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February 14, 2007

『魂萌え!』 阪本順治
槻舘南菜子

[ cinema , sports ]

 風吹ジュンの束のような白髪。深く刻まれた頬のしわ。フライパンを擦るもう若くはない手。それらの部分には、一人の女性の生きた時間が確実に刻み込まれている。彼女の時間の集積、老いを、まざまざと映し出す所からこのフィルムは始まるのだ。
 夫の死後、風吹ジュンは夫の過去を辿るのと同時に、過去は形を変えて彼女を襲いにやってくる。夫に十年来の愛人がいたこと、彼が杉並蕎麦の会に通っていたこと、ゴルフクラブの会員だったこと、愛人のために蕎麦屋の出資金を500万出していたこと。彼女の知らない夫の姿が、徐々に輪郭線を帯びていく。そして風吹ジュンがカプセルホテルで偶然知り合った老女は、まるで夫がそうであったように風呂場で倒れているのを、彼女に発見されることとなる。新しい手帳、新しい携帯、新しい出会い、多くの新しさとともに、彼女を取り巻く三人の女友達は、彼女の多くの過去を背負っている。彼女達には、それぞれに関係性を円滑にするための役回りがあって、集まる場所がどこであろうともたわいもない会話をし、毎度同じような喧嘩をする。彼女達の関係は変わらないのだ。そして8ミリで撮られた高校時代の姿──井の頭公園でボートを漕ぎながら歌を歌う──を懐かしみ、その後モノクロのフィルムの断片を再現するかのようにボートに乗る四人の姿を見ることができるが、彼女達はもうどうしようもなく年をとってしまっている。
 風吹ジュンは夫の過去を埋めていく。だが、ある時、彼女の背後に向かっていた文字通りの過去──台所で回される映写機の隣に横たわる風吹ジュンの背後に切れ切れに覆いかぶさっているかつての姿──への眼差しの向かう先は変わる。彼女は突然映写技師になることを決意する。彼女がなぜ映写技師になることを決めたのかはわからない。昼の一時に見る番組がヒッチコックの映画であることを伝える画面内の声や、シルバー料金で入る映画館、そして立ち止まったラブホテルのリュミエールという名前を挙げてもいいかもしれないが、それらに何の意味があるのだろう? 列車に乗る男を見送る女。ヴィットリオ・デ・シーカの『ひまわり』。画面はヘンリー・マンシーニの音楽に満ちていく。ソフィア・ローレンはロシア戦線から戻ることのない夫を一枚の写真とつたないロシア語で探しあてたものの、すでに彼には別の家庭があった。その後、追い打ちのようにやってくる二度目の別れ。彼女のブルネットに混ざる白。発車を伝えるベルの音。遠ざかっていくかつて夫であった男。
 よれた赤い口紅。引きちぎられたネックレス。白い手袋。映写室から覗く顔。小さな窓からスクリーンに向けられた風吹ジュンの横顔に、まっすぐな眼差しに、ただ、感動した!


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