山形国際ドキュメンタリー映画祭 2019

10/16 最終日「空に種を蒔く」

 日記の書き手もひとり減りふたり減り、気づけば結城ひとり。映画祭自体は翌日に受賞作品上映があるが、日記はこれが最終日。
 『私たちの狂気』ジョアン・ヴィアナ。インターナショナルコンペティション審査員であるサビーヌ・ランスランが撮影をつとめた作品。精神病院にいる女性が息子の夢を見る。息子と夫の映像とともに、彼女は病院を抜け出して、モザンビークの景色の中を彷徨い歩く。彼女の歩行のリズムに、どこかペドロ・コスタの『ホースマネー』を思い出す。モノクロの作品であるのに、アフリカの光に照らされた色彩も体感したような感覚も残る。しかしなにより魅力的だったのが、彼女の旅の同行者でもある病院のベッド。こいつの活躍ぶりがすごい。ベッドはまず楽器になり、バラバラになり、持ち運ばれ、そして飛行機に!、さらに車椅子に変形していく。なに言ってるかわけわからないだろうが、比喩でもなんでもなく文字通り変形する。
 そして閉会式。受賞作品の一覧はこちら。それぞれの作品に言及することはここではしないが、優秀賞を受賞した『これは君の闘争だ』のエリザ・カパイの言葉があまりにも感動的だったのでそれだけ紹介したい。ブラジルから36時間かけて山形に来たという彼女は、上映後のQ&Aで質問を受けた。「ブラジルに限らず、いたるところで極右化する世界に対して私たちができることはなにか」と。ジェットラグに悩まされていた彼女は、そのあまりに大きな質問に、「それは私に答えが出せるものではない」と答え、自分でも悲しくなったという。でもそれから48時間の山形滞在を経て、さまざまな作品や人々との出会いを通じて、いまならひとつの答えを返せる、と彼女は語った。ここで行われているような映画祭を続けていくこと、このような映画祭で上映される映画をつくり続けていくこと、若者たちが世界を変えていく方法を自ら学ぶことを決して妨げず、世界中にいる仲間を見つける手助けをしていくこと、それが答えだと(あまりにも感動的だったので、誰か一字一句正確に紹介してくれるとよいのだが)。
 閉会パーティの後ジャン・モンチー監督と連れだって、最後の香味庵へ。途中、『ノー・データ・プラン』のミコ・レベレザ監督とすれ違い、一言二言言葉を交わす(10/14分に追記)。香味庵では、ジャン・モンチー、『さまようロック魂』のツィ・チャオソンらとともに、台湾国際ドキュメンタリー映画祭(TIDF)のスタッフやタイの映画祭ディレクター、香港のキュレーターなどとテーブルを囲む。TIDFのチェン・ワンリンさんが「STUDIO VOICE」の412号ドキュメンタリー映画特集を持っていて、そこから濱口竜介の話になると、各国の面々が次々と彼の映画の話をしだす。『親密さ』がフェイバリットだと語るチェンさん、それは見てないけど『ハッピーアワー』はすごい、などなど。ジャン監督もまだ見たことないけど、今度見てみる、と。併せて小森はるか監督が『息の跡』『空に聞く』といった作品で土地に向ける眼差しは、ジャン監督の47KM村への視線と通じ合うものがあるのではないのか、とも告げる。毎度毎度、地域や国境を超えた人々の輪を実感する映画祭ではあるけれど、今回は自分の参加の仕方も変わり、微小ながらもその輪の一部をなしていることが嬉しくもあり、また責任も感じる。TIDFは5月のGWに開催されるのだそうで、ぜひ行きたいなあ......。

 未曾有の台風の襲来に離れた東京のことが心配でならず、『理性』のインドに我々の社会にも潜む恐怖を見出し打ちのめされ、『これは君の闘争だ』の少年少女たちの現在を思い不安でたまらなくなる。そんな映画祭だった。それらの不安や恐怖は映画祭の準備の段階からも、もしかするとそのずっと前からも、続いていたものだった。その状況がこの映画祭の短い間になにか好転したなどということは決してない。それらは依然としてここにある。
 それでも、エリザ・カパイが絶望的な問いにひとつの答えを見つけたように、それに対して自らがとる態度は変えられる。小森はるかと瀬尾夏美が、新しい景色がすべてを覆い尽くさんとするのを前に、その下に眠るかつての街の景色に呼びかけるように。ダミアン・マニヴェル『イサドラの子どもたち』で女性たちが、イサドラ・ダンカンが深い悲しみの果てに生み出した踊りを、伝播させていくように。ジャン・モンチーが、前年に無力感を噛み締めた灰色に染まった冬の村へと帰って行き、そこで鮮やかな色彩と輝きを見出すように。
 絶望するのは孤独な作業だ。しかしその痛みや悲しみや苦しみを、絶望の壁を打ち破るためのなにかに変えていく作業は、決してひとりではできない。人ではなくとも、最低限、その振動が伝わるための場、空=airが必要だ。この映画祭はそうした場だ。
 映画館の闇にひとり身を浸し、そして劇場の外へと溢れ出る人たちと共に、その絶望を国境も地域も越えた人々と分かち合う。それこそが状況を変えるための「映画的解決」の萌芽なのであり、それがいたるところで見られるのが山形国際ドキュメンタリー映画祭なのだ。私たちは2年前に蒔いた種の収穫をし、そして2年後のために種を蒔く。いや、この収穫はヤマガタが始まった30年前からのものであるかもしれず、私たちはさらなる30年後に向けて種を蒔くのかもしれない。(結城秀勇)

 『二重のまち/交代地のうたを編む』。2月の仙台メディアテークでもみているのだけれど、再編集された今回の方が圧倒的に良くなっている。簡単に言えば、4人の人物が読む瀬尾夏美さんの「二重のまち/交代地のうたを編む」というテキストが瀬尾さんの手を離れたような気がした。上映後のトークで印象的だったのは「2031年 春」というふうにテキストは始まるのだけれど、20年ほどの時間がかかるだろうと思って2015年当時書いたことがすでに現実として起きてしまっているということ。東北ではとんでもないスピードで物事が変化している。たとえばそれは震災についての映画をみていても思う。作品の良し悪しとは別のところで、数年後にみたときにその映画の持つ意味がまったく変わってしまうということもありえるのではないか。
 『インディアナ州モンロヴィア』。なんとなく、地元のお客さんの割合が多いような。ワイズマンの作品が映画祭でずっと上映されてきた歴史があるからだろうか。もし山形市民の中にワイズマンが根付いているのであれば、それはすごいことだ。
 東京行きの最終新幹線に間に合うギリギリまで『Memento Stella』。見たことのあるものがあまり見慣れない形に変容して、それらが重なってまた別の見たことがあるものになる、とでも言ったらいいだろうか。スティーヴ ・エリクソン『ゼロ・ヴィル』で、主人公が複数のフィルムに紛れ込んだ1コマ1コマを繋ぎ直して1本の映画を完成させるというエピソードがあったと記憶しているのだが、それはこの作品なのかもしれないなどと思った。(渡辺進也)

 『自画像:47KMのスフィンクス』『自画像:47KMの窓』のジャン・モンチー監督にインタビュー。『スフィンクス』を撮った後に、「〇〇主義だけが中国を救う」という古びた標語に代わる、この村を救うためのなにかを私は本当に見つけられるのか、と絶望的な気持ちになったと監督。そんな地点から村人たちと共にたどり着いた『窓』という作品の鮮やかな輝きを、ひとりでも多くの観客に見てもらいたいと思った。インタビューは当サイトに近日アップ予定。映画祭公式ガイドブック「スプートニク」に書いた両作の評は、こちらから読めます。
 『二重のまち/交代地のうたを編む』小森はるか+瀬尾夏美。20年後くらいにはこうなるだろうという想定の未来が、人々を追い越さんばかりに街を覆っていく。この、めまいのするような速度の中で、見えなくなるもの、思い出せなくなるものはなんなのか。ふたりの監督は、2031年を想定したテクストをあえて現在の景色に重ねて朗読するという、リスキーとも呼べるような選択をする。すっかり変わってしまった景色に呼びかけ、土の下に埋められたかつての景色が木霊を返すのに耳をすまし、そしてあらためて、未来を想像する。それは上記した、ジャン・モンチーが村に向ける視線と、非常に通じ合うものがあるのではないかと思うのだ。
 『マーロン・ブランドに会う』アルバート&デヴィッド・メイズルス。「そろそろ新作映画について話していただけますか?」「え、なんで映画の話しなきゃいけないの?ところで君は僕がこれまで会ったインタビュアーの中で一番美人だよ......」。新作映画のプロモーションで大勢の報道陣に囲まれ、矢継ぎ早に取材を受けるブランドは、巧みに「取材対象」という役柄をすり抜けて、逆に非常にすぐれたインタビュアー、MCの役柄を演じ始めるのだ......。
 『ナイトレイト・キス』バーバラ・ハマー。序盤に出てくる、年をとった女性カップルの性行為のシーンが特にとても美しい。皺の寄った肌、覆いかぶさるストライプ状のシェードの影。まさに引用されるミシェル・フーコーの言葉ごとく、権力と知と欲望によって構成される抑圧への抵抗に快楽の活用をもってあたるのは、いささかも古びた手法になっていない。
 名店「ふくろ」でおでん。絶品。(結城秀勇)

 山形滞在五日目。
 『別離』、ホームムービーの日を観る。
 『別離』を見た後、連日の映画鑑賞(無間地獄)でガチガチになった肩と腰を労うために百鬼目温泉へ。温泉に行きたい欲求と映画を観たい欲求がついに逆転した。昨日山形入りしたシガヤダイスケ監督と平井涼監督が運転する車で向かう。といっても市内から車で10分ほどで、少し山側に車を走らせると田園風景にぽつんと「百鬼目温泉」という看板が立っていた。番台横に「ウルトラの湯」とあったので理由を尋ねると、ここの高濃度の温泉成分による湯あたりを防ぐために入浴時間は3分だから、と教えてもらう。屋根もなく塀も低い開放的な露天風呂に入っていると、なるほど、すぐに身体が温まってくる。日芸の16mm事情などを伺いつつ山形の温泉を満喫した。
 宿に戻り、火照る身体を少し休めた後に『ホームムービーの日』へ。劇場の一番上、映写の大西健二監督の隣に8ミリ映写機(たぶんGS)がちょこんと置いてあった。シネコンに8ミリ映写機がある妙。8ミリ映写機があるとどこでも友人の家のような安心感を感じる。今回、台風で来れなくなった牧野貴監督、海外映画作家のロストバゲージなどで、上映フィルムが減ったのは残念だったが、小田香監督のブラジル⇄LAの車窓フィルムに心奪われ、大西監督のYIDFF記録ホームムービーに舌を巻く。大西さんのフィルムは冒頭の高速道路(ミッドナイトドライブ)から引き込まれ、コマ撮りされた映画祭の風景、そして今まさに自分たちがいる劇場での上映風景が映し出される。箱の中の箱。バルブ撮影によって残像化された人々は情念となって立ち上がり、今もこの劇場にいる。ホームムービーとエクスペリメンタルの狭間のような風合いが好みだった。続く、佐藤真さんの『女神さまからの手紙』は自分のホームムービーを再構築した私家版ドキュメンタリー。幼稚園や自宅での子供達の風景。無邪気に遊び、いたずらし、喧嘩する。その様子が微笑ましく、大人顔負けの屁理屈を垂れたり、愛くるしい日常に度々客席から笑いが起きる。女の子におんぶしてもらう男の子を見ながら、幼稚園時代、背の順が前から3番目以降になったことがないほど小柄だった自分もよく女の子におんぶしてもらったことを思い出し、不意に涙が出そうになる。あの子は一体今どこで何をしているんだろう。佐藤さんの長女がお姉さん口調で「私の夢はお店やさん!」と元気よく答える姿に、大人になった彼女を想像し、遠い日の友人を重ね合わせた。ホームムービーは記憶のタイムカプセルだ。山形で見た作品の中で一番幸福な気持ちになれた時間。最後に観る映画がこれでよかった。
上映後に「山形ドキュメンタリー道場」のキックオフに参加する。
 アジア初のドキュメンタリーに特化したアーティストインレジデンス。
 蔵王に集まったアジア各国の映像作家たちが共に過ごし、各々のプロジェクトを語り合う三日間。『愛讃讃』を制作中に本企画を偶然知り、二年越しに応募、山形に来る前に参加決定の通知が届いた。昨年道場に参加していた奥谷洋一郎監督、田中健太監督、小田香監督の話を伺う。小田さんの「国を超えた制作者と意見交換する際、多様性を理解し、相手に敬意を持って話をした。言われたことに対して自分の中ですぐに答えを出さないこと。一旦心に留めた。」という言葉が響く。11月の蔵王が俄然楽しみになった。
 同じ宿に泊まった友人たちと最後の乾杯をして帰路へ。
 山形で出会った映画、作家、映画関係者。今の自分にとって最善の出会いがそこにあり、自分の中で溶け合い、今後発展していく気配を実感した五日間。山形に集い、久しぶりに再会した国内外の友人も皆リラックスしていたのが印象的だった。唯一、頭を悩ませたのは観る映画の取捨選択。映画を語り合い、過ごした夜。美味しい山形飯と、現地の方々に流れるゆったりとした山形時間。台風がありながらも大きなトラブルもなく、劇場ホール前でいつも笑顔で出迎えてくださった映画祭スタッフ、宿の女将さん(宿を出る前に背中越しに「またね」と交わした)、有難うございました。二年後、自分が何をしているか全く見当もつかないが、またここに戻ってきたい。(池添俊)

 本日より奥羽本線が運転再開。車内でスケジュールをみていたら、たまたま向かいに座った方も映画祭に参加する方で声をかけていただく。旭川で上映活動をされているとのことで、先月されたという『阿賀に生きる』の上映会の話などを伺う。
 今日は一日『死霊魂』。それぞれ3時間ずつくらいの「明水Ⅰ」、「明水Ⅱ」、「明水Ⅲ」とタイトルの付けられた、3つによって本作は成される。明水とは、1957年に始まった反右派闘争により反対分子とされた人々が送られた再教育収容所のあった場所の名前だ。この3つを反右派闘争がどういうものか、そして生きている者と亡くなった者とを分かつものとは何か(途中挿入される、生存者だった方の葬儀と収容所跡を訪れたカメラが映す遺骨の対比は、ずっと本作の中に響き続ける)ということを考えされる「明水Ⅰ」。「明水Ⅰ」のテーマをさらに立体化させてゆく「明水Ⅱ」。本作の制作期間である2005年から2017年という時間(10数年を経て2回登場する人物が出てくる)までもが前景化してくる「明水Ⅲ」というふうにみることももしかしたら可能なのかもしれない。
 坂本安美さんが詳しく暖かく 書かれているように、ひとりひとりがいかにその時代を生き、どう生き延びたのかを各々の方法で語っている。生きて帰ってくることができた者たち、夫を信じて待ち続けた妻たち、そして看守として関わった者。収容所から食べるものがなくなっていく中で、妻から苦労して送られた物資のおかげだという者もいれば、炊事係だったので人より多く食べることができたという者も、また技術があったために他の再教育収容所に移ることができたからという者もいる。そのことをある者は運命だったのだと語り、またある者はあの時ああするしかなかったのだと語る。
 弔われることなく収容所があった場所に居続けている多くの犠牲者たち、またここで証言している方の中にも亡くなっている方もいる。『死霊魂』の中で、それぞれの声はずっと生き続けている。(渡辺進也)

 あっという間に滞在最終日。昨日分の日記として書いていた『これは君の闘争だ』についての文章は長くなりすぎてしまったので、別の形で改めて。
 結果として今回の滞在で見た作品はコンペ作品が8割。ちょっと乱暴な言い方だけれど、いわゆる「ドキュメンタリー的」な作品があまり多くなかったように感じる。たとえばボスニアの難民女性たちを主人公に据えたクローディア・マルシャル『約束の地に』や、スーダンの映画人たちが屋外映画館を再興するために奔走する『木々について語ること』はほとんど劇映画といっていいような手つきで一つひとつのショットが構築されているようだったし、『十字架』や『それは君の闘争だ』でも真に問いが生起していたのは、すでに撮影された映像の再構築においてであったように思う。映像それ自体を生のままに提示することが優れたドキュメンタリーである保証などなく、逆にどんな素材を目の前にしても、適切な方法を判断し選択する......熟練の寿司職人のような仕事に今回の滞在ではたくさん出会った。
 そんな中、今年のコンペにおいて最も先鋭的なセレクションであろう牧野貴監督の『Memento Stella』を。牧野作品を見るのはけっこう久しぶりだったが、今作の印象に最も近いのはもう随分昔にバウスシアターの爆音上映で見た『The World』。2年に及ぶ制作期間中に、牧野監督が映画祭などの滞在先で撮影した様々な具体的な映像が、その輪郭を保ったまま作品に持ち込まれている。雨の粒子、木々、人の目や唇、あるいは都市の風景といった様々な像がふっと視界に浮かんでは消えていく。光の映像の物質性をめぐる極北のドキュメンタリーでありながら、牧野監督の旅の記録を見つめるロード・ムービー的な側面が確かに受け取れる。牧野貴映画の中でも最も親しみやすい作品ではないかと思う。
 そして最後の作品に「リアリティとリアリズム:イラン60-80s」からカムラン・シーデル監督の短編集を見る。場内はほぼ満員。『女性刑務所』『女性区域』『テヘランはイランの首都である』に映し出される1960年代テヘランの目を覆うばかりの現実に圧倒されるのだが、しかし最後に上映された『雨が降った夜』で目眩を覚える。雨の夜、線路の橋が崩れているのを発見した少年が自分の衣服を燃やして列車を止めた、という美談をめぐっての、当事者・非当事者たちの異なる見解のぶつかり合いが延々と映し出されるのだが、そのうちに「待てよ?」と思い至る。いかに映像において少年が誠実に見えようと、新聞社の社長がうさんくさく見えようとも、その美談の真偽をめぐる決定的な証言など、実はほとんど映し出されていない。本作後半での目まぐるしいモンタージュは、どのような順番でどんなリズムでどの証言映像を見るか、という映画の話法の問題を右往左往するが、結局そこに答えは導き出されない。そのようにして本作は終わりに至るまでに『雨が降った夜』という美しいタイトルを見出すことに留まる。そのような思考がシーデルという映画監督に通底する態度であるとすれば、では先の3作品において陰惨な「現実」として提示されたものは、いったい何だったのだろうか。より本格的なシーデル監督の特集上映がいつか実現したのなら、ぜひ改めて考えてみたい。
 出発前の遅い昼食にあえてのドムドムバーガー(初めて行きました)。油が少し強い気がするが、ポテトがサクサクで美味しい。昼頃に運転を再開した山形新幹線だが、私の乗った16時台は空席もちらほらと。映画祭関連のメモをまとめているうちにいつの間にか大宮に到着。関東でも秋の風が吹き始めていて、肌寒い。帰宅後、お土産に買った芋煮を妻と食べてから、泥のように眠った。(田中竜輔)

 山形滞在四日目。
 毎朝恒例の女将トーク。どうやら女将さんは普段着が着物らしい。理由は「女将らしいから」。
 昨夜の初香味庵での深酒が響き、昼近くに宿を出る。今回初の中央公民館上映を観に行くので、上映まで残り30分をきる中、よせばいいのに宿同室の山本英監督と近くの喫茶店「煉瓦家」にモーニングを求めて入る。周りが珈琲だけで出て行く中、自分たちは「玉葱とベーコンバジルと辛しバター焼きサンドセット」と「ピザトーストセット」を頼む。そうこうしている間に上映時間になる。半ば映画を諦めていたところにバケットに入ったサンドとトーストが届けられる。一口食べた瞬間、山本さんが一言「これは映画を諦めても食べる価値のあるトーストですよ」と絶賛。焼きサンドは香りが高く、ピザトーストに乗っているトマトは甘い。二人とも大満足で店を後にする。中央公民館近くに来た際はオススメです。お店は店主お一人で切り盛りされているので、ぜひ時間に余裕を持ってのご来店を。店内の雰囲気も素敵でした。
 『誰が撃ったか考えてみたか?』『水、風、砂』『イザドラの子どもたち』を観る。
『水、風、砂』。出稼ぎを強いられた少年が、干ばつに見舞われた故郷に残した家族を心配して帰郷し、井戸を掘る話。ただそれだけの、シンプルな話。それゆえに力強い。吹き荒れる砂嵐の音。砂嵐でほとんど見えない少年が、向かい風を一身に受けて進んでいく。神話のような、一度見たら一生忘れない映画体験をナデリ監督は提供してくれる。過酷な現実は容赦なく、映画が進んでいくにつれ、状況は悪化していく。身体がボロボロになりながらも少年は諦めない。そして、ラストシーン。昨年フィルメックスで観た『期待』同様、大笑いした。欲望や衝動、感情が全て混ざり合い、爆発する。これでどうだ、と言わんばかりの清々しいまでの直球勝負を受けると、こちらも胸がいっぱいになる。イラン・イラク戦争で荒廃した街で撮影していて、砂漠に埋まる魚、馬、牛までもが本物。出演者も「最悪、帰って来れなくても誰も心配しない人を募集した」とナデリ監督は言う。撮影142日間。ご飯を食べるお金もなく、病気になり、倒れたりしながらもなんとか完成に漕ぎ着けた。正真正銘の本気。「目的があると何年も頑張って、目的に辿り着けなくても、頑張る」この映画のテーマを真っ向から体現したという、ナデリ監督。その真っ直ぐな眼差しは映画の中の少年そのものだった。
 夜、香味庵で、ドランク状態になったナデリ監督を見かけると「なんでだ〜」と笑顔で叫んでいた。なんでだ。(池添俊)

 『ノー・データ・プラン』ミコ・レベレザ。カリフォルニアからNYへと乗り継ぐ列車の車窓の風景に、母親が不倫をしたという物語が文字で重なっていく。乗客の会話、友人のエピソード、母親が語るかつてのフィリピンでの暮らし、そうした音声が被さる中に、IDを持たずに暮らす者の感じる恐怖が忍び込む。
 単純に映像や音声の使い方そのものに好感を持ったし、上映後に出てきた監督本人の人柄にもなぜだかわからない共感を覚える。クリス・ワトソンの音楽にも言及していたり。監督がこの作品の録音に使ったというスマホのイアホンタイプになってるマイク、欲しいなと思った。
 おそらく、過去のnobodyの山形国際ドキュメンタリー映画祭日記に一回もかかすことなく登場していた龍上海駅前店が惜しくも閉店。しかし気合いを入れればバスで山大医学部前店までいける。(結城秀勇)

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 朝起きると、雨が止んでいた。テレビで流れる台風の被害が想像を超えている。
 今回泊まっているのは天童市。ホテルで「ほほえみの宿 滝の湯」露天風呂に入れるチケットを売っていたので、朝から温泉に行く。ほぼ貸し切りという贅沢。「ほほえみの宿 滝の湯」は将棋・竜王戦の対局場のひとつとしてもお馴染みである。羽生九段もその他多くの先生も入った温泉なんだなあと感慨深く思う。
 JRは昨日から運行見合わせているため、路線バスで山形へ。また昨日、上映にはじめから間に合っていない反省から、今日は余裕をもって『自画像:47KMのスフィンクス』、『自画像:47KMの窓』、『木々について語ること〜トーキング・アバウト・ツリーズ』の3本を。ジャン・モンチー監督の2作はどちらも、ひとりの人物の話を聞き、その間に絵を描く女の子や街の光景などが挿入される。今回の2作は特にセットになっていると言ってしまいたいくらい、その構造自体が似ている。毎年必ず冬の時期に訪れるというこの村を撮ったこのシリーズもすでに10年に及ぶという。個人的に感銘を受けるのは、とても長い長いショット。ほとんど出来事が起こっていないといってもいい場面がずっとずっと続いていくこと。畦道を歩くおばあちゃんの後ろ姿、数分に一度くらいの割合で言葉を交わす会話、ほぼ身じろぎもしない椅子に座るおじいちゃん。そのひとつひとつのショットに、ここに映っているすべてをそのままずっと忘れずにいたいという気持ちになる。
 『木々について語ること』。おじいちゃんたち4人はスーダン映画界のレジェンドたちなんだと思う。ロシア国立大学で映画を学んでいたりするし、相当な知識人であることを感じさせる言動。ただ、映画ごっこをしていたり冗談ばかり言っていて全然そのようには見えない。スーダンは映画の上映が禁止されているらしく(制作もだろうか?)、彼らは屋外劇場でタランティーノの『ジャンゴ』を上映しようと企画するのだが、当局からの許可がなかなかおりない。スーダン映画協会の秘書と思われる方が政府との交渉がまたうまく行きませんでしたと報告すると爆笑する。難しい事態に直面しても難しい顔も考え方をしない。こうした心境にはどうすれば到れるのだろう。
 映画祭に来ていておもしろいのは、東京近辺に住む人たちと向こうでは全然会わず300km以上離れたこうした場所で久しぶりに出会うということ。いろんな人と久しぶりと挨拶を交わす。その中でも、詩人の佐藤雄一さんとは自分が前回来た2005年の山形以来の再会。当時、僕も佐藤さんも学生で複数の人物でシュアしたウィークリーマンションに泊まっていて、毎夜のように話をしたのだった。14年の時間がなかったかのように話せて良かった。「また、明日」と言葉を交わして帰路についた。(渡辺進也)

 朝、宿の一階に降りると女将さんが定位置のフロントから顔を出していた。「昨夜は台風でびしょ濡れになったの?」と声をかけてくれる。山形に台風はあまり来ないそう。それどころか、山形市内は雪もそこまで積もらないらしく、冬でも着物姿と草履で駅まで行けるらしい。裏にある井戸の周りはなぜか雪が溶けることも聞く。宿泊業はトラブルがつきもので女将さんは気が揉む時、『ロバータ』の「煙が目にしみる」をかけるらしい。まさしくその曲が奥でかかっていた。自分たちが大人数で毎日入れ替わり立ち代り宿泊しているので疲れが溜まっているのだろう。険しい眼つきで部屋割りと格闘しながら「本当は朝ごはん食べさせてあげたいのに、ごめんね」と優しい言葉をかけてくれる。
 外に出ると、気持ちいい秋晴れ。でもなぜだろう、少し気持ちがざわつく。
 季節が一気に秋になったようで肌寒い。慣れていない場所で、季節が変わったので昨日まで見ていた風景と温度のギャップに体がついていかないのかもしれない。
 今日は『自画像:47KMのスフィンクス』『自画像:47KMの窓』『ユキコ Yukiko』『Talking about Trees』を観る。
 『自画像:47KMのスフィンクス』。中国の農村。若者が去り、老人だらけになった限界集落のような村の軒先で老婆が朽ちかけた椅子に座っている。老婆が語る一人息子の死。共産党時代の中国の怖さを感じるとともに、それはどこかでこれから引き起こる未来の出来事で、この村は世界の成れの果てにも見える。老婆の息子への愛と悲しみの言葉とともに、時間が止まったかのような村の風景が映し出される。何もない村でひとり木によじ登る青年、らくがき帳にカラーペンで赤ずきんと小さな黒い魔女の絵を描く女の子。少女は何もない村で、小さな魔女と昨夜見た夢の話をする。
章梦奇監督はこの村で映画を撮るのが7作目らしく、映画が完成する度に村で上映会をしているそう。お人好しの息子の死は村人全員が知っていたのだが、それを話題に出すことを皆が避けていたらしい。上映会をきっかけに老婆が今でも息子を想い続けていることを村人が知り、皆が労うことで老婆の精神的な支えにもなっているとのこと。互いの内に抱えた歴史は映画でも撮らない限り、人に話すことなどないのかもしれない。人は忘れる生き物だというが、人知れず抱えて生きるのも、また人間なのかもしれない。
 もう少し、この村ですごしたいと思い、続編の『自画像:47KMの窓』を観る。農村土地改革、四清運動と中国の社会変革に翻弄された老人の話を軸に、前作にも出て来た少女が村の老人の自画像を描いていく。前作と同じ仕草で照れ臭そうに絵をこちらに見せる少女。絵を描いてもらっている老人たちの孫を見るような目がたまらない。この映画は基本音楽がないのだが、劇中のあるシーンで不意に歌が聞こえてくる。メロディを聞いた瞬間、すぐにわかった。自作『愛讃讃』のカラオケシーンで使ったテレサ・テンの「甜蜜蜜」だったのだ。これには鳥肌がたった。香味庵で章梦奇監督と話すと「××のところね!」とすぐにわかっていた。改めてテレサ・テンの偉大さに驚く。
 『自画像:47KMの窓』のラストシーンで夜空に打ち上がる花火を見て、後ろの席のご夫妻?の女性が「旧正月かしら」と話すと「どうだろう。しかし花火の数がすごいな」と男性が返す。普段なら映画中に話すなんて、と思うところだが、今日は不思議とそんな気持ちにならない。まるでみんなで村の花火大会を見に来たようだ。きっとこのふたりにも他人には多くを語らない過去があるのだろうな、と考えていると映画が終わり、明転した。劇場を出ると、隣にいた人が「すごい月ですね」とつぶやいた。見上げると澄んだ空に大きな月。明日が満月らしい。この日記がアップされる頃には夜空に満月があがっているだろうか。(池添俊)

 『これは君の闘争だ』エリザ・カパイを、どうしても大画面で大勢の観客とともに体験したくて、ラスト30分だけ駆け込む。ちょうど警官の職質にあってる友達の前で、学校占拠当時に歌ってた歌を歌う場面。クライマックスのアジテーションでは涙。
 上映後に向かいのファミマの灰皿で喫煙していると、隣で英語で会話していた数人のうちのひとりが、「この映画を香港に持っていくのが、僕の使命だ」と語っていた。そんなことを言う人がひとりでもいるなら、選考でこの作品を強く推したことでちょっとは自分も仕事したかな、と思えた。(結城秀勇)

 待望の『自画像:47KMのスフィンクス』へ。章梦奇(ジャン・モンチー)のつくる画には、異なる時間が同居する。猫や渡り鳥、人間、それぞれにとっての時間の流れがあり、子どもと老人でも、歳月の捉え方が異なる。また、流れる時間だけではなく、止まったり、逆流したりする時間、横軸だけでは表現しがたい運動をする時間も同居する。絵画的な時間の捉え方と言えるかもしれない。まさしく、映画の中の少女は、『自画像:47KMの窓』と同じく絵を描くわけだが、彼女の絵だけではなく、この映画は他にも多くのフレーム内フレームを用いる。それぞれの北極星を中心に回る、いくつも星座群がこの映画には存在しているようだ。
 山形最後の夜は、それこそ、各々異なる映画=時間を過ごしてきた人々が集まる映画祭憩いの場、香味庵で過ごすことにする。(梅本健司)

 家族や知人の住まう地域の台風情報が朝から気になりつつ、とはいえ今更帰る手段もない。小雨の降るなか、本日は昼食時間がないためコンビニでパンと玄米おにぎりを買って会場に向かう。
 一本目にコンペ作品、テレサ・アレドンド+カルロス・バスケス・メンデス『十字架』。パトリシオ・グスマン『チリの闘い』での記憶も新しい1973年チリの軍事クーデターの直後に起きた、製紙会社CMPCの組合員19名が遺体となって発見された未解決事件。本作はこの事件を、加害者側である軍警察関係者たちの証言と、その舞台であるチリ南部の小さな町の風景(16mmで撮影されている)、そして本事件の裁判記録とともに見つめ直そうとする。興味深いのは、先述した加害者側の証言が事件の関係者によってではなく、いまこの町に住まう、事件には無関係な住民たちによって代読されていること。上映後のQ&Aにて、近年この政変を題材にした映画が増加しているなかで、被害者を映画の材料に貶めている作品が多いことに疑問を持っていると監督たちは述べていた。被害者たちから搾取することなく、しかし加害者たちに加担するのではなく、それでもなお事件を忘却に追いやらないための試みといえばよいか。そのことが、ちょうど山形に向かう直前に読んでいた東浩紀の「悪の愚かさについて」というテクストの加害者と被害者をめぐる記憶の問題についての記述と非常にシンクロしている気がした。本作についてはできれば場を改めて考えをまとめてみたい。
 続けてコンペ、現代インドにおいてその拡大と対立が深刻化しているヒンドゥー・ナショナリズムの現在を映し出すアナンド・パトワルダン監督の『理性』。4時間弱に及ぶ本作、第1部で細かに提示される一連の経緯もたいへん勉強になるのだが、圧倒的なのはやはり第2部。どんなに出来事の関係性を画面を介して執拗に繋いでも、ときには時系列をさかのぼって細かに経緯を確認しても、ここでの対立を収束させることなど不可能なのだと言わんばかりに、混沌はどんどん深まっていく。第6章「闘いのための学び、学びのための闘い」での、身分格差を是とせずに平等を求める学生たちの理路整然とした主張と、「母なるインド」たる国家のために制度を守るのだという保守派のまるで論理の通らない断言との壮絶すぎるすれ違いには、ただただ唖然とするも、そのライブ感にぐいぐい引っ張られてしまう。しかし権力者たちのイカれた「正論」に立ち向かうことを余儀なくされたインドの学生たちの徒労とは、きっとぜんぜん他人事ではない。これはいま世界のあらゆる場所で起きていることのバリエーションのひとつなのだ。
 大雨の降る中でソラリスに移動し、「ともにあるCINEMAwithUS」での小森はるか監督の『空を聞く』。凄すぎる。いったいこの凄さの秘密はどこにあるのか、まだぜんぜんわからない。なのに、泣けてしまって仕方ない。ひとつだけ思うのは、この映画の主人公である阿部裕美さんの現在の視点から過去を思い出して語られるモノローグと、過去の阿部さんの姿を記録した映像のあいだに、単純な主従関係があるわけではないということだ。過去の映像に見出された阿部さんが現在の自身の言葉につながっているばかりでなく、現在に発された阿部さんの言葉が過去のご自身にも時間を超えて影響を及ぼしているような、あるいは他者の頭の中で新たに生み出される記憶の形を覗き見ているような......。
 あまりの素晴らしさに、上映後にスタッフの方からの説明を聞くまで、台風のことがすっかり頭から抜け落ちていた。(田中竜輔)

 結局来れたゼミ生は僕を抜いて5人だった。台風をくぐり抜けた猛者たち。みんなで泊まる民宿に行き、何を見るか相談する。見たいものが分かれたので、では各々見てから、18時15分からの『空に聞く』の上映で合流しましょうという話になる。僕は『わたしの季節』を見ることにした。柳澤壽男が1968年に撮った『夜明け前の子供たち』の舞台となった重症心障害児施設びわこ学園を、40年近くの年月を経て、彼の弟子である小林茂が再び訪れ、撮影した作品である。その前には、『夜明け前の子どもたち』が上映されていたのだが見逃してしまう。無念。大変無念。山形まなび館での上映。かつて山形第一小学校の校舎だった建物を利用し、中には、資料館やカフェが入っている。それらを通り過ぎた教室で上映が行われる。
 映画の中で、施設にいる人々が様々な音楽を奏でる。レンゲ?のようなものを叩きつける音、粘土をこねる音、ピアノの音、歌。それぞれのリズムに笑わされたり、驚かされたり。劇中歌よりももっとそちらを聴いていたいと思った。
 外は雨がザーザーと降っているけれど、風はない。山形は盆地だから大丈夫というのは、どうやら7割くらいは当たりらしい。上映中に誰かのiPhoneから警報が何度もなっていた。僕のiPhoneは壊れているので、警報はならずに済んだ。一緒に来ていたゼミ生にGoogleマップで『空に聞く』上映会場まで案内してもらう。足元がビチョビチョになりながら、なんとかたどり着く。
 『空に聞く』は3・11後に陸前高田災害FMでパーソナリティを務めた阿部裕美さんにスポット当てた作品である。彼女が、ラジオの中でインタヴューを行った村上寅次さんという方を、「年の離れたボーイフレンド」と形容する場面がある。他にも、彼女は誰かの妹に似ている言われたり、娘の同級生の今は亡き母のことを姉のようだったと言ったりする。たしかに、自分にとって大切な誰かのようだと言ってしまいたくなるような話し方、声を彼女はしている。きっと彼女は小森監督と似ているのではないか。小森監督も常にその人の大切な誰かであったかのような距離で被写体を捉えることができる。私の知っている(あるいは知っていく)阿部さんを撮りたかったと語る彼女の声もやはりそういう声なのかもしれないと思った。
 再び「金魚」を訪れ、ゼミ生とゼミのOB、教授とそのパートナーの方と夕食を共にした。女将さんが、ボニュームがあった方がいいと、芋煮をカレーうどんに改造してくれた。(梅本健司)

 山形滞在二日目。
 日記を書くなんて何十年ぶりだろう。
 一昨年は日帰りだった山形国際に、今回は複数人で安宿をとり、泊まっている。朝起きて階下に降りると、今朝山形入りしたばかりの知り合いが話好きの女将さんに捕まっていた。聞くと、女将さんが階段を後ろを向きに降りて来たらしく、そのことを女将さん自身が笑っている。どうやら四年前に大腿骨を患ってしまったらしく、今は正面からは降りられないらしい。当の本人はとても笑っていた。
 この日は『非正規家族』『セノーテ』『夏が語ること』『あの雲が晴れなくても』『消された存在、_立ち上る不在』を観る。
 『夏が語ること』。上映時間に少し間に合わず、劇場に入るとほぼ満席。風の音がした。スクリーンを見た瞬間、砂嵐かと錯覚してしまうぐらいの、モノクロに近い木々が風に揺れてた。思わずはっと足を止めてしまう。席を探す時間も惜しく、通路の階段に腰を下ろして見入る。数カット見て、これは大好きな映画だ、と確信する。インドの山の中にある村の風景。牛がいたり、家では炊事をしていたりと牧歌的な風景なはずなのに、緊張感と気品を感じるフレームワーク。基本はロングかミドルショットで、喋っている対象はランドスケープの一つの要素になっている。パートナーと喧嘩をして口をききたくないと罵る女性、塩の夢の話、歌の話など、普段わざわざ映像に残さない瞬間、言葉が村の風景とともに紡がれていく。歳が違う数々の女性の言葉。日常生活ではおざなりになり、流されていく言葉。
 映画の後半、夕飯前だろうか。親子の会話が聞こえる。
「その広場の奥には行ってはいけない、人さらいが出るから」「はーい」
 映像のトーンは終始暗く、映像の奥に少しだけ色彩が見え隠れする。
 パヤル監督曰く「私が映画学校のプロジェクトの一環で村に行った時、映画クルーは大半が男性だった。村にいる女性は男性の前では素直に話せない。だから女性の私が録音した」とのこと。何より、この映画の成り立ちが、録音した声が先行していて、その後映像を撮っていること、まさしく自分の新作もそのように作っていて、シンパシーを感じて上映後監督と話す。普段見えない不安や愛について。自分の映画も英語字幕ができたら映画を交換しようと約束する。
 昨日観た『そして私は歩く』然り、今年はインドの女性監督の作品に打ちのめされる。昨年、イメージフォーラムフェスティバルで『愛讃讃』を評してくれたExperimentaディレクターのシャイ・ヘレディアの言葉を思い出す。「映画は如何に普段自分や他人が捨ててしまうことを拾えるか」インド出身の彼女たちの目は、いつも優しい目をしているが瞳の奥の色は見えない。それが映画の色彩に似た、落ち着きを放っている。そんなことを上映後に入ったドムドムバーガーで考えていた。地下の閑散としたフードコート(フーズガーデン)に台風接近のアラートが鳴っている。レジでは「もうみんな帰ろう」とさっきまで仏頂面だったパートのおばさんが笑いかけて来た。きっとそんなことも明日には忘れてしまうだろう。(池添俊)

 フレデリック・ワイズマンの新作『インディアナ州モンロヴィア』には面食らう。一見、アメリカの片田舎ののびのびとした普通の人々の暮らしを追った本作だが、その節々に潜む陰惨さというか薄気味悪さは、『ニューヨーク、ジャクソン・ハイツへようこそ』や『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』といった近作には決して感じられなかったものだ。土地に根付いた伝統や風習を大事にし、保守的な政治傾向を有した街が舞台であること自体に違和があるわけではない。しかし、そこでの穏やかな日常にふと紛れ込む、ほんのささやかな歪みがどうしても気になる。まるで自分の自慢話のように自校のスターについて誇らしげに語る教師への、あるいは信じがたいほど退屈で中身のない説教を続ける牧師への、その姿を見透かすように冷ややかな視線を送る子どもたちのしらけ方。決して反抗するわけでもなく、後ろ向きな現状維持をただたんに受け入れているといった無為の表情。それに重なる話かはわからないが、たとえば流麗なパン・ショットが終わりきらない実に中途半端なタイミングでのカット繋ぎ、画角を変えているというよりは同一構図のトリミングをつなげているかのような画面解像度の違和を感じさせられたモンタージュの選択には、映してはいけないも何かがそこに映ってしまったのでは?という疑いを喚起させる何かがあるような気がする......が、考えすぎだろうか。(田中竜輔)

 金長本店で昼食。そば屋のラーメンではかなりの有名店。みんなにはラーメンをすすめ、自分はげそ天もり。客の大半がラーメンを頼んでいるようにうかがえる。(結城秀勇)

 この日は、4作品見た。どれもインターナショナルコンペティションの作品である。『インディアナ州モンロヴィア』、『ユキコ』、『光に生きるーロビー・ミューラー』、『自画像:47KMの窓』。『ユキコ』は、冒頭を少し見逃してしまったが、この映画にとっての最も重要な場面は見逃さずに済んだと思う。ひとりの女性が自身の祖母の思い出について語るシーンなのだが、話が一人称で語られる。彼女はまるで祖母に取り憑かれたかのように喋るわけだ。ただ、祖母の憑依は完全ではないのか、時折彼女は語尾に詰まる。それ故に、ひとりの、というよりは、長い時間を経て何重かに塗り重ねられたような記憶を聞いているかのようで、ちゃぶ台と、草木が窓から覗くその一室は異様な空間になっていく。
 『光に生きるーロビー・ミューラー』は、彼がカメラマンを勤めたヴェンダースやジャームッシュの作品の抜粋と共に、ミューラーが撮りためた映像が使われている。「Living the Light」なんて、ヴェンダースやジャームッシュの師であるニコラス・レイの『夜の人々(They live by night)』と真逆みたいなタイトルではないか。最後に、「彼は記憶と映画の中で生き続ける」という言葉が添えられる。レイが「夜」と呼んだものをミューラーは「光」と呼んだのではなかろうか。
 映画を通して四角い光の枠がひとりの老人を通り過ぎ、色合いを奪っていく。対照的に、ひとりの少女が村の老人たちの失われた色を発見し、同じく四角の枠の中でそれを取り戻していく。『自画像:47KMの窓』はそんな映画だ。「47KMの窓」とはまさにその少女のことである。その窓を通し村人たちのの歴史が、光として、あるいは影として往来する。別の日上映される『自画像:47KMのスフィンクス』への期待が高まる。
 映画を見ている間に、新幹線の運行予定がサイトに上がる。ゼミ生の半数が来られなくなりそうだ。仕方がない。宿泊予定の旅館や引率の教授に連絡を入れ、いろいろと対応を行う。山形は盆地だから、台風はあまり心配ないそうだと聞いた。ほんとかな、ほんとだといいと思いながら眠りにつく。(梅本健司)

10/10「開会式」

 気持ちの良い秋晴れで、比較的過ごしやすい気候。だが明日からの天気の崩れを踏まえると、長袖のうえに上着の用意はマスト。
 昼飯は実家のすぐ裏のやぶ長でそば。山形市内の蕎麦屋はたいてい中華そばを出す。中でも、牛だしの中華そばは山形名物なのだそうで、あえて蕎麦屋で牛だしラーメンを食うというのも通な選択。
 ここ10年以上、結城のひとり企画と化していたNOBODYの山形国際ドキュメンタリー映画祭日記だが、今年は映画祭の30周年記念企画ということで、多くの書き手に参加してもらう豪華版で行こうと思ってる。
 開会式の冒頭で流れた映像素材の、1989年の映画祭初回の小川紳助の「アジアにはドキュメンタリー映画の土壌がない」発言に続けて、同年のキドラット・タヒミックのアジアにインディペンデントなドキュメンタリー映画のネットワークをつくっていこう宣言には胸が熱くなる。それから30年。2001年から通い始めて約20年になるというのは感慨深い。
 ジョナス・メカス『富士への道すがら、わたしが見たものは......』。メカスが異国で見た映像は、サウンドトラックがエクスペリメンタルなドラムの音に占められ、声もなく時に暴力的なほどのコマ落としと断片的なカットの連鎖にもかかわらず、メカスが被写体に注ぐ親密さはいささかも減じることがない。時折映り込むメカス自身の顔が、いつもよりなお一層満面の笑みに見えるのは、彼が旅の途上にあるからというだけではなく、これを見る映画祭参加者の多くもまた、旅の途上にあるからか。上映前のトークで木村迪夫さんが触れていた芋煮会のシーンには思わず「あ、芋煮だ」となる。時間にしてほんの2、3秒にすぎない束の間だが、そこにはまぎれもない親密さが刻まれていた。(結城秀勇)

 新幹線の中では、nobody 2号を読んでいた。"Spiritual Adventure "と題されたその号では、デプレシャン、アサイヤス、ペドロ・コスタと共にnobody編集部が心の 冒険、青春を謳歌していた。当時の彼らはおそらく今の僕と同じ20歳くらいではな いだろうか。羨ましいなぁと思いつつ、12日から合流する他のゼミ生たちのこと が心配になった。12日には台風19号が迫っているからだ。後々、僕はその対応に追われることになるだろう。
 学生団体パスを受け取りに映画祭本部を訪れる。最初4階の受付で「すみません、学生パスは1階の窓口なんですよ。」と言われ、1階にいくと、「学生パスは4階ですね」と言われ、また4階に戻る。本部の奥に通され、そこで手続きを行う。やは り台風が心配なので、僕のパスのみを発行することはできますかと頼むと、担当の 仲井さんがとても親切に対応してくれて、そうすることができた。
 ジョナス・メカスの『富士山への道すがら、私がみたものは...』の前に木村迪夫 さんのトーク。彼がジョナス・メカスの名を口にするときの、「メカスさん」とい
う呼び方が好きだった。「⤴メカスさん」ではなく、「⤵メカスさん」である。実 は、はじめてのメカス体験だった。見た瞬間、「あ、『ワールドツアー』だ」と思った。飛行機からの景色で始まる。ただIPhoneよりも重たいカメラにも関わらず、 めまぐるしく動き、無言日記よりももっとなにかを待っていないように振る舞う。 それでもハッとさせられるショットで溢れている。影で隠れた女性の顔に太陽光が 差し込む、けれど、彼女の顔ははっきり映るどころか、より抽象的なものになって いく。そんな数秒のカット。メカスが蕎麦屋で、相席している日本人にカメラを向 ける、と、奥の女性が照れくさそうに会釈する。そんな数秒のカット。ただ地面を 歩くだけ。そんな数秒のカット。見たら数秒で忘れそうにカッティングされたショット達。でも終わった後不思議と思い出すことができた。
 夕食は「金魚」で食べた。きのこ推しの大衆居酒屋である。女将さんが金魚に似ていた。12日に行うゼミ生の宴会場としてついでに予約することにした。でもそれも台風次第ですよね、と女将さんと話した。(梅本健司)