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April 24, 2016

ブリィヴ・ヨーロッパ中編映画祭報告(2016年4月5日~ 4月10日) 
槻舘南菜子

[ cinema ]

ブリィヴ・ヨーロッパ中編映画祭(Festival du cinéma de Brive http://www.festivalcinemabrive.fr/home.php )は、五月革命後にカンヌ国際映画祭の監督週間部門を創設したフランス映画監督協会(Le SRF) の主導で、2004年に始まった。5日間の短い会期に関わらず、毎年数百人の映画人――批評家、プログラマー、映画監督、プロデューサー等々――が訪れ、小規模ながらいまヨーロッパでもっとも注目されている映画祭のひとつである。現在の世界三大映画祭――カンヌ、ヴェネツィア、ベルリン――では、すでに商品としてパッケージ化された「新人作品」以外に触れることは難しく、より先鋭的な作品を選出することに定評のあるロカルノ映画祭も若手監督にとっては狭き門だ。そのような状況において、短編でも長編でもない「中編」というユニークなフォーマットに着目したこの映画祭にセレクションされることは、いまヨーロッパの若手映画作家たちにとって非常に大きな意味を持っている。
2011年のブリィヴ映画祭においてギヨーム・ブラックが『女っ気なし』でグランプリを受賞したことは記憶に新しいが、歴代のセレクションされた監督のリストを見れば(セルジュ・ボゾン、ヤン・ゴンザレス、ジャスティーヌ・トリエ、ヴァンサン・ディエッチー、ニコラ・ペリゼ、ヤン・ル・ケレック、ソフィー・ルトゥルヌ、リュシー・ボルルトー、ヴィルジル・ヴェルニエ、ユベール・ヴィエル......)、今日の若手フランス映画のひとつの流れが見えてくることは確かだろう。2013年5月に日刊紙「ル・モンド」が、ヴァンサン・マケーニュ主演の3作品−−『7月14日の娘』(アントワーヌ・ペラジャコ)、『ソルフェリーノの戦い』(ジュスティーヌ・トリエ)、『メニルモンタン 2 つの秋と3つの冬』(セバスチャン・ベベデール)−−とともにカンヌ映画祭における若手映画監督の躍進を「ブリィヴ世代」と評して大きく紙面を割いたことは、この映画祭の評価を決定的なものにした。コンペティション部門受賞作品の中には、その後さまざまな映画祭でも高い評価を受け、単館ながら映画館での配給にまで結びついた作品もある。

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パリから電車で4時間、ブリィヴはフランスの南西部に位置している。駅から10分ほど歩いたところにある映画館REXが会場だ。劇場の前にはカフェとオフィス、DVDと書籍の販売スペースがコンパクトに並んでいる。
本年の開幕上映作品は、1991年にセザールの短編部門で大賞を受賞したブリュノ・ボダリデス『Versailles rive gauche』。コンペティション部門の審査委員長をパスカル・フェランが務め、他の審査委員にはジャック・ロジェ『オルエットの方へ』やギヨーム・ブラック『やさしい人』の俳優ベルナール・メネズ、ジャン=フランソワ・ステヴナンの息子にして俳優のロビンソン・ステヴナンが名を連ねる。コンペにノミネートされた22作品――フィクションからドキュメンタリー、実験映画にいたるまで幅広い作風がある――の監督たちは、ほとんどが20代から30代の若手だ。
ブリィヴ映画祭は、コンペ以外のレトロスペクティヴ部門も充実していることが特徴で、数年前からパノラマ部門ではヨーロッパ以外の地域から選出された中編作品が特集されている。昨年は「日本映画の現在」と題し、プログラマーのクレモン・ロジェが黒沢清、篠崎誠、濱口竜介、三宅唱、佐藤央、染谷将太、川添彩らによる監督作品を紹介した。本年は他部門のセレクションも担当するエヴァ・マルコヴィットがインド映画に焦点を当て、ポール・トーマス・アンダーソンがインドで撮影した、レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドを被写体にした初のドキュメンタリー作品である『Junun』が特別上映された。
他のプログラムには、俳優メルヴィル・プポーの母にして映画監督ジャック・リシャールの妹であるシャンタル・プポーが1994年にアルテ(Arte)で手がけたテレビシリーズ、「彼らの時代のすべての少年、少女たち」のテレビ放送以来となる公式特集上映があった。60年代(アンドレ・テシネ、クレール・ドゥニ、シャンタル・アケルマン)、70年代(オリヴィエ・アサイヤス、ローランス・フェレイラ・ボルボサ)、80年代(エミリ・ドゥルーズ、セドリック・カーン、オリヴィエ・ダーン)と、かつて「少年、少女たち」としてそれぞれの時代を生きた監督たちが、自身の思春期の記憶と音楽との関係をめぐり、自由に主題を選んで撮影されたシリーズだ(日本ではアサイヤスの『冷たい水』が最も有名だろうか)。さらに権利問題の複雑さからこれまで公式上映は不可能だと見做されていた、1975年にジョルジュ・フランジュが手がけたテレビシリーズ「顔のない男」の特別上映という驚きのプログラムもある。またピーター・ウィアー、ロベール・エンリコ、アピチャポン・ウィーラセタクン、フィリップ・ガレル、シャンタル・アケルマンの中編作品を上映するプログラムも豪華だ。
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(シャンタル・プポーによる「彼らの時代のすべての少年、少女たち」についてのプレゼンテーション)

上映以外にも「中編映画のリスクとは?」と題されたラウンドテーブルが行われたり、プロデューサーと若手監督とのワークショップも開催されたほか、本映画祭では恒例となったふたりの映画作家による対談企画――過去にはベルトラン・ボネロとジャック・ノロ、アラン・ギロディとジャン=クロード・ブリソーといった、かなり尖った組み合わせが実現している――が今年も行われ、バスター・キートンの再来と評される処女長編『Vincent n'a pas d'écailles』を手がけたトマ・サルバドールとジャン=マリー・ラリユーが壇上に登った。
溜息が出るとしか言いようのない魅力的なプログラムを統括するエルザ・シャブリは、映画祭の創設者のひとりであるセバスチャン・ベエリーに引き続いて昨年からプログラムディレクターに就任した。シネマテーク・フランセーズの文化活動部門に10年間勤めたキャリアを有するパリ生まれのシネフィルで、第2のオリヴィエ・ペールとも言われる才媛だ。新しい才能を発見する眼識はもちろんのこと、ラウンドテーブルや対談企画、充実した特集上映やレトロスペクティヴの実現は、彼女の強い映画祭への意欲なくしてはありえないだろう。強烈なシネフィル的側面を保ちつつも、多くの観客の好奇心を擽るプログラムに導かれ、今年は会期中に8000人以上の動員が記録された。
映画祭全体の雰囲気も最高にいい。毎日決まったレストランでディナーが催され、誰もがパーティー(映画監督のセリーヌ・シアマや批評家フィリップ・アズーリがDJを務めたりもする!)を楽しみ、上映の合間には併設されたカフェスペースで友人たちやほかならぬ監督自身と見たばかりの作品について話をすることもできる。回帰を通して、多くの観客たちが同じ映画を見、ほとんど寝食を共にし、言葉を交わし合う。ブリィヴ映画祭はまさしく小規模映画祭の理想的なあり方を体現していると言える。
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(映画批評家フィリップ・アズーリ、ロマン・シャルボンによるDJプレイ)

コンペティション部門のヨーロッパ・グランプリは、ドイツのマスシャ・シィリンキ『Die Katze』。フランス・グランプリは、リス・ディオップ『Vers la tendresse』が選ばれた。受賞は逃したものの強い印象を残した作品には次のような作品たちがある。カイエ・デュ・シネマの若き批評家でもあるローラ・チュリエールとルイ・セガン共同監督作にして、アドルフォ・アリエッタの『Flemmes』に美しいオマージュを捧げた『Les Ronds points de l'hiver 』。敢えてヴィデオというフォーマットを選択することで、その黒く荒い画面にフィリップ・ガレル作品のようなカップルの親密さを捉えたカミーユ・ポレ『Gang』。フィルム独自のザラつきを用いつつも、ノスタルジーに拘泥しない決定的に美しい映画的瞬間を捉えたジョアオ・ロザ『Maria do mar』とミゲル・クララ・ヴァスコンチェロ『Vila do conde esparaiada』というふたつのポルトガル作品。これらの作品を本年の映画祭の収穫として深く記憶に留めておきたい。