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December 30, 2007

『エドワード・ヤン』ジョン・アンダーソン
田中竜輔

[ book , sports ]

 エドワード・ヤンの急逝からもう半年がたってしまった2007年の終わりに、まだエドワード・ヤンが生きていた2005年に出版された一冊の書物が翻訳され出版された。それが本書である。
 前半部にあるジョン・アンダーソンの「詩情と運動」と題されたヤンの全作品についての論考は、ヤンという個人の伝記的事実を介在させた物語構造を中心とした作品分析と、登場人物についてのきわめて丁寧な描写を中心に記されている。この論考は本当に丁寧に記述されていて、1行1行を読むたび毎に、ヤンの作品に溢れていた素晴らしいシーンの数々を、そして同時に何気ないシーンの数々を思い起こさせてくれる。そして後半には2001年から2002年にかけて行われた、アンダーソンによるヤンへの長いインタヴューが収録されている。このインタビューにおけるヤンの言葉には本当に力を与えられる思いがした。それが今までに目にしたような話であるか否かは問題ではない。台湾という場で無節操に遭遇したのだという様々な輸入文化――映画、マンガ、ロックンロール――についての体験、それゆえに培われたあらゆるものを受け入れる姿勢、そしてその与えられたものを形を変えて再び誰かに与えることについての意思等々の長い記述には、彼が作ることの叶わなかった未来のフィルムへの展望が垣間見えると同時に、彼が置かれていた現状への闘争そのものが表出している。彼の言葉のひとつひとつには、揺るぎない「信念」が溢れている。「勇気」を持たなければならないと彼は言う、その通りだと思う。
 アンダーソンは論考の中で幾度もこの先にあるはずだったヤンの新しい作品への期待を記している。それがもはや叶わぬ願いだとしても、読みながら幾度も頷いた。そして彼のフィルムがごく「普通」に映画館で上映されていて、そこに偶然訪れた観客が涙を流すような、現状ではありえない状況をも想像した。この書物はヤンの映画について新しいパースペクティヴを与えるような書物であるというよりも、彼の映画へと人々をごく自然に導き入れるような書物であり、つまりヤンのフィルムと同様に誠実な書物であると思ったからだ。
 本書を一読しての読後感は、彼よりおよそ1年早くこの世を去ってしまったダニエル・シュミットの『季節のはざまで』を見たときのものととてもよく似ていた。つまり、もういなくなってしまった人が、まだそこにいたときのことを、他者のまなざしにおいて再び見つめなおすこと。そのことについて、この書物は――結果としてではあるかもしれないけれども――記述しているように思う。そこには喜びと、そしてそれ以上の哀しみがある。でも、そこで立ち止まってはいけないのだ、勇気を持って前進せねばならない。