10/16 最終日「空に種を蒔く」

 日記の書き手もひとり減りふたり減り、気づけば結城ひとり。映画祭自体は翌日に受賞作品上映があるが、日記はこれが最終日。
 『私たちの狂気』ジョアン・ヴィアナ。インターナショナルコンペティション審査員であるサビーヌ・ランスランが撮影をつとめた作品。精神病院にいる女性が息子の夢を見る。息子と夫の映像とともに、彼女は病院を抜け出して、モザンビークの景色の中を彷徨い歩く。彼女の歩行のリズムに、どこかペドロ・コスタの『ホースマネー』を思い出す。モノクロの作品であるのに、アフリカの光に照らされた色彩も体感したような感覚も残る。しかしなにより魅力的だったのが、彼女の旅の同行者でもある病院のベッド。こいつの活躍ぶりがすごい。ベッドはまず楽器になり、バラバラになり、持ち運ばれ、そして飛行機に!、さらに車椅子に変形していく。なに言ってるかわけわからないだろうが、比喩でもなんでもなく文字通り変形する。
 そして閉会式。受賞作品の一覧はこちら。それぞれの作品に言及することはここではしないが、優秀賞を受賞した『これは君の闘争だ』のエリザ・カパイの言葉があまりにも感動的だったのでそれだけ紹介したい。ブラジルから36時間かけて山形に来たという彼女は、上映後のQ&Aで質問を受けた。「ブラジルに限らず、いたるところで極右化する世界に対して私たちができることはなにか」と。ジェットラグに悩まされていた彼女は、そのあまりに大きな質問に、「それは私に答えが出せるものではない」と答え、自分でも悲しくなったという。でもそれから48時間の山形滞在を経て、さまざまな作品や人々との出会いを通じて、いまならひとつの答えを返せる、と彼女は語った。ここで行われているような映画祭を続けていくこと、このような映画祭で上映される映画をつくり続けていくこと、若者たちが世界を変えていく方法を自ら学ぶことを決して妨げず、世界中にいる仲間を見つける手助けをしていくこと、それが答えだと(あまりにも感動的だったので、誰か一字一句正確に紹介してくれるとよいのだが)。
 閉会パーティの後ジャン・モンチー監督と連れだって、最後の香味庵へ。途中、『ノー・データ・プラン』のミコ・レベレザ監督とすれ違い、一言二言言葉を交わす(10/14分に追記)。香味庵では、ジャン・モンチー、『さまようロック魂』のツィ・チャオソンらとともに、台湾国際ドキュメンタリー映画祭(TIDF)のスタッフやタイの映画祭ディレクター、香港のキュレーターなどとテーブルを囲む。TIDFのチェン・ワンリンさんが「STUDIO VOICE」の412号ドキュメンタリー映画特集を持っていて、そこから濱口竜介の話になると、各国の面々が次々と彼の映画の話をしだす。『親密さ』がフェイバリットだと語るチェンさん、それは見てないけど『ハッピーアワー』はすごい、などなど。ジャン監督もまだ見たことないけど、今度見てみる、と。併せて小森はるか監督が『息の跡』『空に聞く』といった作品で土地に向ける眼差しは、ジャン監督の47KM村への視線と通じ合うものがあるのではないのか、とも告げる。毎度毎度、地域や国境を超えた人々の輪を実感する映画祭ではあるけれど、今回は自分の参加の仕方も変わり、微小ながらもその輪の一部をなしていることが嬉しくもあり、また責任も感じる。TIDFは5月のGWに開催されるのだそうで、ぜひ行きたいなあ......。

 未曾有の台風の襲来に離れた東京のことが心配でならず、『理性』のインドに我々の社会にも潜む恐怖を見出し打ちのめされ、『これは君の闘争だ』の少年少女たちの現在を思い不安でたまらなくなる。そんな映画祭だった。それらの不安や恐怖は映画祭の準備の段階からも、もしかするとそのずっと前からも、続いていたものだった。その状況がこの映画祭の短い間になにか好転したなどということは決してない。それらは依然としてここにある。
 それでも、エリザ・カパイが絶望的な問いにひとつの答えを見つけたように、それに対して自らがとる態度は変えられる。小森はるかと瀬尾夏美が、新しい景色がすべてを覆い尽くさんとするのを前に、その下に眠るかつての街の景色に呼びかけるように。ダミアン・マニヴェル『イサドラの子どもたち』で女性たちが、イサドラ・ダンカンが深い悲しみの果てに生み出した踊りを、伝播させていくように。ジャン・モンチーが、前年に無力感を噛み締めた灰色に染まった冬の村へと帰って行き、そこで鮮やかな色彩と輝きを見出すように。
 絶望するのは孤独な作業だ。しかしその痛みや悲しみや苦しみを、絶望の壁を打ち破るためのなにかに変えていく作業は、決してひとりではできない。人ではなくとも、最低限、その振動が伝わるための場、空=airが必要だ。この映画祭はそうした場だ。
 映画館の闇にひとり身を浸し、そして劇場の外へと溢れ出る人たちと共に、その絶望を国境も地域も越えた人々と分かち合う。それこそが状況を変えるための「映画的解決」の萌芽なのであり、それがいたるところで見られるのが山形国際ドキュメンタリー映画祭なのだ。私たちは2年前に蒔いた種の収穫をし、そして2年後のために種を蒔く。いや、この収穫はヤマガタが始まった30年前からのものであるかもしれず、私たちはさらなる30年後に向けて種を蒔くのかもしれない。(結城秀勇)