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November 9, 2009

『アバンチュールはパリで』ホン・サンス
梅本洋一

[ cinema ]

 正直に書く。ホン・サンスのフィルムを見たのはこの作品が初めてだ。天の邪鬼なのか、韓流映画の流行が嫌で韓国映画というだけで素通りしていた。もちろんホン・サンスが、韓流に収まらないことは知識として知っていたが、知っていただけではどうしようもない。反省も込めて行動に移した。
 そして『アバンチュールはパリで』を見た。すごいフィルムだと思った。以下、その理由を述べる。
 まず、驚いたのが、ロケ地がパリとドーヴィルなのに、まるでパリやドーヴィルという感じがしないこと。パリという都市はとても抑圧的な空間だ。その都市のどこを写真に撮っても、それがパリであることがたちどころに納得されるような場だ。戦前の良質フランス映画なら、アレクサンドル・トローネルの力で、セットの中でそうしたパリを再現したし、ヌーヴェルヴァーグなら、徹底したロケで、「パリは映画に撮られるに値する都市である」(ダネー)ことを証明した。だが、このフィルムはどうなのか? ボーザールやポン・デ・ザールやオルセー美術館──それらはこの都市のランドマークだ──が映っているにせよ、まったくパリらしくない。もちろん、このフィルムの半分以上が撮影されている14区のペルネティやアレジア周辺はランドマークに乏しいからあまりパリらしいとは言えないのだが、たとえばアニェス・ヴァルダが同じ場所でドキュメンタリーを撮影すれば、パリらしく見えるだろう(と思う)。そしてドーヴィル。『男と女』を待つまでもなく、ノルマンディの典型的なリゾートなのだが、ただの海岸にしか見えない。ホン・サンスの師(?)、ロメールが、ノルマンディで撮影した『海辺のポーリーヌ』と比べるとよいだろう。あるいは、これはブルターニュだが、『夏物語』と比べるとよいだろう。ロメールのリゾートがいかにも風景も習俗も含めていかにもフランスのそれだったのに対して、ホン・サンスのドーヴィルはフランス的なリゾートには見えない。
 おそらくホン・サンスにとって、撮影地はどこでも良かったのだろう。主人公が実際に暮らしている場所(ソウル)と今居る場所(パリ)が離れていて、昼と夜ほどの時差がある場所なら、それで良かったのだろう。ある理由からソウルを離れなくてはならなくなった主人公の画家にとって、パリは夢の場でも理想の場でもなく、ただ彼の日常から離れた遠い場所でしかない。彼はパリの生活に馴染もうともしないし、パリの住民たちと繋がりを持ちたいとも考えない。韓国繋がりで友人や恋人を探し、韓国料理を食べる。パリ風のプチホテルに泊まりたいわけでもなく、ホテルとは彼にとってセックスをする場所でしかない。
 映画は、空間の固有名に極めて敏感なものなのだが、このフィルムでは、パリやドーヴィルと発語されるものの、それは音韻に過ぎず、その背後にあるぼくらのイメージを作動させない。『アバンチュールはパリで』の空間は、どこまでもespace quelconque──「任意の空間」に留まり続ける。このフィルムは、その「任意性」によって屹立している。たとえば、パリの観光を開始する韓国人画家は、同国出身の女子学生に案内されて、ペルネティからオルセー美術館に行くが、メトロのペルネティ駅からどの経路でオルセーに行くのか。このフィルムではまったく記述されない。オルセー美術館に到着しても、その全貌を見せることなく、クールベの裸婦像の前にキャメラを固定する。それはナラティヴには介入するが、パリを記述するものでも、オルセー美術館を記述するものでもない。あるいは、ドーヴィルへ、どの駅から行くのか。それも見えない。たとえば『獅子座』のロメールならば、主人公の歩行の道程をパリを知る者なら辿ることが簡単にできる。道程や空間の移動に、このフィルムは一切の興味を示さない。そうした意味において、このフィルムが、ヌーヴェルヴァーグのパリで撮影されたことは、ホン・サンスの確信犯的な野心を示しているのではないか。
 これからぼくも彦江智弘にならってホン・サンスのフィルムを少しずつ発見していくことになるだろう。

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