10/15「20年後の、この場所で。」

 『二重のまち/交代地のうたを編む』。2月の仙台メディアテークでもみているのだけれど、再編集された今回の方が圧倒的に良くなっている。簡単に言えば、4人の人物が読む瀬尾夏美さんの「二重のまち/交代地のうたを編む」というテキストが瀬尾さんの手を離れたような気がした。上映後のトークで印象的だったのは「2031年 春」というふうにテキストは始まるのだけれど、20年ほどの時間がかかるだろうと思って2015年当時書いたことがすでに現実として起きてしまっているということ。東北ではとんでもないスピードで物事が変化している。たとえばそれは震災についての映画をみていても思う。作品の良し悪しとは別のところで、数年後にみたときにその映画の持つ意味がまったく変わってしまうということもありえるのではないか。
 『インディアナ州モンロヴィア』。なんとなく、地元のお客さんの割合が多いような。ワイズマンの作品が映画祭でずっと上映されてきた歴史があるからだろうか。もし山形市民の中にワイズマンが根付いているのであれば、それはすごいことだ。
 東京行きの最終新幹線に間に合うギリギリまで『Memento Stella』。見たことのあるものがあまり見慣れない形に変容して、それらが重なってまた別の見たことがあるものになる、とでも言ったらいいだろうか。スティーヴ ・エリクソン『ゼロ・ヴィル』で、主人公が複数のフィルムに紛れ込んだ1コマ1コマを繋ぎ直して1本の映画を完成させるというエピソードがあったと記憶しているのだが、それはこの作品なのかもしれないなどと思った。(渡辺進也)

 『自画像:47KMのスフィンクス』『自画像:47KMの窓』のジャン・モンチー監督にインタビュー。『スフィンクス』を撮った後に、「〇〇主義だけが中国を救う」という古びた標語に代わる、この村を救うためのなにかを私は本当に見つけられるのか、と絶望的な気持ちになったと監督。そんな地点から村人たちと共にたどり着いた『窓』という作品の鮮やかな輝きを、ひとりでも多くの観客に見てもらいたいと思った。インタビューは当サイトに近日アップ予定。映画祭公式ガイドブック「スプートニク」に書いた両作の評は、こちらから読めます。
 『二重のまち/交代地のうたを編む』小森はるか+瀬尾夏美。20年後くらいにはこうなるだろうという想定の未来が、人々を追い越さんばかりに街を覆っていく。この、めまいのするような速度の中で、見えなくなるもの、思い出せなくなるものはなんなのか。ふたりの監督は、2031年を想定したテクストをあえて現在の景色に重ねて朗読するという、リスキーとも呼べるような選択をする。すっかり変わってしまった景色に呼びかけ、土の下に埋められたかつての景色が木霊を返すのに耳をすまし、そしてあらためて、未来を想像する。それは上記した、ジャン・モンチーが村に向ける視線と、非常に通じ合うものがあるのではないかと思うのだ。
 『マーロン・ブランドに会う』アルバート&デヴィッド・メイズルス。「そろそろ新作映画について話していただけますか?」「え、なんで映画の話しなきゃいけないの?ところで君は僕がこれまで会ったインタビュアーの中で一番美人だよ......」。新作映画のプロモーションで大勢の報道陣に囲まれ、矢継ぎ早に取材を受けるブランドは、巧みに「取材対象」という役柄をすり抜けて、逆に非常にすぐれたインタビュアー、MCの役柄を演じ始めるのだ......。
 『ナイトレイト・キス』バーバラ・ハマー。序盤に出てくる、年をとった女性カップルの性行為のシーンが特にとても美しい。皺の寄った肌、覆いかぶさるストライプ状のシェードの影。まさに引用されるミシェル・フーコーの言葉ごとく、権力と知と欲望によって構成される抑圧への抵抗に快楽の活用をもってあたるのは、いささかも古びた手法になっていない。
 名店「ふくろ」でおでん。絶品。(結城秀勇)

 山形滞在五日目。
 『別離』、ホームムービーの日を観る。
 『別離』を見た後、連日の映画鑑賞(無間地獄)でガチガチになった肩と腰を労うために百鬼目温泉へ。温泉に行きたい欲求と映画を観たい欲求がついに逆転した。昨日山形入りしたシガヤダイスケ監督と平井涼監督が運転する車で向かう。といっても市内から車で10分ほどで、少し山側に車を走らせると田園風景にぽつんと「百鬼目温泉」という看板が立っていた。番台横に「ウルトラの湯」とあったので理由を尋ねると、ここの高濃度の温泉成分による湯あたりを防ぐために入浴時間は3分だから、と教えてもらう。屋根もなく塀も低い開放的な露天風呂に入っていると、なるほど、すぐに身体が温まってくる。日芸の16mm事情などを伺いつつ山形の温泉を満喫した。
 宿に戻り、火照る身体を少し休めた後に『ホームムービーの日』へ。劇場の一番上、映写の大西健二監督の隣に8ミリ映写機(たぶんGS)がちょこんと置いてあった。シネコンに8ミリ映写機がある妙。8ミリ映写機があるとどこでも友人の家のような安心感を感じる。今回、台風で来れなくなった牧野貴監督、海外映画作家のロストバゲージなどで、上映フィルムが減ったのは残念だったが、小田香監督のブラジル⇄LAの車窓フィルムに心奪われ、大西監督のYIDFF記録ホームムービーに舌を巻く。大西さんのフィルムは冒頭の高速道路(ミッドナイトドライブ)から引き込まれ、コマ撮りされた映画祭の風景、そして今まさに自分たちがいる劇場での上映風景が映し出される。箱の中の箱。バルブ撮影によって残像化された人々は情念となって立ち上がり、今もこの劇場にいる。ホームムービーとエクスペリメンタルの狭間のような風合いが好みだった。続く、佐藤真さんの『女神さまからの手紙』は自分のホームムービーを再構築した私家版ドキュメンタリー。幼稚園や自宅での子供達の風景。無邪気に遊び、いたずらし、喧嘩する。その様子が微笑ましく、大人顔負けの屁理屈を垂れたり、愛くるしい日常に度々客席から笑いが起きる。女の子におんぶしてもらう男の子を見ながら、幼稚園時代、背の順が前から3番目以降になったことがないほど小柄だった自分もよく女の子におんぶしてもらったことを思い出し、不意に涙が出そうになる。あの子は一体今どこで何をしているんだろう。佐藤さんの長女がお姉さん口調で「私の夢はお店やさん!」と元気よく答える姿に、大人になった彼女を想像し、遠い日の友人を重ね合わせた。ホームムービーは記憶のタイムカプセルだ。山形で見た作品の中で一番幸福な気持ちになれた時間。最後に観る映画がこれでよかった。
上映後に「山形ドキュメンタリー道場」のキックオフに参加する。
 アジア初のドキュメンタリーに特化したアーティストインレジデンス。
 蔵王に集まったアジア各国の映像作家たちが共に過ごし、各々のプロジェクトを語り合う三日間。『愛讃讃』を制作中に本企画を偶然知り、二年越しに応募、山形に来る前に参加決定の通知が届いた。昨年道場に参加していた奥谷洋一郎監督、田中健太監督、小田香監督の話を伺う。小田さんの「国を超えた制作者と意見交換する際、多様性を理解し、相手に敬意を持って話をした。言われたことに対して自分の中ですぐに答えを出さないこと。一旦心に留めた。」という言葉が響く。11月の蔵王が俄然楽しみになった。
 同じ宿に泊まった友人たちと最後の乾杯をして帰路へ。
 山形で出会った映画、作家、映画関係者。今の自分にとって最善の出会いがそこにあり、自分の中で溶け合い、今後発展していく気配を実感した五日間。山形に集い、久しぶりに再会した国内外の友人も皆リラックスしていたのが印象的だった。唯一、頭を悩ませたのは観る映画の取捨選択。映画を語り合い、過ごした夜。美味しい山形飯と、現地の方々に流れるゆったりとした山形時間。台風がありながらも大きなトラブルもなく、劇場ホール前でいつも笑顔で出迎えてくださった映画祭スタッフ、宿の女将さん(宿を出る前に背中越しに「またね」と交わした)、有難うございました。二年後、自分が何をしているか全く見当もつかないが、またここに戻ってきたい。(池添俊)