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Belle Noiseuse004.jpg5月12日、フランスの友人からミシェル・ピコリの訃報のメールを受け取った時、とっさに、自分でもすぐに理由が分からずも、涙がこみ上げ、とてつもない喪失感に包まれた。ピコリが、他界、信じられない......。それほどまでにピコリという存在が大切だったこと、その存在をごく当たり前のように感じていたことを、彼がこの世にもういないと知ったその日からひしひしと感じ始めた。ミシェル・ピコリという存在がいかに現代映画にとって重要であり、彼がいたからこそ映画作家たちが作れた映画、生まれた作品があることを確認、再確認するために、追悼特集を組まなければならないとすぐさま企画を提案した。
追悼特集開催を目前にして、ジャン=マルク・ラランヌ、元「カイエ・デュ・シネマ」編集長であり、現在、フランスの人気カルチャー雑誌「レザンロキュプティーブル Les Inrockuptibles」代表、そして優れた映画批評家である彼による感動的な追悼文をここに訳出したい。これまで多くの監督、俳優たちの卓越した論考を発表してきたラランヌによるミシェル・ピコリ論、そしてラブレターをぜひお読み頂きたい。そして彼の作品をともに発見、再発見して頂ければ嬉しい。


追悼 ミシェル・ピコリ
ピコリという才能
ジャン=マルク・ラランヌ
 彼は、一作、一作の撮影に俳優としてのすべての才能を注ぎ込んで、もっとも偉大な映画作家たちのフィルモグラフィーを横断してきた。今年5月12日に享年94歳でこの世を去ったミシェル・ピコリは70年以上もの間、他に類を見ない軌跡を歩んできた。

 (ジル・ジャコブとの書簡集の形で編纂された)ミシェル・ピコリの自伝(*)は以下の言葉で閉じている。「できれば私は死にたくない」。この自伝を締めくくる最後の頁で、90代となったピコリは、自分の能力が徐々に失われ、崩壊していくことを、「インクのない万年筆」になったようだと、胸が張り裂けるような言葉で語っている。そしてこみ上げた怒りによって「いったい私のインクはどこにあるのだ?」と言葉にならない叫びを上げ、そして敗北感とともに認める、「インクはもう尽きかけてきたのが見える」と。

 たとえば、保険会社の不信感によってマノエル・ド・オリヴェイラ監督の『家族の灯り』(2012年、マイケル・ロンスデール主演)への出演は阻まれてしまったにせよ、ミシェル・ピコリは決して立ち止まろうとはせず、映画を撮るため、舞台に立つために懸命に闘い続けた。飽くなき探求心が彼を生き生きとさせ、そのキャリアの最晩年まで、偉大な映画(『ホーリー・モーターズ』2012年、レオス・カラックス)、偉大な役(『ローマ法王の休日』2011年、ナンニ・モレッティ)でミシェル・ピコリは実際に輝きにあふれ続けていた。

幼年期の記憶の不在、あるいはおおいなる退屈さ

 もしかしたら立ち止まることをしないというピコリのその熱狂的なる生き方は、遅れてきた者という感情から生まれたのかもしれない。彼のキャリアは80年という並外れた長さに亘っているが、それが実際に軌道に乗っていくにはかなりゆっくり時間を要することになる。しかもそれはキャリアにおいてだけではなかった。
 前述した自伝の中で、ピコリはこちらを戸惑わせるほどの無関心さで、自分の幼少期を語っている。おおいに退屈したという以外に幼少期の記憶がまったくないというのだ。ピコリの父親はヴァイオリニスト、母親はピアニストだった。二人は、夏のヴァカンスの間、カジノホールで演奏をして生計を立てていた。ピコリは、カジノの客たちが両親の演奏にほとんど興味を示していなかったのを記憶していた。いずれにせよ彼らも自分たちの職業に真にやる気を抱いていたわけではなく、夫婦仲についてもそれは同じだった。そして自分たちの息子に対しても......。ミシェルは、母親が大切にしていた第一子の死から数年後に生まれた息子だった。
 真に愛された(しかし他界した)子供には到底及ばない身代わりとしてこの世界に生まれ出た若きピコリは、自分をさほど価値のない存在と認識していた。両親が真に愛した存在は自分の誕生前にいた。自分が認識され、愛されるためには別の場所を探さなければならない、と。
 実際の行動には及ばずもレジスタンスのヒロイズムを夢見ながらくぐり抜けた戦争が終わろうとする頃、青年ピコリは自らの未来は演劇にあると見なし始めた。ピコリは演劇学校に登録し、映画のエキストラに志願する。やはりここでもピコリは俳優として認識され、名を上げるまでに、ある程度の時間、段階を経ることになる。まずエキストラから脇役を演じるようになり、ゴダールによって『軽蔑』で初の主演を任せられるには、40代になるのを待たなくてはなかった。そしてこの作品はピコリのキャリアのまさにターニングポイント、転機となったのだ。第二子であり、二番目の役(脇役)。ミシェル・ピコリは中心に身を置かずも、自分がいる場所からどのように輝きを放っていくかを心得ていった。

つねに重要なる脇役を演じて

 年齢を重ねてからスターダムにのし上がってきた他の俳優とは違い、ピコリは脇役を演じるのをやめない、という選択をしてきた、その作品の出演者の中で彼が一番有名な存在だとしても。ルイス・ブニュエル(『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』『自由の幻想』)、マルコ・フェレーリ(『ひきしお』、『白人女に手を出すな』)などでは、ほとんどワンシーンのみで出演している。彼が出演した200本の映画のうち、その半分はそうした短い出演に留まっている。ピコリはどんな役、立場であれ、重要なのは、そこにいることであると信じていたのではないだろうか。そして一度、その監督との間に信頼関係が築かれれば、その創作が進むのに寄り添うために、いつでもその監督のもとに戻る準備があるのだと示しているかのようだ。たとえそれがささいな脇役であろうと(たとえば、『汚れた血』から25年後、レオス・カラックスの『ホーリー・モーターズ』で、短いながらも素晴らしい出演を果たしたように)。こうしてピコリがアーティストたちにみせたこの上ない柔軟さ、寛容さは、存在を誇示しようとする野心とはまったく異なり、創造、クリエーションへの彼の情熱を表しているだろう。俳優の中には、自分の演じた役に自己同一化する人がいる(時には、ほとんど偏狭的に)。また自分が出演した作品に自己同一する俳優たちもいるだろう(作品全体の中での自分の成功や、キャストの組み合わせの中でのバランスへの配慮からだろうか)。あるいは、その役や作品を超えて、様々な状況に応じて、映画監督やその作品、作家としてのアプローチに共感する人もいるだろう。しかしピコリの演技を見ていると、彼にとって大切なのは、ブニュエルやオリヴェイラ、ドゥミの作品全体のために仕事をし、様々な異なる段階においても、彼らの作品世界の中に住み続け、彼らの旅の道連れでいることなのだと感じられる。

語り手、声、分身

 こうして彼らの創作活動、作品群と一体となり、長い間、共に歩んでいきたいとピコリが望んだからこそ、(ピコリをキャストしたほとんどすべての偉大な監督が彼を複数回、出演させている)、多くの映画監督が彼を自分の分身としたのではないだろうか。ピコリ自身も俳優として監督を模倣しようと力を注いできた。たとえばゴダールの作品では、その身ぶりはゴダール的となり、ソーテの作品ではソーテのようにタバコを吸い、叫び、オリヴェイラの作品ではオリヴェイラのように狡猾で、いたずら好きになるという風に......。
ピコリが自ら選んだ役割には、俳優としてのおおいなる謙虚さ(つねに自分という一個人よりも大きいとみなされるものに役立とうとする)と、(一本のフィルムより壮大なもの、つまり映画(シネマ)のために努めたいという)おおいなる野心が感じられる。
 自分の地位をまったく気にすることなく、一本のフィルムのすべての役割(それが主役であろうと、脇役であろうと)に就くことを可能にする彼の俳優としての柔軟さがもっともはっきりと示されているのは、幾度となく、声のみの出演を引き受けていることだろう。たとえばアニエス・ヴァルダ(『キューバのみなさん、こんにちは』、1963年)、クロード・ソーテ(『夕なぎ』、1972年)、ルネ・アリオ(『Le Matelot 512』、1984年)、エリア・スレイマン(『D.I.』、2002年)、ベルトラン・マンディコ(『ホルモンの聖母様』、2015年)、その他多くの作品で、ピコリはナレーターを引き受け、声のみの出演をしている。このことは、彼の声のその温かく、深く、特別な響き、そして興味をかき立てられたプロジェクトであれば、どんな条件、形態であろうと、それに加わろうとする情熱を示している。そしてまた彼に与えられた多少なりとも特別な立場、つまり映画作家の分身であることによって、映画作家たちから、その声によって映画の語り手の役を託されることになったのではないか。

空洞を持つ男、あるいは道化師

 俳優としてのピコリは、ふたつの異なる演技スタイルを持っていた(どちらか一方だけ、ということではなく、ふたつの間の幅広い、多様なニュアンスで演じていた)。一つ目は、彼の初期の偉大な役、そのキャリアを象徴することになる役に見られるかなり内に抑えた演技である。どこかいつも他のなにかを考えているような様子、抑制された表現が見られる。たとえば『軽蔑』、『すぎ去りし日の......』(1970年、クロード・ソーテ)『ロシュフォールの恋人たち』(1967年、ジャック・ドゥミ)、『別離』(1968年、アラン・カヴァリエ)でのピコリの演技などがそれに当てはまるだろう。彼の中のなにかが、捉えることができないままそこからかわされ、言葉に表されることを拒否しているかのようだ。抑制することがまず優先されている。そこでのピコリは、役者である以前に、まるで自分の人生、あるいは他者の人生の観客であるかのようなのだ。しかしながら、『小間使の日記』(1963年)の中でブニュエルはすでにピコリのより開放的な感性を見事に引き出していて、本作でピコリは過剰なほどのリビドーに突き動かされるように滑稽で、粗野で、あけっぴろげな男を演じている。こうしたピコリの持つ活力、精気は映画の中に少しずつ流れ出ていく。空洞を持つ男は、しだいに道化役者(ジャック・ルーフィオ、フランシス・ジロー、イヴ・ボワッセ、ラウル・ルイス)、あるいは無声映画のドイツ人俳優のような表現主義者(『都会のひと部屋』1982年、ジャック・ドゥミ)へとなっていく。歳を重ねるとともに、ピコリは、より大きな権力を持つ役を任されるようになっていく。たとえばルイ16世(『ヴァレンヌの夜』1982年、エットーレ・スコラ)や法王(『ローマ法王の休日』2011年、ナンニ・モレッティ)、さらには映画の化身(シモン・シネマ『百一夜』1995年、アニエス・ヴァルダ)を演じるようになる。

数十本の素晴らしい名作たち

 しかし、ミシェル・ピコリは、権力を体現する際、その都度多くの嘲りをそこに吹き込み、パロディ的な次元を倍増させ、笑劇(ファルス)の力を開花させてみせる。それもしばしば外向的で、ほとんど攻撃的なまでのやり方で。そう、『ローマ法王の休日』にて、時につま先立ちで、ほとんど無言でこっそり逃げ出してみせたように。
 私たちはミシェル・ピコリへ非常に強い愛着を感じていた。なぜなら、まさにミシェル・ピコリその人とともに、この60年の間、観客としての私たちの中にフランス映画が生み出すことができたもっとも素晴らしい作品、数十本の崇高なる映画が堆積し、記録されてきたからだ。
 しかし、それはまたピコリが体現してきたもの、彼が醸し出し、放ってきたもの、世界における彼の存在のあり方そのもの、彼の口調、その太い眉毛、帽子を被る時の類い希なる優雅さ、数え切れないほど目にしてきたタバコの煙を吐くその仕草、そのすべてからだろう。私たちの中に生き続けるそうしたピコリの映像すべてを思い返し、胸が締め付けられ、そして『軽蔑』のオープニングシーンで彼がブリジット・バルドーに囁いた言葉がふと聞こえてくる。そして私たちは、突如、彼に向けてその言葉を呟きたくなるのだ、「あなたのことを愛している、そのすべてを、心から、悲しいまでに」と。

参考文献:(*)『私は夢の中で生きた J'ai vécu dans mes rêves』ミシェル・ピコリ、ジル・ジャコブ共著(グラッセ出版社)


「偉大なる俳優、ミシェル・ピコリ追悼特集」
・2020年8月6日(木)〜9月18日(金)@アンスティチュ・フランセ東京エスパス・イマージュ
・9月@シネマ・ジャック&ベティ(日程調整中)
詳細は以下のページでご確認ください
https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/cinema202009906/

『スパイの妻』、あるいは不意に露呈する外側

坂本安美
6月25日(木)

 最後にこの場に日誌を記してからなんと2ヶ月以上がすでに過ぎてしまった。毎日のようにこの場に戻り、ぎこちなくても、間違っても、とにかく言葉を紡ぎ、聞こえてくる、見えてくるもの、この時間に体験し、考えていることを記録しなければと思いながらも、時間は矢のように過ぎていった。テレワークとやらで朝から晩までコンピューターを前に仕事をするほか、IVCから出るオリヴィエ・アサイヤスのブルーレイボックスの制作を手伝い(特典映像にどうしても付けてほしいと嘆願したアサイヤスとマチュー・アマルリックの対談にもがんばって字幕を付けました、ぜひ本編たちと共に見て頂きたい)、そして今月、劇場の再開とともに公開が始まったアンナ・カリーナのドキュメンタリーのパンフへの執筆、劇場休館によって苦難を強いられていた映画業界の人々へのほんの微力ながらの応援、国内、海外にいる親しい友人や家族たちとのやり取り、一日、一日はあっという間に過ぎていった。もちろんときに不安に苛まれ、発狂しそうになることもありながらも、そうして家の中に身を籠もり、日常を送ってこれたのは、外に出て働き続けていた人たちがいたからこそだ。ブレィディみかこの「欧州季評」(「朝日新聞朝刊」2020年6月11 日)で「ケア階級」という言葉を知った。人類学者デヴィッド・グレーバーが、医療、教育、介護、保育など、直接的に「他者をケアする」仕事をしている人々のことをそう語っているとのこと。「製造業が主だった昔とは異なり、今日の労働者階級の多くは、こうしたケア階級の人々であり、彼らがいなければ地域社会は回らない」と。そしてコロナ禍において「わたしたちは、わたしたちをほんとうにケアしてくれているのがどんな人々なのかに気がついた。ヒトとしてのわたしたちは壊れやすい生物学的な存在にすぎず、互いにケアしなければ死んでしまうということにも気がついた」。そうしたケアする仕事がなぜか経済とは別のもののように考えられ、本当に社会にとって必要な仕事ほど低賃金という倒錯した状況が生まれている、とブレィディみかこは述べる。ちなみにそのケア階級の仕事と対峙する概念として、グレーバーが唱えるのが「ブルシット・ジョブ(どうでもいい仕事)」、たとえばなくてもいい書類作成のため資料を集め、整理するために忙殺されているホワイトカラーの管理・事務部門の仕事......。

 「ヒトとしてのわたしたちは壊れやすい生物学的な存在にすぎない」。そしてその存在、生命としての身体は「"自然"、自分自身の所有物に見えて、けっして自らの制御下に置くことができないものだ」と生物学者の福岡伸一は語る(「福岡伸一の動的平衡」朝日新聞朝刊2020 年6月17日)。いつ生まれ、どこで病を得、どのように死ぬのか、選り好みなどできない。しかしふだん、都市の中で生きる私たちはそのことを忘れて、すべて制御でき、効率よく、予定通り生きていけると思い込んでいる。福岡は本来の自然ピュシスとそれを制御しようとして創り出された自然ロゴスつまり、言葉や論理の対立を語る。制御できないもの、たとえば「生と死、性、生殖、病、老い、狂気......」そうしたものを見て見ぬふり、あるいは隠蔽して、タブーとして押し込めてきた。そしてそうして押し込めてきた「ピュシスの顕れを、まさに今回不意打ちに近いかたちで我々の前の前に見せてくれたが、今回のウイルス禍ではなかったか」。

 生物学者である福岡の文章は、生物学という学問に疎い私にも、おおいに響くものがあると同時に、4月初めにスマートフォンの画面に現れて、私たちにユーモアを交え、穏やかながら、いつもながら力強く語ってくれたゴダールの言葉とも共鳴して聞こえてきた。「それが何なのか私だって分からない、ただ我々と同じ生きものではあることは確かであり、もしかして我々のことを好きなのかもしれないよ」 

 その文章を読んでから数日後、黒沢清監督の最新作『スパイの妻』を見る。
私たちが生きている世界は様々な瞬間、行為、思考、感情によって構成され、動き、あるいは繰り返し、しかし確実に少しずつ変化し、姿を変えている。現在起こっていること、たとえば今、世界中を震撼させているウイルスの感染拡大もすべて、そうした流れ、大きなうねりの中のひとつであり、その変化や動きのしるしは遙かかなたの彼の地で見つけることもできるかもしれないし、実は目の前でふと見えてくることもある。それは人間が制御してもしきれなかったなにかとして貌を表す。黒沢清はそうした貌、見えないけれど見えるもののもとへと接近し、かつて確かに存在し、しかし今や過去になってしまった取り返しのつかないいくつかの事実の積み重ねであるところの「世界」を誰よりも果敢に描いてきた。そして『スパイの妻』で、黒沢清はそれをこれまで以上に大きなスケール感、迷うことのない姿勢で見せる。驚愕し、興奮しながら、帰宅して黒沢さんの著書を一冊手にとってみる。

「どうも僕たちは今とりあえず安心して『ここ』にいるようだ。しかし、その外側は『暴力』に満ちていて、しかも向こうにある暴力の原因のかなり部分が、実はこちら側から送り込まれているのではないか。となると、この安心した内側の世界と、もうひとつの暴力的な外側の世界とは、いつか必ず、というかすでに『戦争状態』に入っていて、そのことに関する責任は、実は『ここ』にいるこの僕たちにも大いにあるではないでしょうか」(『黒沢清、21世紀の映画を語る』発行:boid)

 ちなみに私たちの目の前の「暴力」とはウイルスではない。「人もウイルスも制御できない自然」であり、それを制御するために生活という個人の領域に不用意に介入してくる公権力こそが「暴力」であるだろう。

 21世紀の映画の宿命を真っ向から引き受けた黒沢清のあらたな傑作については、次回、あらためて語らせてほしい。

4月14日(火)
 京都、出町座にて開催中の「第2回映画批評月間」において、今回の目玉であり、特集のひとつであるのがセルジュ・ボゾンである。ボゾンの2013年の長編作品『ティップ・トップ ふたりは最高』は、とにかく主演女優のふたりイザベル・ユペールとサンドリン・キーベルランのかけ合いがタイトル同様に最高なのだが、それはたんに彼女たちの演技がうまい、台詞がよく書けているといったことだけではなく、まさに言葉や所作をかけ合っていくことによって、ふたりが混ざり合い、影響を与え合い、ときにその役割を交換し、コンビを作っているその様をライブで追っていくことができるからだ。そしてこのふたりの登場で、町の人々、本作に登場する誰もが、混ざり合っていく。「プロトコル」、「公平性」と暗号のように呟かれる言葉たち、それはまさにみんなが混ざり合い、全体が調和していけるような「公平」な場所でものを考え、言い合えるための暗号のようにさえ聞こえてくる。
 本特集の企画協力者であるオリヴィエ・ペールはセルジュ・ボゾンの作品をつねに擁護してきたひとりだが、彼が以下に訳出した紹介文の中でボゾン、そしてゴダールの作品を「大衆に見放され、だがそれでも大衆について語り続けようとしている映画」と述べるとき、ドゥルーズがかつて「現代的な政治映画があるとすれば、次のことを前提にするしかない。民衆はもはや存在しない。あるいはまだ存在しない...民衆が欠けている。」と書いた一文を想起しないわけにはいかない(『シネマ2*時間イメージ』)。
 未曾有の危機に直面している世界中の「人々」、私たちは分断ではなく、いかに調和、混ざり合っていくことができるのだろうか。そんな壮大な問いはしばし脇に置いて、まずはこの赤毛のふたりの風変わりな女性警官たちのやり取りに笑い、感動してほしい。
『ティップ・トップ ふたりは最高』の上映はこれからも続けます。
『ティップ・トップ ふたりは最高』セルジュ・ボゾン
オリヴィエ・ペール
 ある地方都市で、ふたりの女性捜査官がアルジェリア出身の情報提供者、密告者の死について捜査を行っている。ボゾンは、かつてゴダールが用いた方法を応用してみせる。つまり犯罪小説を題材に用いながら、そこからまったく別のことを語るという方法である。それでは彼らは何を語っているのか?ゴダールとボゾン、いかにそれぞれの作風は異なっていようとも、彼らが語っていることを探そうとすれば、その答えは、ボゾンの前作、傑出したその長編のタイトルに見つけるべきだろう。そう『フランス』(2007)である。
 そして本作は、不釣り合いなふたりの女性警察官の物語でもある。彼女たちはそれぞれ、私生活での素行が理由で職務執行を干渉されることになる。片方は叩き(夫とのサド・マゾヒズムの関係を窮めている)、もう一方は覗くことが趣味なのだ。イザベル・ユペールとサンドリン・キーベルランによるコミカルなコンビは、これまで彼女たちも、いや誰も見せたことがない見事なかけ合いで、主演女優たちもそれを思いっきり楽しんでいるように見える。そしていかがわしい警官を演じるフランソワ・ダミアンは、その持ち前のクレイジーな魅力がうまく引き出され、才能溢れる俳優であることがあらためて証明されている。ひそかに展開していく不条理な笑い、陰謀と謎の香りを、乾いたタッチ、素早い表現、そしてフランス、いや世界の作家主義的映画が引き付けようとするものたち(あまりにもそのリストは長い)をあえて拒否しようとする態度。セルジュ・ボゾンの映画のレシピ(映画作法)を数行で述べてみるならこのような特徴を挙げられるだろうが、ボゾンの映画とは、とりわけ多くのことにノンと言い、それ以上のことを記憶しながら、別の、まったくもって独創的なものを創り出そうとしている。引用したり、参照したりすることはないものの、『ティップ・トップ ふたりは最高』は映画の歴史に対する反旗の記憶を担っており、ポンピドゥー・センターからの白紙委任状を与えられた際にセレクトしたお気に入りのフランスの監督たち、新機軸を求め続けた監督たちを継承するボゾンに相応しい作品となっている。したがって「フランス」というテーマ、ボゾンの愛する反自然主義的な映画作家たち(とりわけシャブロルやモッキー)、そしてこれみよがしに政治的であろうとすることがないながら、作品の隠れた主題である移民や統合の問題、これらすべての要素が本作を豊かなものにしている。そしてこの作品のもうひとつの核を語るならば、ある種の古典アメリカ映画からの影響を挙げることができるだろう。ハリウッド映画のいくつかのジャンルの特徴や、演出の優位といったものが、目立たないながらもあちらこちらに感じ取ることができる。『ティップ・トップ ふたり』は、『Deux Rouquines dans la bagarre(抗争の中のふたりの赤毛の女たち)』(1955年 アラン・ドワン監督の作品で、原題は『Slightly Scarlet』)というタイトルも当てはまるのではないだろうか。イザベル・ユペールとサンドリン・キーベルランの髪の色が赤毛に近いからだけではない。ボゾン作品の威風堂々としたところ、あるいはそのダンディズムは、擬似文化的オーラを脱ぎ捨て、映画の炎を燃やし続け、50年代のアメリカB級映画、あるいは70年代土曜の夜に放映されていたような映画の精神を持ち得ていると思うからだ。大衆的な作品の体裁を取りながらも、大衆に見放され、だがそれでも大衆について語り続けようとしている映画たち。大作、あるいは低予算の作品でも、人々について自問し、人々を映画の中に描こうとする作品たちがある。ボゾン、ゴダール、そして何人かの他の映画作家たちのようにいまもなお、絶えず。

067042-000-a-tip-top-2008455-1491320374.jpg ティップ・トップ ふたりは最高 Tip Top
フランス=ルクセンブルク/2013年/106分
監督:セルジュ・ボゾン
出演:イザベル・ユペール、サンドリン・キーベルラン、フランソワ・ダミアン、キャロル・ロシェ

フランス北部でアルジェリア系の情報屋が殺された。その情報屋は、地域のドラッグの密売に関わっていたが、警察署内部を探るため、ふたりの女性監察官、エスターとサリが派遣された。ひとりは殴りこみをかけ、もうひとりは覗き見る...そう、ふたりは最高のコンビ!

◆「第2回 映画批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~ in 関西」@出町座にて上映
4月13日(月)
 本日、京都の出町座にて日本初上映されたジャン=ピエール・モッキーの代表作の一本、『赤いトキ』。モッキーの作品は発見する度に、こんな映画、これまでに見たことがない!という驚きと共に、その作品に宿るアナーキーなまでの自由な精神、けっして感傷的なものに陥らずも人間へのおおらかな眼差しに心踊らされる。
 この作品をスクリーンで多くの方に見ていただける日が近いことを願い、ここに、オリヴィエ・ペールによる『赤いトキ』の作品紹介を訳出する。
『赤いトキ』ジャン=ピエール・モッキー
オリヴィエ・ペール
 70年半ば、フランスの制度、社会を激しく批判する、アナーキーで扇動的な作品を連続して撮っていたモッキーが、息を抜くようにして撮ったのが『赤いトキ』であり、不条理さと詩的な要素、ブラック・ユーモアをたっぷり散りばめ、犯罪映画の画一的なコードを覆してみせる。モッキーはアメリカの犯罪小説を題材として用いることが多く、ここでは「セリ・ノワール」(暗黒・犯罪小説叢書)の一冊として出版されたフレデリック・ブラウンの『3、1、2とノックせよ』を元に、風変わりで、怪物じみていながら、心惹かれる登場人物たちによる世界を描いている。
 モッキーはつねに俳優たちを愛してきたが、本作ではミシェル・セローとミシェル・ガラブリュが、これまでの道化的な役柄とは離れて、表現の幅を広げ、哀感をそそる人物を作り上げている。セローが演じるのは孤独で、引っ込み思案なサラリーマンであり、子供の頃の性的トラウマによって女性たちを襲う連続絞殺者。対するガラブリュが演じるのは元タンゴの踊り手で、美しい妻(エヴリーヌ・ビュイル)を今でも愛していながらも離婚を求められ、さらにポーカーの賭けで多額の借金を抱え、ギャングたちに追われている男である。そして本作がスクリーンでの最後の出演となったミシェル・シモンが演じる年老いた新聞売りジジは、口やかましく、虚言癖で、厭世的で、これまで彼が演じてきた役柄、『パニック』(1946、ジュリアン・デュヴィヴィエ)のイール氏、『素晴らしき放浪者』(1932、ジャン・ルノワール)のブデュ、『アタラント号』(1934、ジャン・ヴィゴ)のジュールおじさんといった記憶を呼び起こし、その存在はただただ私たちの心を揺さぶる。ジジの唯一の友だちはお洒落なスーツに身を包んだバナナ好きな黒人の少年である。この三人のミシェルのほかにも『赤いトキ』は、脇役からエキストラに至るまで、精彩に富んだ人物たちがたくさん登場し、モッキー秘訣のキャスティングの妙を見て取ることができる。風変わりな顔たち、遊び心あふれた小道具、おかしな服装、口癖、身体的ハンディキャップ......。この風変わりな人々たちのいかがわしい集団、界隈は、モッキーが演出によって、あらゆる社会階級が渾然一体となったフランスの鏡として見えてくる。
 本作は、ほとんどのシーンがサン・マルタン運河沿いや、その界隈で撮られており、戦前のフランス映画の古典作品の中で描かれている大衆的なパリを想起させる。おそらくそこには『おかしなドラマ』(1937、マルセル・カルネ)『北ホテル』(1938、マルセル・カルネ)、『アタラント号』(1934、ジャン・ヴィゴ)などが記憶として蘇ってくるだろう。
 詩的レアリスムの伝統を風変わり(ビザール)なセンスで味付けしたモッキーは、中央アジア出身の映画作家たちの作品、ロマン・ポランスキーの『テナント/恐怖を借りた男』(1976)やスタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』(1971)などに見られるグロテスクでファンタスティックなユーモアのタッチもそこに付け加えている。『赤いトキ』の夢幻的な雰囲気、熱狂的なリズム、モッキー独特の演出方法、いつまでも頭に残るテーマ曲、常軌を逸した俳優たちの演技、こうしたモッキー映画の魅力が詰まった本作は、傑作『あほうどり(L'Albatros)』(1971)の映画作家が、フランス映画でもっとも我々を熱狂させてくれる一人であることを確認させてくれる。権力批判をし続け、茶目っ気あふれるモッキー、彼の創意に富んだ演出方法、映画への果てることなき情熱、彼の作品を活気づけてきた俳優たちへの愛情を我々はこれからも忘れることはないだろう。
ibis-rouge-1975-01.jpg 赤いトキ L'Ibis rouge
フランス/1975年/80分
監督:ジャン=ピエール・モッキー
出演:ミシェル・セロー、ミシェル・シモン、エヴリーヌ・ヴュイル

孤独な会社員ジェレミーは赤いマフラーで次から次に女性たちを絞め殺してきた。同じ界隈に住み、賭博好きレーモンは、借金を返済するために愛する妻のエヴリーヌに宝石を売るよう頼む。そんなふたりが出会い、ある計画が立てられることに......。

◆「第2回 映画批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~ in 関西」@出町座にて上映

「モッキーはささやかな人間喜劇の作家であり、その喜劇は年月が経つにつれ、奇跡へと姿を変えてきた。彼は自らを道徳家と見なすことはなく、寓話作家だと考えていた。暴力や憎悪、偽善と闘う自由な精神の持ち主だったモッキーは、笑いとともにそれらと闘い続けた。なぜなら敵を嘲笑することこそが最良の武器となり、観客たちに真の満足を与えると考えていたからだ。モッキーは風刺、寓話、幻想的あるいはシュールレアリスト的要素を用いて世界を語った。下品だと批判されることもあったが、彼の作品はその逆に、ある種の純粋さ、無垢さを説いてきた。 永遠の反逆者モッキーは、彼の映画の登場人物たちのように、実在する問題に対して常軌を逸しているばかげた、あるいは詩的な解決策を見出し、人生を変えようとしてきた。 モッキーは、自分の作品のもっとも忠実なる観客は子供たち、そして移民労働者たちだと述べていた。モッキーは最良の意味で大衆的な映画作家だったのだ。」

オリヴィエ・ペール(アルテ・フランス・シネマ ディレクター)

4月12日(日)

 オリヴィエ・ペールは2020年3月13日にアンスティチュ・フランセ東京にて行ったジャン=ピエール・モッキーについての講演の最後を、上記の言葉で締めくくった。「第2回映画批評月間」で、昨年のギィ・ジルに続き、フランス映画の知られざる作家、名作を特集する枠で誰を特集したいか、と同氏に尋ねたところ、すぐに名前が挙がったのがモッキーだった。その後、素材や権利の問題が生じたにもかかわらず、モッキー特集を実現させるために協力し続けてくれたペール氏の同講演の原文は「日本におけるジャン=ピエール・モッキー」と題され、以下のブログにて公表されている。

https://www.arte.tv/sites/olivierpere/2020/03/18/jean-pierre-mocky-au-japon/

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 東京、横浜では「第2回映画批評月間」が現在、中止・延期となってしまったが、京都の出町座では、モッキー、そして彼をこよなく敬愛するセルジュ・ボゾン、両監督の特集が現在開催されている。そこで4月12日、本日上映される『言い知れぬ恐怖の町』についてのペール氏による作品紹介を以下に訳出させてもらった。ペール氏のモッキーと本作への熱い想いを通して、本作の魅力を感じていただき、モッキー作品が上映される日が近いことをお待ちいただきたい。


『言い知れぬ恐怖の町』ジャン=ピエール・モッキー
オリヴィエ・ペール

 『言い知れぬ恐怖の町』はジャン=ピエール・モッキーの最良の一本である。ブールヴィル演じるシモン・トリケ警部は、逃亡した偽札偽造者の捜索に乗り出す。逃亡者を追っていくうちに、トリケ警部はオーヴェルニュ地方の想像上の村、バルジュにたどり着き、風変わりなふるまいの住民たちに出会う。そして中世の時代に首を斬られたと言われている「バルジャスク」と呼ばれる獣の存在が村の者たちのもとに恐怖の種をまいていた。

 ジャン=ピエール・モッキーは本作で、ベルギーの作家、ジャン・レーの幻想的な世界を自由に脚色しているが、そこには大いなる幸福感と原作に対する繊細な配慮が十分に感じられる。主役のトリケ警部を演じるブールヴィルを取りまくのは、モッキー作品の常連俳優たち(ジャン・ポワレ、フランシス・ブランシュとその風変わりな子分たち)、そしてフランス映画のかつての名俳優たち(ジャン=ルイ・バロー、ヴィクトル・フランセン、レイモン・ルーロー)がとりわけ奇抜でエキセントリックな役を演じている。バーレスク的かつシュールレアリスト的調子をともなって幻想映画のジャンルに闖入してきたこの驚くべき作品は、公開当時、あまりにも突飛とされ、理解されることがなく、観客の入りもよくなかったため、配給会社からは再編集を求められ、より観客受けするようにと、タイトルも『大いなる恐怖』に変更されてしまった。しかし今回は喜ばしいことにモッキー自身によって監修された真の「ディレクター・カット」修復版、つまり完全版で特別にご紹介させていただく。主役を演じるブールヴィルの魅力的な演技(モッキー作品のブールヴィルはつねに素晴らしい)、そして偉大な作家レーモン・クノーによるユーモアと言葉への愛が詰まっている台詞(契約上の問題でクレジットされていないのだが)が大いに貢献している、滑稽かつ感動的な本作、そのゾクゾクさせる不気味さと、突拍子もなさをたっぷり味わって頂ける貴重な機会となるだろう。

 モッキーにブールヴィル、クノー、ジャン・レー、そして心ゆくまで楽しんで演じている傑出した俳優たち、そして忘れてはならないのが、映画史上もっとも偉大な撮影監督のひとりオイゲン・シュフタン。このように素晴らしい才能が結集し、モッキーのフィルモグラフィーの中でも他に類がない成功作品となった『言い知れぬ恐怖の町』は、60年代以降、あまり試みられることがなくなってしまったフランス映画の貴重な水脈、「詩的幻想作品」の中に位置づけられるだろう。

著者原文:https://www.arte.tv/sites/olivierpere/2013/08/19/la-cite-de-lindicible-peur/
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言い知れぬ恐怖の町
フランス/1964年/92分/モノクロ/デジタル
監督:ジャン=ピエール・モッキー
出演:ブールヴィル、フランシス・ブランシュ、ジャン・ポワレ、ヴェロニク・ノルデー ほか

逃亡した偽札偽造者の捜索に乗り出したシモン・トリケ警部は、オーヴェルニュ地方の想像の村、バルジュにたどり着くのだが、そこには摩訶不思議な住民たち、出来事があふれていた......。ベルギーの幻想小説家ジャン・レーの原作を自由に、幸福感と繊細さとともにモッキーが映画化。モッキー作品にかかせない俳優のひとり、ブールヴィルが風変わりな警部役を魅力一杯に演じている。

世界で隠れて見えないものたち

坂本安美

4月10日(金)

 「それが何なのか私だって分からない、ただ我々と同じ生きものではあることは確かであり、もしかして我々のことを好きなのかもしれないよ。ぴったりくっついている(tout contre)と同時に、敵対(contre)もしている、そう『女性たちにぴったり寄り添っている(tout contre)と同時に、彼女たちに逆らい(contre)もする』とサシャ・ギトリが言ったようにね」。4月8日(木)、インスタグラムにて配信されたマスタークラスの中で、現在、世界中で猛威をふるっているウイスルについて質問されたゴダールは、サシャ・ギトリの有名な一文を引用して、微笑みさえ浮かべてさらっとそう答えてみせた。「反する」という意味と、「ぴったりくっつく」という、相反する意味を持つ「contre」という単語を用いて、ゴダールはウイルスは我々の敵でありながら、この世界の中の生きものとひとつであるという当然の事実にあえて立ち返ってみることを促す。当初は一時間以内で予定されていながらも、一向に疲れを見せることなく、時に辛辣な言葉を交えながらも、茶目っ気のある笑みを浮かべながら、一つひとつの質問に丁寧に応じる89歳の巨匠のインタビューは、最終的に一時間半も続くことになった。その中でゴダールが何度か口にした「アクション」、「リアクション」というふたつのシンプルな言葉が、上記のウイルスについての発言とともに頭の中で響き続けている。「絵画とは手によるアクションである」、「コンピューターを打つ手、それはアクションではない」、「印象派とは写真の誕生へのリアクションで起こった運動だ」、「科学、それもまたアクションである」......。

 世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)戦略投資効果局長の國井修は朝日新聞のインタビューで次のように述べている。「新型コロナとの闘いはまだ終わっていませんが、今回のようなパンデミックは今後も起こりえます。昔なら地方の風土病で終わっていたものが、都市化や交通の高速化、地球環境の変化などで世界に広がるようになっています。(...)抗生物質の過剰使用による新たな耐性菌は確実に増え、地球温暖化で蚊の生息域が広がりマラリアの流行拡大も報告されています。(...)微生物からすれば、自らの生存のために変異しながら人間への親和性を高めているのかもしれません。環境や自然を含む地球の健康と人類の健康を総合的に考える『プラネタリーヘルス』を発展させ、人類と微生物との共存を模索することも大事だと考えます。(...)世界で隠れて見えないものをもう一度見直してほしいのです」(「朝日新聞」3月25日朝刊)。その肩書きを読み、正直このような団体が存在していることにさえ知らずにいたのだが、同氏の言葉は、いたって明瞭であると同時に、見えない危機を前に右往左往しがちな今日この頃、インタビュアーがふと漏らす言葉の通り、「現状を異なる風景として」浮かび上がらせてくれる。

 あるいは3月14日にフランスの国営ラジオ局フランス・インテールでインタビューされた政治学者のベルナール・バディは「社会」が再び発見される時だと述べる。新自由主義が支配していた世界で、経済成長は持たざる者たちにもいいことであると説かれてきたが、2019年に世界各地で、まったく別々ながらも同時多発的に起こった社会運動、そして現在のこの状況がそれが誤りだったことを物語っている。他者というもの、他性についての解釈をあらためる時がきている。社会への回帰が起こっている。ホモ・エコノミクス(経済人)ではなく、「人間」による社会への回帰が。「自分が勝利するためには、相手は敗北しなければならない」、というのがこれまでの解釈だったとしたら、新たな、グローバル化の真の文法、教えとは、「自分が生き残り、勝利するためには、相手も生き残り、勝利しなければならない。つまり、他者を守ることが自分の利益にもなる」。バディはおおよそ、以上のようなことを述べていた。そしてこのバディの言葉は、「全体が調和していく、全体として栄えていくような形にしないと再生はない」と述べる哲学者の西谷修の言葉とも共鳴しているように思える。

 ウイルスという危機に対面し、神経をとがらせながら、自分たちの健康、生命、そして日々の生活を守ろうとしている現在、「人類と微生物との共存」について考える余裕などないと言ってしまえばそれまでだろう。しかしこのウイルスという「我々と同様に生きているもの」、そして「隠れて見えないもの」、そのすべてと共にこの世界を、勇気と英知を持って、新たな目で見つめ直すしか、この闇の中を進んでいく術はないだろう。ご多分に漏れず、見えない不安の前でおろおろと怯えながらも、アクション、リアクションととりあえず、日々、つぶやき続けようと思う。

 ゴダールはウイルスについての先の発言の後、『ゴダール・ソーシャリズム』でも引用しているジョゼフ・コンラッドの次の言葉(しかし実はヘンリー・ジェイムズの!)をつぶやく。「私たちは闇の中で仕事をするーーできることを行い、持っているものを与える。私たちの疑問、それは私たちの情熱であり、情熱こそが私たちの務めである。残りは、芸術の狂気である。」

アクションとリアクションーーJLG とともに

坂本安美
4月7日(水)

 日本ではなにやら世の中を大きく変える宣言とやらが出されたようだが、何が変わる、変わらなければならないのか。たしかに健康は、命は大切である。それが危険に冒されていることは否定できない現実として目の前にあるのだが、そのことを理由に、どんな補償を受けられるのかもほぼ不明なまま、私たちは様々なことを阻まれ、自由が大きく制約されようとしている。

 はたして命や健康が危険に冒されていることが怖いのか、そうした危機の名のもとに、昨日まで、数ヶ月前まで当たり前だったことがすべて断ち切られ、明日の生活も補償されず、将来の見通しがまったく見えないことが怖いのか。あいまいな状況のあいまいな不安のなんと気持ちの悪いことか。

 そんな日の夜、海の向こうにいる「世界一クールな男」が私たちの携帯の中にライブで現れるという。気持ちの悪い不安はおきざりにして、とりあえずワイングラスと携帯を持って今宵を過ごそうではないか。そしてジャン=リュック・ゴダールは緑のチョッキを着て、葉巻を片手に、涼しい顔で世界中から送られてくるコメントや絵文字とともに私たちの前に登場した。

 1時間半のそのインタビューをそのままここで訳出するよりは、まず彼が毎日かかさずパートナーのアンヌ=マリー・ミエヴィルと共に読んでいるという仏日刊紙「リベラシオン」の若き批評家、リュック・シャセルによる卓越したテキストを以下に訳出したい。同紙文化チームは、4月から週末を除き、毎日ニュースレターを配信している。インタビューからほんの1時間後にメールボックスに届いた4月7日付けレターのエディトリアルが以下の文章である。



GODARD, PAS À BOUT DE SOUFFLE AU TEMPS DU COVID-19
ゴダールはCOVID-19の時代にも息切れ(à bout de souffle)することがない

リュック・シャセル

1305609-godar_ecal_instagram.jpg 「テクノロジーに勝利した世界は自由に敗北してしまった」。ジャン=マリー・ストローブの最新短編作品で、レマン湖岸を背中を向けて歩ているひとりの男が最後に呟く言葉である。『ロボットに対抗するフランス』(2020年/夜と昼の2バージョンで10分)、ジョルジュ・ベルナノスによる同名の社会を風刺した文書(*1)の一節による反テクノロジーの革命の呼びかけは、ストローブによってロールの自宅に籠城している隣人、ジャン=リュック・ゴダールに捧げられている。本作は4月5日よりサイトKino Slangにて無料配信されている。そしてその配信スタート日から2日もあけずして、つねに偶然が物事を成しているかのように見せながら、JLGは彼なりの方法でストローブへ応答することになる。
 本日の午後1時間半の間、ローザンヌ州立美術学校のインスタグラムにてスイスの映画監督リオネル・バイアーの質問にライブで答えたジャン=リュック・ゴダール、その顔の下に次々と映し出されるユーザーたちからのコメントのひとつにあるように「世界一のクール・ガイ」は、マスクではなく葉巻を口にくわえ、いつものように、出来事を作りだした。おそらくパンデミックが起こっているこの時だからこそJLGの基本的とも言える言葉が私たちにより強く響いてくるのでないだろうか。優しくも残酷で、寛大かつ控えめな彼の言葉は、それが述べられている現状を描写し、その覆い(マスク)を取り外そうとするのみである(それに対して、質問者は現在流通している防御用マスクをきちんとつけている)。それでは今回、ライブ配信というメディアで、そのかぼそい声に注意深く耳を傾ける者、あるいはまったく傾けることのない者たちによる、スクリーン上のあらゆる言語、絵文字のラブコールに対し、読むことのないロールの予言者の口から人々は何を聞くことになったのだろうか?
 「ウイルスはコミュニケーションであり、他のものを必要とする。隣人のもとを訪れ、そこに入るために。たとえば幾羽の鳥たちが隣の巣を訪れる、そこに入っていくように。ネットでメッセージを送るとき、そのメッセージがどこかに送られ、そこに入るために、誰か別のものを必要とするように」。ゴダールは情報理論に触れながら、おおよそ以上のようなことを述べた。そしてしばらくして再びこう続けた。「ウイルスはコミュニケーションである。私たちが今まさにしているように......。それで死ぬことはないかもしれないが、それによってうまく生きることはできないかもしれない」。そしてゴダールは最近しばし口にする彼の思考、つまり(アルファベット、そして、通常であれば経済成長を示しているが、現在は感染数の上昇を示す資本主義的成長カーブによって固定しようとするーーJLGによるいつもの天才的ひらめきが感じられる批評だ)「言語 langue」と、「口にされる言葉(パロール)と映像(イメージ)の混合」、映画が時に可能とするその混合としてある「言葉 langage」の対置についてここでも語ってみせる。そう、午後のひと時、テクノロジーに勝利した病める世界における言葉(パロール)と映像(イメージ)が伝えてくれるのは、ジャン=リュック・ゴダールのもとでは必ずしもそうではないということ、すなわち世界はまだ必ずしも自由に敗北してしまったわけではないということなのだ。

[著者原文]:https://next.liberation.fr/cinema/2020/04/07/godard-pas-a-bout-de-souffle-au-temps-du-covid-19_1784498
(*1)『ロボットに対抗するフランス』はジョルジュ・ベルナノスが1947年に発表したエッセー集であり、産業化した社会への厳しい批判を綴った幾つかのテキストが集められている。ベルナノスはここで機械化は人間の自由を制限し、思考方法まで混乱させると述べている。

アンナ・カリーナ追悼

坂本安美
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 2018年9月、18年ぶりに東京を訪れたアンナ・カリーナの側に付き、数日ともに過ごすことができた。最初にお会いしたのは、20年ほど前、彼女のアルバム『恋物語』をプロデュースしたフランスのミュージシャン(フィリップ・)カトリーヌと来日した際で、まるでミュージカルコメディのように楽しげに、チャーミングに歌い合うふたりのパフォーマンス、そして夕食の席でゴダールとのエピソードをまるで昨日のことのように生き生きと語ってくれた彼女の美しい笑顔、そのユーモアに感激し通しだった。アンナは久しぶりのライブで不安げな様子だったが、滞在していたホテルの小さなテラスで一緒に来日したミュージシャンのギター伴奏で歌い始めると、徐々に愛らしい笑顔を取りもどし、一言ひとこと、歌詞に心を込め、その世界の中に入っていった。若い頃に比べてその声はかなり掠れていたが、歌い出すと、そこから彼女の繊細な感情、豊かな表現力が聞こえ、見えてくる。その最後となってしまった来日中のある夕食の席で、ゴダールの新作『イメージの本』で『小さな兵隊』のアンナのシーンが抜粋されていることを告げると、まだ未見だった彼女は本当に嬉しそうな笑みを浮かべていた。17歳でコペンハーゲンの港町から単身でパリに降り立ち、名前も変え、外国語で話し、確かなよりどころがないながら、いやだからこそ、しっかりと一瞬、一瞬を彼女らしく生き、フランスだけでなく、世界中、ここ日本にいる私たちにまで、夢、遊び心、涙、怒り、自由さ、多くの可能性を託していってくれたアンナ。2019年12月14日に旅立ったアンナについて、最後まで彼女と親交の深かったフィリップ・カトリーヌは次のように語る。「あの世代の女性としては、アンナは特定の形におさまることのない人だった。モノラルでもステレオでもなくて、多義的、ポリセミックな人だった。彼女の中にはいくつもの女性が存在していた。だから、彼女はつねに思いがけず、矛盾している、時には機嫌が悪いことさえあった。アンナは文学にも映画にも、サッカーにも興味があった。同じようにフランス語にも情熱を持っていたけど、時に口汚く罵ることもできる人だった。彼女は今日においてそう呼べる意味で、非常に現代的な女性だった。映画の中の彼女を見れば、2010年代に映画に出始めたと全く考えられるよね。」アンナ・カリーナは亡くなる直前まで病院でカトリーヌが作曲して彼女が歌った『アンナ・カリン』を聴いていたそうだ。「カトリーヌと出会って私はもう一度生まれた」とさえ述べていたアンナ、彼女との「恋物語」を生きたカトリーヌの美しい賛辞に続けて、仏日刊紙「リベラシオン」2019年12月15日に掲載されたカミーユ・ヌヴェールのすばらしい追悼文をここに訳出したい。


アンナ・カリーナ、炎に包まれた若き女の肖像(*1)

カミーユ・ヌヴェール

ゴダールとの特権的な関係以外に、変化を求めていた社会が遂げようとしていた現代的なるものへの大きな変化を体現していたアンナ・カリーナは、ヴィスコンティ、ズルニーニ、ファスビンダーなど多くの映画監督を魅了した。

「フランス語を話す外国人の女性は、いつもすごく美しい」、『小さな兵隊』の予告編で聞こえてくるコメントである。ゴダールは『勝手にしやがれ』で「パ・パ・トリ・シア(Pa-pa-tri-cia)」とたどたどしく口ずさんだ後も、「A」の文字を含む名前を持つ女性たち、あるいは題名やアイディアを好んできた。アンヌ・ヴィエゼムスキー、アンヌ=マリ・ミエヴィル、シャンタル・ゴヤ、ナタリー・バイ、レ・リタ・ミツコ、ジェーン・フォンダ、ハンナ・シグラ、等など あるいは『プラウダ』、『(メイド・イン)USA』等など。しかし韻を踏むようにアルファ(ロメオ!)の「A」がもっとも多く、4つの「A」がはっきり発語される(しかも左右どちらかでも同じに読めるファーストネームの響きが加わる)名前を持つ女性、それがアンナ・カリーナ(Anna Karina )だ。

 そしてカリーナはある時代の、現代的でポップで若きフランスを象徴する顔となる。デンマーク出身の外国人である彼女が。彼女を迎え入れた国、フランス、その自由な思想とともに、そしてまたフランスのタブー、禁忌とともに。宗教のベールとカトリック教の抑圧がフランス国家による検閲を取得した、それがディドロ原作で、ジャック・リヴェット監督によって脚色された『修道女』(1965年)だった。アンナ・カリーナがこの映画で体現しているのはまさにそれでしかない、つまり現代的検閲である。アンナ・カリーナは、宗教的にも、文学的にも、二重の意味で冒涜とされた18世紀に書かれた台詞を演じたその外国語のアクセントと無信仰さによって、それ以来、「気まぐれなる殉教者」のイメージを喚起させ続けるだろう。ヴィルジニー・デパントの『ベーゼ・モア』(1993年)(*2)が撮られるだいぶ前の出来事である。

悪魔の機械

 その時代は今より自由だったわけではないが、より無頓着で、決然としていて、分別などなく、失うものも何もない、そう父親たちの退廃した芸術に再び陥るよりはすべてを失ってもいいというような時代だった。それは戦後、社会が急激に発展していき、突如としてスクリーンの中にも、路上にも恋人たちが人目を憚らず現れ、人生と映画の両方が愉快にカミングアウトし合った60年代だった。そしてまだ無名の俳優と映画作家が同じぐらい重要な存在であり、キャメラの前と後ろの境を超えた魂の結びつきによって生まれた映画、それは彼らが共同で創り出した作品だった。アドルフォ・ビオイ=カサーレスの幻想小説をイタリア人監督が映画化した『モレルの発明』(1974年)でカリーナはファスティーヌ役を演じた。生物を三次元上に撮影すると、のちにその生物が死んでしまう悪魔の機械。人間を含めた生物が完璧な姿で記録され、それと引きかえに破壊していく。映像が魂を奪うという私たち先祖の信仰が物語のもととなっているだろう。アンナ・カリーナはしかし恋をしていたのだ。

 6年(1961年から67年まで)、カリーナがヌーヴェルヴァーグの女性の顔となり、シネフィルたちのマリアンヌ(フランス共和国を象徴する女性像であり、『気狂いピエロ』でカリーナが演じた女性の名前)になるには6年というその月日で充分だった。端正な顔立ちで、中国の影絵のように美しいカリーナ。(ベルナデット・)ラフォン、(ステファンヌ・)オードラン、(デルフィーヌ・)セイリング、そして「ロメール映画の女の子たち」、ヴァルダ以外すべて男性の監督たちの世界に、閃光のように出現したこうした何人かの女性たちの中にアンナ・カリーナもいた。ゴダール、リヴェット、ファスビンダー、ゲンスブール=コラルニック、ラウル・ルイス、ショレンドルフ、デルヴォー、リチャードソン、ズルニーニ。アンナ・カリーナは口数の少ない顔をしながら、国籍を超えた新しい波(ヌーヴェルヴァーグ)に乗り、5つの言語を流暢に話しながら映画のユートピアの一員だった。

 おそらく『不良少女モニカ』(1953年)のあのショットによってすべてが変化したのだ。ハリエット・アンデルソンのキャメラ目線のあのラストのショットはヌーヴェルヴァーグの若き獅子たちに官能的なる衝撃を与え、とくにゴダールはとことん拘り(それは映画技法として誰もが使用する、ありきたりな手法にさえなっていくのだが)、イングマール・ベルイマンによるそのショットを『勝手にしやがれ』(1959年)ではセバーグに、『小さな兵隊』(1960年)ではカリーナに演じさせた。しかしカリーナはキャメラとの正面の関係をより力強いものへと高めていく。キャメラは彼女の顔の特徴をつぶさにとらえるポートレイトを形成するにいたるのだ。正面から、横から、あらゆる角度から細かく彼女をとらえ、警察による容疑者の人体測定、あるいは絵画における人物像のエチュードにさえたとえられるだろう。

物思いにふけり、悲しみに沈み、ふてくされて

 それこそが『女と男のいる舗道』(1962年)の全編にわたって私たちが目にすることであるだろう。彼女を見つめる視線、その顔、横顔、楕円形の輪郭、唇までタバコを持っていくその手、短めに切られた髪がカーブを描くその首、彼女はその間、引き出しを開け、うな垂れ、私たちと共に肖像画家(ジャン=リュック・ゴダール)のナレーションの声に耳を傾けながら辛抱強く待ち、そしてキャメラの視線にとらえられるがままに身を任せる。闇、そして光の中でとらえられるその顔の上で、彼女は笑いと涙を交互に見せることができた。アンナ、あるいはその情熱......。ゴダールの声が彼女に文学的レッスンをほどこし、それからある予言を告げるだろう。彼女は物思いにふけり、悲しそうでいて、そして少しふてくされながら、そのことに気づいている。そう、いつかふたりの間の愛が消えていくことを。しかし彼女のこのポートレイト、感情の微妙なる動きが刻まれたこの瞬間は消えないことを。それらすべての瞬間は残っていくことを。そうしてこのシーンの最中、ゴダールによってずっと朗読されているエドガー・アラン・ポーの小説(『楕円形の肖像』)の中で、画家はこう叫ぶ、「これはまるで(妻の)生き身そのままだ!」と。そう、おふざけ好きのアンナ・Kのね。


[訳注]
(*1)セリーヌ・シアマの最新作のタイトル『Portrait of a Lady on Fire (炎に包まれた若き女の肖像)』(2019年)に掛けている。
(*2)ヴィルジニー・デパントの『ベーゼ・モア』(1993年)はフランスの女流作家ヴィルジニー・デパントの小説を、本人自らと元ポルノ女優の友人コラリー・トラン・ティと共同で監督した作品。過激な内容から、公開当時、本国フランスで上映禁止騒動が巻き起こった。 ちなみにジャック・リヴェットの『修道女』は65年に完成されたが、カトリックに冒涜的だとして反対運動が起こり、一時は上映禁止となり、翌年のカンヌ映画祭で初めて上映されるも賛否両論の論争を巻き起こした。1967年7月26日、ようやくパリの5館のみで公開となる。



『女と男のいる舗道』は「ミシェル・ルグランとヌーヴェルヴァーグの監督たち Hommage a Michel LEGRAND」にて近日上映予定。2020年2月21日からYEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次開催。また京都では出町座、京都みなみ会館にて【緊急追悼企画:アンナ・カリーナの残像】が開催される。


そしてラストにアンナ・カリーナ とフィリップ・カトリーヌのデュエットによる『一生愛するとは誓わなかったわ』

今年のカンヌ国際映画祭でなんとしても見たかった一本、デプレシャン最新作『ルーベ、ひとすじの光』、しかしその公式上映は帰国直後、その夜であることを知らされ、地団駄を踏んでいたが、なんとか最終日ぎりぎりにマーケット試写に潜り込み、見ることができた。そして数ヶ月後の夏に訪れたパリ、ちょうど到着日がこの作品の公開日という幸運に恵まれ、劇場であらためてじっくり作品に出会うことができた。カンヌでの上映は長い、長いスタンディング・オベーションに包まれ、非常に温かく迎えられたようだが、当時の記事、批評を読むに、これまでのデプレシャン作品とは一転、刑事ものというジャンルに挑戦していること、そしてこの作品の持つ「非時代的」とも言える側面に戸惑いの声も聞こえた。それから数ヶ月経ち、再びこの作品と、デプレシャンという映画作家と向かい合った各新聞、雑誌、ラジオを見聞きすると、この作品へのより深い洞察がされ、様々な興味深い視線も提示されていた。日本でのお披露目も近いことを希望しつつ、このデプレシャン初のフィルム・ノワール(そう「刑事もの」としてよりもフィルム・ノワールとして)の魅力、そして彼のフィルモグラフィにおいて、あるいは映画史における、この作品の重要性について触れたいと思う。


夜を生きる人々
 漆黒の闇の中、人気のない道路に転がる車から炎が上がり、その炎なのか、黄色い光に包まれた煙が夜の街を漂ってゆくと、家々の壁や道路がうっすらと見えてくる。その中をパトカーが走り抜け、無線でやり取りをする警官たちの声が途切れ途切れに聞こえてくる。飾られているわずかなイルミネーション、警官たちが「メリー・クリスマス」と無線で交わし合う言葉から、その夜がクリスマスであることが推測できながらも、これまでのデプレシャン作品で描かれてきた家族や友人たちが集う賑やかな雰囲気はなく、静寂さと不穏さが背中合わせのような闇がどこまでも広がっている。ここは題名にも掲げられたルーベというベルギーとの国境沿いにあるフランス北部の街、そしてデプレシャン自身が生まれ育った場所である。自伝的要素が込められ、主人公が監督の分身として登場してきたデプレシャン作品で、その主人公が帰省する街としてルーベは何度となく登場してきた。しかしその街はしばし、主人公の家を通して垣間見える、どこかよそよそしい場所としてあった。家族、恋人、友人たちが家という限られた空間で交わし合うひとつひとつの動作、動き、彼らの言葉が濃密なドラマを紡ぎ出してきたデプレシャン映画であるが、最新作『ルーベ、ひとすじの光』は、そうした親密なる空間の中に入っていくことはない。警官、不良青年、年端も行かない少女、浮浪者、たれ込み屋、彼らは街の闇の中にとどまり、うごめいている。
 ルーベはかつて繊維業で栄えながら、近年はフランスの中でも貧困率が高く、経済的に最も厳しい地域とされている。またアラブ系移民が多いことでも有名だ。デプレシャン映画の主人公たちはこの街から出て行っては、ふらりと戻って来て、そしてまた旅立っていく。「何度も自分の作品の中で撮ってきたこの街を見て思うのは、子供の頃の自分が非常に守られた環境にいたということだ。11歳のとき、僕は自分の部屋に閉じこもり、読書をしたり、音楽を聞いたりしてばかりいた。17歳になって、この街から出て、そこから僕の人生はようやく始まった。この街を撮り続けるのは、ある意味、罪の意識からと言えるかもしれない。自分は生まれ育った街を知らないでいる。ルーベは移民の街でありマグレブ系のアラブ人たちが多く住んでいるというのに、僕は一言もアラブ語が話せない。まったくひどいことだ! 弟はアラブ語を話すのに、僕は話せない...。自分の人生をちゃんと歩んでこなかったような気がする。だから僕の映画の登場人物たちは僕が幼年期に避けてしまったことに向かい合っているのかもしれない。」(アルノー・デプレシャン)

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燃え上がる生の素材
 デプレシャンが『ルーベ、ひとすじの光』を構想するきっかけのひとつとなったのは今から10年前にテレビ放映されたモスコ・ブコ監督による『ルーベ、中央警察署、日常業務』というドキュメンタリーだ。このドキュメンタリーは、ルーベの警察署を密着して撮影し、「潜入ドキュメンタリー」のはしりとして、当時、多くの人に衝撃を与えたと言われている。そしてデプレシャンは、これまで元にしてきた自伝的要素から離れ、このドキュメンタリーから出発し、ルーベという「いまだ知らずにいる」街へと戻ってきた。「これまでの僕の作品はロマネスクだった。あまりにも!そして過度なほどのロマネスクを、その『あまりにも』を僕は欲した。でも今日、僕は現実に密着した映画を撮りたいと思った。手が加えられていない、生の素材から始めたいと。そして俳優たちの芸術=技術によってそれが燃え上がらんことを求めたんだ」。モスコ・ブコのドキュメンタリーに記録された家出娘やその家族とのやり取り、レイプの被害にあった少女との現場検証、そしてある殺人事件の容疑者であるふたりの若い女たち......。デプレシャンは、ドキュメンタリーの中で彼女たち、彼らが発する言葉を、まるで「シェイクスピアの戯曲の中の台詞のように尊重し」、脚本の中に取り入れたという。そしてデプレシャンはその脚本を二種類の俳優たちに演じさせている。まずはデプレシャンが呼ぶところの「自然な俳優たち」、つまりプロの俳優ではない、ルーベに実際に暮らしている人々や警官たちである。彼らには自分たち自身を演じること、つまり警官は警官として実際に仕事をしているときのように演じてもらい、街の若者たち、チンピラたちにはいつものように街を歩き、いつものように仲間や警官たちと振舞うことを求め、彼らがより自然に演じられるように、ときに脚本を調整しながら演出を行ったという。こうして実際の警官たち、住民たちの行為、移動、言葉の流れを通じて、彼らが生活し、仕事をしている空間、たとえば警察署というひとつの機関、制度が、フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーさながら、どのように動き、機能しているのか見えてくるだろう。デプレシャン自身も敬愛するこの偉大なアメリカの映画作家がある機関の仕組み、そこで働く人々、訪れる人々たちを丹念に描く、その手法を継承し、ルーベの警察署を通して、この街で生きる人々、とくに女たちの姿が見えてくる。
 モスコ・ブコのドキュメンタリーで最もデプレシャンの心をとらえ、長い間離れなかったのが、老女殺人容疑で逮捕されるふたりの若い女たちだった。「普段は傷つけられる側にしか共感できず、傷つける側を好きになどなれないのだが、人生で唯一、初めて、犯罪者であるこのふたりの女たちを自分の妹たちのように感じたんだ」。そしてこのふたりを演じるのがサラ・フォレスティエとレア・セドゥ、デプレシャンが呼ぶところの「芸術=技術を得た」俳優たちである。現代のフランス映画界を代表する若手女優たち、演技力が認められていると同時に華やかなイメージを持つふたり、とりわけレア・セドゥはファッション雑誌の表紙、ハイブランドのモデルも務める世界的人気女優である。そのふたりと、社会の底辺に生き、犯罪に手を染めてしまう女たちとではあまりにギャップがあるではないか。もしかしたら映画を見る前にそうした危惧をいだく者もいるかもしれない。しかしデプレシャンがこのふたりに求めたのは、実際の人物たちをもっともらしく模倣してみせることではけっしてない。自分たちが犯した非人間的な行為、その現実を正視することより、まるで子供が作り上げたかのような物語、幻覚から抜け出せずにいるふたりの女たち。 デプレシャンが求めるのは、ドキュメンタリーの中で実際に彼女たちが口にした剥き出しの、ときに野卑とも言える言葉たちを、俳優たちが一語一句尊重し、自らのものにし、自分たちの声とともに、それらの言葉がスクリーンのこちら側にいる私たちへと届き、私たちのものになることだ。そしてその「作業」を共に行っていくのがふたりの刑事たち、それを演じるふたりの俳優たちである。

時代遅れなヒーロー
 他の街からルーベに派遣されてきた新米刑事のルイ・コトレル(アントワーヌ・レナルト)、そして彼が配属される警察署のカリスマ的存在である署長ダウール(ロシュディ・ゼム)。そのダウールも、子供の頃にアルジェリアからルーベに移住してきた。なぜ今までこの街から離れなかったのか、とルイに尋ねられ、ダウールは次のように答える、「その質問は違うな、なぜこの街に居続けているのか、と聞くべきだよ。ここは私の子供時代そのものなんだ。私には家族はいない、いやここに住むすべての人たちが家族だ」。彼はひたすらこの街の人々に寄り添い、彼らそれぞれの立場から世界を見て、聞こうとする。ダウールはその時、必ずひとりひとりの子供時代へと遡り、そこで唯一無二の他者として対話しようとする。ひと昔前の映画、とくにアメリカ映画に登場した、ある意味、時代遅れにさえ見えるかもしれない、ダウールのそうした簡潔なる公正さ。なぜデプレシャンはあえて時代を超えたヒーローをこの映画に召喚したのか。デプレシャンが敬愛する映画批評家セルジュ・ダネーは偉大なアメリカ映画の特質とは映画作家たちが、たえず暗黙のうちであれ、「他者についての理論」を育むことを必要としてきたことだと晩年のジョン・フォードについてのテクストにて述べる。「あらゆるものが漂流していく世界にあって、唯一のみすぼらしくも、確かなことは『私』が『私』であるということであり、子供とは、迷い子であれ、養子であれ、捨て子であれば、そもそも他者である。ジョン・フォードはすべての映画で絶えずそのことを語ってきた。(...)フォードは、子供のなかに、なんの保証もなくまったくの偶然に我が子とせねばならない存在という謎を見てとった」。(セルジュ・ダネー)
 世界中でこれまでの既成の秩序、権力構造が崩壊していき、抑えきれない不満、あるいは変革に向けて声を上げようとする者たちを力ずくで押さえ込もうとする警察を含めた行政機関の姿が日々報道されている現在、そうした権力の側に立つ者たちをあえて擁護することが本作の目的ではけっしてない。また彼らそれぞれの立場の複雑さ、両義性を示し、そこから現在社会を描こうとすることを目指してもいない(同じく今年のカンヌのコンペティションに出品されたラジ・リ監督の『レ・ ミゼラブル』は安易な図式に陥らないように試行錯誤しながらまさにそうした試みを行っている)。デプレシャンが目指したのは、社会の側ではなく、あくまでも世界の側に立ち、映画を作ることである。「あらゆるものが漂流していく世界」を見て、受け入れるために。

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ひとすじの光
 後半、事件現場で一堂に会する。中庭を抜け、一階から二階の寝室へ上がり、ふたりの女たちはついに殺人現場である部屋の中へと戻っていく。殺された老女の寝室、ベッドの前で、それまで陰に隠れていたマリーが証言を始める。警官たちの追求によって、クロードもそこにおずおずと加わり、口を開き始める。薄暗い、悍ましい事件が起きたその寝室は「舞台」となり、ふたりの容疑者と警官たちとの緊張に満ちたやり取りが行われる。そして「舞台」袖で、一部始終をじっと見守るのがダウールだ。まさに演出家さながら、ダウールは彼女たちに「なぜ」とは問わず、「どうやって」と尋ね、彼女たちが「真実」を語る声、しぐさを見出していくように導いていく。罪を裁くこと、あるいは償わせることなどここで求められていない。ダウールが、そしてこの映画にとって唯一可能な救済があるとすれば、それは俳優たちの芸術、キャメラの位置、つまり映画の力によって、自己の曖昧模糊とした、陰鬱なる部分にほんのひとすじの光を照らすこと、それだけである。それはまた、恋人同士でありながら愛し合うことができずにいたふたりの女たちがようやく視線を合わせ、見つめ合える瞬間となるだろう。
 アルノー・デプレシャン初のフィルム・ノワール、『ルーベ、ひとすじの光』は現実に密着しながらそこからよりよく飛翔する。そして真実主義的模倣からは遠く離れ、ロマネスク的濃密さ、フィクションの力によって、偉大な映画が持ち得てきたヒューマニズムに到達する。しかしそれは人間性も失われた場所、絶望の果てでようやく取り戻されるヒューマニズムであるだろう。

後記
アルノー・デプレシャンの言葉は、『ルーベ、ひとすじの光』プレス資料、および、仏日刊紙「リベラシオン」のジュリアン・ジェステールによるアルノー・デプレシャンへのインタビューより抜粋。
セルジュ・ダネーの言葉は、「登場の演劇 ジョン・フォード『荒野の女たち』」(『カイエ・デュ・シネマ ジョン・フォード特別号』掲載)より。映画雑誌『シネ砦』に掲載された角井誠の邦訳を参考にさせて頂いた。

『死霊魂』ワン・ビン

坂本安美

 王兵(ワン・ビン)の『鳳鳴中国の記憶』(2007)を見た体験は、忘れられない、特異な記憶として残っている。ひとりの老女が雪道を歩き、彼女の住む小さなアパートへと入って行き、テーブルの前に腰を下ろす。そして和鳳鳴という名の女性は語り始める。ほぼフィクスの映像の中の彼女の着ている赤い服、その小さな部屋、照明、そしてしだいに暗くなっていく外の光の推移と共に感じられる時間。一度、電話がかかってきて話を中断する瞬間があったように記憶している。彼女が語る言葉によって、私たちは異なる時間、歴史の中へと誘われるが、彼女が語る記憶のディテールは、その部屋にあるオブジェや家具、彼女の現在の日常と同じぐらいはっきりと見えてくる。そうして現在と過去それぞれが目の前にはっきりと存在し、鳳鳴の言葉とともにその間を往来したことを思い出すのだ。1950年代後半に中国で起きた反右派闘争や文化大革命の粛正活動で数々の迫害を受け、1974年に名誉回復するまでの、約30年に渡る鳳鳴の物語。歴史の中でほぼタブーとされてきた反右派闘争の歴史、再教育の名の下に収容所に強制的に送られ人々の人生、王兵(ワン・ビン)は、2005年から2017年、10年以上かけてこのテーマを追い続け、キャメラをまわし続けてきた。『鳳鳴中国の記憶』、そして彼の初劇映画である『無言歌(2010年)はこのプロジェクトの中から生まれた2本だった。
 そしてこの12年にわたり、何十時間にも及ぶ生存者たちの証言や彼らが生きた場所のラッシュから生まれたのが『死霊魂』(2018年)である。映画はひと組の夫婦の映像から始まる。夫はソファに腰かけ、妻はその横のベッドに腰掛けている。さしたる理由も分からないまま「右派」と名指され、収容所に送られることになったことを語る夫の表情は穏やかで、時に微笑みさえ浮かべているのだが、画面端にいる妻の顔はそれに比べ、悲壮な面様であり、夫が何か間違えを言わないかどうか、その言葉をひとつも漏らさず聞き入っている。最初のうちは「お前は黙ってろ」と夫に制されながらも、彼が人名、日付などをはっきり思い出せない時、あるいは間違えた記憶を口にすると、妻はたまりかねて声を発し、そのうち静かにキャメラの後ろをまわり、夫の座っているソファの横に身を置く。そしていつの間にか彼女が語り始め、キャメラも彼女を中心にまわり始める。それまでは何やら遠い記憶を語るように平然としていた夫の顔が、妻が語る言葉によって、その記憶が徐々に目の前に甦り、その生々しさに呆然としているかのようにただならぬ表情へと変わっていく。それからすでに死の床にいる弟がしぼり出す言葉、その弟の葬式、埋葬に立ち会う息子の悲痛な叫び、それから10年近く時間が経ち、90を超え、夫を亡くして生き続ける妻にはもはや何も発する言葉はなく、口にするとすれば「死んでこの苦しみから早く逃れたい」と静かに呟き、そして沈黙の中に入ってゆくのを映画は見届ける。
 王兵(ワン・ビン)は、あえて言葉を引き出そうと質問を投げかけることはせず、彼らが語り始めるのを静かに待ち、その発せられた言葉によって、彼らが過去へと時間を辿り直し、そこから記憶が浮かび上がってくるのをゆっくりと、丁寧にキャメラにおさめて行く。その一瞬も失うことなく、すべてを今語り尽さなければと、息せき切って語り続ける者もあれば、「何を語れというだ、語ることなどできやしない!」とどこに向けていいのか分からなかった怒りをようやくキャメラを前にしてぶつけようとしているかのように食ってかかり、語るのを拒みながらも、誰よりも親密な言葉、自分の奥底にある哀しみをふともらす者もいる。王兵は証言者を前にして、それぞれを記録するにふさわしい距離を模索し、彼ら一人ひとりの尊厳を回復させる。登場する証言者たちは、仕事をしたり、食事をしたり、ピアノを丹念に拭いたり、来客をもてなしたり、それぞれの日常を生きており、その時間の中で語り始める。そのことで彼らの現在が、語られる過去とつながれ、そして私たちの現在とも繋がって行くのだ。
 生還したひとりは、収容所があった地に、そうした過去があったことを記す記念碑を生存者たちのグループで建てようとしたが、結局、当局に阻まれ、叶わなかったことを語る。砂漠の上で飢えや寒さ、過酷な労働で死んでいった何千人もの名前がすでに石碑に刻まれていたのに、その記念碑を見るためにその地に辿り着くと、その石碑はすでに破壊されていたという。8時間を超える『死霊魂』は、存在を消されてしまった記念碑、不在の記念碑として、何千もの人々の叫び、そして彼らの沈黙を宿して、私たちの前に何度も、永遠に存在し続ける。


山形国際ドキュメンタリー映画祭2019インターナショナル・コンペティション部門にて上映

  • 『収容病棟』ワン・ビン 渡辺進也 | nobodymag

  • 2007山形国際ドキュメンタリー映画祭レポート 結城秀勇
  • 5月のカンヌ。ワールド・プレミア上映された作品を発見し、批評家を含めた映画人たちとそれら作品について即座に語り、批評し合う、国際映画祭特有のライブ感溢れる刺激的な体験、そして8月の終わり、9月の初め(映画の題名のように!)のパリ。学校や仕事も切り替えの時期、カンヌでお披露目された作品を含めた新作が劇場公開され、新聞やラジオやテレビ、そしてカフェやディナーの席、映画館や道端でもさらに掘り下げた議論や批評がじっくりと行われ、そして展開する。さらにまた映画の殿堂であるパリのシネマテーク・フランセーズも新しいシーズンを迎え、来年までの豪華なラインアップが発表された。カンヌからパリへ、あるいはパリからカンヌへと往来しつつ、映画の現在、批評の現在をこれから数回にわたってレポートします。

    シネマテーク・フランセーズにおけるアルノー・デプレシャン全作特集 

     8月28日(水)から9月19日(木)まで、パリのシネマテーク・フランセーズにてアルノー・デプレシャン全作特集が開催されている。今年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門にてワールド・プレミアされ、フランスでは8月21日(水)から全国公開された『ルベー、ひとすじの光(英語題:Oh Mercy!)』。長編13本目となるこの最新作の力強さ、これまでにないほど深いヒューマニズムが、ヌーヴェルヴァーグ第三世代と呼ばれる映画作家たち(パスカル・フェラン、エリック・ロシャン、ノエミ・ルヴォヴスキ、ロランス・フェレイラ=バルボザ、セドリック・カーン、グザヴィエ・ボーヴォワ、フランソワ・オゾン......)のリーダー的存在であり、いまやフランス映画、いや、現代映画を牽引するアルノー・デプレシャンの映画を、シネマテーク・フランセーズにその処女作からたどり直すことの重要性を改めて感じさせ、本特集を実現に導いたことは明らかだ。
    「アルノー・デプレシャンは家族やその秘密を作品の素材とし、そのロマネスク的創造力は現代のフランス映画の中で他に類を見ないだろう。デプレシャン自身はフランソワ・トリュフォーの後継者であることを表明しているが、その影響はあらゆる方向に開かれており、家族や恋愛の親密なるサガであると思いきや、ハリウッド的スリラー映画的でもあり(『魂を救え!』の歴史的、政治的、社会的な側面)、突如としてファンタジー、あるいはバーレスク、滑稽さへと逸脱することもある。デプレシャンによって描かれる集団の肖像の残酷さ、そのベルイマン的な鋭い視線、俳優たちとの複雑で実りある関係、それらの背後にはつねにほとばしる感情が潜んでおり、それがデプレシャン作品を遺憾なく豊かなものにしている。」

    * * *

     8月末、5年ぶりに息子と共にパリで夏休みを過ごすことに。それが決まった後にデプレシャン特集開催の朗報を耳にし、驚喜した。人生では時としてこうした粋なプレゼントを受け取れることがあるものだ、と。アルノーに早速知らせると「ぜひオープニングにふたりを招待させてほしい」と、これまた泣けてしまうような返事をもらう。
     特集上映のオープニングは8月28日(水)、上映作品は『キングス&クイーン』。カクテルパーティにはアルノーの家族(彼の作品に数多く出演し、また出演しないときさえも重要な存在である、弟のファブリスにも初めてお会いする!)、友人、スタッフ、キャストが集まり、あたたかい雰囲気の中でいよいよ開幕式。シネマテーク・フランセーズ館長のフレデリック・ボノーの熱い賛辞の後、いよいよデプレシャンによる開幕の挨拶が行われる。



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    「長くお話するつもりはありません。でも自分の作品がこんな場所で特集されるなんて、そうざらにはないことです! それどころかこれは最高のことであり、こんなことが叶うなんて、今日まで夢見ることさえできませんでした。これほどの名誉を僕に与えてくれたフレデリック・ボノーに感謝しなければなりません。この招待を頂いたその朝、僕は呆然としてしまい、それは今でも変わりません。ただただとても驚いていて、そこから抜け出せずにいます。
     皆さんの前でこうして話をしている自分の声を聞いていると、なんだか大げさで、形式的に聞こえます。でもそれは僕がそれほど感動しているからなのです。クリスマスの夜のオスカル・エクダールがそうであったように(訳註:『ファニーとアレクサンデル』のファニーとアレクサンデルの父親、劇場を営む舞台俳優)。
     地方出身者の僕には、シネマテークの子になるチャンスはなかった。だから自分はこの場には相応しくない、不当であるとずっと思ってきました。これまでフランスや日本(今日は、坂本安美さんがいらしてくれていますが)、アメリカ、ロンドンなど、たくさんの映画館や会場で、たくさんの映画を、自分のものも他の監督のものも紹介してきました......しかしシネマテークのこのホールに来て、『ラグタイム』や『エイジ・オブ・イノセンス』......とにかくどんな作品を紹介する時も、僕の声は、今日のように震えてしまいます。

     僕は最初の作品を1991年に作りました。つまり28年間、僕は映画を作ってきました。
     まだシャイヨー宮にあった頃のシネマテークでのある晩のことを鮮明に記憶しています。僕は19歳で、エリック・ロシャンと並んでバルコニーの一番前の席に座っていて、パスカル・フェランもそんなに遠くではなかったと思います。たしかラングロワ自らが僕たちにオーソン・ウェルズを紹介したでのはないかと記憶しています。会場は観客であふれかえっていて、僕たちは皆、あの巨人の言葉に聞きほれていました。講演中、ウェルズは観客に向かってこの会場で映画を監督したいと思っている人はいますかと質問しました。300人ぐらいの人が一斉に手を挙げたかと思います! そして次にウェルズは、「この中に"エンターテイメント"をやりたいと思っている人はいますか」と聞いたのです。巨匠の言葉に魅了され、熱狂しきっていたロシャンと僕の二人は咄嗟に手を高く挙げました。そして僕たち二人だけがそうしているのに気がつき、恥じ入ったものでした。

     それから28年間、僕は"エンターテイメント"を手がけてきました、つまり皆さんを楽しませようと心がけてきました。ときには分かりにくい、難解な、あるいはより大衆的なモチーフで。それこそが僕の人生のすべてです。独学で進んできた僕に映画がすべてを教えてくれました。僕は映画にすべてを負っています。それが今晩、ここで述べることができる唯一のことです。そしてこの感謝の気持ち、それこそが僕の誇りです。
     この会場に、幸運にも一緒に映画を撮ることができた幾人かの俳優たちが集まってくれているようです。あなたたちのこと、そして今晩ここには来れなかった他の俳優たちに思いを馳せます。そしてウッディ・アレンの『地球は女で回ってる』のラストシーンを思い出します。ウッディ・アレン自身が作家の役を演じていて、自分の書いた小説のすべての登場人物たちに囲まれて自分が死んで行くのを眺めています。涙が出るほど僕を感動させるシーンです。

    あなたたちを眺め、思うのは、自分は作家ではないということです。あなた方を作り出したのは僕ではない。そうではまったくなく、あなた方が僕を作ってくれたのです。マチュー(・アマルリック)、エマニュエル(・ドゥヴォス)、エマニュエル(・サランジェ)、マリアンヌ(・ドゥニクール)、ジャンヌ(・バリバール)、キアラ(・マストロヤンニ)、カトリーヌ(・ドゥヌーヴ)、ジャン=ポール(・ロシニョン)、ナタリー(・ブトゥフ)、オリヴィエ(・)、ラシュディ(・ゼム)、レア(・セドゥ)、サラ(・フォレスティエ)、アンヌ(・コンシニ)、サマー(・フェニックス)、ファブリス(・デプレシャン)、ブリュノ(・トデスキーニ)、メルヴィル(・プポー)、ノエミ(・ルヴォヴスキ)、メロディ(・リシャール)、ラズロ(・サボ)、イポリット(・ジェラルド)、ジョアキム、フランシス、ジル、サミ(・ブアジラ)、サミール(・ゲスミ)、ラシド(・ハミ)、ルー(・ロワ=ルコリネ)、カンタン(・ドルメール)、その他すべての俳優たちによって僕は作られたのです。

    映画に関わる他のスタッフ(技術者、この呼称は不適切かもしれませんが)全員で、あなた方のアート、俳優という芸術にオマージュを捧げたいと務めてきました。ローラン、マリオン、その他数多くのスタッフが、キャメラや編集テーブルなど、自分たちの機材の後ろに身を潜めながら、それぞれの卓越した技術で努めてきました。

     今晩、この特集で上映してもらうすべての作品に思いを馳せながら、これだけは述べさせてください。一本一本の作品で、僕は一度も自分を隠そうとしたことはなく、そこに自分を完全にささげてきました。裸になり、馬鹿げた、あるいは輝かしい、時に慎みのない自分を。僕のたったひとつの倫理、それは慎みを忘れ、淫靡であることです。俳優とは見事なまでに淫靡な存在です。あなた方のように、僕も自分の持ちうるもので、そのように努めてきました。

     最後に二つほど言わせてください。
     今晩のオープニングにジル・ジャコブ氏をお招きしましたが、残念ながらお越し頂くことができませんした。ある時、僕はジルに人知れず手紙を送ったことがあります、その中の一文を今晩皆さんの前で述べたいと思います。それは『そして僕は恋をする』でエマニュエル・ドゥヴォス演じるエステールがポール・デダリュスに向かって言った台詞です。「ジル、あなたは僕の人生を素晴らしいものにしてくれました」。僕が今日ここにいるのは、ジル・ジャコブ、あなたにも負っているのです。
     そして最後に、僕のほとんどの作品、13本の作品を一緒に作ってきたプロデューサーであるパスカル・コシュトーの顔が見えます。ある日、ずいぶん前になりますが、ニューヨークのリンカーン・センターで『そして僕は恋をする』がで上映された直後、共通の友人の前でパスカルについてこう述べたことがあります。「この男が僕の人生を救ってくれたんだ」と。あまりにもぎこちない表現で、パスカルはおそらくあまり良く思わなかったもしれません。いまだにそれはわかりません。でも今晩、この逸話を述べることで僕の友情を表せればと思います。

     ここにいらっしゃるみなさんすべてに感謝の気持ちを。」

     震える手で原稿を持ち、いつもよりもさらに早口でそれを読み上げたデプレシャン。その後も特集中、すべての上映に、俳優やスタッフたちと共に挨拶に立ち続けている。
     本特集、そしてデプレシャンの新作『ルーベ、ひとすじの光(原題)』については、引き続き本レポートの中で記していく。

     昨年のカンヌ国際映画祭監督週間でプレミア上映されたフィリップ・ガレルの最新作『つかのまの愛人』を見たフランスの批評家の友人から勧められ、小さなコンピューターのスクリーンでガレルの新作を見るなんて、と思いながら、今すぐにでも発見したいという欲望に負け、再生ボタンを押したその瞬間から、映画が幕を閉じるまで、息をしたことも忘れるほど、作品の美しさ、その強度に魅了された。ガレルの作品ほど女性と男性が同じレベルで存在し、また不透明な他者として向かい合っている映画は見たことがないと思ってきた。そして『ジェラシー』以降は、ガレルの映画において女性たちが占める割合が大きくなり、またガレルの息子ルイ、娘のエステールたちと同世代の若者たちの物語が紡がれるようになってきた。『ジェラシー』、『パリ、恋人たちの影』、そして最新作の『つかのまの愛人』は、女性たちの無意識、欲望、苦悩、恋愛における様々な感情、所作、そして身体にこれまでになく迫っていく。

    「カイエ・デュ・シネマ」より編集長ドゥロームの批評の冒頭部分、そして同編集長とガレルの長く、濃密なインタビューの抜粋を以下に訳出した。

    ファム・ファタール ステファン・ドゥローム

    「『つかのまの愛人』は裂け目から始まる。ひとりの女子学生がすさまじい勢いで階段を駆け下り、大学のトイレで恋人である哲学教師と落ち合う。立ったまま、人目を忍んで、ふたりは愛を交わす。今までガレル作品でこんなシーンは見たことはなかった。今まで映画の中でこんなオルガスムを聞いたことはなかった。激しい息づかい、あえぎがすべてを凌駕する。ルイーズ・シュヴィロットの真に迫った演技が文字通りスクリーンを切り裂く。次のシーン。先ほどの学生と同年齢と思われる若い女性、エステール・ガレル演じる女が夜、路上に座り込み、大きな声を上げて泣いている。あえぐように泣くその声がさらに奥から聞こえてきて、私たちの想像の中で先ほどのオルガスムのあえぎ声と泣き声がシンクロして聞こえ、快楽と悲痛な叫びが重なり合う。このふたつのシーンのつなぎによって、ある意味、このふたりの登場人物についてすべてが語られているといえるだろう。快楽を求め、その場限りの関係も辞さない女、そして目から涙を流すしかない苦悩する女。彼女たちは同じ喘ぎをしながらも、片方はもう片方の裏であり、表裏一体のような関係であるだろう。映画を始めるにあたっての土台のようなものとしてこのふたりの女性たちの間の深い不平等さを提示する。ふたつのシーンだけで、ガレルの最新作は最近私たちが見たどの作品も超えたものとなっている。(...)ふたつの状態、ふたつの感情、ふたつの考えを対置。立っている女性と、座っている女性、快楽を味わう女と苦悩に泣く女、そうした正面からの対置、音響のつなぎを通して、映画の編集がそこで語られるべきことを告げている。」(カイエ・デュ・シネマ 733号)

    フィリップ・ガレル インタヴュー

    フロイト的三部作

    ----『つかのまの愛』は『ジェラシー』、『パリ、恋人たちの影』に続く三部作を締めくくる作品ですね。

    フィリップ・ガレル(以下PG):はい、かつて私は『内なる傷跡』、『アタノール』、『水晶の揺籠』の3本をひとまとめにして上映したことがあります。それは3本で2時間45分の一回上映を行うためでした。その上映はシャイヨー宮にあったかつてのシネマテーク・フランセーズで一回のみ開催されました。回顧上映のために、どのようなことを望むか、と主催者側に尋ねられ、それならば『内なる傷跡』と『記憶のためのマリー』を入場無料で上映してほしい、そして先ほど挙げた3本をひとまとめにして、途中で明かりをつけることなく、一回で上映してほしいとお願いしたのです。当時『アタノール』は非難され、ある批評家には、映画が運動であることを認めず、私が壁にぶち当たっているとさえ言われました。『内なる傷跡』はトラヴェリングと音楽であり、『アタノール』は沈黙と固定ショット、そして最後にアシュ・ラ・テンペルの音楽とともに『水晶の揺籠』が上映される。このように3本続けて上映することで、『アタノール』ふたつのコンサートの間の幕間のような存在となり、この組み合わせは上手くいきました。しかし今回はひとまとめに上映するためではなく、真の3部作となっています。

    ----3部作として撮ろうと思われたのはいつ頃だったのですか?

    PG:2本目を準備している時でした。『ジェラシー』を撮り、この原型で上手くいくのを確認できました。1時間15分の長さ、つまり(長編作品の通常の長さの)90分よりは15分短い製作となります。映画史には実はこうした短めの作品が数多く存在していて、誰も覚えていないかもしれませんが、『戦艦ポチョムキン』は1時間5分の長さです。したがって私は同じプロトタイプ、つまり1時間15分の長さ、21日の撮影期間、シネマスコープ、モノクロで3本撮ろうと思ったのです。

    (...)

    ----経済的な側面を超えて、今回の3部作は主題となるモチーフに基づいて構想されていらっしゃいますか?

    PG:観客として、私は映画以外の芸術も愛しています。映画以上に絵画の愛好家です。そのほかに私が長いこと行ってきていることのひとつは、フロイトを読むことです。1975年頃から読み始めたかと思います。フランス国立演劇学校では生徒たちにドラの夢、あるいは「狼男」の夢を読ませています。映画を撮るときは、フロイト的課題を自分に与えています。『ジェラシー』では女性における神経症を、『パリ、恋人たちの影』では女性におけるリビドー、そして『つかのまの愛人』は女性における無意識を扱いたかった。『つかのまの愛人』はエレクトラコンプレックス、つまりエディプス・コンプレックスの女性の場合(もちろんまったく同様というわけではないのだが)について語りたかった。エレクトラは母親のクリュタイムネーストラーが他の男性と再婚したため、母親を殺してしまった。本作では若い娘と彼女と同じ歳である父親の恋人との間の意識的に結ばれた友情の話であり、父親をめぐり、若い娘が無意識によってどのように自分のライバルを追い出すかが語られています。こうした要素を理解することは実はそこまで重要ではありませんが、このように本作は構想されているわけです。

    ----本作にはふたりの女性が出てきます。エレクトラは、(エステール・ガレル演じる)ジャンヌの観点ですね。それに対して、アリアンヌの観点は、快楽に拠っています。本作で私にとってもっとも印象的だったのは、リビドーを描いている点で、それ以前の2作品でもその描写が強く現れています。 『つかのまの愛人』はまさに、オルガズムの驚くべきシーンから始まります。

    PG:ブレヒトの日記を読んでいて、ある箇所で彼はこう書いています。「私は戯曲を完成した。最終的に12のシーンとなったが、それは8シーンと4つの夢で成っている」。ブレヒトが見て、書き留められた4つの夢がほかの部分と同じレベルで一つの戯曲の中に、とりわけ夢として区別されることなく入っているわけです。『つかのまの愛人』の冒頭のシーンも同じで、起き掛けに見て書き留めた夢なのです。同作には他にもうひとつそうしたシーンがあります、大学教授は、若い女子学生と肩を並べて歩いているが、結局自分の家に帰るシーンです。こうしたシーンと、その他の想像、あるいは自伝的エピソードに由来するシーンが区別されることなく、すべて同じレベルでこの作品に存在しています。シャンタル・アケルマンはこう述べていました、「いい、フィリップ、平坦であるべきよ。『平凡なスタイル』という意味ではなくすべてが『同じレベルで』である、という意味で」。

    ----冒頭は見事です。ある女性が快楽を味わっていて、そのシーンが泣いている女性へと繋げられます。片方はつねに快楽を味わい、もう片方はつねに泣いている、二人の状況は不公平と言えるでしょう。そしてそこにエレクトラコンプレックスが結びついている。つまり快楽を享受している者は厄介払いしなければならないわけですね。

    PG:私はドラマトゥルギー(劇作法)が何なのかよく分かりませんが、ジャン・ドゥーシェはこんなことを述べていました。「『パリ、恋人たちの影』はシネマスコープで撮られているから、登場人物がひとりでいるとき、その人物は誰もいない空間、空白に囲まれる。そうすると、もし誰もない空間、空白に囲まれているふたりの人物がいたら、彼らは同じフレームの中へと一緒に身を置くことになるだろう、それがドラマトゥルギーであると。つまりそれは造形的なものであると同時に物語も語っているのだと。したがってあなたが今語られたことも、ドラマトゥルギーだと言えるでしょう。ブレヒトも述べています、良い主題とは、人生があり、そして内面の葛藤があるものだと。人生の何かを示す矛盾が。(本作の共同脚本家である)ジャン=クロード・カリエールはこうしたことに長けています。まず視覚的なもの、たとえばしぐさのようなもの、つまり映画特有なものから始まり、ただちに葛藤、衝突が示されます。矛盾の方に向かっていくというわけではなく、それはすでにそこに存在していて、それがすぐに示されます。3本の作品とも、リハーサルを同じように行いました。主な登場人物たちを演じる俳優たちと一年かけて毎週土曜日に行ったのです。でも最後の作品、つまりこの『つかのまの愛人』がほかと異なるのは、土曜日のリハーサルのときに、脚本に対して編集を変更し始めたということです。ヒッチコックの有名なあの問いを再び見出すために、つまり、「観客は何を知っているか?登場人物は何を知っているのか」という問いです。緊張、そして遊戯=演技があり、そうした原則とともにこれらの問いがさらに興味深いものとなるわけです。観客はこれと、これを知っている、したがってこんなふうに思っている、などなど。毎週土曜日にシーンを通しで稽古をつけているので、編集の順番を徐々に変えていくことになりました。

    ----ふたりの女優たちとはどのように準備していったのですか?

    PG:彼女たちとは毎週土曜日に、ぜんぶで34回、リハーサルを重ねました。彼女たちと仕事をするときに私はただ次のように伝えます。「私が興味のあるのは、君たちがすでにテキストを知っていても、もう一度それを覚えてみること、反射的に記憶が働くようになり、頭の中で脚本のページを読もうとしなくなり、もう一方が台詞を言ったら、自然に台詞が出てくるようになることだ」と。私から指示するのはほとんどそれだけです。これまで覚えたことがなかったほど、記憶のレベルになるまでテキストを身につけること。そうやって俳優たちが台詞を覚えている間に、彼らは自分たちで何かを見出して行き、ひとつの言葉が二つの意味を持つことを発見し、これまで考えたことがなかったようなことを考えるようになり、そうして彼らの演技が上達していくのです。

    ----脚本についてコメントはされないのですか?

    PG:しません。3回ほどリハーサルを行っても、理解していないことがあるな、と感じた時だけ、論理を打ち立てるために説明を加えます。でもほとんどは、俳優たちが自分でその論理を見出します。私が一番力を入れるのは、記憶の部分です。相手が台詞を言ったら、自分の台詞を言わないほうが難しくなるほど、自然に台詞が口から出てくる、そうしたレベルに達することで、正しいと思える演技に到達します。

    映画は、思考に属するものなのです。正しく演じる、それは正しく思考することであり、また正しく喋ることでもあります。正しく話していても、間違った思考をしていたら、うまく演じられない。俳優があるシーンを演じるとき、書かれたテキストを述べるとき、彼らはある一連の思考、動き続けるある思考を即興で行わなければなりません。私が彼らに与えられるのはメソッドだけで、中身ではありません。そのことで彼らには、相手の台詞やその時の状況よって登場人物が何を考えているのか思考する自由が与えられるのです。

    本作は、4/7(土)アンスティチュ・フランセ東京でプレミア上映された後、京都、大阪での「カイエ・デュ・シネマ週間」でも上映予定です。

    http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/cinema1804011700/

    8月18日(土)よりシネマヴェーラ渋谷 他全国順次公開予定です。

     東京、京都、大阪、横浜と開催される今年で21回目を迎える「カイエ・デュ・シネマ週間」。まずは4/1(日)から東京でスタートする本特集の上映作品を同雑誌の批評やインタビューを訳出しながら紹介していきます。

     これまでもブリュノ・デュモンの作品を紹介し、そして監督自身をお迎えしながら、この監督の作品を心から愛せたことはない、とまずここで正直に告白しておこう。心から愛せないながら、しかし見ないわけにはいかない、いや、とにかく見てみたい、そう、ブリュノ・デュモンとは私にとって至極やっかいな存在なのだ。居心地の悪さを感じながらも、どうしても見ずにはいられない、という気持ちにさせられる。それはたんにカイエ誌を含めた数少なくない批評家たちから高い評価を得ているからではなく、まさに彼の作品が描く世界が孕む相反する要素によってなのではないか...、とぶつぶつ思いながらも、今日まで、そしてこれからも見続けるであろう監督がブリュノ・デュモンである。

     そうした「やっかいな」デュモンの映画においてまず驚かされるのは、彼の作品に登場する人々だ。初長編作品『ジーザスの日々』(1997年)から今回の新作に至るまで、ほとんどの場合(『カミーユ・クローデル』と前作の『Ma Loute』は例外として)、デュモンの作品にはプロの俳優ではない素人が起用されている。彼らは今風な美貌を兼ね備えているわけではなく、その表情も振る舞いもどちらかというと無骨なのだが、一度見たら忘れられない、なにか強烈なものを醸し出している。とくに主人公演じる俳優たちの顔、その身体は、まるで偉大な肖像画を目にした時のような、なにか見てはいけないもの、原初的なるものに出会ったかのような慄きとともに私たちの記憶に刻まれてきた。
     ぶっきらぼうな表情で、ときに私たちの心を揺さぶり、恐れさせたりもしてきたデュモン映画の人物たちが、なんと笑いも引き起こすようになった。それはテレビ局アルテから白紙委任状を受けたデュモンが、いつものように撮影場所でオーディションした素人の俳優たちと共に撮り上げた連続犯罪ドラマ『プティ・カンカン』(2014年)から始まった。冒頭から、登場人物たちのやりとりやふるまいには可笑しみがあり、それはときにブラック・ユーモアを含みながらも、多くの場合、愛おしさを伴った笑いを誘うのだ。それに比べ、小さな村で起こる事件を描いた推理ドラマの次回作の『Ma Loute』(2016年)は、ブラック・ユーモア満載のコメディである。ドーバー海峡に面したその土地で俳優たちがどのように動き、またその場所にどのように俳優たちが動かされていくか、土地と人々との生々しい関係をスリリングに見せていくデュモンのいつもながらの演出は見応えがありながらも、ビノッシュらプロの俳優たちと素人たちの演技、その有り様の対比がそのまま階級の対比となるなど、あまりにもあからさまな図式にはやや辟易する。

     さて、今回上映する最新作『ジャネット、ジャンヌ・ダルクの幼年期』である。作品ごとに、そこで語られる内容、テーマ、そのスタイル、前述した独自のキャスティングでつねに驚かせてきたデュモンだが、本作の奇抜さはこれまでになく観る者を驚愕させるだろう。フランスの詩人・思想家シャルル・ペギー(1873 - 1914)による『ジャンヌ・ダルク』と『ジャンヌ・ダルクの愛の秘義』を元にブリュノ・デュモンが未来の聖女の幼年期をミュージカルで描き出した、というだけでどんな作品となっているのか興味を掻き立てられるが、ペギーのテキストにフランスのデスメタル系奇才作曲家Igorrrが音楽をつけ、振り付けはサーカスとダンスを交錯させる奇想天外な演出、そして31歳の若さでアルベールビル冬季オリンピック開会式を手がけたことで有名なフィリップ・デコフレが担当しているという、なんとも奇想天外な企画である。
     物語の舞台は15世紀の百年戦争末期、フランス北東部にあるドンレミ村。農家の娘で羊飼いの少女ジャネット(ジャンヌ)は、目の前のあまりに悲惨な現状を嘆き、心を痛めている。敬虔なカトリック教徒の彼女は、友達のオーヴィエットと修道女ジェルヴェーズとの宗教的かつ哲学的な対話を通して、自身の中にある愛国心に目覚めていく。そして13歳になった時、彼女はついに神の"声"を聞き、ある決意をする......。

    ここで「カイエ」736号に掲載されているインタビューでの監督の言葉を紹介することで、この驚くべき試みへのイントロダクションとなることを願う。

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    ブリュノ・デュモンへのインタビュー
    ーー『ジャネット、ジャンヌ・ダルクの幼年期』の素晴らしさに驚嘆しました。どのようにこの作品が作られたのですか?

    ブリュノ・デュモン:あまり何も決めずに出発してみました。企画の段階ですでにいくつかの提案がありました。すでになにか爆発的なものがあると感じていました。難解とされ、やや忘れ去られたきらいのある作家ペギーとIgorrrの音楽という組み合わせは、たしかに奇妙な提案でした。しかし両方とも、それぞれの分野で実験的な試みをしているわけで、その組み合わせは興味深いと思ったのです。

    ーー出発点で、コメディからミュージカル・コメディに移行されることをお考えだったのですか?

    BD:むしろ「ミュージカル・フィルム」と呼びたいと思います。ミュージカルを撮りたいと強く思っていました、大好きなのです。心理ドラマにはうんざりしていたので、コメディに移行し、「リリック」の中に「普通に」喋らない別の方法を見出しました。コメディの爆発的な部分とリリックの持つ爆発性によって、現在私が必要としている、現実的なるものから離れることが可能となります。

    (...)

    ーー映画史に刻まれた子供による並外れた演技として、たとえばジャック・ドワイヨンの『ポネット』が挙げられますが、あなたのジャネットもまさにそのひとつとして記憶されますね。彼女は何歳ですか?

    BD:8歳です。彼女を選ぶことは大きなリスクでした。はじめて会った時、何かを持っていると感じました。彼女はまずまずは歌える、まずまずは踊れる。この「まずまず」が、ジャネットの「目覚め」には適切、ちょうどいい、と思ったのです。天才少女を探したかったわけではありません。彼女は小さいけど、素晴らしい顔をしていて、温かい心を持ち、何かを放っています。もちろん、それからレッスンをしてくわけで、ダンスを教えたり、手取り足取り教えたりしていくわけですが、望んでいたのはまさに彼女のようにまだ色がついていない、無垢な、天真爛漫とした子供でした。

    本作は、4/1(日)アンスティチュ・フランセ東京でプレミア上映された後、京都、大阪での「カイエ・デュ・シネマ週間」でも上映予定です。
    http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/cinema1804011700/

    カトリーヌ・ドヌーヴからの手紙

    坂本安美

    --「リベラシオン」2018年1月14日掲載--

    Catherine Deneuve : «Rien dans le texte ne prétend que le harcèlement a du bon, sans quoi je ne l'aurais pas signé»

    あの文章は、どこにおいても、セクシャル・ハラスメントを正しいとはまったく述べてはおらず、そうでなければ私は署名しなかったでしょう。

    カトリーヌ・ドヌーヴ

    「性的自由」を守るために「しつこく言い寄る自由」を訴える声明文に署名をしてから1週間後、カトリーヌ・ドヌーヴは、自ら署名したことを認めながらも、他に署名した何人かによる言動とは距離を置いていることを明かす。そしてこの文章によってショックを受けたかもしれない性的暴行の被害者達に対してお詫びの気持ちを述べている。

    カトリーヌ・ドヌーヴは、1月12日(金)に私たちが電話で行ったインタビューの後、以下に掲載するテキストを手紙の形式で送ってくれた。それは私たちによってお願いしたからであり、なぜなら彼女自身の声を聴きたい、そして複数の人々に署名されたあの声明文全体に彼女が賛同しているのかどうか知りたい、そしてその後の署名者の何人かの発言に対してどのような反応を示しているのか確認したいと願っていたからだ。つまり彼女自身の立場を表明することを私たちは願った。

    「リベラシオン」編集部



    たしかに私は、『ル・モンド』紙に掲載された『...自由を擁護します』と題された声明文[註1]に署名しましたが、この声明文は多くの反応を引き起こし、明確にすべき点があると思います。

    はい、私は自由を愛しています。誰もが裁き、仲裁し、断罪する権利を持っていると感じているような、現代に特徴的なこういった風潮は好きではありません。今はソーシャル・ネットワークで告発されただけで処罰を受け、辞任せざるを得なくなり、時に、そして多くの場合、メディアによる集団批判、リンチを受けることになります。30年前に誰かのお尻を触ったという理由で、法的なプロセスを経ることなく、ひとりの俳優が一本の映画作品のクレジットから消され、ニューヨークの大きな機関の代表が辞任に追い込まれることが可能な時代です。私は何も弁護しません。そうした男性たちの罪に裁断を下すような資格は私にはありません。そして(法的なプロセスの外で)そんな資格を持つ人などほとんどいないでしょう。

    私はただ、今日あまりにも日常的になっている、猟犬のように人の後を追い回そうとする傾向が好きではないのです。『#balancetonporc(豚野郎を告発せよ)』[註2]を賛同することに、昨年10月当初から私が留保しているのはそうした理由からです。

    私はうぶなお人好しでもなく、たしかに男性の方が女性よりもそうした行為に及ぶことが多いことは理解しています。しかしこのハッシュタグが密告を誘うようなものではないとどうして言えるのでしょう? そこに操作や汚い手口が存在しない、無実の自殺者がでることはない、と誰が保証できるでしょうか? 「豚野郎」も、「あばずれsalope」もなく、私たちは共に生きるべきでありです。そしてこれは認めますが、声明文『...自由を擁護する』は完全に正しいとは言わないまでも、力強い文章だと私は感じたのです。

    たしかに私はこの声明文に署名しましたが、今日、何人かの署名者たちが、我が物顔にメディアで自分の意見を述べ、文章の精神さえ歪めてしまっている、そのやり方に私が感じている異論をきちんと示す必要があると強く感じました。テレビ番組の中で『レイプの際にオルガスムに達することがある』、と述べることは、そうした犯罪の犠牲者たちの顔に唾を吐くより酷い行為です。こうした発言をすれば、破滅させるために権力を用い、セクシュアリティを使う習慣を持つ者たちに、彼らの行為はそれほど深刻なことではない、なぜなら犠牲者たちが性的快楽を得ることもあるから、という口実を与えるリスクがあります。それだけではありません。他の多くの人々と声明書に署名する時、私たちは連帯して表明するのであり、自分自身の言葉を自制することなく述べて、他の参加者を巻き込むことは避けなければなりません。これは恥ずべき行為です。あの文章は、どの部分においても、セクシャル・ハラスメントを正しいとは述べてはおらず、そうでなければ私は署名しなかったでしょう。

    私は17才から女優です。そしてこれまでにデリカシーに欠けるなどと言う以上の状況を目にしたことがあり、また他の女優たちから、卑劣なやり方で自分の権力を濫用した映画監督がいたと聞いたこともあります。そのことに言及する事はできます。ただ、私は彼女たちの立場から語ることはできません。そして、つねに権力や階級的立場、あるいは支配の形態が、身体的、心的外傷を引き起こすような、耐えられないような状況を作り出すのです。職を失うリスクがあるため、あるいは侮辱や下劣な嘲弄を受けてしまい、ノンと言えなくなるとき、そうした罠がかけられます。私は、したがって、打開策は、我々の子供たち、男の子、そして女の子たちの教育にあると思います。しかしまた場合によっては、セクハラ行為があれば即座に調査を行うことを職場の規約で定めることも必要でしょう。そういった点において、私は司法の力を信じたいと思います。

    結局のところ、私があの声明文に署名したのは、私にとって非常に重要と思えたある理由によります。それは芸術における浄化の危機です。世界文学全集でサドの本を焼き払うことになるのでしょうか? レオナルド・ダ・ヴィンチをペドフィリアとみなし、彼の絵画を消去したりするのでしょうか?ゴーギャンの絵画も美術館から外されるのでしょうか?エゴン・シーレのデッサンは破壊される?それではフィル・スペクターのCDさえも禁止されるのでしょうか? こうした検閲の雰囲気には声を失い、私たちの社会の将来に対して不安にならざるを得ません。

    私は時にフェミニストではないと非難されることがあります。私が『343人のあばずれ(343 salopes)たちの声明』[註3]のひとりであり、マルグリット・デュラスやフランソワーズ・サガンたちと共に、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが書いた声明文『私は妊娠中絶しました』に私自身も署名したことを思い出してもらうべきでしょうか?当時、妊娠中絶は刑罰の対象となり、投獄されることもありました。だからこそ、戦略的に今回私を支持することが自分たちの得になると考えたあらゆる種類の保守主義者、人種差別主義者、伝統主義者に、私は騙されはしないのだと伝えたかったのです。彼らは私の感謝も、友情も得ることはなく、まさにその逆なのです。

    私は自由な女です。そしてこれからもそうあり続けるでしょう。『ル・モンド』に掲載された声明文から攻撃されたと感じた、憎むべき行為の全ての犠牲者へ、友愛の意を表し、彼女たち、ただ彼女たちにのみ、私はお詫びいたします。

    敬具
    カトリーヌ・ドヌーヴ



    訳者から
    昨年のフランス映画祭の団長として来日したドヌーヴに数日間アテンドをさせて頂いた。その際に、一番印象に残ったのは、彼女がひとつひとつの出来事、ひとりひとりの発言、行為を自分の目で見て、自分の耳で聞き、受け止める人だということだった。たとえば、前日に、彼女の心を傷つけ、疑問視するような出来事があり、直後は傷つき、それを批判的な言葉で評していても、翌朝、ホテルの部屋に迎えに行くと、片手にタバコ、もう片方にコーヒーを持ちながら、清々しい表情で、その出来事、あるいはその人物を違う角度から捉え直し、なるべくその人の立場から理解しようとしている彼女がいるのだ。これまでも彼女のインタビューを読む度に感じてきたが、身近で接することで、彼女の発言、その眼差しが彼女の生きてきた体験、彼女自身の思考から出てきているのだと改めて感じられた。自分自身の場所から、自分自身の声を発してきた彼女だからこそ、人一倍、集団で寄って集って批判したり、裁いたりする風潮に耐えられない思いを抱いているのだと理解する。そしてこれまでのそのフィルモグラフィーを見れば分かるように、ドヌーヴは既存の価値観を覆し、ショッキングなまでに自由な女性を演じ、芸術である映画の可能性を作り手とともに探求してきた。そんな彼女だからこそ、行き過ぎたポリティカルコレクトネスが芸術表現の自由を奪う「芸術における浄化」の傾向を非常に不安視し、憂いでいるのだろう。しかし、まずなによりも、今回の「ル・モンド」の声明文に傷ついた性的暴力の犠牲者の声を聞き、心痛め、彼女たちになによりもお詫びの気持ちを真摯に伝えたいと願ったことが彼女にこの手紙を書く決断へと至らせた一番の理由であるだろう。
    拙訳で、どれだけ彼女の真意を届けることができるか不安だが、まずはこの手紙を読んでいただき、それぞれが自分の言葉で語り、議論できる場を持てることを願い、ここに訳出した。

    尚、原文は「リベラシオン」編集部の以下のサイトに掲載されており、英語訳でも読むことができる。
    https://goo.gl/5Mp6C5

    坂本安美



    [註1]

    2018年1月10日にフランス日刊紙「ル・モンド」に発表された「100人の女たちによるもう一つの意見」と題された声明文。起草者としてサラ・シッシュ(作家、精神分析医)、カトリーヌ・ミレ(アート批評家、作家)、カトリーヌ・ロブ=グリエ(女優、作家)、ペギー・サストル(作家、ジャーナリスト、翻訳家)、アブノス・シャルマニ(作家、ジャーナリスト)、そしてカトリーヌ・ドヌーヴほか、イングリット・カーフェン(女優、歌手)、エリザベット・レヴィ(ジャーナリスト)らが署名しています。数々の映画関係の翻訳書がある井上正昭氏の翻訳をご参照ください。

    [註2]

    米プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスティーン氏のセクハラ事件をめぐる動きがフランスにも波及し、議論が巻き起こった。米女優がツイッターで、セクハラ被害に遭った女性に「#Me Too」によって呼びかけたのに対して、フランスでは2017年10月13日に、サンドラ・ミュレール記者が「#balancetonporc(豚野郎を告発せよ)」でセクハラ体験を暴露するよう呼びかけ、18日までに33万5300件のメッセージが飛び交い、さらに議論が沸騰した。

    [註3]

    1971年4月5日、「ヌーヴェル・オプセルヴァトワール」誌に、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、マルグリット・デュラス、カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・サガンら女性たちが「フランスでは100万人の女性が堕胎している。私もその一人であることを宣言する」という〈343人のあばずれたちの声明〉を発表し、人工妊娠中絶合法化を要求した。この運動が功を奏し、1975年に人口妊娠中絶合法化を明記したヴェイユ法が制定される。この法は、それまで不衛生で危険な非合法の中絶を選択せざるを得ない女性を含む全ての女性にとっての身体への権利を獲得し、女性の身体への自由、ひいては女性の人権を確立した重要なターニングポイントとして位置づけられる。

    カトリーヌ・ドヌーヴの眼の中で...

    坂本安美

    フランスの人気カルチャー週刊誌である「レザンロキュプティブル」の編集長、元「カイエ・デュ・シネマ」編集長である映画批評家ジャン=マルク・ラランヌによるラジオ番組「...の眼の中で」(Dans les yeux de...)は、映画人を招き、映像、映画だけではなく、絵画、写真、ゲーム、テレビ、漫画、つまり彼らの「眼の中」に映り、記憶している映像についてラランヌが質問し、ゲストが自由に語り、彼らの出演作の音楽や映画の抜粋が流れる、それぞれの映像の歴史、映画史が見えてくる大変興味深い番組である。これまでにジェーン・バーキン、クリストフ・オノレ、アルノー・デプレシャン、オリヴィエ・アサイヤスなどが招かれた。これまで数多くの映画人と素晴らしいインタビューを行ってきたラランヌのジャーナリストとしての才能が十全に発揮されている。

    2017年3月5日、ラランヌがもっとも憧れ、これまで何度となくインタビューをし、論じてきたフランスを代表する大女優カトリーヌ・ドヌーヴがこの番組に招かれる。

    冒頭、トリュフォーの『暗くなるまでこの恋を』(1969年)の、ジャン=ポール・ベルモンドの、カトリーヌ・ドヌーヴへの感動的な愛の告白のシーンの抜粋が流れる。
    「君の顔はひとつの風景だ。ふたつの目は茶色の湖だ」
    「茶色と緑よ」
    「そう茶色と緑色の湖だ。君の額は平原、君の鼻は小さな山、君の口は火山だ。おお、君を見ていると、あまりの美しさに目が痛くなる。待ってくれ」
    「待っているわ」

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    『暗くなるまでこの恋を』

    この親密で官能的なふたりのやり取りのあとに、司会者であるラランヌによるドヌーヴへの「愛の告白」が続く。「カトリーヌ・ドヌーヴの顔はひとつの風景である。カトリーヌ・ドヌーヴはイメージ、いやそれ以上であり、おそらく映画史上もっとも力強いイコンとして存在している。そのイコンの力の中で、ドヌーヴはジャック・ドゥミの王女様から、ルイス・ブニュエルの倒錯的な女性まで、『暗くなるまでこの恋を』の冒険を顧みない詐欺師女から『終電車』(1980年)の気丈な女性まで、スターの輝きを放つと同時に、アンドレ・テシネの映画で日常を送る現代の女性まで繊細に演じ、女優としてのパレットには幾つもの多様な色が散りばめてきた。カトリーヌ・ドヌーヴは映像の運動そのもの、動く映像=イコンそのものであり、その道程はフランス映画史上の中でもっとも心動かされ、魅惑的である。しかしそのイコンは決してひとつに留まることなく、つねに生き生きと、動き続けている。おそらくそれは彼女がほかの映像に対してつねに大いなる好奇心、情熱を抱き続けていることによるだろう。カトリーヌ・ドヌーヴはつねに新しい映像、新しいフォルム、多様なジャンルの映画の可能性へ好奇心を持ち続けている。連続ドラマ、絵画、漫画など、様々な形態の映像への彼女の情熱を語ってもらった」
    ラランヌにはかつて東京日仏学院でドヌーヴ特集を開催した際に「フランス映画の女優たち」について講演をしてもらったことがある。ダニエル・ダリユーからドヌーヴまで、それぞれの女優のスタイル、魅力が語られ、彼女たちがいかにフランス映画史を彩り、変革して行ったのか、抜粋映像とともにとても刺激的な論が展開された。


    どうやら、インタビューの場所はどこかのカフェのテラスなのか、お皿が触れ合う音、隣の席の話し声も多少漏れ聞え、煙草に火をつける音が何度か確認できる。ヘビースモーカーのドヌーヴのこと、煙草が吸える場所でのインタビューとなったのかもしれない。ふたりの笑い声も何度か聞こえ、ラランヌの質問にとてもリラックスして、愉しげに答えている彼女の姿が思い浮かべられる。
    ドヌーヴはまずマルジャン=サトラピ、タルディなどの作家のバンデシネ(フランスの漫画)への好みについて語り、そこからデッサン、絵画へと話題が及ぶ。「ルーブル美術館に学校の見学で初めて訪れたとき、エジプトの作品のコレクションの前で、その妖しげな雰囲気に強い印象を受けたのをよく覚えています」

    「映画で恐怖を感じますか、あるいは感じるのが好きですか」という質問に、声をひそめ、低い声で「映画で怖がるの、好きだわ。ホラー映画もよく見ます。『エクソシスト』とか」と答えるドヌーヴの遊び心がなんともチャーミングである。「とくに吸血鬼映画が大好きです。トニー・スコットの『ハンガー』(1983年)への出演を引き受けた理由のひとつはまさにそこでした。吸血鬼を演じられるなんて、ミステリアスで官能的で素敵だわ、と思ったのです」

    『ハンガー』の劇中で使用されている、バウハウスのヴォーカル、ピーター・マーフィーの「Bela Lugosi's Dead」が流れる。

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    『ハンガー』

    JML デヴィット・ボウイと共演なさった『ハンガー』はご自分の出演作の中でも思い入れの深い作品ですか?
    CD はい、とても!まずトニー・スコットのことが大好きですし、彼とはとても馬が合いました。一緒に映画を作り、映像、トラヴェリングなどキャメラの動きに対する彼の配慮、一つ一つのショットにかける心配りにとても感銘を受けました。ニューヨークの橋の上のシーンなど、印象深いです。


    次に、若い頃に好みだった俳優についての質問に、クラーク・ゲーブルやモンゴメリー・クリフト、そしてアメリカの30年代のコメディ映画の女優たちへの想いを語る。

    CD アメリカ人の俳優たちのエネルギーは素晴らしいですよね。まず大きな声で話し、つねに彼らは「オーバー・サイズ」なんですよね(笑)。
    キャサリー・ヘップバーンはもちろんのこと、ケーリー・グランドと共演していたジーン・アーサー、ジュディ・ホリディ、それからマリリン・モンロー、こうしたコメディ映画の女優たちの希有な存在に憧れました。とくに『お熱いのがお好き』(1959年)や『帰らざる河』(1954年)のマリリンには驚かされました。ジョージ・キューカーとの未完の作品、そして彼女の遺作となったはずの作品(『女房は生きていた』1962年)での、マリリンの肉体の脆さには心が揺さぶられます。ほとんど白く見えるほどに輝くブロンドの髪、痩せ細ったその身体......人生の淵に立っているかのようでした。

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    『女房は生きていた』


    ドヌーヴは連続ドラマについても熱を持って話す。「「X-ファイル」が放映されていたときは、その時間に帰宅するように頑張りました。もちろん道理をわきまえ、一日に3エピソードぐらいまでにとどめるようにはしておりますが...」(その後もアメリカ、フランスの連続ドラマのタイトルが次々と挙がる)。


    ドヌーヴがセルジュ・ゲンズブールと共に作ったアルバム『SOUVIENS-TOI DE M'OUBLIE』から『Digital delay』が流れる。
    彼女の語りかけるような艶のある歌声を聴きながら、アルバム・ジャケットのHELMUT NEWTON撮影による美しいドヌーヴの写真が思い出される。
    「愛では、つねにひとりが苦しみ、もうひとりが退屈している、とバルザックが毎晩語ってくれた」
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    次に、最近観た中で好きな映画について聞かれると...

    CD もちろん『マンチェスター・バイ・ザ・シー』にはとても感動しました。ケイシー・アフレックは素晴らしかったと思います。それからジム・ジャームッシュの『パターソン』も大好きでした。滑稽で、優しさがあり...、ジャームッシュの作品はほとんどすべて見ています。アジア映画もたくさん見ていて、その中でもジャ・ジャンクーに大変興味を持っています。日本映画では是枝裕和の作品も好きです。フランス映画ではポール・ヴァーホーヴェンの『エル ELLE』、そして若手女性監督たちの作品、たとえばカテル・キレヴェレの『あさがくるまえに』には非常に心打たれました。セリーヌ・シアマもとても才能のある監督だと思います。オリヴィエ・アサイヤスの『パーソナル・ショッパー』も好きでした。アサイヤスの撮り方は本当にエレガントで、『シルス・マリア』(2014年)もよかったし、彼の映画のスタイルはすばらしいですね。クリステン・スチュワートは現在、最も興味深い女優のひとりだと思います。

    クリストフ・オノレ監督の『愛のあしあと』(2011年)で娘のキアラ・マストロヤンニとデュエットしている『軽い娘』が流れる。
    この映画でふたりは母娘を演じている。彼女達の直接の自伝的映画であるわけではないのだが、ふたりの関係、それぞれの女性としての人生が見えてくるようで、ふたりが一緒に歌い出す駅のホームのシーンは何度見ても感動する。

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    『愛のあしあと』

    この娘にして、この母親
    私は軽い女のままでいた
    心の重さとその神秘を避けるため
    石の鞄のような愛
    重いもの、傷つけるものを避けるため
    哀れみを決して求めず、ただ欲望だけを求める


     写真についての質問では、姉たち(ドヌーヴは4姉妹の3番目)との記憶や、日常のささやかなこと、ものを彼女が大切にしていることが伺える次の言葉が心に残った。「写真は、箱の中にしまっています。アルバムで整理する気力はなくて。箱から取り出して、時々眺めて、その写真の中の雰囲気を思い出しています。メランコリックになるときもありますよね、ちょっと。小さい頃に両親や姉たちと写っている写真を見せると、モノクロなのですが、自分の着ていた洋服の色や素材についての細かい記憶がはっきりと思い出されます。姉たちのお古をもらって着ていたことが多かったけれども、とても大切に思っていたからかもしれません」


     最後に、ドヌーヴの最近の出演作、そして今後の企画について質問される。まず今年のフランス映画祭で日本初上映されるマルタン・プロヴォ監督の『ルージュの手紙』(2017年 冬 全国順次ロードショー)、そしてティエリー・クリファ監督『すべてが私たちを引き離す』(2017年)が今年公開予定だ。両作品、続けて最近見たのだが、その身体が以前より多少なりとも厚みも増しているとしても、ドヌーヴという女優がつねに軽やかさ、フランス映画よりも、もしかしたら彼女が大好きなアメリカのコメディ女優の軽やかさを持っていることをあらためて確認した。その軽やかさでもって、ドヌーヴは、普通なら躊躇してしまうような何かと何かの境、階級、世代、男と女、もしかしたら生と死さえ、ときに軽々と、ときに震えながらも潔く超えていく。ラランヌが言うところの「映像の運動」そのもの、自由そのものであるカトリーヌ・ドヌーヴ。
    今後の企画としてはアンドレ・テシネとの7本目か8本目になる作品、そして『終電車』(1980年)や『しあわせの雨傘』(2010年)などことあるごとに共演しているジェラール・ドパルデューとの「心温まる」コメディがあるそうだ。


     最後のラランヌの質問「あなたの映画への愛は尽きぬものですか?」に、「はい、尽きぬもの、まだまだ尽きぬものです」と歌うようなに答えるドヌーヴ。軽やかにスクリーンを通り抜けながらも、そこに自分の生きてきた人生を自ずと刻んでいくカトリーヌ・ドヌーヴという女優。彼女はこれからも颯爽と、軽やかに映画史を、人生を進んで行くだろう。その姿をこれからも、いつまでもずっと見つめていきたい。


    フランソワ・オゾンの『しあわせの雨傘』(2010年)で流れる彼女の孫娘の父親でもある歌手のバンジャマン・ビオレとデュエットしたジャン・フェレの曲『C'est beau la vie(人生は美しい)』が番組ラストに流れる。

    君のブロンドの髪の中を揺らす風
    地平線の上の太陽
    シャンソンの幾つか言葉、
    なんて美しいんだ、なんて美しいの、人生は、


    ※このラジオ番組は以下のリンクからPodcastでお聴き頂けます。
    http://www.novaplanet.com/radionova/72564/episode-dans-les-yeux-de-catherine-deneuve