10/8「断片化した身体として甦る思い出」

松田春樹
安東来
板井仁
結城秀勇
隈元博樹
斗内秀和
鈴木史

 ダミアン・マニヴェルの『あの島』が彼のフィルモグラフィーにおいて異色を放つのは、それが手持ちショットで撮られているからに違いない。言わずもがな、彼はFIXショットの名手であり、いかに俳優を捉えるかと同じくらいに、いかに背景にある自然を捉えるかを考えてきた監督である。それにも関わらず、『あの島』ではピントの定まらない荒々しい手持ちカメラが採用され、俳優の、いや主人公ローザの身体を隈なく至近距離で捉えることによって、彼女を取り囲んでいるはずの自然(それは島に押し寄せる波であったり、マジックアワーの光であったり......)がよく映らないのだ。
 だからだろうか。あの島での映像とスタジオでの映像が何の違和感もなく繋がっていく。フィルムの編集点が場所でも時間でも光でもなく、俳優の身体にあるかのように。ロケーションがなくとも、俳優の身体さえあれば、映画を作ることができると高らかに宣言するかのように、俳優の演技だけがラディカルに追求されていく。特に、ローザの身体中をアルコールが支配し、彼女が痙攣するような演技をスタジオ内で見せる瞬間はひとつのクライマックスであり、今作の試みが何か別の大きなフィルムへと繋がっていくような予感さえする。個人的には今後より一層、ダミアン・マニヴェルは演技を探求することに比重を置いた映画を作るのではないかと勝手に予測しておく(サロンでのQ&Aで、手持ちショットの理由について聞いてみたところ、撮影のMathieu Gaudetは当初FIXでの美しい撮影を試みたという。しかし、ダミアンはすぐにそれがこのフィルムにとって間違いであることに気づいたのだという)。
 帰りの新幹線の中でこれを書いているが、再来年の山形に向けてのいくつかのメモを残しておきたい。駅からアズは意外と遠いということ。フォーラムの上映は混むということ。天候が不安定であるということ。山城屋の朝飯が美味いということ。一日に四本見るのはキツいということ。思いもよらぬ出会いがあるということ。東京に帰ったら、ジェームズ・べニング特集に行く予定です。(松田春樹)前日へ
 
  3日目は晴れてよかった。初日から馬見ヶ崎川河川敷でテントを張って寝泊まりしていたのだが、昨晩から今朝までは寒すぎて辛かった。加えて左足を痛めてしまい、タクシーで中央公民館に向かう。
 ダミアン・マニヴェルの『あの島』を見る。スタッフと若い役者たちが共に脚本作りからリハーサルまでを過ごした時間、それを映した映像は本来作品になる予定ではなかったという。経済的な理由によって没になった企画にとって、潜在的であるはずの「ハードディスクに眠っていた」それらのイメージたちが再構成されて蘇る。室内でのリハーサル演技、海辺のロケでのリハーサル演技、そしてほとんど本番に近い演技は、同じシーンを行ったり来たりしながら、またそれらの演技自体、監督自身の指示も挟まれつつ何度も繰り返す。語られようとするのは、「あの島」と呼ばれる岩場が象徴する、主人公ロザの過ぎ去った思い出の物語だと言える。けれどそれを演じようとする身振りという不完全な断片、役者同士の演技のセッションと触れ合いが、物語とは無関係にその都度輝きを放つ。そしてラスト近くになると、その思い出のかけがえの無さが、演技のなかにいる彼らと役者たち自身の見分けのつかないイメージに至って終わる。繰り返し演じ直すという身振りが、あるいは不完全な断片の再構成が、思い出や記憶を確かな手触りのようなものとして描くために必要なのかもしれない。
 無茶をして予定より早く東京に帰ることになったけど、こんなに素晴らしい作品にいくつも出会えると知ったからには来年もまたきっと来る。(安東来)前日へ

  紙月書房でカレーを食べる。何冊かの本も購入した。会計時まで気づかなかったのだが、店内の古書はすべて半額ということだった。店主の方曰く、11月末で閉店されるとのこと。
 ダミアン・マニヴェル『あの島』は、浜辺を走る主人公ロザを追いかける手持ちカメラの映像から始まる。留学のために地元を離れる主人公が、夕暮れ(朝焼け?)の浜辺で仲間たちとお別れパーティーをしている。浜辺には大きな岩があり、それを友だちどうしで「あの島」と呼んでいたのだという。ロザを中心にして展開される映像は、稽古やリハーサル時のフッテージ、そして少しの絵コンテや画像などと混ざりあい、それが異なるカメラ位置や動作によって反復されるのだが(「répétition」には「リハーサル」と「反復」の両方の意味がある!)、それらは同じところもあったり、違うところもあったりする。仲間たちと触れ合いながらタバコやお酒を分けあうとき、切り返しショットは用いられず、それが苦しいほど親密な関係をつくっている。みんなで模索しながら共同で映画を作っていく様子が、やがて夜が明けていく浜辺や、仲間と離れて地元を旅立っていく主人公と結びついている。一度頓挫したプロジェクトだったが、それまでに記録していたさまざまなフッテージを組み合わせることで一つの作品となったらしい。(板井仁)前日へ
 
 『ヘルマン・スローブ 目の見えない子ども2』『ベッピー』ヨハン・ファン・デル・コイケン。いやあとにかく『ヘルマン・スローブ』がよかった。年寄りは若者の音楽に合わせなきゃいけないとか、「ウォーカー・ブラザーズが自分たちで作曲するのは理由がある」など、なかなかイカした趣味を持つヘルマンくんのDJっぷりやカーレースの音を再現したマイクパフォーマンスが最高。
 その後ダミアン・マニヴェルにインタビューするが、『あの島』については他の人たちも書いてるので、またの機会に。
 夜ごはんは高校の同級生とすずらん街「わかしょう」にて。市場が休みで魚系がなかったのは残念だが、ナス田楽やまいたけ天ぷらなど美味。(結城秀勇)前日へ翌日へ

  10年ぶりの山形。山梨在住のKくんから車を出してもらい、Hくんと八王子で合流していざ出発!と思いきや、久々の参加に高まる気持ちが二度寝の夢をもたらし、30分以上の遅刻をかましてしまう。幸先の悪いスタート。
 七日町に着いてプレスパスを受け取り、1本目はソン・グヨン『ナイト・ウォーク』。前情報を一切入れずに見たせいか、一見、時折画面上に施されるドローイングやさまざまな古詩の一節からの引用も相俟って、まるで個人のInstagramを見せられているような感覚に陥った。しかしこれがロックダウン下に捉えられた夜景、そこに蠢く生き物たち、水面の反射なのかもしれないことをイメージすれば、目の前に提示されたさまざまな夜の様相も一段と変わって見えてくる。そして現場の音を一切排した試みによって、何とも得がたい静けさのほか、暗闇にかろうじて見えるもの、あるいは見えないもののがもたらす映像の淡いがそこに体現されていたように思う。
 次に見たのは野田真吉『まだ見ぬ街』『ふたりの長距離ランナー』『くずれる沼 あるいは 画家・山下菊二』『水谷勇夫の十界彷徨』。どれもとてつもなく面白かった。前職のフィルムアーカイブで働いていた時にはこの作家の名前をしばしば見かけていたものの、その全貌を知ることはなかった。しかし企業PRを目的に制作されたわけではない今回の4本を見ただけでも、闊達とした自由な表現方法、実験性、反復の妙、またフォーカスした題材や人物の輪郭がそれぞれの作品を通して際立ったつくりになっている。嵐のような作品群であり、まだまだ他のフィルムも見なければ。
 夜はHくんのリクエストにより「ほっとなる横丁」で一献。その後、終了15分前の新・香味庵へと駆け付け、麦茶で皆様と乾杯する。恒例?となった香味庵前の「ダベり」のひとときでは、国立映画アーカイブの岡田秀則さんから山下菊二の絵画をはじめ、東宝争議に参加した経緯などを詳しく教えてもらい、二次会では大木裕之さんに初めてお会いし、ご本人が向けたビデオカメラを前にして恥知らずの酔狂な身をさらけ出してしまったのだった。(隈元博樹)翌々々日へ

  今日だけ友人と 相部屋で寝たり起きたり話したり話さなかったりを繰り返してあまり寝れていない。
 まず、『ヘルマン・スローブ 目の見えない子ども2』。印象的なのは、ヴォイスパーカッションで車の走行音を再現する場面で、ヘルマンという少年が音に対していかに敏感で器用であるかが分かる。
 『ベッピー』。『ヘルマン〜』と異なっているのは、質問の内容だろう。パーソナルな事柄ある恋愛や死、またはお金について聞かれて、10歳の少女が赤裸々に語る。表情が豊かなのが印象的だった。
 続けてコンペティションの『訪問、秘密の庭』。構成がまず特徴的だ。前半部は彼女の日常生活が映され、後半部は一転して監督の彼女に対するインタビューが行われる。撮影に段階を踏むことで監督が彼女に対して手続きのようものを踏んで撮っているように思えた。まず、外面である生活の様子を撮ることで関係性を築いてから、内面に踏み込む。ある意味で原一男のドキュメンタリーと方法は似ているが、とても丁寧で何よりも距離感のようなものを大切にしているように感じた。前半はカメラポジションも正面から撮らず斜めから撮っているものが多い。
 後半部のインタビューは「彼女がどういう人物だったのか」に対する禅問答のようなもので、いまいち噛み合わない。しかし、逆に芸術家として大先輩にあたるイサベル・サンタロの監督に対するある意味で説教が始まるとまた関係性に変化が生まれる。「この撮影は極めて不快だが、自分は芸術を支援しているから撮影に応じている」。「本当の怒りは静かなもので、甘ったれて他人に寄りかかるものではない」と。セルフ・ドキュメンタリーのようだが、下品な感じは全くない。これまでの積み重ねがあるから出来る会話でもある。
 最後はとても潔い。インタビューの後に彼女の創作活動を撮影したらヴォイスオーヴァーで監督自身がイサベル・サンタロに礼を言ってあっさりと映画が終わる。しつこくインタビューを繰り返すのではなくこれ以上彼女に踏み込めないと感じたら映画自体を終わらせる。被写体を見せてこそということに趣を置くドキュメンタリーでは意外だが、個人的にこの部分が一番好きだった。
 最後に『ルオルオの青春』。コロナ渦でカメラは一切室内から出ず、家族との日常生活や、若い頃の日記を読み返す姿を捉える。監督自身が撮ったポートレートのように見えた。
 終わってからおでんの出汁割りなるものを初めて飲んだ。帰ってすぐに寝たが、寝過ごしてしまう。(斗内秀和)前日へ翌日へ

 ホテルに早めに帰ったのに結局寝坊で朝の回は見逃す。もう劇場の中にいる勤勉な人々に遅れをとり、急に知人・友人がまばらになった山形の街路を歩いて寂しくなっていると、向こうから深田隆之氏がやってきた。「蕎麦でも食べましょう」ということで、市内をぷらぷら歩いて天せいろを食べ、白十字という喫茶店でケーキを食べた。田舎街にぽつんとある喫茶店という風情だったけど、ほんとにとろけるレアチーズケーキが食べられて満足。野菜や果物の直売所で、シャインマスカットと枝豆をお土産に買って、大ホールに移動。イレーネ・M・ボレゴ『訪問、秘密の庭』を見る。端正で静かな画面の連なりを見ていて、良さそうな気がしつつ、ここ数日の原稿追い込みやら展示ことやら自作の映画の企画のことやら、あらゆることが重なってしまってたことと、昨夜の狂乱の疲れがどっと出てほぼ寝てしまったので、内容については何も言えません。すみません。
 小ホールに移動して、野田真吉特集で、『海と陸をむすぶ』と『オリンピックを運ぶ』を見た。どちらも日本通運のPR映画。ひとつひとつのカットが本当に凝っていて、『海と陸をむすぶ』は、浮かぶ船を他の移動する船から捉えたゆったりとしたカメラワークが心地よかった。『オリンピックを運ぶ』は松本俊夫との共同監督で、長大なトレーラーをとらえたシーンなどは、本作から5年前に松本が『300トン・トレーラー』を撮ったときの経験なども活きてるのかなぁって思う。ごくごく普通に日本通運のPR映画としても成立していて、「勉強になるね〜」とぼんやり見てしまいつつ、外国人オリンピック選手に向けるカメラのまなざしや、当時の日通のオリンピック実行委員会や労働の現場にほぼ一切女性がいないことには意識が向いた。「ほぼ一切」と書いたのは、日通オリンピック実行委員会の200人くらいの黒いスーツの群衆の中に、ただ一人スカートを履いた人物を発見したから。むしろ、昨日見たこれより以前の野田の作品『京浜労仂者 1953』や『1960年6月:安保への怒り』は女性の集団が前面に出るシーンが多いのだけど、この2作のPR映画では「そもそもその場にいない」ということによって画面から女性が消えてゆく。だからこれは時代の問題というより、労働形態やそれを支える家族の在り方の問題なのだと思う。この2本だけ見て、このあと上映の大好きな野田作品『くずれる沼 あるいは 画家・山下菊二』(最高のフクロウ映画)はスケジュールの都合であきらめる。
 フォーラムに移動し、小森はるか、橘川由江、小川直人による「トークセッション:それを知らない世代と分かち合うものを探して」を聞く。小川さんは、せんだいメディアテークの方で、私も参加しているメディアテークのwebサイト向けの連載企画を担当してくださっていて、先日宮城に用事で行ったときはお会いできなかったので、今回ご挨拶ができてよかった。学校教員の橘川さんによると、学校教育の現場でも震災体験を記憶していない世代が生徒となり、彼ら彼女らの意識がどんどん移り変わっていることなどのお話があった。小川さんも、最近になって震災の記憶がほぼない子どもたちがそのとき何が起きたかをむしろ滔々と説明してくれて、不思議な感覚になることを語られていた。私は宮城県出身ということもあって、2011年当時の自分や身の回りのことをなんとなく思い出しながら、お話を聞いた。ほぼ満席で、お客さんの層も他の上映と比べるとおそらく地域の方々が多くて、隣に座っていた年配の男性も熱心にメモをとりながら聴いていた。この映画祭の魅力は、過去の歴史的なドキュメンタリーから先鋭的な作家の作品まで見られること以外にも、このように地域に根差したトークなどもあることだから、なるべくいろんな催しを見たいと思う。もちろん小ホールで旧作の特集を見続け、過去の作家を体系的に知るのもとても重要な態度だ。でも数年前までのわたしは、そのようにしたいという欲望が自分のなかに沸くと、異様なまでの自己否定感に囚われていたような気がする。だから、なるべく多様な作品に触れるようにしていた。ところが不思議なことに、今になってみると、「小ホールにずっといます。体系的に見ないとよくわかんなくなっちゃうからね」とはにかむ人と話していると、「そうなんですね」となんだか笑顔になり、この人を尊重しようと思う。ヘンにドキドキしたりもして、その高揚と同時に自分や他人、あるいは自分の身体や、世界そのものが消滅していく感覚がする。自分でもわけのわからない心理だと思う。どうしても見る必要を感じていた『アンヘル69』の大ホールでの上映の時間が迫っていたため、橘川さんのお話を一通り聞いてからそっと劇場を出ると、休憩タイムで劇場を飛び出してきた小森はるか氏が、「ふみさ〜ん」と言いながら、足元を走ってすり抜け、廊下の奥のお手洗いの方へ消えていって、「あー、ごめんなさい、新幹線の時間とかがあり!!」などとオタオタしつつ、この監督の小柄さと、それがもたらした『ラジオ下神白』の老人たちをとらえるカメラの高さ(低さ)が思い起こされた。90歳という小柄な女性をとらえるカメラが、逆手で腰の位置で構えられたのではなく、おそらくは順手で構えられているのだろうと思える「目高」のカメラ位置と、手持ちの揺れ。それが、あまり見ない揺れと高さだと思った。
 大ホールで、テオ・モントーヤ『アンヘル69』。いわゆる性的マイノリティが主題の映画を、「福祉」っぽいフレームから外れて、イルでアンダーグラウンドな側面も残しながら描いていて、こういう作品を山形の地で見られたことが嬉しい。「セクシュアリティって、幼少期のトラウマとかに左右されてるでしょ、きっと」などと疲れた様子でつぶやく若者たち。皆、なにか一様に世界に対する諦念と自己や外界に対する批評性を纏っている。ひとりひとりが魅力的な佇まいに収まっている。「何もしなくたって、存在してるだけでわたしは価値がある」「みんな、死を悪く言いすぎる。死は近くにある」という言葉が耳に残る。監督は「トランスシネマ」とこの映画のことを読んでいたけど、そこでトランス(越境)するのは性差だけでなく、生死でもある。さまざまなトランス(越境)に、世界からの意味の剥脱、生死の不分明化を引き起こす契機が仕掛けられていて、だからこそトランス(越境)には、より善い在り方での死を背負った生き直しと世界の再創造、世界への新たな意味付けの可能性が秘められている。ポール・B.プレシアドが『あなたがたに話す私はモンスター』で、「生政治」よりは「死政治」という言葉を選択していたことを思い出す。この監督がやっていることは、無数の死を背負いながらの生き直しによる世界との和解なのだろうと思う。こんな映画が存在することは、ただただよろこばしいことだ。ラストシーン、荒野に若者たちがいる。彼ら彼女ら、あるいは "they"、いやそのような人称すら不要な、あるいは奪われた地点からの人々の声が響く。
「家 居場所 家 窓のない家 家具のない家......」
 終映後のQ&Aでテオ監督は、劇中に出てきた「霊体性愛」という言葉について問われ、「イメージへの性愛。シネフィリア」と言葉を紡いだ。終電の新幹線に乗らなくちゃなのに、最前列に座ってしまい、なんだか申し訳ないなぁって思いながら、10分ほどお話しを聞いただけで急いで席を立たなければならなかった。もし届くならば、テオさんに「Rejoice!」と声をかけたい。(鈴木史)前日へ