特集 ケリー・ライカート

editorial

梅本健司

 だがこうした、延々と延びる神秘的な道も、空に太陽が出ていないことも、すさまじい寒さもそうした何もかもの不思議さ奇怪さも、男には何の感銘も与えなかった。(『火を熾す』ジャック・ロンドン)

 未開と文明化の狭間にあるマイアミの僻地、ひと気のないオレゴンの山奥やどこにでもあるような駐車場、あるいはどこだかよくわからない荒野に対し、われわれはアメリカの歴史の一端を再確認することもできれば、その豊かさや頽廃を感じ取ることもできるかもしれない。しかし、今回上映されるケリー・ライカートの映画の人々、とりわけ女性たちは、われわれのようにその景色を眺めることでなんらかの意味を享受しようとはしない。同じように一台の車で女性が旅をするために『ウェンディ&ルーシー』と比べられもするクロエ・ジャオの『ノマドランド』(2020)において、フランシス・マクドーマンド演じる主人公は自然とともにありつつも、眺めるという行為によっても、その広大さを確認している。一方で、ひょんなことからひとりの男性とボニー&クライドを演じることになる主婦が、または一匹の犬を連れてアラスカを目指す女性が、もしくは行き先を見失った三つの家族のうちのひとりの妻が、景色を眺めることがあっただろうか。確かに、彼女らは辺りを見ないわけではない。だが女性たちがそうするときは決まって何か─それも即物的な─を探しているときであり、景色の中に歴史、美しさ、醜さといった意味を見出すためではない。『ミークス・カットオフ』において、なぜスタンダードサイズを選んだのかという質問に答えているライカートの言葉はそうした登場人物たちに寄り添う姿勢を端的に示しているだろう。

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ケリー・ライカート Kelly Reichardt
1964年生まれ、フロリダ州マイアミ出身。学生時代から映画制作を始め、1994年に初長編『リバー・オブ・グラス』を発表。同作はインディペンデント・スピリット賞にて3部門のノミネートを果たし、ベルリン国際映画祭やサンダンス映画祭に選出される。その後12年の期間を経て、長編二作目の『オールド・ジョイ』(2006)を発表し、ロッテルダム国際映画祭、サラトサ映画祭などでの上映や受賞を果たす。次作『ウェンディ&ルーシー』(2008)はカンヌ国際映画祭にてパルム・ドッグ賞を受賞し、『ミークス・カットオフ』(2010)、『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』(2013)はヴェネツィア国際映画祭に出品。またA24配給の『First Cow(原題)』(2019)は、第70回ベルリン国際映画祭に出品され、ニューヨーク映画批評家協会賞にて作品賞を受賞した。現在はニューヨーク州のバート大学にアーティスト・イン・レジデンスとして招聘されており、同大学では教鞭も執っている。最新作『Showing Up(原題)』の撮影が今夏より開始予定。

リバー・オブ・グラス

© 1995 COZY PRODUCTIONS

橋爪大輔(大学院生)

 病院の絵とそこで1962年に生まれたコージー(リサ・ボウマン)によるモノローグからこの映画は始まる。続けて彼女の独白とともに、写真を含む映像が断片的に映し出される。これらの音と映像は、タイトルクレジット前のショットで捉えられた浴槽に浮かぶコージーの声と過去なのだが、もちろん観客のひとりである「私」にも共有される。しかし私は、コージーが体験した視聴覚、もしくは彼女の想像をそのまま経験することはできない。コージーが “I” と発話したまさにその瞬間に、彼女の母の写真に向かってズームが開始されることで、つまり独白と映像というふたつの要素が彼女独自のリズムで同期されることによって、それを見て聞く私は彼女と異なる身体であるということを驚きを伴って実感する。

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『リバー・オブ・グラス 2Kレストア版』RIVER OF GRASS
1994年/アメリカ/スタンダード/カラー/76分

監督:ケリー・ライカート
脚本:ケリー・ライカート、ジェシー・ハートマン
撮影:ジム・ドゥノー
編集:ラリー・フェセンデン
音楽:ジョン・ヒル
プロダクション・デザイナー:デヴィッド・ターンバーグ
衣装デザイン:サラ・ジェーン・スロットニック
製作:ジェシー・ハートマン、ケリー・ライカート
出演:リサ・ドナルドソン(リサ・ボウマン名義)、ラリー・フェセンデン、ディック・ラッセル、スタン・カプラン、マイケル・ブシェミ

オールド・ジョイ

© 2005,Lucy is My Darling,LLC.

梅本健司

 決定的なことが起こったのではないか。幼い頃から友人であるふたりの男たち、マークとカートの、山奥で演じられる、緊張間に満ち、どこかすり減ったような二日間の友情譚のなかで、そんな予感がよぎる瞬間がある。ひとりが、訪れた温泉の浴槽の縁から手を離すとき。もう一方が抱えた靴と赤いリュックを草むらに放るとき。このふたつの「手放す」身振りは、順序立てて見れば、なんら不思議なことはない自然な行為なのだが、しかし、ケリー・ライカートにとって、そんな動作こそが特権的なアクションとなる。

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『オールド・ジョイ』OLD JOY
2006年/アメリカ/ヴィスタ/カラー/73分
★ロッテルダム国際映画祭タイガー・アワード(最高賞)受賞、ロサンゼルス映画批評家協会インディペンデント・フィルム賞 受賞

監督・編集:ケリー・ライカート
脚本:ケリー・ライカート、ジョナサン・レイモンド
製作:ジュリー・フィッシャー、ラース・クヌードセン、ニール・コップ、アニッシュ・サヴィアーニ、ジェイ・ヴァン・ホイ
製作総指揮:トッド・ヘインズ、ラージェン・サヴィアーニ、ジョシュア・ブルーム、マイク・S・ライアン
撮影:ピーター・シレン
音楽:ヨ・ラ・テンゴ、スモーキー・ホーメル(グレゴリー・“スモーキー”・ホーメル名義)
出演:ダニエル・ロンドン、ウィル・オールダム、タニヤ・スミス

ウェンディ&ルーシー

© 2008 Field Guide Films LLC

池田百花(大学院生)

 映画は、いくつもの列車が停まっている車庫の中に、一台の貨物列車がゆっくりと走ってくる音と映像から始まる。それからシーンが切り替わり、ミシェル・ウィリアムズ演じるウェンディの途切れ気味の鼻歌が画面の外から聞こえてくると、彼女が愛犬のルーシーと森の中で遊んでいるところをカメラが追いかけていくが、次の瞬間、ウェンディはルーシーを見失い、その名前を呼ぶ彼女の声だけが画面に響き渡る。走る列車、ウェンディの鼻歌、そして不在のルーシーに呼びかける彼女。このように冒頭で立て続けに展開されるモチーフに思いをめぐらせる間もないまま、画面にはウェンディの旅の様子が映し出されていく。

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『ウェンディ&ルーシー』WENDY and LUCY
2008年/アメリカ/ヴィスタ/カラー/80分
★カンヌ国際映画祭パルム・ドッグ賞受賞

監督・編集:ケリー・ライカート
脚本:ケリー・ライカート、ジョナサン・レイモンド
製作:ニール・コップ、アニッシュ・サヴィアーニ、ラリー・フェセンデン
製作総指揮:トッド・ヘインズ、フィル・モリソン、
撮影:サム・レヴィ
出演:ミシェル・ウィリアムズ、ウィル・パットン、ジョン・ロビンソン、ラリー・フェセンデン、ウィル・オールダム、ウォルター・ダルトン、

ミークス・カットオフ

© 2010 by Thunderegg,LLC.

二井梓緒(映像制作会社勤務)

 ライカート作品の魅力は歩くカットだと思う。彼女の映し出す世界では、主人公たちが歩き、自分の足で移動することで映画が進んでいく。動くこと、つまり旅をすること、広義ではロードムービーとして作品が成り立つ。例えば、デビュー作である『リバー・オブ・グラス』は主人公の女性がひょんなことから―それは衝動的にといった方が良いかもしれないが―見知らぬ街へと逃避するロードムービで、『ウェンディ&ルーシー』は旅を共にしていた犬が行方不明になり、その犬(ルーシー)を見つけるまで動くことのできないロード・ムービーである。『オールド・ジョイ』も然り、歩くカットはどれも美しい。ライカート作品の多くがロードムービーであるが、どれもが違った意味合いを持って物語を織りなしていく。一貫しているのは歩くこと、そして行き先は不特定でも彼らには何らかの指針―それは独りよがりでもあるが―はあるはずなのだ。それを確信させるのが『ミークス・カットオフ』だろう。

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『ミークス・カットオフ』MEEK’S CUTOFF
2010年/アメリカ/スタンダード/カラー/109分
★ヴェネツィア国際映画祭SIGNIS賞 受賞

監督・編集:ケリー・ライカート
脚本:ジョナサン・レイモンド(ジョン・レイモンド名義)
製作:ニール・コップ、アニッシュ・サヴィアーニ、エリザベス・カスレル、デヴィッド・ウルティア、ヴィンセント・サヴィーノ
製作総指揮:トッド・ヘインズ、フィル・モリソン、ラージェン・サヴィアーニ、アンドリュー・ポープ、スティーヴン・タットルマン、ローラ・ローゼンタール、マイク・S・ライアン
撮影:クリストファー・ブローヴェルト
プロダクション・デザイナー:デヴィッド・ターンバーグ
衣装デザイン:ヴィッキー・ファレル
音楽:ジェフ・グレイス
出演:ミシェル・ウィリアムズ、ブルース・グリーンウッド、ウィル・パットン、ゾーイ・カザン、ポール・ダノ

ナイトスリーパーズ ダム爆破計画

結城秀勇

© 2013 by Tipping Point Productions, LLC. All Rights Reserved.

 物語の序盤、ジョシュ(ジェシー・アイゼンバーグ)らが属する環境活動家コミュニティ内で、ドキュメンタリー映画の上映会がある。ジョシュやディーナ(ダコタ・ファニング)の表情は、彼らがその映画の内容に賛同していないことをすでに示しているが、上映後のQ&Aでの、それで私たちは結局なにをすればいいわけ?、というディーナの質問に上映作品の監督はこう答える。「ひとつの大きなプランは危険である。そうではなくて、小さなたくさんのプランが重要だ」と。

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『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』 Night Moves
2013年/アメリカ/ヴィスタ/カラー/112分

監督・編集:ケリー・ライカート
脚本:ケリー・ライカート、ジョナサン・レイモンド
製作:ニール・コップ、アニッシュ・サヴィアーニ、クリス・メイバック、サエミ・キム、ホドリゴ・テイシェイラ
製作総指揮:サエロム・キム、ロウレンソ・サンターナ、アレハンドロ・デ・レオン、トッド・ヘインズ、ラリー・フェセンデン
撮影:クリストファー・ブローヴェルト
音楽:ジェフ・グレイス
出演:ジェシー・アイゼンバーグ、ダコタ・ファニング、ピーター・サースガード、アリア・ショウカット、カイ・レノックス、ジェームズ・レグロス

各動画配信サービスにて配信中

ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択

© 2016 Clyde Park, LLC. All Rights Reserved.

渡辺進也

 『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』の中で、一番好きなシーンは何かと考えると、真っ先に最初にあるいくつかのショットが思い浮かぶ。薄曇りの中、雪を覆う山脈を背後に、100メートルはあるんじゃないかというような長い貨物列車が画面右奥から手前に向かってやってくる。のろのろと、ブレーキを軋ませて、汽笛を鳴らし、ガタゴトと車両を揺らしながら。そのあと、街を高くから捉えたショットに天気を伝えるラジオの声が重なる。「非常に気の毒なことにマイナス15度を記録した先週 3匹の犬が舌が腫れてしまい病院へ運ばれました」……。 まだひとりも登場人物が現れてもいない、こうした最初のシーンになぜ惹かれるのか。まるで一枚の静止画であるような景色の中でただ列車だけが動いているというその美しさもさることながら、これらのシーンが、この映画の全てと言ってもいいほどに、多くのことを語っているからではないかと思う。滅多に陽が射さないであろうその曇りがちの天気や木々や植物の薄く茂ることが伝えるその寒さ。また、馬につけられたのだろうか鈴の音と、耳をつんざくばかりに鳴り響く汽笛(この映画の中で最大のヴォリュームである)はこのあと、彼女たちが住み、訪れる街の中で、何度となく聴こえてくることとなるだろう。また、このゆっくりとしたリズムがその後この映画に流れるリズムそのものであるようにも感じる。

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『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』 Certain Women
2016年/アメリカ/ヴィスタ/カラー/106分

監督・脚本・編集:ケリー・ライカート
原作:マイリー・メロイ
製作:ニール・コップ、アニッシュ・サヴィアーニ、ヴィンセント・サヴィーノ
製作総指揮:クリストファー・キャロル、ラリー・フェセンデン、トッド・ヘインズ、ネイサン・ケリー
撮影:クリストファー・ブローヴェルト
音楽:ジェフ・グレイス
出演:ローラ・ダーン、クリステン・スチュワート、ミシェル・ウィリアムズ、リリー・グラッドストーン