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March 16, 2004

『あやめ 鰈 ひかがみ』松浦寿輝

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本書には「あやめ」と「鰈」と「ひかがみ」という3つの短編が収められている。それぞれのタイトルを並べただけのそっけないタイトル。短編集をつくるときにそこに収められる短編のタイトルのどれかひとつを選びとって一冊の本のタイトルとするのでもなく、またそれらをまとめあげるかたちで新しく考えだされたタイトルがつけられるでもない。そうしたタイトルのつけかたそれ自体がすでに本書の性質を如実に表しているかのようだ。
実際、「あやめ」と「鰈」と「ひかがみ」のどれかひとつが本書の主張音となってどのページをめくるときにもその存在がどこかに感じられるというよりむしろ、それぞれがそれぞれに絡み合い、言わばひとつを読みながらほかのふたつも同時に読むことを強いられる。また、なんらかのコンセプトに則って集められた短編というわけでもなくて、3つの上にも下にも、そして奥にも手前にも何もなく、3つがただ3つであることだけでそこにある。
そして、「あとがき」があらかじめ本書にされるであろう批評の数々を先取りするかのように書かれている。3つの短編はまるで「ボロメオの環」のように絡まり合っており、「どの一つを切断してもその瞬間に三つ全部がいきなりほどけてばらばらになってしまう」。
この3つの物語の主人公となる3人の男たちはみな、「あやめ」の主人公が冒頭で車に轢かれて死んでいながらすっくと立ち上がり、生きているのでも死んでいるのでもない状態を歩くように、生を全うすることもできず、かといって自身の内にある生命力を実感することもできずに不思議な出来事を経験していく。記憶も曖昧であったり、悪夢のような迷宮に迷い込んだりするのだが、いつ終わるのか見当もつかず、あるいは終わることがないかもしれないけれど無限に続くというわけでもない時間の流れに男たちは身を任せている。
ことによると、松浦はここに登場する男たちが置かれているような時間の流れの中に身を置くことから小説を書きはじめているのかもしれない。「あとがき」は本書の批評のように見えるけれども、実は前もって考えられていた見取り図のようなものかもしれず、あるいは3つの物語とも絡まり合ってその一部でもあるように思える。

須藤健太郎