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November 6, 2013

『眠れる美女』マルコ・ベロッキオ
隈元博樹

[ cinema ]

たがいに交わり合うことのない3つのマリアの物語は、テレビに映る植物状態のエルアーナ・エングラーロとつねに伴走している。昏睡状態の妻を安楽死させたウリアーノ(トニ・セルヴィッロ)とその娘マリア(アルバ・ロルヴァケル)、かつて舞台女優だったディビナ(イザベル・ユペール)、そして医師のパッリド(ピエール・ジョルジョ・ベロッキオ)と名もなき精神疾患者ロッサ(マヤ・サンサ)。彼らはエルアーナの尊厳死を巡る2009年の渦中を生きつつも、それぞれのマリアの物語を生きている。


このフィルムを強く支えるのは、女優本来が持つ泪と視線の連続にある。イザベル・ユペールの頬を一瞬にして伝っていく、あるいはアルバ・ロルヴァケルの眼に一度溜まってはこぼれ落ちてしまう泪。ウリアーノの妻、娘のローザ、報道されるエルアーナといった「眠れる美女たち」を代弁するかのように、彼女たちはふと泪を流し、鋭く己の視線を他者へと切り返す。目の前の相手から視線をそらし、泪を流す。そしてふたたび相手を見つめる――。流された泪は、まるで彼女たちがこのフィルムのマリア自身であることを物語り、女優としてのたしかな時間を象徴しているとも言えるだろう。


『夜よ、こんにちは』(03)で人質の民主党総裁を冷たく見つめるマヤ・サンサは、『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』(09)のイーダ(ジョヴァンナ・メッツォジョルノ)のごとく、より強度を持ったまなざしでパッリド医師と対峙する。だけど彼を前にした病棟でのリハビリ(=ショットの切り返し)を続けていくなかで、彼女のまなざしは徐々に医師を受け入れるためのまなざしへと変化していく。医師の眠る間に、開け放たれた病棟の窓から投身自殺を図ることを思いとどめたのも、彼の靴をそっと脱がせたのも、彼女は何にも代えがたい彼にとってのマリアとして生まれ変わったからだ。そして彼女は「私=マリア」であるがゆえに、医師を前にして、ささやかな泪を流すことになる。


物語の発端となったエルアーナの死後も、彼女たちの伴走は終わらない。ヴェロニカ・ライモ、ステファノ・ルッリ、そして監督のマルコ・ベロッキオの3人によって書かれたシナリオは、彼女たちによるマリアの物語がエルアーナの物語を凌駕していくことに他ならない。そしてスクリーンを見つめる僕たちは、ここで4つ目のマリアの物語に気づくだろう。泪と視線の連続によって生まれた、マリア=女優としての物語に。


シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
(nobody issue 38 「CINEMA AROUND US」内にもレヴューを掲載中)

  • 『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』マルコ・ベロッキオ 増田景子
  • 『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』マルコ・ベロッキオ 田中竜輔