、それぞれの良さを存分に引き出した演出をしている。こうして同じ俳優を用い、ちょうど同時期に映画を撮り始めながらも、ソーテは、ゴダールら「ヌーヴェルヴァーグの映画作家たちの中に位置付けられることはなかった。たしかにソーテの作品は、彼ら「ヌーヴェルヴァーグ」が批判していた戦後のフランス映画の伝統に連なるしっかりと構成された脚本に立脚した製作方法を取っていたが、その一方で撮影する場所や人々をほとんどドキュメンタリー的な手法でとらえ、そうした古典的とよべる脚本主義的な方法とヌーヴェルヴァーグ的、つまり現代的な映画作りがソーテの作品には共存していた。ヌーヴェルヴァーグの映画作家の中でも、唯一交流のあったフランソワ・トリュフォーは、『友情』(1974年)について、まさにフランス映画の伝統とヌーヴェルヴァーグを繋ぐ稀有な映画作家のひとりであるジャック・ベッケルと比較しながら敬意を表している。「この映画は短く要約するならば『人生』、そう、その言葉で要約できるだろう。人生全般、私たちがそうであることについての映画であると。」
『墓場なき野郎ども』はそのジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』(1954年)が代表する戦後のフランスのフィルムノワールの神話に根を下ろした作品であり、フランスにおいてこのジャンルを極めたとされるジャン=ピエール・メルヴィルも絶賛、メルヴィルがヴァンチュラを迎えて撮った『ギャング』(1966年)を予感させる作品であるとさえ評された。

『すぎ去りし日の...』、ピコリとソーテの絶対的な出会い

 しかし『墓場なき野郎ども』は興行的にはヒットせず、ようやく4年後に、再びリノ・ヴァンチュラとタッグを組みアメリカのB級映画的犯罪映画『L'Arme à gauche』(1965年)を撮る。しかし再び興行的に失敗し、批評的にも高い評価を得ることはできず、絶望したソーテは、しばらく監督業から退き、脚本家としていろいろな作品に関わるにとどまっていた。ようやく70年代に入り、若く、才能溢れる脚本家ジャン=ルー・ダバディの後押しもあり、そして音楽にフィリップ・サルド、撮影監督にジャン・ボフェティという力強い協力者も得たソーテは、それまでのジャンル映画とは作風を一新し、当時の若手俳優たちを起用し、日常の人々のドラマを題材にし、多くの観客の共感を得て、興行的に成功し始める。批評的には、左翼的な運動が盛んであり、政治的なイデオロギーを掲げた作品も多かった中で、社会に対する明白な批判がないソーテの作品を反動的、保守的と批判する声もあった(「カイエ・デュ・シネマ」誌は長い間、ソーテの作品を評価せずにいたが、後にティエリー・ジュスらによる再評価が始まる)。しかしソーテはそこに描かれている世界を社会学的に切り取ってみせたり、ひとつのテーマに押し込めたりせず、一人ひとりの俳優たちについての深い理解、愛情によって、彼らの顔、姿、所作をドキュメンタリーのように記録し、彼らが演じる登場人物たちそれぞれを非常に独特な存在として浮かび上がらせており、まさにそこにこそソーテの映画の豊かさを見出すことができる。『すぎ去りし日の...』(1971年)、『マックスとリリー』(1971年)、『夕なぎ』(1972年)と70年代のソーテの代表的な作品に欠かすことができない、彼の映画のミューズともいえるロミー・シュナイダー。その美しさ、優雅さとともに、ソーテにおけるシュナイダーは脆弱さと強さを複雑に併せ持ち、けっしてひとつの意味、解釈に還元することができない、ある神秘とし、ひとりの絶対的他者として存在している。その絶対的な謎、他者の前で、愛にもだえ、苦悩し、とまどい、時に激昂さえするソーテにとってこの時期重要であったもうひとりの俳優がミシェル・ピコリである。
 そう、ソーテは、ロミー・シュナイダーというミューズとともに、映画における自分自身の分身をミシェル・ピコリに見出すのだ。そしてすでにゴダールの『軽蔑』(1963年)でゴダールの分身を演じ、映画界で注目され始めたピコリにとっても、ソーテとタッグを組んだ作品、とりわけロミー・シュナイダーが共演し、ソーテの代表作としていまだに挙げられる『すぎ去りし日の...』によって、70年代、絶対的な知名度、俳優としての高い評価を獲得することになる。『すぎ去りし日の...』は、当時の世相を舞台としたロマンチックなメロドラマと評されるきらいもあったが、ソーテの持っている人生への冷徹といえる視線、暗いペシミズムがメロドラマに陥ることを許さずにいる。ソーテは処女作『墓場なき野郎ども』同様、ここでもひとりの男が自己破壊的欲動とともにそれまで属していた場所から逃走していく様を描いている。ピコリ演じる40 代の建築家は若く美しい恋人との現実と、前妻や息子との過去の間で、あるいは物質的には豊かながら空虚にも感じる生活の中で引き裂かれていく。ピコリは、ソーテ映画のテーマとなっていく人生の闇に駆り立てられていく男を完璧に演じている、いやソーテ自身ともいえるそれらの男たちをピコリはこの時期、彼の映画の中で生きていたといえるだろう。

3_Max.jpeg『マックスとリリー』、底知れぬ人生の深淵へ

『すぎ去りし日の...』の大成功によって、そしてこの作品での融合し合うような濃密な映画作りの後、クロード・ソーテ、ロミー・シュナイダー、ミシェル・ピコリは、さらなる三人の企画に軽々と乗り出すことができず、前作を越えるものを作れるのか恐れていたという。まるで絶対的な愛の瞬間を生きた恋人たちが、再びその逢瀬を繰り返すことなどできないと幸福の中で絶望するように。しかし三人はその不安を乗り越えて、新たな傑作、より豊かで複雑さを孕む作品を作り上げる。それが『マックスとリリー』である。

 予審判事だったマックス(ミシェル・ピコリ)は、証拠不十分で容疑者を釈放せざるを得なかったという悔恨から辞職、刑事に転職し、現行犯での逮捕に執着を抱いている。兵役時代の旧友で、ナンテールでチンピラ仲間たちと車や廃品などをくすねて、生計を立てているアベル(ベルナール・フレッソン)にばったり出くわしたマックスは、アベルの恋人である美しい娼婦リリー(ロミー・シュナイダー)に近づき、アベルたちが銀行強盗を謀るよう巧妙な罠をしかけていく。

「『マックスとリリー』はソーテの最高傑作ではないだろうか、とにかく私はそう思っている。主人公のマックスはある意味ふたつの職を持っていて、それに相応しい『身なり』をしなければならない。刑事でありながら、彼は自分のことを判事だと思い続けているのだから。三つ揃いの背広をまるで聖職者の衣服のように纏っている。ラストシーンでその身なりを脱ぎ捨てた時、彼はぎりぎりのところに身を置く。愛する女を抱きしめるか、それとも自ら命を絶つか。どうしてあんな演技ができたのか分からない。ソーテとロミー・シュナイダーのおかけだろう。あれほどまでに短い時間でどうしたら完全なる抑制から放埒なる行動へと移行できるのか?それこそ私が求め、好んでいることだ」。(ミシェル・ピコリ)

 ピコリが述べているようにマックスは「三つ揃いの背広」をつねに纏っており、異常なまでの執念に取り憑かれ、旧友とその仲間たちをはめていく。その様は「聖職者」というよりも、その冷たく青白い顔、その黒い衣裳からも、吸血鬼、あるいはブニュエルやメルヴィルの映画の中の登場人物を想起させるだろう。しかしピコリがいつものようにエレガントかつ端的に本作の核を言い当てているように、マックスは「完全なる抑制から放埒なる行動へと移行」していく。何もかも知り、言葉にも、叫びにもならないものを発しながら倒れ込むロミー・シュナイダーを前に、彼女のその姿を愕然として見つめることしかできないピコリ。自分でも制御できないもの、他者への止めることのできない欲動によって、それまで抑制、保っていたものが一気に音を立てて壊れていく様が、ピコリの微妙に変化していく表情、身体から伝ってくる。カフェの片隅でシュナイダーの絶望の吐息のみが響き、何もできずに彼女の前で立ちすくむピコリを映し出すこのシーンの凄まじさ......、それまで流れてきた生、時間が一気にひっくり返りる暴力的な、真実の瞬間がそこに描かれている。

『友情』、人々の集いと彷徨う様を

 ピコリはその後、ロミー・シュナイダーとイヴ・モンタン共演の『夕なぎ』でナレーションを担当、まさに作家であるソーテの声となる。そして1974年、ピコリはソーテの6本目の長編『友情』に主演のひとりとして再び登場する。原題は『Vincent, François, Paul et les autre (ヴァンサンとフランソワとポール、その他の人たち) 』 であり、まさに三人の男たちの友情とその周囲の人々との交流が描かれ、ピコリはその中で、40代の妻子持ち、裕福な開業医フランソワを演じている。イヴ・モンタンがヴァンサンを、セルジュ・レジアニがポールを、そして彼らより下の世代、若さを象徴する存在として登場するジェラール・ドパルデュー演じるボクサー役のジャン、それぞれがその個性、魅力を十全に出して演じている中で、ピコリはともすると彼らよりも影がうすく見えもする。他の男たちがどうにも隠しきれず、自分たちの抱える苦悩で右往左往し、救いを求めたり、暴れてみたりするのに対して、ピコリ演じる40代の開業医のフランソワはとくに嘆き立てたり、騒ぐことなく、自らの感情を内に秘め続ける。そしてソーテは画面の奥、端でそうした控えめな演技にとどまっているピコリの表情をとらえ、そこにひっそりと浮かんでくる彼の苦悩、闇が垣間見える。そのことによってフランソワ=ピコリという登場人物は誰よりもこの作品に深い陰影を与えることになる。『友情』のある食事のシーンで、それまで感情を露わにしなかったフランソワが、突如として感情を爆発されるシーンが一度だけある。ソーテの映画の中では家族や友人同士で集まり、食事をしたり、語り合ったりするシーンが多く見られ、共同体を描く映画監督として語られることも多いのだが、同時にその場所との距離を感じざるを得ず、その場所からさまよい出ていく人たち、居心地の悪さ、生きづらさ、あるいは生きることの不可能性に苛まれた人たちの姿が見えてくることがある。ピコリ演じるフランソワは、まさに人々の集い、彷徨い、その間を往来しながら、いつかは絶対的な彷徨へと旅立つ人間の深いペシミズム、ソーテの映画の持つ秘密をこの作品で誰よりも担っているように見える。

ソーテ、シュナイダー、ピコリによる最後の映画『マド』

 ソーテとピコリが最後にタッグを組んだ作品が『マド』(1976年)である。前作の『友情』同様、社会的にある程度の成功を収めている男が、突如として危機に直面する姿を描いている。しかし『友情』がそこに人間的救いを見出していたのに反して、ここでは金銭による腐敗、汚職、自殺、裏切り、そして殺人......、世界はさらに荒廃し、救いが見えなくなってきている。初期のソーテの犯罪映画を想起させるプロット、シーンもあるが、タイトルが示すように、本作はピコリ演じるシモンが恋に落ちる娼婦マド(オッタヴィア・ピッコロ)をめぐる映画でもある。若く美しい娼婦マドは金で買われていながら、シモンの欲望、軽蔑、そして嫉妬さえかわし続ける。そして娼婦として多くの男たちの間を往来するマドによって、シモンは窮状から抜け出す手立てさえ得ることになる。近づこうとしても近づけない絶対的他者である女性、ソーテの抱き続けた女性の神秘への憧れ、とまどい、欲望についての映画でもある。そしてまた本作は、ソーテ、ピコリ、そしてシュナイダーの最後の映画でもある。ピコリ演じるシモンの恋人エレン(そう、『すぎ去りし日の...』で彼女が演じた女性と同じ名前だ)を演じるシュナイダー。ふたりの関係について多くは語られないながら、愛し合っているはずなのに結ばれることのないふたりであること、それは哀しみが宿るシュナイダーのその表情、視線、所作、そのすべてが痛いほど示している。そのシュナイダーがピコリを自分の寝室に迎え、共に過ごす数分間には、決定的な言葉は何も変わされないながら、『マックスとリリー』のあのラストのカフェのシーンに匹敵するほど濃密なもの、人生の多くの時間、感情が流れ、見えてくる。

*クロード・ソーテのその後のフィルモグラフィー、遺作となる『とまどい』(1995年)については、同作のブルーレイのリーフレットで紹介させて頂いているので、よろしければご覧になって頂きたい。
http://cinemakadokawa.jp/dvd/youga/40/457.html

Belle Noiseuse004.jpg5月12日、フランスの友人からミシェル・ピコリの訃報のメールを受け取った時、とっさに、自分でもすぐに理由が分からずも、涙がこみ上げ、とてつもない喪失感に包まれた。ピコリが、他界、信じられない......。それほどまでにピコリという存在が大切だったこと、その存在をごく当たり前のように感じていたことを、彼がこの世にもういないと知ったその日からひしひしと感じ始めた。ミシェル・ピコリという存在がいかに現代映画にとって重要であり、彼がいたからこそ映画作家たちが作れた映画、生まれた作品があることを確認、再確認するために、追悼特集を組まなければならないとすぐさま企画を提案した。
追悼特集開催を目前にして、ジャン=マルク・ラランヌ、元「カイエ・デュ・シネマ」編集長であり、現在、フランスの人気カルチャー雑誌「レザンロキュプティーブル Les Inrockuptibles」代表、そして優れた映画批評家である彼による感動的な追悼文をここに訳出したい。これまで多くの監督、俳優たちの卓越した論考を発表してきたラランヌによるミシェル・ピコリ論、そしてラブレターをぜひお読み頂きたい。そして彼の作品をともに発見、再発見して頂ければ嬉しい。


追悼 ミシェル・ピコリ
ピコリという才能
ジャン=マルク・ラランヌ
 彼は、一作、一作の撮影に俳優としてのすべての才能を注ぎ込んで、もっとも偉大な映画作家たちのフィルモグラフィーを横断してきた。今年5月12日に享年94歳でこの世を去ったミシェル・ピコリは70年以上もの間、他に類を見ない軌跡を歩んできた。

 (ジル・ジャコブとの書簡集の形で編纂された)ミシェル・ピコリの自伝(*)は以下の言葉で閉じている。「できれば私は死にたくない」。この自伝を締めくくる最後の頁で、90代となったピコリは、自分の能力が徐々に失われ、崩壊していくことを、「インクのない万年筆」になったようだと、胸が張り裂けるような言葉で語っている。そしてこみ上げた怒りによって「いったい私のインクはどこにあるのだ?」と言葉にならない叫びを上げ、そして敗北感とともに認める、「インクはもう尽きかけてきたのが見える」と。

 たとえば、保険会社の不信感によってマノエル・ド・オリヴェイラ監督の『家族の灯り』(2012年、マイケル・ロンスデール主演)への出演は阻まれてしまったにせよ、ミシェル・ピコリは決して立ち止まろうとはせず、映画を撮るため、舞台に立つために懸命に闘い続けた。飽くなき探求心が彼を生き生きとさせ、そのキャリアの最晩年まで、偉大な映画(『ホーリー・モーターズ』2012年、レオス・カラックス)、偉大な役(『ローマ法王の休日』2011年、ナンニ・モレッティ)でミシェル・ピコリは実際に輝きにあふれ続けていた。

幼年期の記憶の不在、あるいはおおいなる退屈さ

 もしかしたら立ち止まることをしないというピコリのその熱狂的なる生き方は、遅れてきた者という感情から生まれたのかもしれない。彼のキャリアは80年という並外れた長さに亘っているが、それが実際に軌道に乗っていくにはかなりゆっくり時間を要することになる。しかもそれはキャリアにおいてだけではなかった。
 前述した自伝の中で、ピコリはこちらを戸惑わせるほどの無関心さで、自分の幼少期を語っている。おおいに退屈したという以外に幼少期の記憶がまったくないというのだ。ピコリの父親はヴァイオリニスト、母親はピアニストだった。二人は、夏のヴァカンスの間、カジノホールで演奏をして生計を立てていた。ピコリは、カジノの客たちが両親の演奏にほとんど興味を示していなかったのを記憶していた。いずれにせよ彼らも自分たちの職業に真にやる気を抱いていたわけではなく、夫婦仲についてもそれは同じだった。そして自分たちの息子に対しても......。ミシェルは、母親が大切にしていた第一子の死から数年後に生まれた息子だった。
 真に愛された(しかし他界した)子供には到底及ばない身代わりとしてこの世界に生まれ出た若きピコリは、自分をさほど価値のない存在と認識していた。両親が真に愛した存在は自分の誕生前にいた。自分が認識され、愛されるためには別の場所を探さなければならない、と。
 実際の行動には及ばずもレジスタンスのヒロイズムを夢見ながらくぐり抜けた戦争が終わろうとする頃、青年ピコリは自らの未来は演劇にあると見なし始めた。ピコリは演劇学校に登録し、映画のエキストラに志願する。やはりここでもピコリは俳優として認識され、名を上げるまでに、ある程度の時間、段階を経ることになる。まずエキストラから脇役を演じるようになり、ゴダールによって『軽蔑』で初の主演を任せられるには、40代になるのを待たなくてはなかった。そしてこの作品はピコリのキャリアのまさにターニングポイント、転機となったのだ。第二子であり、二番目の役(脇役)。ミシェル・ピコリは中心に身を置かずも、自分がいる場所からどのように輝きを放っていくかを心得ていった。

つねに重要なる脇役を演じて

 年齢を重ねてからスターダムにのし上がってきた他の俳優とは違い、ピコリは脇役を演じるのをやめない、という選択をしてきた、その作品の出演者の中で彼が一番有名な存在だとしても。ルイス・ブニュエル(『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』『自由の幻想』)、マルコ・フェレーリ(『ひきしお』、『白人女に手を出すな』)などでは、ほとんどワンシーンのみで出演している。彼が出演した200本の映画のうち、その半分はそうした短い出演に留まっている。ピコリはどんな役、立場であれ、重要なのは、そこにいることであると信じていたのではないだろうか。そして一度、その監督との間に信頼関係が築かれれば、その創作が進むのに寄り添うために、いつでもその監督のもとに戻る準備があるのだと示しているかのようだ。たとえそれがささいな脇役であろうと(たとえば、『汚れた血』から25年後、レオス・カラックスの『ホーリー・モーターズ』で、短いながらも素晴らしい出演を果たしたように)。こうしてピコリがアーティストたちにみせたこの上ない柔軟さ、寛容さは、存在を誇示しようとする野心とはまったく異なり、創造、クリエーションへの彼の情熱を表しているだろう。俳優の中には、自分の演じた役に自己同一化する人がいる(時には、ほとんど偏狭的に)。また自分が出演した作品に自己同一する俳優たちもいるだろう(作品全体の中での自分の成功や、キャストの組み合わせの中でのバランスへの配慮からだろうか)。あるいは、その役や作品を超えて、様々な状況に応じて、映画監督やその作品、作家としてのアプローチに共感する人もいるだろう。しかしピコリの演技を見ていると、彼にとって大切なのは、ブニュエルやオリヴェイラ、ドゥミの作品全体のために仕事をし、様々な異なる段階においても、彼らの作品世界の中に住み続け、彼らの旅の道連れでいることなのだと感じられる。

語り手、声、分身

 こうして彼らの創作活動、作品群と一体となり、長い間、共に歩んでいきたいとピコリが望んだからこそ、(ピコリをキャストしたほとんどすべての偉大な監督が彼を複数回、出演させている)、多くの映画監督が彼を自分の分身としたのではないだろうか。ピコリ自身も俳優として監督を模倣しようと力を注いできた。たとえばゴダールの作品では、その身ぶりはゴダール的となり、ソーテの作品ではソーテのようにタバコを吸い、叫び、オリヴェイラの作品ではオリヴェイラのように狡猾で、いたずら好きになるという風に......。
ピコリが自ら選んだ役割には、俳優としてのおおいなる謙虚さ(つねに自分という一個人よりも大きいとみなされるものに役立とうとする)と、(一本のフィルムより壮大なもの、つまり映画(シネマ)のために努めたいという)おおいなる野心が感じられる。
 自分の地位をまったく気にすることなく、一本のフィルムのすべての役割(それが主役であろうと、脇役であろうと)に就くことを可能にする彼の俳優としての柔軟さがもっともはっきりと示されているのは、幾度となく、声のみの出演を引き受けていることだろう。たとえばアニエス・ヴァルダ(『キューバのみなさん、こんにちは』、1963年)、クロード・ソーテ(『夕なぎ』、1972年)、ルネ・アリオ(『Le Matelot 512』、1984年)、エリア・スレイマン(『D.I.』、2002年)、ベルトラン・マンディコ(『ホルモンの聖母様』、2015年)、その他多くの作品で、ピコリはナレーターを引き受け、声のみの出演をしている。このことは、彼の声のその温かく、深く、特別な響き、そして興味をかき立てられたプロジェクトであれば、どんな条件、形態であろうと、それに加わろうとする情熱を示している。そしてまた彼に与えられた多少なりとも特別な立場、つまり映画作家の分身であることによって、映画作家たちから、その声によって映画の語り手の役を託されることになったのではないか。

空洞を持つ男、あるいは道化師

 俳優としてのピコリは、ふたつの異なる演技スタイルを持っていた(どちらか一方だけ、ということではなく、ふたつの間の幅広い、多様なニュアンスで演じていた)。一つ目は、彼の初期の偉大な役、そのキャリアを象徴することになる役に見られるかなり内に抑えた演技である。どこかいつも他のなにかを考えているような様子、抑制された表現が見られる。たとえば『軽蔑』、『すぎ去りし日の......』(1970年、クロード・ソーテ)『ロシュフォールの恋人たち』(1967年、ジャック・ドゥミ)、『別離』(1968年、アラン・カヴァリエ)でのピコリの演技などがそれに当てはまるだろう。彼の中のなにかが、捉えることができないままそこからかわされ、言葉に表されることを拒否しているかのようだ。抑制することがまず優先されている。そこでのピコリは、役者である以前に、まるで自分の人生、あるいは他者の人生の観客であるかのようなのだ。しかしながら、『小間使の日記』(1963年)の中でブニュエルはすでにピコリのより開放的な感性を見事に引き出していて、本作でピコリは過剰なほどのリビドーに突き動かされるように滑稽で、粗野で、あけっぴろげな男を演じている。こうしたピコリの持つ活力、精気は映画の中に少しずつ流れ出ていく。空洞を持つ男は、しだいに道化役者(ジャック・ルーフィオ、フランシス・ジロー、イヴ・ボワッセ、ラウル・ルイス)、あるいは無声映画のドイツ人俳優のような表現主義者(『都会のひと部屋』1982年、ジャック・ドゥミ)へとなっていく。歳を重ねるとともに、ピコリは、より大きな権力を持つ役を任されるようになっていく。たとえばルイ16世(『ヴァレンヌの夜』1982年、エットーレ・スコラ)や法王(『ローマ法王の休日』2011年、ナンニ・モレッティ)、さらには映画の化身(シモン・シネマ『百一夜』1995年、アニエス・ヴァルダ)を演じるようになる。

数十本の素晴らしい名作たち

 しかし、ミシェル・ピコリは、権力を体現する際、その都度多くの嘲りをそこに吹き込み、パロディ的な次元を倍増させ、笑劇(ファルス)の力を開花させてみせる。それもしばしば外向的で、ほとんど攻撃的なまでのやり方で。そう、『ローマ法王の休日』にて、時につま先立ちで、ほとんど無言でこっそり逃げ出してみせたように。
 私たちはミシェル・ピコリへ非常に強い愛着を感じていた。なぜなら、まさにミシェル・ピコリその人とともに、この60年の間、観客としての私たちの中にフランス映画が生み出すことができたもっとも素晴らしい作品、数十本の崇高なる映画が堆積し、記録されてきたからだ。
 しかし、それはまたピコリが体現してきたもの、彼が醸し出し、放ってきたもの、世界における彼の存在のあり方そのもの、彼の口調、その太い眉毛、帽子を被る時の類い希なる優雅さ、数え切れないほど目にしてきたタバコの煙を吐くその仕草、そのすべてからだろう。私たちの中に生き続けるそうしたピコリの映像すべてを思い返し、胸が締め付けられ、そして『軽蔑』のオープニングシーンで彼がブリジット・バルドーに囁いた言葉がふと聞こえてくる。そして私たちは、突如、彼に向けてその言葉を呟きたくなるのだ、「あなたのことを愛している、そのすべてを、心から、悲しいまでに」と。

参考文献:(*)『私は夢の中で生きた J'ai vécu dans mes rêves』ミシェル・ピコリ、ジル・ジャコブ共著(グラッセ出版社)


「偉大なる俳優、ミシェル・ピコリ追悼特集」
・2020年8月6日(木)〜9月18日(金)@アンスティチュ・フランセ東京エスパス・イマージュ
・9月@シネマ・ジャック&ベティ(日程調整中)
詳細は以下のページでご確認ください
https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/cinema202009906/

『スパイの妻』、あるいは不意に露呈する外側

坂本安美
6月25日(木)

 最後にこの場に日誌を記してからなんと2ヶ月以上がすでに過ぎてしまった。毎日のようにこの場に戻り、ぎこちなくても、間違っても、とにかく言葉を紡ぎ、聞こえてくる、見えてくるもの、この時間に体験し、考えていることを記録しなければと思いながらも、時間は矢のように過ぎていった。テレワークとやらで朝から晩までコンピューターを前に仕事をするほか、IVCから出るオリヴィエ・アサイヤスのブルーレイボックスの制作を手伝い(特典映像にどうしても付けてほしいと嘆願したアサイヤスとマチュー・アマルリックの対談にもがんばって字幕を付けました、ぜひ本編たちと共に見て頂きたい)、そして今月、劇場の再開とともに公開が始まったアンナ・カリーナのドキュメンタリーのパンフへの執筆、劇場休館によって苦難を強いられていた映画業界の人々へのほんの微力ながらの応援、国内、海外にいる親しい友人や家族たちとのやり取り、一日、一日はあっという間に過ぎていった。もちろんときに不安に苛まれ、発狂しそうになることもありながらも、そうして家の中に身を籠もり、日常を送ってこれたのは、外に出て働き続けていた人たちがいたからこそだ。ブレィディみかこの「欧州季評」(「朝日新聞朝刊」2020年6月11 日)で「ケア階級」という言葉を知った。人類学者デヴィッド・グレーバーが、医療、教育、介護、保育など、直接的に「他者をケアする」仕事をしている人々のことをそう語っているとのこと。「製造業が主だった昔とは異なり、今日の労働者階級の多くは、こうしたケア階級の人々であり、彼らがいなければ地域社会は回らない」と。そしてコロナ禍において「わたしたちは、わたしたちをほんとうにケアしてくれているのがどんな人々なのかに気がついた。ヒトとしてのわたしたちは壊れやすい生物学的な存在にすぎず、互いにケアしなければ死んでしまうということにも気がついた」。そうしたケアする仕事がなぜか経済とは別のもののように考えられ、本当に社会にとって必要な仕事ほど低賃金という倒錯した状況が生まれている、とブレィディみかこは述べる。ちなみにそのケア階級の仕事と対峙する概念として、グレーバーが唱えるのが「ブルシット・ジョブ(どうでもいい仕事)」、たとえばなくてもいい書類作成のため資料を集め、整理するために忙殺されているホワイトカラーの管理・事務部門の仕事......。

 「ヒトとしてのわたしたちは壊れやすい生物学的な存在にすぎない」。そしてその存在、生命としての身体は「"自然"、自分自身の所有物に見えて、けっして自らの制御下に置くことができないものだ」と生物学者の福岡伸一は語る(「福岡伸一の動的平衡」朝日新聞朝刊2020 年6月17日)。いつ生まれ、どこで病を得、どのように死ぬのか、選り好みなどできない。しかしふだん、都市の中で生きる私たちはそのことを忘れて、すべて制御でき、効率よく、予定通り生きていけると思い込んでいる。福岡は本来の自然ピュシスとそれを制御しようとして創り出された自然ロゴスつまり、言葉や論理の対立を語る。制御できないもの、たとえば「生と死、性、生殖、病、老い、狂気......」そうしたものを見て見ぬふり、あるいは隠蔽して、タブーとして押し込めてきた。そしてそうして押し込めてきた「ピュシスの顕れを、まさに今回不意打ちに近いかたちで我々の前の前に見せてくれたが、今回のウイルス禍ではなかったか」。

 生物学者である福岡の文章は、生物学という学問に疎い私にも、おおいに響くものがあると同時に、4月初めにスマートフォンの画面に現れて、私たちにユーモアを交え、穏やかながら、いつもながら力強く語ってくれたゴダールの言葉とも共鳴して聞こえてきた。「それが何なのか私だって分からない、ただ我々と同じ生きものではあることは確かであり、もしかして我々のことを好きなのかもしれないよ」 

 その文章を読んでから数日後、黒沢清監督の最新作『スパイの妻』を見る。
私たちが生きている世界は様々な瞬間、行為、思考、感情によって構成され、動き、あるいは繰り返し、しかし確実に少しずつ変化し、姿を変えている。現在起こっていること、たとえば今、世界中を震撼させているウイルスの感染拡大もすべて、そうした流れ、大きなうねりの中のひとつであり、その変化や動きのしるしは遙かかなたの彼の地で見つけることもできるかもしれないし、実は目の前でふと見えてくることもある。それは人間が制御してもしきれなかったなにかとして貌を表す。黒沢清はそうした貌、見えないけれど見えるもののもとへと接近し、かつて確かに存在し、しかし今や過去になってしまった取り返しのつかないいくつかの事実の積み重ねであるところの「世界」を誰よりも果敢に描いてきた。そして『スパイの妻』で、黒沢清はそれをこれまで以上に大きなスケール感、迷うことのない姿勢で見せる。驚愕し、興奮しながら、帰宅して黒沢さんの著書を一冊手にとってみる。

「どうも僕たちは今とりあえず安心して『ここ』にいるようだ。しかし、その外側は『暴力』に満ちていて、しかも向こうにある暴力の原因のかなり部分が、実はこちら側から送り込まれているのではないか。となると、この安心した内側の世界と、もうひとつの暴力的な外側の世界とは、いつか必ず、というかすでに『戦争状態』に入っていて、そのことに関する責任は、実は『ここ』にいるこの僕たちにも大いにあるではないでしょうか」(『黒沢清、21世紀の映画を語る』発行:boid)

 ちなみに私たちの目の前の「暴力」とはウイルスではない。「人もウイルスも制御できない自然」であり、それを制御するために生活という個人の領域に不用意に介入してくる公権力こそが「暴力」であるだろう。

 21世紀の映画の宿命を真っ向から引き受けた黒沢清のあらたな傑作については、次回、あらためて語らせてほしい。

4月14日(火)
 京都、出町座にて開催中の「第2回映画批評月間」において、今回の目玉であり、特集のひとつであるのがセルジュ・ボゾンである。ボゾンの2013年の長編作品『ティップ・トップ ふたりは最高』は、とにかく主演女優のふたりイザベル・ユペールとサンドリン・キーベルランのかけ合いがタイトル同様に最高なのだが、それはたんに彼女たちの演技がうまい、台詞がよく書けているといったことだけではなく、まさに言葉や所作をかけ合っていくことによって、ふたりが混ざり合い、影響を与え合い、ときにその役割を交換し、コンビを作っているその様をライブで追っていくことができるからだ。そしてこのふたりの登場で、町の人々、本作に登場する誰もが、混ざり合っていく。「プロトコル」、「公平性」と暗号のように呟かれる言葉たち、それはまさにみんなが混ざり合い、全体が調和していけるような「公平」な場所でものを考え、言い合えるための暗号のようにさえ聞こえてくる。
 本特集の企画協力者であるオリヴィエ・ペールはセルジュ・ボゾンの作品をつねに擁護してきたひとりだが、彼が以下に訳出した紹介文の中でボゾン、そしてゴダールの作品を「大衆に見放され、だがそれでも大衆について語り続けようとしている映画」と述べるとき、ドゥルーズがかつて「現代的な政治映画があるとすれば、次のことを前提にするしかない。民衆はもはや存在しない。あるいはまだ存在しない...民衆が欠けている。」と書いた一文を想起しないわけにはいかない(『シネマ2*時間イメージ』)。
 未曾有の危機に直面している世界中の「人々」、私たちは分断ではなく、いかに調和、混ざり合っていくことができるのだろうか。そんな壮大な問いはしばし脇に置いて、まずはこの赤毛のふたりの風変わりな女性警官たちのやり取りに笑い、感動してほしい。
『ティップ・トップ ふたりは最高』の上映はこれからも続けます。
『ティップ・トップ ふたりは最高』セルジュ・ボゾン
オリヴィエ・ペール
 ある地方都市で、ふたりの女性捜査官がアルジェリア出身の情報提供者、密告者の死について捜査を行っている。ボゾンは、かつてゴダールが用いた方法を応用してみせる。つまり犯罪小説を題材に用いながら、そこからまったく別のことを語るという方法である。それでは彼らは何を語っているのか?ゴダールとボゾン、いかにそれぞれの作風は異なっていようとも、彼らが語っていることを探そうとすれば、その答えは、ボゾンの前作、傑出したその長編のタイトルに見つけるべきだろう。そう『フランス』(2007)である。
 そして本作は、不釣り合いなふたりの女性警察官の物語でもある。彼女たちはそれぞれ、私生活での素行が理由で職務執行を干渉されることになる。片方は叩き(夫とのサド・マゾヒズムの関係を窮めている)、もう一方は覗くことが趣味なのだ。イザベル・ユペールとサンドリン・キーベルランによるコミカルなコンビは、これまで彼女たちも、いや誰も見せたことがない見事なかけ合いで、主演女優たちもそれを思いっきり楽しんでいるように見える。そしていかがわしい警官を演じるフランソワ・ダミアンは、その持ち前のクレイジーな魅力がうまく引き出され、才能溢れる俳優であることがあらためて証明されている。ひそかに展開していく不条理な笑い、陰謀と謎の香りを、乾いたタッチ、素早い表現、そしてフランス、いや世界の作家主義的映画が引き付けようとするものたち(あまりにもそのリストは長い)をあえて拒否しようとする態度。セルジュ・ボゾンの映画のレシピ(映画作法)を数行で述べてみるならこのような特徴を挙げられるだろうが、ボゾンの映画とは、とりわけ多くのことにノンと言い、それ以上のことを記憶しながら、別の、まったくもって独創的なものを創り出そうとしている。引用したり、参照したりすることはないものの、『ティップ・トップ ふたりは最高』は映画の歴史に対する反旗の記憶を担っており、ポンピドゥー・センターからの白紙委任状を与えられた際にセレクトしたお気に入りのフランスの監督たち、新機軸を求め続けた監督たちを継承するボゾンに相応しい作品となっている。したがって「フランス」というテーマ、ボゾンの愛する反自然主義的な映画作家たち(とりわけシャブロルやモッキー)、そしてこれみよがしに政治的であろうとすることがないながら、作品の隠れた主題である移民や統合の問題、これらすべての要素が本作を豊かなものにしている。そしてこの作品のもうひとつの核を語るならば、ある種の古典アメリカ映画からの影響を挙げることができるだろう。ハリウッド映画のいくつかのジャンルの特徴や、演出の優位といったものが、目立たないながらもあちらこちらに感じ取ることができる。『ティップ・トップ ふたり』は、『Deux Rouquines dans la bagarre(抗争の中のふたりの赤毛の女たち)』(1955年 アラン・ドワン監督の作品で、原題は『Slightly Scarlet』)というタイトルも当てはまるのではないだろうか。イザベル・ユペールとサンドリン・キーベルランの髪の色が赤毛に近いからだけではない。ボゾン作品の威風堂々としたところ、あるいはそのダンディズムは、擬似文化的オーラを脱ぎ捨て、映画の炎を燃やし続け、50年代のアメリカB級映画、あるいは70年代土曜の夜に放映されていたような映画の精神を持ち得ていると思うからだ。大衆的な作品の体裁を取りながらも、大衆に見放され、だがそれでも大衆について語り続けようとしている映画たち。大作、あるいは低予算の作品でも、人々について自問し、人々を映画の中に描こうとする作品たちがある。ボゾン、ゴダール、そして何人かの他の映画作家たちのようにいまもなお、絶えず。

067042-000-a-tip-top-2008455-1491320374.jpg ティップ・トップ ふたりは最高 Tip Top
フランス=ルクセンブルク/2013年/106分
監督:セルジュ・ボゾン
出演:イザベル・ユペール、サンドリン・キーベルラン、フランソワ・ダミアン、キャロル・ロシェ

フランス北部でアルジェリア系の情報屋が殺された。その情報屋は、地域のドラッグの密売に関わっていたが、警察署内部を探るため、ふたりの女性監察官、エスターとサリが派遣された。ひとりは殴りこみをかけ、もうひとりは覗き見る...そう、ふたりは最高のコンビ!

◆「第2回 映画批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~ in 関西」@出町座にて上映
4月13日(月)
 本日、京都の出町座にて日本初上映されたジャン=ピエール・モッキーの代表作の一本、『赤いトキ』。モッキーの作品は発見する度に、こんな映画、これまでに見たことがない!という驚きと共に、その作品に宿るアナーキーなまでの自由な精神、けっして感傷的なものに陥らずも人間へのおおらかな眼差しに心踊らされる。
 この作品をスクリーンで多くの方に見ていただける日が近いことを願い、ここに、オリヴィエ・ペールによる『赤いトキ』の作品紹介を訳出する。
『赤いトキ』ジャン=ピエール・モッキー
オリヴィエ・ペール
 70年半ば、フランスの制度、社会を激しく批判する、アナーキーで扇動的な作品を連続して撮っていたモッキーが、息を抜くようにして撮ったのが『赤いトキ』であり、不条理さと詩的な要素、ブラック・ユーモアをたっぷり散りばめ、犯罪映画の画一的なコードを覆してみせる。モッキーはアメリカの犯罪小説を題材として用いることが多く、ここでは「セリ・ノワール」(暗黒・犯罪小説叢書)の一冊として出版されたフレデリック・ブラウンの『3、1、2とノックせよ』を元に、風変わりで、怪物じみていながら、心惹かれる登場人物たちによる世界を描いている。
 モッキーはつねに俳優たちを愛してきたが、本作ではミシェル・セローとミシェル・ガラブリュが、これまでの道化的な役柄とは離れて、表現の幅を広げ、哀感をそそる人物を作り上げている。セローが演じるのは孤独で、引っ込み思案なサラリーマンであり、子供の頃の性的トラウマによって女性たちを襲う連続絞殺者。対するガラブリュが演じるのは元タンゴの踊り手で、美しい妻(エヴリーヌ・ビュイル)を今でも愛していながらも離婚を求められ、さらにポーカーの賭けで多額の借金を抱え、ギャングたちに追われている男である。そして本作がスクリーンでの最後の出演となったミシェル・シモンが演じる年老いた新聞売りジジは、口やかましく、虚言癖で、厭世的で、これまで彼が演じてきた役柄、『パニック』(1946、ジュリアン・デュヴィヴィエ)のイール氏、『素晴らしき放浪者』(1932、ジャン・ルノワール)のブデュ、『アタラント号』(1934、ジャン・ヴィゴ)のジュールおじさんといった記憶を呼び起こし、その存在はただただ私たちの心を揺さぶる。ジジの唯一の友だちはお洒落なスーツに身を包んだバナナ好きな黒人の少年である。この三人のミシェルのほかにも『赤いトキ』は、脇役からエキストラに至るまで、精彩に富んだ人物たちがたくさん登場し、モッキー秘訣のキャスティングの妙を見て取ることができる。風変わりな顔たち、遊び心あふれた小道具、おかしな服装、口癖、身体的ハンディキャップ......。この風変わりな人々たちのいかがわしい集団、界隈は、モッキーが演出によって、あらゆる社会階級が渾然一体となったフランスの鏡として見えてくる。
 本作は、ほとんどのシーンがサン・マルタン運河沿いや、その界隈で撮られており、戦前のフランス映画の古典作品の中で描かれている大衆的なパリを想起させる。おそらくそこには『おかしなドラマ』(1937、マルセル・カルネ)『北ホテル』(1938、マルセル・カルネ)、『アタラント号』(1934、ジャン・ヴィゴ)などが記憶として蘇ってくるだろう。
 詩的レアリスムの伝統を風変わり(ビザール)なセンスで味付けしたモッキーは、中央アジア出身の映画作家たちの作品、ロマン・ポランスキーの『テナント/恐怖を借りた男』(1976)やスタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』(1971)などに見られるグロテスクでファンタスティックなユーモアのタッチもそこに付け加えている。『赤いトキ』の夢幻的な雰囲気、熱狂的なリズム、モッキー独特の演出方法、いつまでも頭に残るテーマ曲、常軌を逸した俳優たちの演技、こうしたモッキー映画の魅力が詰まった本作は、傑作『あほうどり(L'Albatros)』(1971)の映画作家が、フランス映画でもっとも我々を熱狂させてくれる一人であることを確認させてくれる。権力批判をし続け、茶目っ気あふれるモッキー、彼の創意に富んだ演出方法、映画への果てることなき情熱、彼の作品を活気づけてきた俳優たちへの愛情を我々はこれからも忘れることはないだろう。
ibis-rouge-1975-01.jpg 赤いトキ L'Ibis rouge
フランス/1975年/80分
監督:ジャン=ピエール・モッキー
出演:ミシェル・セロー、ミシェル・シモン、エヴリーヌ・ヴュイル

孤独な会社員ジェレミーは赤いマフラーで次から次に女性たちを絞め殺してきた。同じ界隈に住み、賭博好きレーモンは、借金を返済するために愛する妻のエヴリーヌに宝石を売るよう頼む。そんなふたりが出会い、ある計画が立てられることに......。

◆「第2回 映画批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~ in 関西」@出町座にて上映

「モッキーはささやかな人間喜劇の作家であり、その喜劇は年月が経つにつれ、奇跡へと姿を変えてきた。彼は自らを道徳家と見なすことはなく、寓話作家だと考えていた。暴力や憎悪、偽善と闘う自由な精神の持ち主だったモッキーは、笑いとともにそれらと闘い続けた。なぜなら敵を嘲笑することこそが最良の武器となり、観客たちに真の満足を与えると考えていたからだ。モッキーは風刺、寓話、幻想的あるいはシュールレアリスト的要素を用いて世界を語った。下品だと批判されることもあったが、彼の作品はその逆に、ある種の純粋さ、無垢さを説いてきた。 永遠の反逆者モッキーは、彼の映画の登場人物たちのように、実在する問題に対して常軌を逸しているばかげた、あるいは詩的な解決策を見出し、人生を変えようとしてきた。 モッキーは、自分の作品のもっとも忠実なる観客は子供たち、そして移民労働者たちだと述べていた。モッキーは最良の意味で大衆的な映画作家だったのだ。」

オリヴィエ・ペール(アルテ・フランス・シネマ ディレクター)

4月12日(日)

 オリヴィエ・ペールは2020年3月13日にアンスティチュ・フランセ東京にて行ったジャン=ピエール・モッキーについての講演の最後を、上記の言葉で締めくくった。「第2回映画批評月間」で、昨年のギィ・ジルに続き、フランス映画の知られざる作家、名作を特集する枠で誰を特集したいか、と同氏に尋ねたところ、すぐに名前が挙がったのがモッキーだった。その後、素材や権利の問題が生じたにもかかわらず、モッキー特集を実現させるために協力し続けてくれたペール氏の同講演の原文は「日本におけるジャン=ピエール・モッキー」と題され、以下のブログにて公表されている。

https://www.arte.tv/sites/olivierpere/2020/03/18/jean-pierre-mocky-au-japon/

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 東京、横浜では「第2回映画批評月間」が現在、中止・延期となってしまったが、京都の出町座では、モッキー、そして彼をこよなく敬愛するセルジュ・ボゾン、両監督の特集が現在開催されている。そこで4月12日、本日上映される『言い知れぬ恐怖の町』についてのペール氏による作品紹介を以下に訳出させてもらった。ペール氏のモッキーと本作への熱い想いを通して、本作の魅力を感じていただき、モッキー作品が上映される日が近いことをお待ちいただきたい。


『言い知れぬ恐怖の町』ジャン=ピエール・モッキー
オリヴィエ・ペール

 『言い知れぬ恐怖の町』はジャン=ピエール・モッキーの最良の一本である。ブールヴィル演じるシモン・トリケ警部は、逃亡した偽札偽造者の捜索に乗り出す。逃亡者を追っていくうちに、トリケ警部はオーヴェルニュ地方の想像上の村、バルジュにたどり着き、風変わりなふるまいの住民たちに出会う。そして中世の時代に首を斬られたと言われている「バルジャスク」と呼ばれる獣の存在が村の者たちのもとに恐怖の種をまいていた。

 ジャン=ピエール・モッキーは本作で、ベルギーの作家、ジャン・レーの幻想的な世界を自由に脚色しているが、そこには大いなる幸福感と原作に対する繊細な配慮が十分に感じられる。主役のトリケ警部を演じるブールヴィルを取りまくのは、モッキー作品の常連俳優たち(ジャン・ポワレ、フランシス・ブランシュとその風変わりな子分たち)、そしてフランス映画のかつての名俳優たち(ジャン=ルイ・バロー、ヴィクトル・フランセン、レイモン・ルーロー)がとりわけ奇抜でエキセントリックな役を演じている。バーレスク的かつシュールレアリスト的調子をともなって幻想映画のジャンルに闖入してきたこの驚くべき作品は、公開当時、あまりにも突飛とされ、理解されることがなく、観客の入りもよくなかったため、配給会社からは再編集を求められ、より観客受けするようにと、タイトルも『大いなる恐怖』に変更されてしまった。しかし今回は喜ばしいことにモッキー自身によって監修された真の「ディレクター・カット」修復版、つまり完全版で特別にご紹介させていただく。主役を演じるブールヴィルの魅力的な演技(モッキー作品のブールヴィルはつねに素晴らしい)、そして偉大な作家レーモン・クノーによるユーモアと言葉への愛が詰まっている台詞(契約上の問題でクレジットされていないのだが)が大いに貢献している、滑稽かつ感動的な本作、そのゾクゾクさせる不気味さと、突拍子もなさをたっぷり味わって頂ける貴重な機会となるだろう。

 モッキーにブールヴィル、クノー、ジャン・レー、そして心ゆくまで楽しんで演じている傑出した俳優たち、そして忘れてはならないのが、映画史上もっとも偉大な撮影監督のひとりオイゲン・シュフタン。このように素晴らしい才能が結集し、モッキーのフィルモグラフィーの中でも他に類がない成功作品となった『言い知れぬ恐怖の町』は、60年代以降、あまり試みられることがなくなってしまったフランス映画の貴重な水脈、「詩的幻想作品」の中に位置づけられるだろう。

著者原文:https://www.arte.tv/sites/olivierpere/2013/08/19/la-cite-de-lindicible-peur/
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言い知れぬ恐怖の町
フランス/1964年/92分/モノクロ/デジタル
監督:ジャン=ピエール・モッキー
出演:ブールヴィル、フランシス・ブランシュ、ジャン・ポワレ、ヴェロニク・ノルデー ほか

逃亡した偽札偽造者の捜索に乗り出したシモン・トリケ警部は、オーヴェルニュ地方の想像の村、バルジュにたどり着くのだが、そこには摩訶不思議な住民たち、出来事があふれていた......。ベルギーの幻想小説家ジャン・レーの原作を自由に、幸福感と繊細さとともにモッキーが映画化。モッキー作品にかかせない俳優のひとり、ブールヴィルが風変わりな警部役を魅力一杯に演じている。

世界で隠れて見えないものたち

坂本安美

4月10日(金)

 「それが何なのか私だって分からない、ただ我々と同じ生きものではあることは確かであり、もしかして我々のことを好きなのかもしれないよ。ぴったりくっついている(tout contre)と同時に、敵対(contre)もしている、そう『女性たちにぴったり寄り添っている(tout contre)と同時に、彼女たちに逆らい(contre)もする』とサシャ・ギトリが言ったようにね」。4月8日(木)、インスタグラムにて配信されたマスタークラスの中で、現在、世界中で猛威をふるっているウイスルについて質問されたゴダールは、サシャ・ギトリの有名な一文を引用して、微笑みさえ浮かべてさらっとそう答えてみせた。「反する」という意味と、「ぴったりくっつく」という、相反する意味を持つ「contre」という単語を用いて、ゴダールはウイルスは我々の敵でありながら、この世界の中の生きものとひとつであるという当然の事実にあえて立ち返ってみることを促す。当初は一時間以内で予定されていながらも、一向に疲れを見せることなく、時に辛辣な言葉を交えながらも、茶目っ気のある笑みを浮かべながら、一つひとつの質問に丁寧に応じる89歳の巨匠のインタビューは、最終的に一時間半も続くことになった。その中でゴダールが何度か口にした「アクション」、「リアクション」というふたつのシンプルな言葉が、上記のウイルスについての発言とともに頭の中で響き続けている。「絵画とは手によるアクションである」、「コンピューターを打つ手、それはアクションではない」、「印象派とは写真の誕生へのリアクションで起こった運動だ」、「科学、それもまたアクションである」......。

 世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)戦略投資効果局長の國井修は朝日新聞のインタビューで次のように述べている。「新型コロナとの闘いはまだ終わっていませんが、今回のようなパンデミックは今後も起こりえます。昔なら地方の風土病で終わっていたものが、都市化や交通の高速化、地球環境の変化などで世界に広がるようになっています。(...)抗生物質の過剰使用による新たな耐性菌は確実に増え、地球温暖化で蚊の生息域が広がりマラリアの流行拡大も報告されています。(...)微生物からすれば、自らの生存のために変異しながら人間への親和性を高めているのかもしれません。環境や自然を含む地球の健康と人類の健康を総合的に考える『プラネタリーヘルス』を発展させ、人類と微生物との共存を模索することも大事だと考えます。(...)世界で隠れて見えないものをもう一度見直してほしいのです」(「朝日新聞」3月25日朝刊)。その肩書きを読み、正直このような団体が存在していることにさえ知らずにいたのだが、同氏の言葉は、いたって明瞭であると同時に、見えない危機を前に右往左往しがちな今日この頃、インタビュアーがふと漏らす言葉の通り、「現状を異なる風景として」浮かび上がらせてくれる。

 あるいは3月14日にフランスの国営ラジオ局フランス・インテールでインタビューされた政治学者のベルトラン・バディは「社会」が再び発見される時だと述べる。新自由主義が支配していた世界で、経済成長は持たざる者たちにもいいことであると説かれてきたが、2019年に世界各地で、まったく別々ながらも同時多発的に起こった社会運動、そして現在のこの状況がそれが誤りだったことを物語っている。他者というもの、他性についての解釈をあらためる時がきている。社会への回帰が起こっている。ホモ・エコノミクス(経済人)ではなく、「人間」による社会への回帰が。「自分が勝利するためには、相手は敗北しなければならない」、というのがこれまでの解釈だったとしたら、新たな、グローバル化の真の文法、教えとは、「自分が生き残り、勝利するためには、相手も生き残り、勝利しなければならない。つまり、他者を守ることが自分の利益にもなる」。バディはおおよそ、以上のようなことを述べていた。そしてこのバディの言葉は、「全体が調和していく、全体として栄えていくような形にしないと再生はない」と述べる哲学者の西谷修の言葉とも共鳴しているように思える。

 ウイルスという危機に対面し、神経をとがらせながら、自分たちの健康、生命、そして日々の生活を守ろうとしている現在、「人類と微生物との共存」について考える余裕などないと言ってしまえばそれまでだろう。しかしこのウイルスという「我々と同様に生きているもの」、そして「隠れて見えないもの」、そのすべてと共にこの世界を、勇気と英知を持って、新たな目で見つめ直すしか、この闇の中を進んでいく術はないだろう。ご多分に漏れず、見えない不安の前でおろおろと怯えながらも、アクション、リアクションととりあえず、日々、つぶやき続けようと思う。

 ゴダールはウイルスについての先の発言の後、『ゴダール・ソーシャリズム』でも引用しているジョゼフ・コンラッドの次の言葉(しかし実はヘンリー・ジェイムズの!)をつぶやく。「私たちは闇の中で仕事をするーーできることを行い、持っているものを与える。私たちの疑問、それは私たちの情熱であり、情熱こそが私たちの務めである。残りは、芸術の狂気である。」

アクションとリアクションーーJLG とともに

坂本安美
4月7日(水)

 日本ではなにやら世の中を大きく変える宣言とやらが出されたようだが、何が変わる、変わらなければならないのか。たしかに健康は、命は大切である。それが危険に冒されていることは否定できない現実として目の前にあるのだが、そのことを理由に、どんな補償を受けられるのかもほぼ不明なまま、私たちは様々なことを阻まれ、自由が大きく制約されようとしている。

 はたして命や健康が危険に冒されていることが怖いのか、そうした危機の名のもとに、昨日まで、数ヶ月前まで当たり前だったことがすべて断ち切られ、明日の生活も補償されず、将来の見通しがまったく見えないことが怖いのか。あいまいな状況のあいまいな不安のなんと気持ちの悪いことか。

 そんな日の夜、海の向こうにいる「世界一クールな男」が私たちの携帯の中にライブで現れるという。気持ちの悪い不安はおきざりにして、とりあえずワイングラスと携帯を持って今宵を過ごそうではないか。そしてジャン=リュック・ゴダールは緑のチョッキを着て、葉巻を片手に、涼しい顔で世界中から送られてくるコメントや絵文字とともに私たちの前に登場した。

 1時間半のそのインタビューをそのままここで訳出するよりは、まず彼が毎日かかさずパートナーのアンヌ=マリー・ミエヴィルと共に読んでいるという仏日刊紙「リベラシオン」の若き批評家、リュック・シャセルによる卓越したテキストを以下に訳出したい。同紙文化チームは、4月から週末を除き、毎日ニュースレターを配信している。インタビューからほんの1時間後にメールボックスに届いた4月7日付けレターのエディトリアルが以下の文章である。



GODARD, PAS À BOUT DE SOUFFLE AU TEMPS DU COVID-19
ゴダールはCOVID-19の時代にも息切れ(à bout de souffle)することがない

リュック・シャセル

1305609-godar_ecal_instagram.jpg 「テクノロジーに勝利した世界は自由に敗北してしまった」。ジャン=マリー・ストローブの最新短編作品で、レマン湖岸を背中を向けて歩ているひとりの男が最後に呟く言葉である。『ロボットに対抗するフランス』(2020年/夜と昼の2バージョンで10分)、ジョルジュ・ベルナノスによる同名の社会を風刺した文書(*1)の一節による反テクノロジーの革命の呼びかけは、ストローブによってロールの自宅に籠城している隣人、ジャン=リュック・ゴダールに捧げられている。本作は4月5日よりサイトKino Slangにて無料配信されている。そしてその配信スタート日から2日もあけずして、つねに偶然が物事を成しているかのように見せながら、JLGは彼なりの方法でストローブへ応答することになる。
 本日の午後1時間半の間、ローザンヌ州立美術学校のインスタグラムにてスイスの映画監督リオネル・バイアーの質問にライブで答えたジャン=リュック・ゴダール、その顔の下に次々と映し出されるユーザーたちからのコメントのひとつにあるように「世界一のクール・ガイ」は、マスクではなく葉巻を口にくわえ、いつものように、出来事を作りだした。おそらくパンデミックが起こっているこの時だからこそJLGの基本的とも言える言葉が私たちにより強く響いてくるのでないだろうか。優しくも残酷で、寛大かつ控えめな彼の言葉は、それが述べられている現状を描写し、その覆い(マスク)を取り外そうとするのみである(それに対して、質問者は現在流通している防御用マスクをきちんとつけている)。それでは今回、ライブ配信というメディアで、そのかぼそい声に注意深く耳を傾ける者、あるいはまったく傾けることのない者たちによる、スクリーン上のあらゆる言語、絵文字のラブコールに対し、読むことのないロールの予言者の口から人々は何を聞くことになったのだろうか?
 「ウイルスはコミュニケーションであり、他のものを必要とする。隣人のもとを訪れ、そこに入るために。たとえば幾羽の鳥たちが隣の巣を訪れる、そこに入っていくように。ネットでメッセージを送るとき、そのメッセージがどこかに送られ、そこに入るために、誰か別のものを必要とするように」。ゴダールは情報理論に触れながら、おおよそ以上のようなことを述べた。そしてしばらくして再びこう続けた。「ウイルスはコミュニケーションである。私たちが今まさにしているように......。それで死ぬことはないかもしれないが、それによってうまく生きることはできないかもしれない」。そしてゴダールは最近しばし口にする彼の思考、つまり(アルファベット、そして、通常であれば経済成長を示しているが、現在は感染数の上昇を示す資本主義的成長カーブによって固定しようとするーーJLGによるいつもの天才的ひらめきが感じられる批評だ)「言語 langue」と、「口にされる言葉(パロール)と映像(イメージ)の混合」、映画が時に可能とするその混合としてある「言葉 langage」の対置についてここでも語ってみせる。そう、午後のひと時、テクノロジーに勝利した病める世界における言葉(パロール)と映像(イメージ)が伝えてくれるのは、ジャン=リュック・ゴダールのもとでは必ずしもそうではないということ、すなわち世界はまだ必ずしも自由に敗北してしまったわけではないということなのだ。

[著者原文]:https://next.liberation.fr/cinema/2020/04/07/godard-pas-a-bout-de-souffle-au-temps-du-covid-19_1784498
(*1)『ロボットに対抗するフランス』はジョルジュ・ベルナノスが1947年に発表したエッセー集であり、産業化した社会への厳しい批判を綴った幾つかのテキストが集められている。ベルナノスはここで機械化は人間の自由を制限し、思考方法まで混乱させると述べている。